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暗闇に色を探す  作者: 此道一歩
第一章  真実が見えない
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告 白

 この一件以来、亜紀子の信樹に対する信頼は、自分でもコントロールできないほど大きく膨らんでいった。

 頼る者のいなかった彼女にとって、彼の存在はさらに大きくなっていったが、決して昔のように、胸が苦しくなったり、せつなくなったり、何も手につかずにため息ばかりついたり、そんな愛とか、恋とか言うようなものではなかった。

しかし、会うたびに強くなっていく彼への思いは、彼女の心の中ではっきりと形を整え始めていた。

特に、彼の人としての在り方を誠実に考えているその姿勢には共感した。

( 恐らく、一歩間違えば人の道を踏み外してしまうかもしれない、彼はそんなシリアスな環境の中で生きてきたのだろう。どんな仕事をしてきたのだろう。決してトレーダーとして生きてきたわけではないだろう )

 彼女は、明るく振る舞っていても、ふとした時に遠くに目をやり、何かを思いつめているような彼の心の奥深くに潜む闇に気づき、何とかしてあげたい…… そう思うようになっていた。 

 いつしか、彼女の心に住み着いてしまった信樹を、彼女はもうどうすることもできなくなっていた。

 彼女は、信樹を放したくなかった。なんとか、自分のもとへ繋ぎ止めておきたかった。彼がそばにいてくれるだけで充分であったのだが、このままだと彼はいずれどこかへ消えてしまうのではないか、そんな不安が彼女につきまとうようになっていた。


 一ヶ月が過ぎた頃、暦は既に十月に入って、町は秋の気配が漂い、道行く人の服装も少しずつその様相を変え始めていた。

 季節独特の物悲しさも手伝って、気持ちに限界を感じた亜紀子は、思い切って彩にその心を打ち明けてみた。

「もし、社長が、普通のお嬢さんだったら、この恋には落ちなかったかもしれないですね」

「えっ……」

「普通のお嬢さんのように、愛してる、恋してる、胸がキュンとするような気持ちとは違って、社長という立場にあって、今の思いや悩みをかかえていればこそ、彼を求めているんですよね。ある意味、お気の毒だとは思いますよ」

「そうかもしれないですね」

「でも、そんなこと、どうでもいいじゃないですか。それだけ信頼していて、そばにいて欲しいって思っているんですよね。私に相談したってことは、できれば一緒に生きて行きたい、そういうことですよね?」

「恥ずかしいけど、そのとおりです。彩さんのいうとおり……」

「でも、社長、どうやって彼と知りあったんですか?」

 不思議そうに彩が尋ねると、亜紀子は公園での出会いからここまでのことを詳細に話した。

「それは運命ですよね。運命としか言いようがないですよね。この人と結婚しなさいって、誰かに言われているようですよ。結婚以外のシナリオが思いつかないですけどね」

「私の心は、彩さんには見透かされてますよね」

「いいえ、そんなことは……」

「でも、悲しいかな、向こうにはその気がないのよね」

「それはどうでしょうか。悪い人でないことはわかりますが、正直言って、得体のしれない人でもありますよね。でもね、やっぱり何か、抱えている人だと思うんですよね」

「そうなんですよ」

「ですけど、彼のその重苦しい部分は、社長によって癒されているよような気がするんですけど…… 彼のふとした仕草にそれを感じることがあるんですよ」

「えー、ほんとうですか?」

「だから、彼も社長のそばにいたいのではないかと思うんです」

「彩さん、私も、彼がふっと遠くを見て思いつめているのが気になります。何か闇をかかえているような気がして…… 何とかしてあげたいって思うんです。だけど、絶対に会社にはかかわってくれないと思うし……」

「夫になってくれるだけで十分じゃないですか。アドバイスいただけるだけでもありがたいでしょ」

「そうね、頑張ってみようかしら……」

しばらく、沈黙があった。


 さほど恋愛経験があるわけではなかったが、彩の考え方は明解であった。

 今の二人の立ち位置が今後自然に縮まっていくことは考えにくい。

 現在と、結婚との間にポイントがあるとすれば、それは同棲ということになるが、少し飛躍しすぎている。

 その一歩手前は何だろう、そう考えると答えはわりと簡単であった。

 彼に、彼女に対する思いが少しでもあれば、これには絶対にのってくる。そう思った彩が

「とりあえず、住まいを提供してはどうですか?」と切り出すと

「えっ!」亜紀子は突然の提案に驚いた。

「家に住んでもらって、3食昼寝付きで住居を提供することができれば、もっと近づくことができるんじゃないですか?」彩は自信を持っていたが

「そうですか……」亜紀子は不安そうに(つぶや)いた。

「何か始めないと! 一石を投じなければ波紋は起きない、先代がいつも言ってましたよ」

「そうですね、頑張ってみます」


 それでも亜紀子は不安をぬぐい去ることができなかった。

 もし彼にその気がなかったら、場合によっては、彼が去っていくかもしれない、そう考えるとなかなか行動に移すことはできなかった。

 だがこのままでは波紋は起きない、そう思った彼女は、数日後、意を決して信樹へ電話を入れた。


 翌日、二人は、てんぷらで有名な 『あじよし』 へ出かけた。

 今まで二人が出かけた店とはやや異なり、高級店であったから、当然そこを利用する客層も今までの店とは違っていた。

 信樹は、知っている者に会うかもしれないそんな不安が心の片隅にあった。

 店へ入ると、座敷へ案内される通路で、彼は一人の男から声をかけられた。

「信さん、信さんじゃないですか?」男は自信がなかったのか、低い声で確認するように尋ねてきた。

「お久しぶりです」信樹は挨拶を返し、亜紀子に向かって

「ちょっと待っててね」と言うと、慌ててその男の背に手を当て、押すようにして亜紀子から離れて行った。

 驚いた彼は「どうしたんですか、何かまずかったですか?」心配そうに尋ねたが

「いえ、大丈夫です。ただ久しぶりにお会いしたのに申し訳ないです。今は、昔のことを隠して、静かに充電しています。今、私の周りにいる者は西藤信のことを知りません。しばらく、そっとしておいてほしいのです」

 彼がそう言って頭を下げると、

「わかりました。でも、良かった。お元気そうで、何か困っているわけではないんですよね?」彼は信樹の服装が気になったのか、心配そうに尋ねた。

「全然大丈夫です。毎日ぶらぶらしていますから、こんな格好してますが、何も問題はありません」

「そうですか、でも心配したんですよ、先生が亡くなってから電話には出てくれないし、メールでは近況をお知らせいただいたから安心はしましたが、それでも、もうすぐ三年になるでしょう。でも良かった。まだ、当分は静かに暮らすんですか?」

「そうですね、親父さんが亡くなってから色々考えてますが、どうもまだ前に進もうという気になれません。またその時にはよろしくお願いします」

「とんでもない、こちらこそ、よろしくお願いします。私は決して恩は忘れていませんから……」

 彼は五味工業の代表で、六年ほど前、常務一派に実権を奪われそうになったことがあり、当時、経済界、影のドン言われていた渡の命を受けた信樹が事にあたったのだが、彼の切れ味の鋭さに感銘し、それ以来、親しみと敬意を込めて、『信さん』と呼ぶようになったのである。


 信樹が、亜紀子のところへ戻ると、彼女は不思議そうな顔をして何かを思い出そうとしているようだった。

 座敷に通され、向かい合って座った二人は、これまでとは違う雰囲気にしばらく沈黙したが、亜紀子が何かを思い出したように言った。

「あっ、そうだ、さっきの人、五味の社長じゃないの! 何で知ってるの?」信樹の見えない部分がまた広がってしまった。

「えっ、知っているっていうか、株仲間だよ、昔先生のところで一緒に勉強してたことがあるんだ」

「じゃ、何で離れたのよ」

「だって、あんなところで大きな声で株の話されたら困るでしょ」

「なんか、おかしい。苦しい言い訳してる。いつものあなたと違う……」

 亜紀子の疑うような眼差しが彼を突き刺してくる。

「鋭いなー、でも、言うに言えないことがあるんだよ。勘弁して!」

 返事に困った彼は、闇があることは認めるが、詳細は明かさない。

「まあいいわ、今日は私がお願いに来たんだから……」

 そうは言ったものの亜紀子は不安だった。

( あなたは何者なの? 本性を見せて! )

 そう思ったが、それは言葉に載せてはいけないような気がしていた。

「お願いがあるの、あなたは独身よね?」

「えっ、何言ってんの、今頃!」

「そうよね、だったら私の家に住んでくれませんか。好きな部屋を使っていただいて構いません。3食昼寝付きでどうでしょうか。一緒に住んでくれるだけでありがたいです。同棲を望んでいるわけではありません、あなたがいてくれるだけですごく安心できるんです」

 急に真剣になって話す亜紀子であった。

 信樹は、彼女の思いが痛いほどわかっていた。

 今は、単なる相談相手としてではなく、一人の男としての自分を求めていることも十分にわかっていた。

『あなたがいてくれるだけですごく安心できるんです』という言葉は、会社のことだけでなく、女としての彼女自身をさらけ出して自分を求めてくれていることに他ならない。

 しかし、自分もいつかはまた表舞台に戻りたい。その時、彼女は今のままの彼女ではいられなくなるかもしれない、そんな不安が彼の背中を引き、彼に一歩ずつ進むことしか許さなかった。

 時々大人ぶってはみせるものの、かなわないとわかれば直ぐにいじけて見せる、そうかと思えば、冷静に信樹を見つめて思いもよらないポイントで葛藤している、彼はそんな彼女が愛しくてならなかった。

 自分の手のひらで、自由に彼女を操っていると思っていても、もしかしたら、長い年月が経って見ると、彼女の大きな翼に抱かれて、手のひらの上で転がされているのは自分自身なのかもしれない。

 そんな思いが脳裏を駆け巡る中、彼はにっこりと笑って

「わかった。彩さんの策略にのってあげる」と答えた。

『彩さんの策略』と口に出すのが、この男の憎いところである。

( ばれたか…… )

 亜紀子はそう思ったが、了解してくれたのでそんなことはもうどうでもよかった。


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