炎と風と技術と工夫
体を炎に包まれた弁慶は苦悶の声を上げながら床に敷かれた青い絨毯の上を転がった。
しかし絨毯が焼け焦げる事は無く、炎は弁慶だけを焼いて行く。
やがて酸欠に陥ったのか、巨漢の鬼は痙攣しながら動くのを止めた。
「……相変わらずだな、烈火の皇子よ」
刀を手にした紫のスーツの美青年が無感情に火柱に声を掛けた。
「はぁ……だからその名前で呼ぶなって……」
人の形をした火柱は嘆息しつつ頭を掻いた手をおもむろに振った。
その振られた手の動きに合わせ弁慶を包んでいた炎と、火柱に変化していた真咲の体の火炎は同時に一瞬で掻き消えた。
「グハッ!! ゴホッ……」
ヒューヒューと苦し気な呼吸音を立てて、黒焦げになった鬼はふらつきながら立ち上がる。
「おのれぇ……女帝に拾われただけの小僧がぁ……」
「その小僧に手も足も出ねぇお前は何だよ?」
「貴様、この儂を愚弄するか!!」
炭化した表皮をポロポロと落としながら、弁慶は怒りに顔を歪める。
拳を握り前に出ようとする鬼を、青年の刃が押しとどめた。
「下がれ弁慶、お前ではこやつには勝てぬ」
「ですが殿……」
「お前は後ろの男をやれ、あの人間、まだやる気のようだ……私は女帝の子に集中したい」
「……御意」
義経の言葉で真咲がチラリと背後に目をやると、廊下に吹き飛んだ際手放したハンドガンに桜井が新たなマガジンを叩き込んでいた。
「大丈夫なのか?」
「佳乃と親子でいるなら、こんな連中の相手をする場合もあるだろう。予行演習としてはいい機会だ」
大型拳銃を右手に、太腿のホルスターから抜いたマシンピストルを左手に持ち、桜井はニヤリと笑みを浮かべた。
「女帝の子よ。ここでは思う存分戦えまい? ついて来い」
義経は真咲に背を向けるとガラス張りの壁の一部を手にした刀でバラバラに斬った。
斬られた破片が月の光を反射し煌めきながら落下していく。
その開いたガラスの隙間を通り、義経は屋上へと消えた。
「ディー、死ぬなよ」
「心配は無用だ。方策はある」
「方策だと? 儂の体に傷一つ付けられん貴様に何が出来る?」
やり取りを聞いた弁慶が嘲りを含んだ声で話しながら桜井に笑みを浮かべる。
「どんなに強靭な生き物も人は打倒して来た。技術と工夫によってな……」
「面白い……鬼となって八百年、人間が儂に勝った事は無い。胸を貸してやる、存分に方策とやらを試すがいい」
睨み合う桜井と弁慶、彼らの視界にもう真咲の姿は無いようだ。
真咲は無言のまま牙を剥く弁慶の横を抜け、義経を追って屋上へと上がった。
屋上には襲撃の際、陰陽課の隊員の残したロープがマンションの端から垂れ下がっているだけで、義経以外人の姿は見えなかった。
屋上はタイル張りの床で、その一画にはプールが作られていた。
柵の前には花壇が作られ目隠し代わりの植生が屋上を覆っている。
流石に真冬という事で水は抜かれていたが、夏などは住民がここでくつろぐのだろう。
「よくまぁこんな所に住めるな。どっから金が出てんだ?」
「人では不可能な仕事の依頼には苦労せぬのでな……では死合うとしようぞ」
義経は部屋に突入した時と同様、刀の切っ先を後ろに向ける形で左脇に構え、腰を落とした。
「なぁ、止めようぜ。刀じゃ俺には勝てねぇよ」
「……」
「……しょうがねぇなぁ……」
真咲は頭を掻くと再びその身を火柱と化した。
「……私の剣は風……烈火の皇子の炎だろうとも掻き消してくれるわ」
呟きと同時に義経の姿が消え、次の瞬間には真咲の体を刃が真一文字に通り抜けた。
それに一拍遅れ暴風が火柱を揺らし爆散させる。
炎は小さな無数の塊となって屋上の更に上を揺らめき舞った。
「……驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし……か」
「驕ってねぇよ……俺はいつも自分の力不足を感じてる」
声はあらゆる所から聞こえて来ていた。
既に炎は消え真咲の姿は義経には視認出来なかった。
「何処だ……」
そう呟いた義経の握った刀が突然炎を上げ、中程から溶け落ちた。
「何だと!?」
驚き手放した刃は床に落ちる前に、溶けてオレンジの光を放つ鉄となりその後、急速に冷え黒い塊としてゴトリと床に転がった。
「これほど……これほど力に差があるのか……」
顔を引きつらせた義経の前に霧が集まり形を成す。
「力の差じゃねぇ、努力の差だ」
「努力!? 私は血を吸う鬼となっても国を憂い努力を重ねて来た!!」
「お前のは人を殺す為の努力だろ? 俺はずっと助ける力が欲しくて努力して来たんだ……一緒にすんな」
「クッ……殺人剣より活人剣の方が優れていると!?」
「当たり前だろ? 殺すのは一瞬、生かすのは一生だぜ……そういう訳なんで、お前も大人しくお縄に付きな」
「断る!!」
義経は右手首を噛み千切り、流れ出た血で新たな刀を作り出した。
一気に踏み込み、義経はその鮮血色の刃を真咲に向かって振るう。
真咲は避ける素振りすらせず、無抵抗にそれを受けた。
暴風が屋上に吹き荒れ植生の葉が吹き飛ばされ散った。
だが刃も風も真咲の体を傷つける事無くすり抜け、踏み込んだ義経もたたらを踏んで金髪の青年の体を通り抜けた。
「言ったろ? 刀じゃ俺はやれねぇ……灰になってちぃと頭を冷やせ」
真咲が振り返り義経の背に声を掛けると、義経は体の内部から炎を噴き出した。
「グオオッ!! ……これは!? 私の、私自身の血が燃えている!?」
「灰は回収して警察に引き渡す、復活するまでにテロじゃない方法を考えな」
「グッ……おのれぇ!! ……蘇った後は必ず貴様を引き裂き滅してくれる!! ……必ず……必ずだ……貴様を……」
「そん時はまた返り討ちにしてやるよ……」
崩れ落ち、真っ白な灰となった義経にそう言葉を掛けると、切なそうにその灰を見つめた。
■◇■◇■◇■
屋上で真咲が義経と戦っていた頃、桜井と弁慶も戦闘を続けていた。
戦いは弁慶が言った様に一方的な物の様に見えた。
銃弾は皮膚と筋肉に弾かれ効かず、逆に桜井のボディーアーマーにはひしゃげ、装甲が剥がれて地肌が露出し血を流している個所が無数に見られた。
「どうした? 技術と工夫とやらは?」
「……」
嘲笑を浮かべた鬼に桜井は無言のまま、アメフトのタックルの様な姿勢で突っ込んだ。
それを見た弁慶は笑みを浮かべ、迎え撃とうと右の拳を引き絞る。
その拳が放たれた瞬間、桜井は床を蹴り前転して弁慶の股の間に仰向けで飛び込んだ。
振り抜かれた拳の先、伸びきった鬼の顎先が桜井の構えたハンドガンの照準と重なる。
「……下あごががら空きだ」
「グガッ!?」
大型拳銃から放たれた.50AE弾がアッパーカットの様に鬼の顎を抉る。
もちろん鬼の皮膚がその弾丸で傷つく事は無かったが、脳は激しく揺さぶられた。
「この……人間風情が……」
よろめき後退って膝を突いた弁慶に、跳ね起きた桜井が駆け寄り更に銃弾を浴びせる。
こめかみにマシンピストルの銃弾を叩き込み、眉間をマグナム弾が貫く。
「グゥウウウ……」
たまらず仰向けに倒れ開いた口の中に、桜井は用意していたフラッシュバンを二本詰め込んだ。
「デザートだ」
そう言ってピンを抜いた三秒後、鬼の口から閃光と爆音が脳を揺さぶりながら放たれる。
「ガガガッ!!!?」
くぐもった叫び、そして爆音と閃光が消えた時、弁慶は口から煙を吐き出し白目を剥いて気を失っていた。
「ふぅ……携行する銃をM500に変えるか……」
現在使っているデザートイーグルよりも強力なハンドガンの名を口にした桜井は、銃をホルスターに納め顔に浮かんだ汗をグローブに包まれた右手で拭った。
■◇■◇■◇■
その三十分後、現職の議員殺害を企てた九郎こと源義経率いる吸血鬼の一派閥ナイン・ジャッジは、警視庁特殊事案対策部の手によって全員確保されたのだった。