再来魔王①
天気の良い、ある日のこと。
今日はちょうど、ミサの日だった。ミサの日には、教会には多くの人が訪れる。この日ばかりは、普段はシスターらしくないシフルも、それっぽいことをするようになる。そのため、ちょっとばかり忙しく、リルアに構う暇はない。
一方で、リルアは精霊教の信徒というほど、熱心な信者ではない。ミサにも当然ながらさほど興味はなく、準備を少し手伝った後、本番のミサをしている最中は、礼拝堂へは立ち入らないようにしていた。
そんな、空いている時間。ふと思い立ち、リルアは教会の外へ出た。
そのまま図書館への通りを歩いていると、反対方向から見知った少女が歩いてきた。
「あ、リルア! ちょうど遊びに行こうと思っていたところよ」
「ローナ。ごめん、これから図書館に行こうと思ってて」
「ふうん。じゃあ、一緒に行ってもいい?」
「いいけど、退屈かもよー」
「他にやることないもん」
そう言いながら、連れだって歩く。
いつもの道を通り、いつもの通り図書館の中へ。
いつも来る魔法書の書架には、いつも通りチコの姿があった。例によってと言うべきか、他の人間の姿はない。
「チコー」
「あら、リルアさん。ローナさん。いらっしゃいませ」
にこやかに出迎えてくれたエルフ。リルアは手近なところから椅子を引っ張ってくると、カウンターの前に陣取る。
「どうしました?」
「チコに、教えて貰いたいなって」
そう前置きし、リルアはチコをまっすぐ見つめながら、口を開く。
「魔王について」
☆ ★ ☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆ ★ ☆
その存在を知らぬ者はいない。
最初に現れたのは、およそ100年ほども前のことだと言われている。
崖の上に突如として現れた巨大な城。まがまがしい闇色のそこからは、あまたの魔物が溢れ出した。
トールマンを先頭に、人類は魔物と戦うことを決意。魔物を生み出す現況を魔王と呼び、その討伐を誓った。
だが、事はそう簡単ではなかった。
魔王の城ーー魔王城は、とにかく魔物の数が多かった。トールマンたちがどれほど群れても、魔物はそれ以上の群れで押し潰してくる。
戦いは長く続いた。人類は魔物を圧倒する力を持たない。一方で魔物たちも、人類を滅亡させるような、統率の取れた動きはしない。
進退窮まる争いは、ひとつの流れをきっかけに、闇側が勢力を強め出した。
ーー魔族の台頭である。
戦いの始まった当初は、魔族はどちらの味方でもなかった。それが、それぞれ事情はあったにせよ、魔王側についたのだ。
今まで統率が取れていないことが唯一の救いであった魔物の軍勢は、魔族が指揮することで、より洗練された動きを成すようになった。
次々と国が陥落し、人類はその数を減らしていった。
人類滅亡まであと一歩。それを止めた者こそ、後に勇者と呼ばれる青年だった。
勇者は仲間と共に魔物たちに挑み、次々と名のある魔族を撃破。やがて、魔王城にまで至った勇者は、魔王を倒し、この世界に平和をもたらしたーー。
それは、子供さえも知っている、勇者の伝説である。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「魔王について、ですか」
リルアは頷き、
「私ね。この前、ユーリと話してね。で、初めて知ったの。魔族って存在も、魔王って存在も。魔王が、魔族を認めていたんだってことも」
「……確かに、そういう側面はありますね」
「そう。チコは、その時代も生きていたでしょ? だから、知っているかなって」
「知らないわけではありませんが、そう詳しいわけではありません。専門ではありませんでしたから」
「専門?」
「はい。魔王そのものは、当時、十分な脅威でした。その研究は、エルフでは軍部が主体で……。逆に言うと、軍部の特秘事項だったことも多く、知らないことも多いのです」
「じゃあ、知ってることだけでも教えて?」
「そうですね……。じゃあ、魔王ってなんだと思います?」
「何?」
首をかしげるリルアに、チコは優しく微笑む。
「言い方を変えましょうか。リルアさんはトールマン。ユーリさんはサキュバス。では、魔王は?」
トールマン。サキュバス。
エルフにコボルトにドワーフに。
どれもこれも種族ではある。だが、なるほど、そういえばーー魔王などという種族は、ない。
「えーと。なんだろう。サキュバスとかジャイアントとかじゃないのよね?」
「はい。違いますね」
「うーん……。もうっ、降参!」
「ふふっ。ちょっと意地悪な質問でしたね。正解は、”精霊”です」
「えっ!?」
精霊。
人ならざる存在である彼らは、魔法を使う時に、常にお世話にもなっている。
「正確には、闇の魔力を司る精霊でした。これは当時、問題にもなっていたようです。精霊を倒す手段は、人類にはありませんでした。それが、決め手に欠けていた理由でもあります」
「じゃあ、人類は……精霊を、殺したの?」
リルアの問いに、チコは薄く笑む。
それは、自嘲と呼ぶべきものだった。
「そういう言い方も、できるかもしれませんね」
「そんな……」
「ショックかもしれませんが、事実です。でも、真実とは少し異なります」
「……?」
チコは、両方の手の平を天井に向けた。
片手には炎が、片手には水球が宿る。
「炎を司るのは炎の精霊。水を司るのは水の精霊。けれど、いずれも光の魔力です。一方で、闇の魔力を司る者こそ、闇の精霊です。魔王とは、そんな闇の精霊そのものを呼びます」
「闇の、魔力? あ、だから……」
「はい。魔物が生まれる原因となっている闇の魔力は、もともと闇の精霊が生み出したものです」
こほん、と咳ばらいし、チコは続ける。
「そも、この世界が生まれた当初、光と闇は表裏一体であったといいます。光と闇が争い、光が勝利した。闇は追放され、その後、光は己を細分化し、精霊となったーーそう伝えられています」
「その時に追放された闇が、魔王?」
「そうですね。魔王は強大でした。一方で光は、世界を支えるため、己を細かく分けてしまっていた。そのせいで、個々の力は魔王に遠く及ばなくなってしまいました。魔王を倒せる者が、誰もいなかったのです」
「じゃあ、どうするの?」
「精霊を倒す手段を持たない人類と、精霊を倒すには力が足りない精霊。両者は考えたあげく、力を合わせることとし……一人のトールマンを選びました。もともと、トールマンという種族は、最も魔力が薄く、それゆえ、精霊が器とするのに適していました。精霊たちは己の力を彼に注ぎ、ひとつに集めたのです。そうして、魔王を討伐せしめたと言われています」
「それが、勇者様?」
「はい、その通りです」
「……そっか。魔王は、闇の精霊」
正直に言うのなら、考えたこともなかった。
それはそうだ。魔王など、生まれる前にはもういなかった存在。その存在がどんなものであるかなど、今を生きるリルアには関係ない。
じっと考え込むリルアの横で、ローナはチコに問う。
「その、魔王って存在? そんなに強かったの?」
「それはもう。そもそもが精霊様ですので、剣や斧で斬れる存在ではありません。人類が魔法を行使するのに精霊を介すことからもわかるように、精霊様は自分自身の力だけで魔法を行使することが可能です。簡潔に言えば、魔法を無尽蔵に使うゴーストを倒せ、ということです」
「それってそんなに難しいの?」
「ローナさんの剣を使えば、あるいはわかりませんが。ですが、言うなれば精霊様も神の一柱。その剣を持った相手と戦うと考えれば、いかに難しいことをしているか、おわかりになるかと」
「……この剣を」
ローナの剣は、神様から与えられた、いわゆるチート剣。
どんな魔物も一撃で屠る力があり、負け知らずではある。だが、それは相手が弱いからーー比較としてであり、実際にはそれなりに強い敵も含まれるがーーこそだ。
推測ではあるが、ローナの剣をもってしても、魔王を一撃で倒すことはできないだろうし、そもそも近づかせてくれないだろう。
「勇者様は、あらゆる精霊から力を授けられ、それを一振りの剣に宿したとされています。魔王を倒した後、勇者様は二度と魔王が現れぬよう、その剣をもって世界を封じたとか」
「世界を封じるって何それ。ワイン樽のコルクみたいなもの?」
「言い得て妙、といったところかもしれませんね。勇者様は、封じたとは言ったものの、具体的なことをおっしゃいませんでした。きっと、悪用されることを恐れたのでしょう。当時生きていた、取り巻きのトールマンはすでにみんな亡くなっておりますし、もう調べることはできないでしょうね」
「ふうん。でも、そういうのって詳しく説明しておいた方が、かえって事故らないんじゃないの?」
「それはまあ、考え方ですね。それに、勇者様と魔王の戦いは壮絶で、同行できたのは賢者様だけだと聞いています。直接目にしたお方が二人だけでは、情報統制も必要なかったでしょうね」
「え? じゃあ、もしかして魔王って、勇者と賢者しか会ったことないの?」
「もちろん、魔族の皆さんは魔王城で暮らしていたわけですし、知らないわけではないと思いますよ? ただ、ご存知の通り、魔族の社会的立場は微妙なところで……。実は、魔王軍の研究というのは、さほど進んでいません」
「そうなんだ。それだけ大きな出来事だったなら、なんか、みんなで研究しそうなものだけど」
「それだけ、人々が魔王軍を恐れているのだと思います。知ることで、再び現れてしまうことを恐れているようなところがある。そんな気がしますよ」
「知らなきゃいいってものでもなさそうだけどね」
「大人ほど、臆病なものですよ」
そこでふと、チコは視線をそらした。その先にはリルアが、彼女にしては珍しく、おとなしくしている。
「リルアさん? どうしました?」
「ん? ううん」
目を開けたままで寝ていたわけではないらしい。
「……あたしね。魔族のことも、魔王のことも、何も知らなかったのね」
「はい。まあ、最近の若い方は、皆さんそうだと思いますが」
「だから、チコに色々と聞けてよかったなって」
「知ったところで、すでに過去のことですよ」
「でも、その過去の先に、今があるの。魔族が差別されたり、冒険者学校がなくなったりした今が」
ぐっ、とリルアは拳を握る。
「あたしね、ただおばあちゃんに憧れて、なんとなく凄い冒険者になりたいなって思っていただけだったの。でも、勇者様だって、たくさんの精霊から力を借りて、魔王と戦った。それでいて、魔王にも魔族にも、戦う理由があった。それは、”なんとなく”では、なれない存在じゃないかなって」
「どちらかと言うと、必要に迫られて、と言うべきでしょうね」
「それだけ必死だったんでしょ? だから、私も必死に目指してみようかなって」
「必死ってどういうこと?」
ローナの問い掛けに、リルアは満面の笑みで答える。
「それはもちろん、世界を救う冒険者、だよ」




