私と真咲は友達以上
見た目を女の姿に変えた真咲は、臭いを追い一人街を歩いていた。
移動の途中、彼が危惧した様に街行く男達に好色な視線を投げかけられ、ムズムズとした感触を感じた。
いつの世も女は大変だぜ。
久しぶりの変身にそんな感想を浮かべつつ、街を歩き声を掛けて来る男達を袖にしながら標的が喰いつくのを待つ。
やがて辿り着いた薄暗いその裏通りの最奥で、真咲は立ち止まり鼻を鳴らした。
「……来たか」
「お嬢さん、こんな所に女性が一人でいるのは感心しませんね……」
黒いロングコートを来た赤髪の彫の深い顔の男が、暗闇から音もなく姿を見せた。
「獣化して人を襲うのは止めたのかい?」
「……私が何なのか知っているのですか?」
「まあな」
「そうですか……では取り繕う必要は無いですね……」
男の顔が歪み、人だったそれが獣の物へと変わっていく。
『……腹が減って……仕方が無いんだ……ウッ、恨むんなら私をこの国にとっ、閉じ込めた……政府の……政治家たちを……クソッ、みんな疫病の所為だ!! アレさえ無ければ今頃は!! 俺は悪くない!! ぜっ、全部、あの病気がぁああああ!!』
男の体が獣の割合を増すごとに、男は興奮の度合いを増し話す言葉は支離滅裂になっていった。
『にっ、肉……肉を寄越せよ!! グルル……引き裂いた肉の断面が見たいんだ……いや、それより喉笛を……血だ!! この国は嫌いだ!!』
「……訳分かんねぇ……昔会った奴はもう少しまともだったが……」
自ら服を引きちぎり四つん這いになった赤毛の獣に、真咲は思わず顔を引きつらせた。
『とにかく死ねぇ!!』
そう叫び襲い掛かって来た獣の牙と爪を真咲はステップで掻い潜る。
獣の爪は勢いのまま真咲の後ろにあった金属製のゴミ箱を切り裂き、不燃ごみに変えた。
獣はすぐに振り返り、足の爪でアスファルトを抉りながら金髪の女を追う。
一瞬で距離を詰め女の背中に鉤爪を振り下ろす。
しかし、確かに引き裂いたと思われた女は、翳む様に姿を消した。
獣は間髪入れず鼻を鳴らし女の臭いを追った。
その目が上に向けられる。
裏通りを構成する路地の上、金髪の女が月光にその髪をきらめかせ獣を見下ろし笑みを浮かべている。
『決めた! 決めたぞ!! お前は思い切り犯しながら肉を味わってやる!! そうすれば……そうすれば俺は故郷に帰れる筈だ!!』
「……どういう理屈だよ?」
『アオォォォォォォン!!』
獣は遠吠えを上げ、ビルの壁面を蹴って真咲がいた屋上へと駆け上がる。
彼が視線を向けた先に既に真咲はおらず、その姿は向かいのビルの屋上へと移動していた。
「こっちだ、犬っコロ!」
そう言ってチョイチョイと手招きする真咲に、獣は唸り声を上げ襲い掛かった。
しかし、噛み合わされた牙は肉を抉る事無くガチンッと音を立てるのみ。
『そうか……貴様、魔女だな!? 魔女の肉は数百年ぶりだぁ!! プリプリして……いや、コリコリだったか? そもそもあの時喰ったのは魔女だったか……?』
「知らねぇよ、んなもん」
『グルルルル……ガウッ!!』
真咲はその身を霧に変え、少しづつ獣を珠緒達がいた神社へと誘き寄せる。
獣は錯乱状態の為か警戒する事無く真咲を追い、夜の街を月明かりに照らされて跳躍した。
やがて、一人と一匹は人の気配の無い神社の境内へと降り立った。
『観念したか魔女め!! 今から貴様をなぶって……いや持ち帰ってゆっくり……そうじゃない、まずは首の骨を噛み砕いて……』
「はぁ……かなりきてんな……」
『お前を喰えば万事おさまる!!』
両手の鉤爪と大きく開かれた顎が、真咲を喰らわんと迫る。
だが爪は空を斬り、牙は虚しく打ち鳴らされた。
気が付けば獣は上も下も分からない真っ赤な霧の中にいた。
『なんだこれは!? 女はどこだ!? 故郷の森に帰りたいのだ!! その為には肉が!! いや肉では駄目だ!! 日本は明るすぎる!! ……血肉を!?』
「こっちだ」
『ガウッ!!』
「そこじゃねぇよ」
『グルルッ!!』
「当たらねぇよ」
『ガァアアア!!』
声と共に真っ赤な霧の中に金髪の女が現れては消える。
その度、獣は叫びを上げ爪を振るい、牙を打ち鳴らした。
獣は叫びを上げながら延々と霧の中で暴れ続け、やがて疲れて膝を突いた。
『……ここはどこだ……俺は……何故この国は私を閉じ込めた……グルル……帰りたいだけなのだ……私は……』
疲れて蹲り丸まった獣の首に、霧の中から浮かび上がった女の顔が牙を立てる。
『グッ!? ああ……霧が……俺は……私は……眠い……もう……疲れた……』
女に噛まれた獣は立ち上がって暫く藻掻いていたが、やがてパタリとうつぶせに地面に倒れた。
「終わったかにゃ?」
神社の境内の外で赤い球体が弾け、ぐったりとした獣が吐き出されたのを見た珠緒は、球体の横にいた真咲に声を掛けた。
「ああ、取り敢えず血族にした……どうやらこいつ、例の病気に感染してたみてぇだ」
男の姿に戻った真咲は駆け寄って来た珠緒と化け猫達に獣の状態を説明する。
「あの病気って基本、肺炎みたいにゃ感じじゃにゃいの?」
「さぁなぁ……人間にはそうだが、人狼には別の症状を引き起こすのかもな」
『見事なお手並みでした。俺達の出る幕は無かったですね』
「たまたま上手くいっただけだよ」
境内に獣を誘き寄せた真咲は体を霧に変え獣を覆うと、その霧から作り出した血の球体に獣を閉じ込め幻影の中で彼が弱るのを待った。
人のいないこの場所を選んだのは、術を誰かに見られたり撮影されたりするのを嫌ったからだ。
路地裏やビルの屋上では、血の色の玉を見咎めた誰かがスマホを取り出すかもしれない。
まったく殆どの人間が常時、高性能なカメラを持っているんだから、やりにくくて仕方が無い。
ともかく、人狼の体から病は消え無差別に人を襲う程、自我を無くす事は無くなるだろう。
「ところでコイツ、どうするんだにゃあ?」
「そうだな……故郷に帰れるようになるまでは、また暴走しても困るし俺の事務所で預かる事にするよ」
「……相変わらずだにゃあ……」
「助けた命の面倒はみなきゃ……だろ?」
「……ホント、懐かしいにゃあ……真咲、私ね……ずっと…………やっぱり何でもないにゃあ」
「そうか……」
目を細め笑った珠緒の頭を、真咲は優しく撫でた。
■◇■◇■◇■
翌朝、目を覚ました人狼、ラルフ・シュナイダーを連れて真咲は事務所へ向かっていた。
服を失ったラルフは今は珠緒の仲間が用意した服を窮屈そうに身に着け、真咲の後を申し訳なさそうな顔で歩いている。
その前を歩く真咲の左腕には珠緒が抱き着き、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「タマ、もうそろそろ離れろ」
「嫌だにゃ。たまにしか会えないから、この機会にしっかり甘えておくのにゃ」
「あの……よく覚えていないのですが、お二人にはご迷惑をお掛けしたようで……」
「気にすんなよ、病気だったんだ。しょうがねぇさ」
赤い髪の外国人、ラルフの話では、彼はドイツから仕事で来日していたが、渡航制限により日本に閉じ込められたそうだ。
クリスマスには故郷に帰っている筈だったが帰国出来ず、そうこうしている間に感染、朦朧とする意識の中、満月で本能を抑えられなくなったらしい。
「普段なら理性で抑え込めるのですが……」
「人間を傷付ける前で良かったにゃあ……もし、誰かを襲ったりしてたら、ラルフはきっと退治されていたにゃ」
「でしょうね……大昔は人を襲った事もありましたが、今はそんな事をしようとは思えませんし……いや本当に助かりました」
「どうして宗旨替えしたんだ?」
「……私はかつて、人間の女性を愛しました……彼女との間には娘が一人出来て、今ではその子孫達がドイツで暮らしています…………襲えないでしょう?」
「なるほどな」
ラルフの言葉を聞いた真咲は納得の頷きを、珠緒は驚きで目を見開いていた。
「人狼と人が……だったら私も……」
そう小さく呟き真咲を見上げた珠緒の頭を彼は、ん?と首を傾げながら優しくなでた。
そんな事をしながら事務所に戻った真咲達を出迎えたのは、ムスッとした顔の梨珠と腕に抱き着いた珠緒を見て目を丸くした沙苗だった。
「真咲、あんた、人には五年間、純潔を守れって言ったくせに自分は珠緒さんと仲良くしてたのね?」
「あん? タマとはそういう関係じゃあ……」
そう言い掛けた真咲の言葉に被せて、顔を真っ赤にした梨珠が捲し立てる。
「やっぱりお母さんの勘は当たってたみたいね!! 二人が友達以上の関係だって!!」
「にゃ……確かに私と真咲は友達以上だにゃ……一緒に暮らしてた事もあるし……」
「タマッ、テメェなに言ってんだ!?」
「ホントの事だにゃ」
そう言うと珠緒は更に強く真咲の腕に抱き着き、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「一緒に……同棲って事ですか!?」
口に両手を当て頬を染めた沙苗が驚きの声を上げる。
「真咲さん……特定の人がいるのに、別の女性に気を持たせるのは私はどうかと思いますよ。ましてこの二人はまだ年端も行かない少女ではないですか……」
ラルフが軽蔑の眼差しを真咲に向ける。
「ラルフ、テメェまで何言ってんだ!? タマは言わばペットみたいなもんで……その意味で家族と言うか……それにその二人は……」
「ペット!? ……最低……行こう、沙苗!」
「えっ? ……でも多分、真咲さんはそんな人じゃ……」
「女の人をペット扱いする男とは思わなかったわ!」
「おい、誤解だ! タマは実はふがっ!?」
「にゃはは……じゃあね、梨珠ちゃん」
珠緒が咄嗟に真咲の口を塞いだ事で、憤慨した梨珠の誤解はその後暫く解ける事は無かった。




