第5話-暗闇での遭遇
大学近くにあるバス停から、水戸駅を介して約四十分。限られた所持金をわざわざ浪費して、ようやく指定された目的地へと到着した。
――あーもう、なんで自分の金使ってまでここに来なきゃいけないわけ? しかも公園とかなら分かるけど、よりもよってオタクの店なの?
こんな場所、どうせオタクが集う陰キャの店でしかない。ゲームにアニメに漫画など、気持ち悪いオタクの趣味でしかないだろう。そんものを追うくらいなら、現実にいるイケメンや美女を追ったほうが何百倍もマシだろうに。オタクの考えは、実によく分からないものだ。現実逃避に溺れてでもいるのだろうか。
――で……着いたはいいけど、どうすりゃいいの?
思い返してみれば、私から彼女への連絡手段など無い。いつも一方的にメールが送られてくるだけで、こちらから連絡を入れたことなど無いのだ。これではせっかく到着したのに、立ち往生する羽目になってしまう。
――取り敢えず、さっきのメールに返信してみるか。
そう思って、カバンの中からスマホを取り出してみる。先程届いていた憎たらしいメールに返信してみようと、メールボックスを開いた。
――って! あのクソ野郎、いつの間にか全部メール消してるじゃん! あぁもう、なんなの!?
私の知らぬ間に、いつの間にかメールボックスはまたも空っぽにされてしまっていた。これでは彼女に対する連絡手段が無いじゃないか。どうしろっていうんだ。
このままでは、本当に店の前で何時間も待たされてしまう。果たしてどうするべきか、ゆっくりと暗転を始めた空を仰ぎながら考えていた。
ピロン。その時、右手に持っていた私のスマホが短く鳴った。一体なんだろうと、画面を覗いてみる。
『着いたね。じゃあちょっと待ってて』
そんな短い件名のメールが、『A』から私宛に届いていた。それを見て、再び心臓が飛び出しそうになる。人が多く出入りする店の手前ということもあり、咄嗟に吐き出しそうになった叫び声を我慢した。
――待ってよ。なんでこいつ、私が着いたことを分かったの? ……もしかして、ずっと前から私の位置を把握されてるの?
システムはあまりよく分からないが、スマホの位置情報を使って、相手の位置を把握することができる仕組みがあることは聞いたことがある。それを使い、自分の子供がどこにいるのかを調べたり、結婚相手が浮気をしていないか監視をしたり、はたまたストーカーをしている相手のことを追うことができるという。男女問わず恐ろしいシステムだが、特に女性にとってはかなり危険な存在だ。
かと言って、いま自分にはそれを調べる手立てはない。こちらから向こうに話しかける手段も無ければ、こんな人が多い場所で感情を全面に出すことなんてできやしない。つまり今自分は、『A』の言う通りこの場でただ黙って待つことしかできないのだ。
――あぁもう、早く会うなら会って文句言って帰りたい。お風呂も入りたいし、お腹空いたし疲れたし眠いし……。
はぁっと大きなため息を吐く。一体彼女は自分をどうしたいのか。ストーカーをされていること以外、自分は何も分かっていない。彼女の目的など、何一つとして分かってはいないのだ。
ピロン。五分後、ようやく二度目の通知音が鳴り響く。画面を見てみると、今度は久しぶりに件名の無いメールらしい。嫌々思いながらも、改めてメールボックスを確認する。
『じゃあね、ワ○ダーグーの後ろにラーメン屋さんがあると思うんだ。そのラーメン屋横の道を真っ直ぐ進んで。あ、下り坂のほうじゃないよ。駐車場があるほうを、ずっとずっと真っ直ぐね。そこを歩いてたらきっと、面白いことになると思うから。それじゃよろしく!』
メールの中には、次の指示がそう書かれていた。どうやら、私に路地裏へと進んでほしいらしい。
――この裏にラーメン屋なんてあったっけ? 存在感なさすぎて知らなかったわ。
彼女の指示通り、重い足取りで再び歩みを進める。
店の裏道に進んでみると、指示通り本当に一軒のラーメン屋が立っていた。店の見た目は、そこらの住宅街にあるような馴染みのある家をそのまま店にしたような雰囲気だった。どうりで今まで気が付かなかったわけだ。そのラーメン屋横にある一本の真っ直ぐな道を、渋々歩き出して行く。
――で、この先に行くと面白いことになるって?
一本、また一本と、私よりも遥かに背の高い電柱たちとすれ違っていく。普段なら何気ない住宅地の風景なはずなのに、今日はそれが恐ろしく怖い。一歩ずつ足を踏み込むたび、徐々にまた昨日の恐怖が蘇ってくる。もうすぐ秋だというのに、体からポツポツと冷や汗が滲み出てきた。
――あぁもう、薄暗くて怖いなぁ……。急に後ろから出てこられたらどうしよう。そのときは取り敢えず、痴漢だって叫べばいいよね? 分かんない、多分大丈夫。……だと思う。
無駄に長い一本道。街灯も少なく、奥の終着点すら見えてこない。一体どこまで進めば、この道は終わるのだろうか。
――大丈夫、ちゃんと身構えておけば大丈夫。あの『A』って奴がどこかから出てくるのは分かってるんだから、怖がらなくていいんだよ。そうだよ、なにビビってんの私。
大丈夫。自身にそう何度も何度も言い聞かせる。冷や汗こそなかなか止まらないが、おかげで徐々に落ち着いてきたみたいだ。ふぅっと深呼吸をしながら、また一歩を踏み出していく。
そうして、ようやく長い一本道の終わりが見え始めてきた。結局何事も無いまま、一本道を渡り終えてしまう。残っていたのは、ここから左右に曲がる道だけだった。
「……は、ははっ、何もねぇじゃん」
まるで臆病な子供のように、ビクビクしながら歩いていた自分がバカみたいだ。あそこまで脅かしておいて、結局ご自身の登場は無しらしい。もしかすると自分は、本当にただの気持ち悪いストーカーのお遊びに付き合わされただけなのかもしれない。
「バカみたい。はぁ、いいや。帰ろ……」
なんだか、一気にドッと疲れてしまった。わざわざこんなことに付き合ってしまった自分に、そしてこんなことのために私のことを連れ出した『A』と名乗るストーカーに向けて嘲笑すると、今の今まで自分が歩んできた道を戻ろうと踵を返した。
「……あ」
数歩だけ進めた足を咄嗟に止める。私の口から、無意識に短い音が出た。
視線の先に見える、一人の人間らしき黒い影。顔はハッキリ見えないが、骨格を見るに恐らく女性だ。その割には背が高く、そして髪は背中にまで伸びていてかなり長い。
――もしかして……。
そう思った数秒後、私の疑問は確信へと変わる。街灯に照らされてようやくハッキリと見えたその顔は、昨日アレほど私のことをバカにしてくれた、あの本城綾乃だったのだ。
彼女の存在を確認できた途端、ようやくご本人の登場かと私の中で一気に怒りが込み上げてきた。先程までの恐怖などすっかり忘れて、早歩きで彼女の元へと向かい出す。
どうやら彼女はまだ、私のことに気付いていないようだ。昔と同じように、何を考えているか分からないボーっとした仏頂面のまま、下を向いて歩いている。そんな彼女に向かって歩く私の速度は、徐々に早さを増していった。
そうして、遂に彼女と対面するまであと数秒。今度は私が街灯に照らされる。これはまさに好都合だと、私はその場で立ち止まって、彼女がこちらに気付くのを待った。
「……よ、綾乃ちゃん」
目の前で立ち止まっている影を不信に思ったのか、ようやく彼女がこちらを向いた。私が掛けた一言に、目の前の彼女は目を大きく見開いてみせる。その顔は、「何故ここにいる?」と言いたげだ。そんなつまらない顔をしたところで、私には全てお見通しだ。
さて、ここからどう問い詰めていこうか。そう思った矢先――彼女はすぐに表情を仏頂面へ戻すと、私をスルーして無言のまま通り過ぎようとした。
「ちょ、おいおい。無視するなんて酷いなぁ。せっかく会ったんだし、話くらいしようよ」
彼女の左腕掴み、その歩みを止める。強引に引き止めた私に、彼女は呆れるようにはぁっと一つ息を漏らした。
「……何? もう私に関わらないでって昨日言ったよね?」
「いやそうだけどさぁ、あそこまでされちゃ黙っていられないじゃん?」
「あそこまで? ……もしかしてあなた、あの程度でそこまで怒ってるの?」
そんな彼女の一言に、益々カチンときてしまう。何が“あの程度”だ。私が昨日今日で、どれだけ散々な目に遭ったことか。感情任せのまま、彼女の腕を握る手を強める。
「はぁ? はぁはぁ、そうですか。あんた、私をここまでバカにしておいて、“あの程度”だって? ホントあんたってクズだよね」
「ちょっと待ってよ。私がクズなのはいいとして、あの程度でそこまで怒るってあなた正気? もう少し大人になったらどう?」
「は……?」
そう告げながら、彼女はこちらを冷たい目で見ている。何が『大人になったらどう?』だ。人のことをこれだけ弄んでおいて、自分はれっきとした大人だと言うのか。そんな彼女の一言に、とうとう私の怒りは頂点へと達してしまった。
「何が……何が大人になったらだよ。人のことを散々バカにして、そのくせ自分のことを棚に上げて“あの程度”だって? ふざけんじゃねぇよ!」
ずっと掴んでいた左腕を思い切り振り払いながら、ギギッと思わず歯ぎしりをする。目の前に立つ彼女が、もうどうしようもなく憎くて堪らない。昔からこいつがクズだということは分かっていたが、まさかここまでクズ女だったとは思いもしなかった。こいつはもう、正真正銘救いようもない人間のクズだ。
ふと、スッと頬を何かが流れていった。自分でも自身の感情に気が付けないくらい、今はかなり感情が入り乱れているらしい。そんな状態にも関わらず、気が済まない私はすぅっと息を吸い込んだ。
「やっぱりあんたなんか、大っ嫌いだ!!」
彼女に向かって泣き叫ぶ。そんな私の戯言に、目の前の彼女はただジッと、見下すような目で私のことを見つめていた。
「偶然だね。私も嫌いだよ、あなたのこと」
「そんなだからあんたは、中学校の時も、小学校の時もずっとみんなから嫌われるんだ! もっと自覚したらどう!?」
「……あなたなんかに言われなくても、そんなこと分かってるよ。自分がどれほど人間のクズかなんて、自分が一番よく知ってる」
冷たい目線をこちらに向けながら、彼女は淡々と言葉を口にしてみせた。
「じゃあもうこんなことやめたら!? 他人の恋愛にまで手を出して、一体何が目的なの!?」
「……恋愛? 待って、なんのこと?」
すると咄嗟に彼女が表情を変えて、眉をひそめながら首を傾げてみせる。今更惚けてみせたって、こっちはもう分かりきっていることだ。
「惚けないでよ!! どうせ全部あんたなんでしょ? 私のことをずっと監視して、変なメール送りつけてきて、彼氏にワケ分かんない話吹き込んで!」
これ以上はもう、私の心が耐えられない。どれもこれも、全部こいつのせいに決まっている。こいつと再会したタイミングと、嫌なことばかり起こり始めたタイミングは、異様にも一致している。誰がこの一連の犯人かなど、間違いないはずなのだ。
「『A』って名乗って私のことをずっとストーカーしてる女って、あんたなんでしょ!?」」
そんな私の叫び声が、夜の町中に鈍く響き渡った。