893な依頼人
義経が新城町で暴れてから二週間程が過ぎた。
余談だが、義経が襲った者たちが被害届を出す事は無かった。
彼の話では襲ったのは人を恫喝していた様な者達だ。恐らく後ろ暗くて警察に関わるのを避けたのだろう。
真咲が嶋に頼んだ三課の話も動き出しているらしく、後日、依頼料を払いに来た義経に、貴様の所為で忙しくなりそうだと皮肉たっぷりに言われた。
あと、これは積極的に話したい事でもないのだが、未来は警察寮を出て義経が借りた部屋で一緒に暮らし始めたらしい。
やはりガツガツしていない方が女の子には受けがいいのだろうか……。
まぁ、そんなこんなで月も変わり、真咲は慌ただしかった年末から一月にかけてに比べれば平穏と呼べる日々を過ごしていた。
「咲ちゃん、ただいまだ」
「おかえり花。学校にはもう慣れたか?」
「んだ! 友達も何人か出来ただ!」
成長の再開した花は一月の下旬から、桜井の勧めもあって小学校に通い始めていた。
桜井は花に家庭教師を付けていたらしく、勉強については何の問題も無かった。
ただ、真咲から離れ長く山中で一人暮らしていた花が学校に馴染めるか、その事だけが気がかりだったがそちらも問題ないようだ。
「そうか……良かったな」
「んだ。だどもお父が参観日に来たがってて……オラ、少し不安だべ」
真咲は他の親に混じって桜井が教室の後ろに並んでいる場面を想像した。
恐らく彼の周囲には不自然な空間が出来るだろう。そしてきっと子供達もアレは誰の父親だと囁き合うに違いない。
「確かにそりゃ大変だ……」
「だべ。どう宥めようか、オラ頭がいてぇだよ」
真咲が苦笑を浮かべていると、赤髪の外国人ラルフが珍しくニコニコと笑みを浮かべ帰って来た。
いつもであれば役所の対応が毎回、同じだとぼそりと愚痴を言うのだが……。
「ただいま戻りました」
「おかえりラルフ。なんかいい事あったのか?」
「ええ、聞いて下さい二人とも! ようやく帰国の目途が付きそうなんです!」
「ホントか!? 良かったじゃねぇか」
「んだ。やっとエーファちゃんに会えるだなぁ」
「はい! 一応、検査を受けてになりますが、それにパスすれば帰る事が出来そうです!」
真咲の周囲も少しづつ変わっていく、時は常に流れているのだから当然だ。
こんな時、その流れる時の中で、自分だけが変わらない事に真咲はほんの少し寂しさを覚える。
吸血鬼としては特異な成長するという性質を持った花、彼女の成長はいつまで続くのだろうか。
成長では無くそれが老化と呼ばれる物になっても止まらないなら、真咲はまた一人家族を失う事になる。
あの悪魔が苦痛から逃れる為とはいえ簡単に願いを叶えたのは、それが真咲への復讐になると考えたからかもしれない。
そんな事を真咲がコーヒーを飲みつつ事務所の机で考えていると、事務所の扉が開きリーゼントでサングラスを掛けた黒いスーツの中年男が姿を見せた。
男はランドセルを背負った花とブラウンのスーツを着たラルフに目をやると、おもむろに口を開く。
「真咲、話がある。ちょっとツラ貸せ」
「何だよ慎一郎? ここじゃ言えない話か?」
「ガキや堅気に聞かせる話じゃねぇ」
「分かったよ。花、ラルフ、ちょっと出て来る」
「分かりました」
「いってらっしゃい!」
田所組の若頭補佐、小島慎一郎は笑みを浮かべ真咲を送り出す二人を見て、少し驚いた様だったが何も言わず真咲を伴い事務所を後にした。
事務所を出た真咲と慎一郎は、慎一郎の部下だろう若者の運転する高級車で高速に乗り街を離れた。
「何処に行くんだ?」
「北の尾代山にうちの組長が別荘を持ってる。行くのはそこだ」
「……依頼は何だ?」
「オヤッさんの趣味はハンティングなんだが、この時期はいつも別荘に籠って犬を連れて一人狩りをするんだ……」
「それで?」
「そのオヤッさんと連絡が取れなくなってな……若いのに様子を見に行かせたら、別荘は血塗れで部屋中に獣の爪痕みたいな物が刻まれていたそうだ」
慎一郎は真咲を見る事無く、前を向いたまま淡々と語った。
「熊にでも襲われたんじゃあ……?」
「別荘の中でか? あり得ない。別荘とは言ってもコンクリート造りのセーフハウスを兼ねた物だ。そう簡単に中には入れん。それに爪痕は天井にまで刻まれていたんだぞ……」
「俺に何をさせたいんだ?」
「オヤッさんは多分、死んだと見て間違いないだろう。真咲の言う様に野生の動物に殺されたんならただの事故だ。だがもし妙な力を持った化け物なら……そいつが人と同じ様に考える奴なら落とし前をつけさせなきゃならねぇ」
「渡世の仁義って奴か?」
「まあな……オヤッさんには拾ってもらった恩がある。ホントは俺達だけでどうにかしたかったが、死体も無い、連れてた犬もいない、あったのは天井まで飛び散った血と爪痕だけ……正直お手上げでな……今更だが手を貸して欲しい」
車に乗せて現地へ向かいながらでは本当に今更だ。
だが慎一郎には以前、亮太の件で、憤る組員達を宥めてもらった借りがある。
「分かったよ……ただし、見つけた相手の理由如何では俺は手を引くぜ」
「フッ……相変わらずだな」
「どんどん変わる街に一人ぐらい変わらない奴がいてもいいだろ?」
「そうだな……アンタは初めて会った時から変わってねぇよ」
真咲が初めて慎一郎に会ったのは彼が小学生の頃だ。
慎一郎は家にも学校にも居場所がなく、夜の公園でブランコに座り一人無言で泣いていた。
そんな慎一郎に話しかけ、真咲は肉まんとコーラーをおごってやった。
「懐かしいな……ありゃもう三十年近く前か……」
「あれから色々あったが、あの肉まんが今まで食った物の中で一番美味かったぜ」
「そうそう、あん時、お前三つも食べて、慌てて食うからシャックリが止まらなくなったよな? んでコーラー飲んで盛大に吐き出したっけ……」
真咲の話を聞いた運転手の肩が小刻みに震える。
「……おい、何笑ってやがる?」
「すっ、すいません!」
「昔の話は止めよう」
運転している若者に慎一郎は凄むと話を一方的に打ち切った。
そんな慎一郎に昔話を始めたのはお前だろと苦笑しながら真咲は問う。
「でもよぉ、組長さんが死んだんなら田所組は大変なんじゃねぇの?」
「ああ……オヤッさんは遺言とか残してなかったからな……まぁ、順当にいけば若頭が継ぐべきなんだが」
「なんか問題が?」
「オヤッさんの倅が組は俺が継ぐって言いだしてよぉ……カシラとセガレで組は割れてる」
「ヤクザ稼業も大変だな」
「まったくだ……」
腕組みをして鼻からため息を噴き出した慎一郎と肩を竦めた真咲を乗せ、車は街の北、尾代山へ向かい高速をひた走った。
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