その音は脳髄までも痺れさせる
猿の顔をした悪魔は皮肉な笑みを浮かべたまま隆史に言う。
『代償を無しにしろと言うのはルール違反だ。違反にはペナルティーが付き物、そうだろう?』
「ペッ、ペナルティー!?」
「何だよ、ペナルティーって?」
怯える隆史に代わって真咲が悪魔に尋ねる。
『決まっているだろう? 我々が求める物は太古より変わらない……魂だよ』
ニタリと笑った猿の顔を見て隆史は恐怖に顔を引きつらせた。
「たっ、魂!? かっ、金は要らない! 願いは取り消す!! 全部元に戻してくれ!!」
「こいつは願いを言った! 早く実行しろ!」
『フフッ、私に直接言った所で無駄さ。願うなら依り代である手を掲げて言わないと』
「クッ、融通の利かねぇ野郎だ!」
真咲は悪魔の足元に転がっている干乾びた手に駆け寄る。
しかし手は悪魔と共にフワリと浮かび上がり、襖をすり抜け廊下へと逃げた。
「てめぇのそれはルール違反じゃねぇのかよ!?」
『クククッ、ルールを決めるのは私なのでねぇ』
「クソッ!」
真咲は部屋を飛び出し、右手の人差し指の先を噛み千切って滴った血を悪魔に放った。
血は弾丸の様に飛びタキシードを着た悪魔の肩に命中する。
しかし血の弾丸は悪魔をすり抜け、廊下の壁に穴を穿っただけだった。
『愚かな鬼よ、実体化していない悪魔にそんな物が効く訳なかろう?』
猿頭の悪魔は真咲を嘲りながら廊下の窓をすり抜け、芝生の生えた庭へと逃げ出した。
そしてそのまま空へとその身を躍らせる。
真咲も悪魔を追って庭へと駆け出した。
『フフ、不老不死になられては苦痛が弱まると思って出て来たが、永遠に苦痛を感じるというのも楽しいかもしれんな』
「何をするつもりだ!?」
『私は何もしない、するのは人間共さ……あの金、何処から湧いて出たと思う?』
「何処から……」
『フフッ、ギャング、マフィア、ヤクザ、政治家、企業家……そういった者達の表に出せない金……マネーロンダリングと言ったかな? そんな金の行き先をあの男の口座にしてやったのさ。今頃はそんな奴らが血眼で金が何処に行ったか探している筈だよ』
「嘘だ……そんなヤバい金だったのか……要らない……返す……返すから、元に、元に戻してくれぇ!!」
悪魔と真咲の後をふらつきながら追った隆史は、悪魔の言葉を聞いて絶望に顔を歪めて廊下にへたり込み叫んだ。
『いい顔だぁ……魂もいいが、人間の苦痛と絶望はやはり甘露だねぇ……』
悪魔は歯をむき出して涎を垂らしながらクククッと笑い、そのまま空に消えようとした。
「ああ、やってくれ、響子」
真咲はそんな悪魔を見上げながらスマホに向かって静かに告げた。
■◇■◇■◇■
雅美の家の遥か上空、ライトブルーの短髪の女が雲の上に立ちスマホを耳に当てていた。
その耳には無数のシルバーのピアスが光っている。
「うちは出前は蕎麦しかやってねぇんだが……まっ、巳郎を紹介してくれた礼もあるし仕方ねぇか」
女はそう言ってスマホを皮のジャケットのポケットに入れて左手を振った。
その手の動きに合わせ彼女の足元の雲からドラムセットが浮き出る様に出現する。
そのドラムセットに腰かけ、女はおもむろにスネアドラムの上に置かれたスティックを握った。
その握ったスティックをカッカッカッと打ち鳴らすと、頭を振りながら激しくドラムを打ち鳴らし始めた。
■◇■◇■◇■
星が瞬き始めた夜空が一瞬で黒い雲に覆われる。
『何事だ!?』
総毛立つ様な感覚に思わず空を見た猿顔の悪魔の目を閃光が貫いた。
『なっ!? ギャアアアアアアアアア!!?』
天から伸びた稲光が依り代である干乾びた手ごと悪魔を焼く。
それは一度だけではなくドンドン激しさを増し、何十回も悪魔を焼いた。
「何なの!? 一体何が起きてるのよ!?」
「隆史!! 隆史ぃ!!」
「今、家に入るのは危険だべ!! 隆史さんは必ず咲ちゃんが守ってるだ、信じてけれ!!」
塀の外では家に駆けこもうとする雅美の母親を花が小さな体で必死にとどめていた。
「おばさん、落ち着いて!! 雅美も大丈夫だから!!」
「だって雷があんなに!?」
「きっと!! きっと大丈夫だから!!」
轟音の中、梨珠も花と一緒に雅美の母を止めながら声を張り上げ二人を宥める。
梨珠と花が雅美と母親を宥めていた頃、塀の中では真咲が廊下にいた隆史に覆いかぶさり、必死でスマホに向かい声を張り上げていた。
「響子!!! もう十分だ!!! 雷を止めてくれ!!!」
しかし真咲の声は落雷の轟音にかき消され、届く事は無かった。
いや、仮に届いたとしても彼女が演奏を途中で止める事は無かっただろう。
鳴神響子、種族雷神、職業蕎麦屋、そしてロックバンド、TODOROKIのドラマー。
彼女の放つその音はライブでは体全体、いや脳髄までも痺れさせると評判だった。
実際は数分程だったが、そこにいた人間にとっては数時間にも感じる稲妻による演奏は唐突に終わりを告げた。
芝生は焼け焦げ、庭は土がクレーターの様にめくれ上がっている。
その中心に真っ黒に焼け焦げた干乾びた手が、シュウシュウと煙を上げて転がっていた。
『ググッ……』
悪魔はまだ生きている様だったが、流石に動く事は出来ないようだ。
「おい! 動けるか!?」
真咲は体の下、放心している様子の隆史の肩を揺さぶり声を掛ける。
「…………」
隆史は目の焦点が合っておらず、完全に心ここにあらずといった状態だ。
真咲はため息を吐くと、パンパンッと彼の頬を軽く張った。
「あっ……えっ? 何っ!? 何なんだよ!?」
「落ち着け! ……雷が落ちてあの手は今動けねぇ……願いを言えるか?」
「雷……願い……そうだ!? 金は要らないって願えば元に戻るんだよな!?」
「そうだ。やれるか?」
「やっ、やるよ! やるに決まってる!!」
「よし、手はそこだ」
隆史は真咲が指差した先、めくれ上がった土の中心に駆け寄ると、煙を上げる手をジャージの裾で覆い掴み上げ願いを叫ぶ。
「こっ、口座の金は全部返す!! 元に……全部元に戻してくれ!!!」
『ググッ…………確かに承った…………覚えておれ……この借りは必ず返すからな……』
黒焦げの手はそれだけ言うと崩れ落ち、黒い霞となって消えていった。
「……これで元通りなのか?」
茫然と煤で汚れたジャージの裾を見下ろし隆史が呟く。
真咲はそんな隆史に歩み寄り声を掛けた。
「心配ならスマホを確認して来いよ」
「スマホ……そっ、そうだな!」
恐らく悪魔の契約からは逃れただろうが、連続して落ちた雷の噂は隆史達の家を暫く騒がしくするだろう。
真咲は苦笑を浮かべつつ、通話のままになっていたスマホを耳に当てる。
「響子、聞こえるか?」
『ああ、どうだった今日のプレイは?』
「…………最高だったよ。サンキューな」
『へへッ、今度はライブで聞かせてやるよ。んじゃな!』
見上げた夜空に一筋の雷光が走った。
「ふぅ…………雷の出前はよっぽどじゃねぇと頼まねぇ方がいいな」
真咲はそう言うと、肩を竦めて渇いた笑いを上げながら小さく首を振った。




