第6話-綾なされた正体
私の叫び声が、夜の町中に鈍く響き渡る。一瞬近所迷惑かとも思ったが、今はそんなことは関係無い。今はこいつに、自分の罪を認めてもらうほうが先だ。
彼女は私の叫び声に、多少ながらも動揺しているようだ。視線をキョロキョロとさせて、何かを迷っているらしい。いちいちそんな言い訳を考えなくたって、さっさと白状すればいいのに、バカな奴だ。
そうして、ようやく考えがまとまったのか、彼女はゆっくりとその口を開いた。
「……あの、ごめん。それって、何の話?」
「……はぁ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。ここにきてまだ、バカなこいつは誤魔化すつもりらしい。
「だから! あんた、私のことをずっとストーカーしてたでしょ!? こっちは全部分かってんの! だからさっさと正直に話したほうが……」
「あ、あのさ! ……私達、昨日久しぶりに会ったんだよね?」
私の言葉を遮って、唐突に目の前の彼女はそんなことを私に問うてきた。
「あ? だからお前が、私のことを狙ったんだろ?」
「いやいや……なんで昨日今日数年ぶりに再会した私が、あなたのことをストーカーしなきゃいけないの? 意味分かんないでしょ」
「そりゃあ、昔わたしがあんたに向かって、色々酷いこと言ったりしてたからじゃないの?」
「あ、自覚はあるんだ……」
そんな私の言葉に、彼女は小声で呟いて苦笑してみせる。初めて彼女に向けて告げた本音に、なんだか恥ずかしくなってきてしまった。
「う、うっさい! だからずっと私のことをストーカーして、私の経験人数を調べたりとか、私の風呂上がりの写真撮ったりとかしてたんだろ!?」
「えぇ……。あなた、今そんなことされてるんだ? 陽キャも大変だね……」
「だーかーらー! それやってんのがお前なんだろって言ってんの! そうなんだろ!?」
一体これで、声を張って叫んだのは何度目か。そろそろ喉も枯れてきて、声もガラガラになってきた。もうこれ以上叫ぶのは辛い。早く白状してくれと、心の中で彼女を急かす。……しかし。
「……あのさ。私、そもそもあなたの家とか知らないし、連絡先とか何も知らないよ? 確かに中学の頃は男の人とよく遊んでたっていうのは噂で聞いてたけど、ただそれだけだし。今のあなたのことなんて、尚更知ってるわけないでしょ」
「は、そんなわけ無いだろ。嘘吐くなよ、バカなんじゃねぇの?」
「なら言わせてもらうけど、あなたの経験人数とかそういう類の話を知ってる人が、久しぶりに会ったフリしながら『ヤリマンクソビッチ』ってわざわざバカにすると思う? よく知らないけど、最近はもう彼氏としかしてないんでしょ? だったら普通、今のあなたを知ってたらそんな言葉出てこないと思うんだけど?」
「……あっ」
『……いつまでもセックスばっかりしてないで、いい加減大人になれって言ってるの。体だけ成熟したって、何にも意味は無いんだよ。――ヤリマンクソビッチの篠崎秋那さん?』
そういえば昨日彼女と再会した時、そんなことを言われた気がする。彼女の言う通り、最近の私の素性を知っていればなかなか出てこない言葉だ。
あの『A』と名乗る女も、経験人数などは言い当ててみせたが、今の私を遊び人のような言い方はしておらず、寧ろ『自制していて偉い』とまで言ってみせた。『A』が目の前の彼女だとするならば、明らかにその言葉は不自然だ。
「じゃ、じゃあ……もしかして、本当に何も知らないの?」
「だから、何度も知らないって言ってるでしょ。大体、なんで私が大嫌いなあなたのことをわざわざストーカーして、陥れようとしなくちゃいけないわけ? そんな無駄な労力使いたくないし、ゲームやってたほうが百倍楽しいよ」
やれやれといった様子で、もはや彼女は呆れてしまっている。どうやら私は、とんでもない勘違いをしてしまっていたらしい。無関係な彼女に向かって怒鳴り散らしてしまった恥ずかしさと同時に、言葉では言い表せられない恐怖が襲い掛かってくる。
「なら……なら、あの『A』って誰なの? あんたじゃないなら、あのメール送ってたのは誰なの!?」
「知らないよそんなの……。そんなに酷いなら、警察に連絡すればいいんじゃない?」
「でも、だって、警察が動いてくれるかなんて分かんないじゃん! どうすればいいの!?」
あの『A』の正体が彼女ではないと分かった途端、頭の中がパニックになる。今の今まで答えだと思っていたものが偽りだと分かり、正しい答えが益々分からなくなってしまった。
そんな状態の私を見計らって、彼女は大きなため息を吐いた。
「……そんなに不安ならさ。私の家、来る?」
「へっ……?」
「ちょうどワ○ダーグー寄った帰り道だったし、ここからなら五分くらいで着くんだけど。一人暮らししてるから、泊まってもらうくらいならできるよ?」
唐突に彼女が、そんな言葉を投げかけてきた。あまりにも突然の出来事に、自分の耳を疑ってしまう。
「……あんた、本気で言ってんの?」
「まぁ、一応は。ホントは、大嫌いな人を泊めるなんてことしたくないけどね」
理解ができなかった。今までずっと酷いことを散々言い続けていたはずの私に、泊まってもいいと彼女は言ってくれたのだ。一体どうすればそんな思考になるのかは分からない。けれど今は、その言葉が何よりも嬉しくて仕方が無かった。
「……意味分かんない」
――……え?
私の口から無意識に、そんな言葉がポツリと出た。その言葉に、自分自身が驚いてしまう。
「なんであんたの家に泊まんなきゃいけないわけ? もしかして、こんなときに限ってお情けだとか思ってる?」
――待って、なに強がってんの私? せっかく泊めてくれるって言ってくれたじゃん。今日の泊まる場所決めなきゃって、さっき考えてたじゃん。
本音に反して、口からは思ってもいない言葉が次々と出てくる。本当は嬉しいはずなのに、上手く本音が口から出てくれない。
「別にあんたなんかに心配されなくたって……あんたに世話されるくらいなら、ストーカーされたほうがマシ。マジやめてよね、キモいから」
――バカ……バカ! バカバカバカ! なんでそんなこと言ってんの!? これじゃあ私のほうがガキみたいじゃん。駄々こねてるただのクソガキじゃん! 早く……早く強がりだって言わないと……。
咄嗟に「いや、その……」という短い単語だけ口に出したはものの、それ以上言葉にすることはできなかった。必死に弁明しようと口を開いてみるが、思うように言葉が出てこない。こんなにも自分は弱い女だったのかと、改めて身に染みたような気がした。
「……そう、ならいいや。じゃあ私は帰るね」
「え……?」
とうとう彼女は飽きた様子で、クルリと背中を向けてしまった。マズい、このままでは本当に、私は一人きりになってしまう。なんとか彼女を止めなければ。
「ま、待てよ!」
私の言葉に、彼女はピタリと動きを止めた。一体なんだと渋った表情でこちらを振り向き、次の私の言葉を待っている。
「だから、その……」
そこまで言って、やはり言葉が出ずに口ごもってしまう。なにも「酷いことを言って悪かった、ごめんなさい」と言えば済む話じゃないか。どうしてそれが言えないんだ。変なプライドなんて捨ててしまえ。いいから早く……早く、早く!
「……よく分かんないけど、私ホントに行くよ? 悪いけど、この後やることあるんだよね」
私を見限った様子の彼女が、冷たい目をしながらそう告げてしまった。その一言を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になる。もうおしまいだと確信して、落胆してしまった。
再び彼女がこちらに背を向けて、歩き出そうとする。……数歩だけ歩いたその時、彼女の口から思いもよらぬ言葉が出た。
「……まぁ、何かあったら話くらいは聞くよ。一応、小学生の頃からの知り合いだし」
「……え?」
「いつもお昼には、昨日会った学食にいるから。あ、後期は月曜と火曜日以外ね。それだけ。じゃあね」
「あっ……」
そうして彼女は、その場からさっさと立ち去ってしまった。
結局私は、彼女に感謝するどころか謝罪すら出来ずに、ただひたすら強がってしまっただけだった。せっかく彼女が嫌々ながらも優しく手を差し伸べてくれた手を、思い切り突っぱねてしまった。――本当のクズは、私のほうだったのだ。
――あぁ、もう……何やってんだろ、私。本当に最低じゃん。あいつ今回、何も悪くなかったじゃん。なんであんな風に言っちゃったんだろ。ワケ分かんない……。
今の今まで培ってきた変なプライドが、こんなときにまで発揮されてしまうとは。こういうときこそ余計な私情は抜いて、本音で関わるべきだろうに。
もうこれ以上どうすればいいか分からずに、私はただその場で涙を流すだけの、くたびれた人形となってしまっていた。
――もう……いいや。自分の家に帰ろう。もうあいつに見られてたとしてもいい。今は何かもう、一人になりたい。
両目を両手で拭いながら、泣く泣く自分が進んできた道を戻り始める。これほど散々な目に遭ってきたのだ。もうこれ以上の悲劇にはどうか遭わないでくれと願いながら、帰りのバスへ乗るためにバス停を目指した。
「いやぁ、残念だったねぇ」
「……え?」
突然背後から、一人の女の子の声が聞こえた。甘ったるくて、小さい子供のような無邪気な声だ。背後を振り向くと、今の今まで私が立っていた街灯の真下に、どこからともなく現れた一人の女の子が立っていた。
「あんたは……」
私よりも身長が十センチ近く高く、長い黒髪を一本にまとめて縛っていた。黒縁の眼鏡をかけ、秋前だというのに口元には黒いマスクをしていて、夜の風景にすっかり溶け込んでいる。声の割には清楚な雰囲気で、それでもどこか陰湿な雰囲気が漂う、不思議なギャップがある可愛らしい子だ。――そしてその顔にはどこか、不思議と見覚えがあった。
「あはっ、久しぶりだねぇ秋那。……やっと会えた」
目の前の彼女はゆっくりと、優しい声でそう告げてみせた。そんな一言に、なんだかゾッと寒気を覚える。それは本城綾乃とはまた別の、気持ち悪い感覚の寒気だ。
「やっとって……。もしかして、あんたが『A』?」
「そうだよー。もう秋那ってば、すっかり騙されちゃってさぁ。さっきの綾乃ちゃんは、同じ『A』でも“綾”違いだよー。まぁ、ちょっと秋那を驚かすために、私が偶然会えるよう仕組んだんだけどねぇ」
「っ……。“綾”違い……?」
その一言で、なんとなく見当がついた。まさかこいつは、小学校から中学校まで私と同じ学校に通っていて、中学三年生の時には同じクラスにもなった――。
「おっと、そこから先は私の家で話そっかぁ。取り敢えず秋那は、逃げちゃダメだよ?」
「は……きゃっ!?」
その瞬間、私の顔面に向けて白い霧のようなものが噴射された。あまりに突然の出来事に声を出すも、同時に顔面に強烈な激痛が走る。あまりの痛みに、目を開くことができない。
「い、いたっ! 痛い……痛い……! なに、これ……!?」
とうとう痛みに耐えられなくて、その場に膝をついてしまった。目を開けようとしても、その度に強烈な激痛が走って開けない。
「おー、これホント効き目あるんだなぁ。知ってる? 催涙スプレーって言うんだけどさ。使ったこと無かったから、どうなのか分かんなかったんだよねぇ」
目を開けずに真っ暗闇の中、『A』が発する甘ったるい声だけが聞こえてくる。
「催涙……スプレー……? あんた、それ……」
「あー、大丈夫大丈夫。死にはしないよ。普通にお店で売ってるやつ。一応名目としては、強姦とか遭いそうになったときに、相手に向かって使うやつみたいだねぇ」
「なんで、そんなの……」
「決まってるじゃん。もう理央也君には譲りたくないんだ。……大好きな秋那を、私のモノにするためだよ」
「ひっ……!」
耳元でボソッと呟かれ、背筋が思わずゾワゾワっと震える。顔面の激痛と相まって、まさに最悪のコンボだ。
「それじゃあ、はい。私の手に掴まってー? 車で送ってあげるからぁ。……あ、逆らったり叫んだらもう一発ね? 分かってるとは思うけど、逃がさないから」
表情こそ見えないが、まさにニコニコしながら怖いことを言ってのける鬼の所業だ。甘ったるい声でそんなことを言われると、もはやただの恐怖でしかない。今まで彼女が私に仕向けてきたことを考えると、こいつは本気だ。逆らったら、命まで狩られるかも分からない。
もう終わりだ……心の中で諦めをつきながら、彼女に引っ張られるがままに目をつむりながら立ち上がった。
未だに痛みが続く最中、それでも少しづつ痛みは和らいできた。ぼんやりと目を開いてみて、薄目で周囲を確認してみる。
するとそこには、私が今まで歩いてきた一本道の一番奥、曲がり角の手前をまだ彼女――本城綾乃が、何も知らない様子で歩いていたのが薄っすらと見えた。
――本城、綾乃……。
私のことを引っ張ろうとする『A』に抵抗してその場に留まりながら、心の中で彼女の名前を呼び掛ける。しかし、その願いは届かない。
――綾乃……お願い、助けて……。
最後の願いを込めて、彼女の背中に思いを向ける。その瞬間、一向に動こうとしない私を見兼ねた『A』が、再び私に向かって催涙スプレーを噴射した。二度目ということもあって、先程以上の激痛が顔面を襲う。あまりの痛みに、もう声すらも出てこなかった。
悔しさと悲しみに加え、痛みのせいで溢れ出てくる涙を必死に拭いながらも、彼女に強引に引っ張られる。とうとう私は、『A』の車らしき柔らかい椅子に座らせられてしまった。
その瞬間、私という存在の全てが、暗闇の中に葬り去られてしまったような気がした。