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大人になんかなれなくても

 ビルの屋上、手すりにもたれ黒髪の少女が街行く人を見つめていた。彼女にはその人々が酷く羨ましく、妬ましく思えた。

 吸血鬼として人を凌駕する力を持っていても、自分には彼らの様に誰かと添い遂げるそんな生き方は出来ない。

 その一点において自分は彼らの足元にも及ばない存在なのだ。


 自分の数百年変わらない大きさの手を見てそう思う。


「オラ、人間に……大人になりてぇだ……」

『その願い、叶えてやろうか?』


 響いた声に黒髪の少女、花は振り返り視線を屋上に向けた。

 そこにはタキシードを着た猿頭の怪物が笑みを浮かべている。


「……昼間の悪魔だか……間に合ってるだ。他所を当たってくんろ」

『大人になりたいのでは無いのかね?』

「なりてぇだ。んだども、おめぇは周りを不幸にするだ。オラ、誰にも不幸になって欲しくねぇだよ」


 猿頭の悪魔メルクルは当てが外れた事に苛立ちを感じた。

 響子の雷によって弱り獲物だった隆史(たかし)の願いをご破算にされたメルクルは、その原因となった真咲(まさき)の周囲を気配を殺し探っていた。


 真咲の周囲の人物は現状に不満を抱いている人物は殆どいない様だった。

 だが(はな)だけは自分が永遠に子供の体である事を悲しみ、大人になる事を切望していた。

 彼女なら願いを叶えてやると言えば、すぐに飛びつくと考えたのだが……。


『あの真咲という吸血鬼には手を出さないと約束しよう。その上でお前が大人の女の体を手に入れる……どうだ? 楽しそうだろう?』


「しつけぇ悪魔だ。(さく)ちゃんに手ぇ出さねぇでも、他の誰かが傷つくんだべ? そんなの駄目だぁ」

『何故だ? 他の人間がどうなろうと、お前とあの吸血鬼が幸せならどうでもよかろう?』

「……誰か知り合いが傷つけば、きっと咲ちゃんは哀しむだろうし……そんな咲ちゃんだから好きなんだぁ……オラ、咲ちゃんの哀しむとこは見たくねぇだよ」


 花は悪魔に背を向け、手すりに腕を乗せてネオンに輝く街に目をやりながら答えた。


 何なのだこの娘は、吸血鬼とはいえ元は人間の筈だ。

 人間は他者を出し抜き自分が富と名声、それに愛と呼ばれる下らない物を手に入れる為に地べたを這いずり奔走する生き物ではないのか……。


 メルクルが宿る猿の手を手に入れた人間は例外なくそんな物を望んだ。

 これまでその願いを叶え破滅へと導いて来たが、目の前の娘は強い願いがあるにも関わらず、自分にそれを願おうとしない。


『お前の願いはあの男と夫婦(めおと)になる事ではないのか!?』

「夫婦だか……そだな……そうなれたら楽しいだべなぁ……」

『だったら!?』


「……ホントにしつけぇだな? どうせアレだべ、オラに願いを叶えさせて咲ちゃんに昼間の仕返ししようっていうんだべ? そんな手には乗らねぇだよ。オラ、これでも何百年も生きてるだ、悪魔の手口ぐらいは知ってるべ」


『クッ……たかが吸血鬼の分際で……』

「面白そうな話ねぇ」


 花とメルクルの会話に艶っぽい女の声が突然割り込んだ。

 その切れ長の瞳の女は声と共にメルクルの背後に実体化し、背中から悪魔の胸を貫いた。

 漆黒のドレスの裾の先、しなやか白い手には獣の手が握られている。


『なっ、何をする!? 放せ!!』

「たかが吸血鬼とは言ってくれるじゃないの? ()(しろ)が無ければこの世に影響さえ与えられない下級悪魔の分際で」


 緋沙女(ひさめ)こと氷雨栞子(ひさめしおりこ)はそう言うと、悪魔から抜き取った獣の手の周りに体から噴き出した血を纏わせた。

 血はやがて硬質化し、こぶし大の赤い宝石に変化して獣の手を閉じ込めた。


『ググッ……おのれぇ……』

「緋沙女? ……何でここに?」

「フフッ、咲太郎(さくたろう)の子が泣きながら跳んでたから、ちょっと見物にね……花、私がこの悪魔に命じて貴女を大人の女にしてあげましょうか?」


「……お断りだ。おめぇもその代わりに咲ちゃんにちょっかい出す気だべ?」


 花の言葉に緋沙女は赤い唇を緩やかにカーブさせた。


「フフフッ、別に条件は付けないわ。咲太郎にもこの事は伝える気は無いし……」

「信用出来ねぇだ……何が目的だべ?」

「あら、随分と嫌われたものねぇ……目的……そうねぇ、子の子の悩みを解消してあげようって所かしら……?」


 緋沙女はそう言うと切れ長の目を笑みの形に変えた。

 花はそんな緋沙女を真っすぐに睨む。


 真咲の親である緋沙女の話は昔、真咲と旅をしていた頃、幾度か話に聞いていた。

 気まぐれで狡猾で人の心にスルリと入り込む、子となった当初は真咲も緋沙女によっていいように使われていたそうだ。

 そして花自身、何度も煮え湯を飲まされている。


「……ふぅ……本当の所を言うわ。派閥の一つがこの国の一部の政治家達を狙ってる……それを阻止する為に咲太郎にも手を貸してほしいのよ」

「政治家? なんで政治家なんて狙うんだぁ?」

「ほら、この国ってどんどん人が減ってるでしょう? 人が減ると私達も困るじゃない? それで短絡的な連中が邪魔者を実力行使で消そうとしてるの……まったく、そんな事したら消されるのはこっちだっていうのに……」


 そう言って肩を竦めた緋沙女の言葉に嘘は無いように花には感じられた。


「オラを大人にして、咲ちゃんに恩を着せようって事だな?」

「まぁ、そういう事ね。咲太郎は仲間への恩義は無視できない子だから……」

「そったら危なそうな事に咲ちゃんを」

「いいぜ。協力してやるよ」

「咲ちゃん……」


 見上げた空に翼を生やした真咲が桜井(さくらい)を抱いて浮かんでいた。

 物音に目をやると、獣に身を変じたラルフが屋上に膝を突いている。

 おそらくラルフの鼻で花の匂いを追ったのだろう。


「咲太郎……さっきの言葉は本当?」

「ああ、吸血鬼どもに派手な事されちゃあ、花や俺までしょっ引かれちまうからよぉ」


 緋沙女に答えながら真咲は翼をはためかせ、ビルの屋上へ降り立った。

 桜井を下ろすと彼に預けていたコートを無言で羽織る。


「佳乃!」

「……お父……」

「佳乃、父さんが悪かった! 木村さんと暮らしていいから私の事を嫌いにならないでくれ!」

「…………嫌いになんてならねぇだよ……さっきは馬鹿って言って悪かっただ……」

「佳乃……」


 手を広げ叫びを上げた桜井から目を逸らし花は少し拗ねた様に答えた。

 その言葉に目を潤ませる桜井に冷ややかな声が投げかけられる。


「家族ごっこは他所でやってくれないかしら?」


 手を封じ込めた赤い宝石を左手で振りながら、緋沙女が心底どうでもいいという風に嘲りの笑みを浮かべていた。


「桜井さん、花といっしょに先に帰っていてくれ。俺はこの女と話がある」

「分かった……佳乃、行こうか」

「んだども……」


「花、親父さんと一緒に先に帰ってろ……大丈夫だ、お前の願いも込みで依頼として受けるからよ……ラルフ、すまねぇが二人を」

『……分かりました。桜井さん、花さん、ここは真咲さんに任せましょう』


 ラルフに促され、花は心配そうに真咲を何度も振り返りながら桜井とラルフの下へ駆け寄った。


「咲ちゃん、危なそうだったら断るだぞ! オラ、別に咲ちゃんといられるなら大人になんかなれなくても……」

「分かってるさ……心配すんな、全部上手く行くようにしてやるさ。なんせ俺は新城町でも評判の便利屋だからよ」

「…………咲ちゃん……分かっただ」


 花は眉根を寄せ胸元で右手を握りしめると、勢いよく真咲に背を向け屋上の床を蹴った。


『我々も行きましょう』

「あ、ああ……大の大人が男に抱き上げられるのは抵抗があるが……」

『私だってあなたの様な大男は抱き上げたくありませんよ』


 鼻に皺を寄せながらラルフも桜井を抱き上げ花の後を追い跳躍する。

 そうして花たちがいなくなった屋上で真咲は緋沙女に視線を移した。


「それで、計画は?」


 そう言った真咲に、緋沙女は手にした赤い石を揺らしながら満足そうな微笑みを浮かべた。

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