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第4話-掌の上

「ん……」


 ぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと視界が明るくなる。あまりの眩しさに、薄目のまま周囲を見回した。


 ――ここ、私の部屋……。


 外はもう既に明るく、暑苦しい太陽が昇っていた。部屋の中は特に変わった様子は無く、いつも通りの私の部屋だ。


 ――あれ……私、何してたんだっけ?


 なんだか、とてつもなく嫌なことがあったような気がする。ただ、気がするだけで何があったのかは覚えていない。というより、寝る前の記憶がなんだか曖昧だ。確か、理央也と話をしたような気もするのだが……。

 寝汗もかいていて、着ていた服も汗臭くビショビショだ。なんだか気持ち悪い。少ししたら、シャワーを浴びよう。……そう思っていたとき。






「あら、秋那ちゃん。よかった、目が覚めたんだね」


「ひゃっ!!」


 ふと、部屋の入り口から突然聞き慣れない声が聞こえた。その一言に、体が尋常ではないほどの恐怖を覚え、ビクッとしてしまった。


「あ、ごめんなさい。驚かせるつもりは無かったのだけど……」


「……大家さん?」


 そこに立っていたのは、このアパートの大家さんであるおばさんだった。名前は申し訳ないが覚えてはいない。だがそれでも、偶に顔を合わせば少しずつ会話をするような程度の仲だ。


「えぇ。勝手に部屋に入っちゃってごめんなさいね」


 優しい笑みを浮かべて、彼女はベッドに横たわる私に近付いてきた。――本来なら何気ないはずなのに、何故か彼女が近付くごとに胸がざわつき始める。


「あ、あの……どうして大家さんが、私の部屋に?」


 とうとうベッドの隅に座って、彼女と数十センチの距離になった。どうしてだろう。目の前に彼女がいるという事実が、なんだかとてつもなく怖い。

 私がそんな質問をすると、大家さんは目を丸くして驚いてみせた。


「あらやだ、あなた何も覚えてないの?」


「え……?」


「だってあなた、昨日の夜中に大きな声を出したって聞いたよ? 隣の丸山(まるやま)さんから中を確認して欲しいって言われて、部屋をノックしても返事がなくてね。そーっと中に入ってみたら、暗い部屋の中でスマホを持ったままあなたが倒れてたの」


「倒れた? 私が? ……あっ!」


 その瞬間、モヤが掛かったように忘れていた記憶が一気に蘇ってきた。それと同時に、昨日のあの恐怖感も私を嘲笑うように戻ってくる。


「倒れてるあなたを見つけて、取り敢えず目が覚めるまではと思って、看病させてもらったの。……だいぶうなされてたけど、嫌な夢でも見てた?」


「嫌な夢……」


 どんな夢を見ていたかなんて、正直微塵も覚えていない。それどころか、夢を見ていたのかすらも怪しい。強いて言えば、昨日のあの出来事全てが夢であってほしいと願いたいくらいだ。


「大丈夫? こんなおばちゃんでよければ、何があったのか聞くよ?」


 そう言って、大家さんが私の右手にそっと触れた。――その瞬間、「いやっ!?」と声を出して手を引いてしまった。


「あっ……。ご、ごめんなさい。そんなつもりはなくて、その……」


 分からない。どうしてこんな風に彼女を拒んでしまうのだろうか。胸の中に残るざわつきは止むどころか、益々大きくなっていく一方だ。


「ううん、いいの。私こそごめんなさい、急に触ろうとしちゃって。嫌だったよね」


「嫌じゃないんです! 本当なんです! ただ、その……分かんないんですけど、なんか……怖くて……」


「……そう。大丈夫よ、気にしないから。それでももしよければ、話を聞かせてくれない?」


「あ、はい。えっと……。そうだ、スマホを見せれば……」


 そう言って、枕元の近くに置いてくれていたスマホを手に取る。昨日のあのやり取りを見せれば、大家さんもきっと分かってくれるはずだ。早いところ警察にとり合って、こんな奴とはおさらばしなければ。……そう思っていた矢先。


「……あれ?」


 ポツリと疑問を呟いた。


「どうかしたの?」


「……無い。メールが、無いんです」


「メール? メールがどうかしたの?」


「おかしい……。おかしいよ。昨日、アレほどずっとやり取りしてたんだから、いっぱいあるはずなのに……!」


 普段の友達とのやり取りは全て、LI○Eで済ませてしまっている。そのため、メールは基本的にお店の会員登録などにしか使っておらず、受信箱にもそれほどメールは溜まっていないはず。アレだけのやり取りをしていれば、絶対にメールは残っているはずだ。それなのに……。


「なんで? なんで無いの!? おかしい、ワケ分かんない!」


「お、落ち着いて、秋那ちゃん。ゆっくりでいいから、話してみて?」


「だって、だって、メールが! アレは夢なの、なんだったの!? ああもう、分かんないよ!!」


 そうやって、夢と現実をごちゃ混ぜにしてみせた運命すらも、私の喉を引き千切ろうと気持ち悪い笑みを浮かべて、私のことを嘲笑っていた。






「そう……。やり取りしてたはずのメールが消えちゃってたのね」


 ようやく落ち着きを取り戻した私から、事情を聞いた大家さんが静かに呟く。表情では真摯に話を聞いてくれていたものの、やはり実際のやり取りをしていたメール自体が無くなっていたせいか、話を聞いている彼女は半信半疑のようだった。


「肝心の盗聴器もどこにあるかなんて分かんないし、私の動きを見てるってことは、どこかにカメラも仕掛けてるはずなんです。きっとこの話をしてることだって、その『A』って人は聞いてると思います」


「うーん。盗聴器って言われても、今ってコンセントだったり色んなところに仕掛けられるんでしょう? すぐに盗聴器を見つけるような機械も用意なんてできないし、やっぱり警察に掛け合ってみるのが一番なんじゃないかな?」


「でも、証拠が無いじゃないですか。証拠が無いのに、警察の人も動いてくれるんでしょうか?」


「それは……一度頼んでみないと分からないじゃない。もしかしたら、そういう専門のところが近くにあるかもしれないし。前に、テレビで見たことがあるよ。だからそういうのを、ちゃんと調べた上で動いたほうがあんまりお金も掛からないだろうし、いいんじゃないかな」


 必死に私を励まそうと、知識を振り絞って彼女が話してくれている。しかし、そのような知識など私はとうの昔に知っていて、言われなくても分かっていることだった。それでも彼女は悪気があって言っているわけでは無いのだから、ここは適当に頷いて誤魔化しておく。


「取り敢えず、ここで怯えてても意味が無いんだし、今日は少し外で気晴らししたほうがいいと思う。友達の家とか、どこか泊まれそうなところに泊まるとかしてみたらいいんじゃない?」


「友達……」


 その一言を聞いた瞬間、理央也の顔が脳裏に浮かんだ。しかし、すぐさまその考えを自ら否定する。


 ――ダメだ、理央也は昨日のせいでまだ私のことを疑ってる。こんな話、今したところで信じてくれるか分かんないし……少し様子を見てから、改めて理央也には話そう。


「……そうですね。泊めてくれる友達がいるか、ちょっと連絡して探してみます」


「うん、それがいいと思う。何かあったら私もすぐ駆けつけるから、連絡して頂戴ね」


「はい……ありがとうございます、大家さん」


 私がお礼を告げると、大家さんは嬉しそうにニコッと笑顔を浮かべてみせた。



 ◇ ◇ ◇



 その後。午前中はずっと、家の近くにあるマ○クに数時間ほど居座り時間を潰した。その間はずっと、すっかり冷めきったポテトを一本ずつゆっくり噛みしめながら口に運び、スマホで中学や高校の頃の友達へ連絡をし続けるだけの簡単な作業だ。

 しらみつぶしに連絡を入れてみたものの、ある人には断られ、ある人には既読スルーをされ、またある人は連絡すらつかなかった。これほど私の交友関係は脆かっただろうかと、改めて自身の状況に危機感を覚える。

 結局、午前中には誰にもアポイントを取ることができずに、お昼になってしまった。一先ず、午後から行われる三限と四限の講義へ出るためにマ○クを出て、大学へと向かう。ふたコマの講義を終えるころにはすっかり辺りも夕暮れ時になり、時間も四時半を回ってしまった。


 ――はー、取り敢えず今日の講義は午後からだから助かった。でも、この後マジどうしよう。もう一回あの家には帰りたくないし、だからと言って公園とかで寝るわけにもいかないし……。


 この近くにカプセルホテルのような泊まれる場所などは無いし、マンガ喫茶のような店も無い。今から実家に帰ろうとしても、明日入っている一限目の講義には確実に間に合わなくなるし、その選択肢はあまり選びたくないところだ。


 ――取り敢えず、近くのファミレスにでも入ってご飯食べよ。食べながら他の子にも連絡してみればいいよね。


 今日はお昼前にハンバーガーとポテトしか食べていないせいで、もうお腹がペコペコだ。いくら家に帰れないからと言って、飢え死になんて笑えない。

 一旦腹ごしらえを済ませようと、私は近くにあるファミリーレストランへ向かおうとした。






 ピロン。ふとその時、カバンの中に入れていたスマホが通知音を鳴らした。その通知に気が付いた私は、何気なくスマホをカバンの中から取り出して画面を確認する。


「……え?」


 画面に表示されていた事実に、驚愕して思わず歩みを止める。その瞬間。サァーっと一気に血の気が引いた。

 そこに映し出されていたのは、昨晩私を貶めた『A』と名乗る女から届いたメールだった。だが昨日とは違い、今日はしっかりと件名まで記載されていた。


「『私の家に来なよ、秋那』……? 何言ってんのこいつ、マジで頭湧いてるんじゃないの?」


 元々は、こいつが私のことを監視しているから家に帰りたくないんじゃないか。準備も不十分なまま、招待された敵の基地へ乗り込もうとするアホな勇者がどこにいる? そんなのは、こいつと同じく頭が湧いている輩がするような行いだ。


 ――いいや、無視しよ。さっさとファミレス行っちゃえばどうにかなるでしょ。


 すぐにスマホをカバンへ戻して、再び足を動かし始める。……しかし、数歩歩いたのちに再びスマホが通知音を鳴らす。


「あぁ、もう何?」


 嫌々とスマホを取り出しながら、画面を確認する。差出人はやはり、あの『A』と名乗る女だ。


『言っておくけど、勝手な行動は許さないよ。ちゃんと見てるから』


「……見てる?」


 咄嗟に、周囲を見渡して確認してみる。しかし、周りは道路を走る車ぐらいしかおらず、メールを送っているような不審な女の姿は無い。


「……何、どこにもいないじゃん。脅かしやがって」


 そうハッと笑ったのもつかの間、続いてのメールがスマホに届く。


『秋那には見つけられないよ。私に会いたかったら、このメールを開いて指示に従って』


 件名には長々とそう書かれている。どうやら、中身に何か書かれているようだ。それに従えば、この『A』という送り主に会えるらしい。


 ――バカじゃないの? そんなの従うわけないじゃん。従ったら何されるかなんて分かんないし。もういい、ほっとこ。


 私はそのメールを開かずに、画面を閉じてスマホを持ったまま歩く足にムチを打った。早くしないと、次にどんなメールが送られてくるか分からない。それに今は外だ。何かあれば、近くにいる人にこのメールを見せればいい。何も怖がることは無いのだ。

 そんな急ぎ足で進む最中、懲りないスマホがまたも通知音を鳴らす。まったく、飛んだアホに目をつけられたものだと嘲笑しながら、届いたメールの件名を確認した。


『見て↓』


「……は?」


 件名にはたった一言『見て』とだけ書かれている。どうやら、何かが中身に添付されているらしい。

 一体今更、何をしようというんだ。やれやれという思いでロック画面を解除し、メールの中身を確認した。


「っ!? いやぁ!?」


 突然現れた目の前の事実に驚いてしまい、その場にスマホを落としてしまった。しまったという思いもある中、もうスマホを拾いたくないという衝動にも駆り立てられる。


 ――なんで……? なんで私のお風呂上がりの裸の写真があんの? いつのだよ、誰だよ撮ったの、意味分かんないよ……!


 コンクリートの地面に落ちたスマホをぼんやりと眺めながら、ただ茫然とその場に立ち尽くしてしまう。無意識のうちに撮られていた自分の裸の写真が衝撃的過ぎて、頭の中が真っ白になり体が言うことを聞かない。

 そうしている間にも、スマホには次のメールが届いたらしく、ピロンという軽快な通知音が鳴り響いた。どうやら、壊れてはいないらしい。いっそのこと、今の衝撃で壊れてしまえばよかったのに……そんな考えが一瞬頭を過ぎったものの、咄嗟に冷静になってその考えを否定した。

 もう見たくない。けれど、次のメールを読まないと先には進まない。そんな屈辱に、再びこぼれそうになる涙を堪えながらスマホを拾った。不運にも、今まで綺麗だった画面の右上の角にヒビが入っている。なんだか、これとはまた別にちょっぴり萎えてしまった。


『他にもいっぱいあるよ。秋那のムフフな写真↓』


「は?」


 そんな件名に、今度こそ怒りを覚える。一体こいつは、何の目的で私の裸体写真を集めているんだ。次こそ自らスマホを叩き落としてやりたい衝動を押し殺して、そのメールを開く。


『あはは、冗談だよ。今度は写真載せてないよ。なに、↓付いてたからビックリした?


 でも、他にも写真を持ってるのは本当。秋那が私の指示に従わなかったら、この写真をネットにばら撒くよ。これが原因で例え私が逮捕されちゃったとしても、秋那は一生男達のオナニーのオカズになっちゃうね。それが嫌だったら、ちゃんと私の指示に従って。


 私だって、大好きな秋那をそんな目に遭わせたくはないんだよ? でも、秋那が嫌だって言うから仕方なくそうしてるんだ。言うことを守らない悪い子には、それなりの罰を与えなきゃいけないのは当たり前でしょ?


 あ、言っておくけど。このメールを他の人に見せようとしたって無駄だよ。こっちから秋那のメールボックスは自由にいじれるんだ。だから、昨日私が送ったメールが全部消えてたのも、私がこっちから全部消したからなんだよ。もちろんやろうと思えば、理央也君に自分が送った覚えのないLI○Eを送ることもできるし、スマホのデータを全部消すことだってできる。まぁ、初期化したらまた一から秋那のスマホをいじらせてもらわなきゃいけなくなるから、それは最終手段だけどね』


 長々とした言い訳に、背筋がゾッとする。こいつはこの日のためにわざわざ、私を自分に従わせるためだけにこんな材料を集めていたのか。だから今までずっと、自分の存在を隠して細々と行動していたんだ。――私を、確実に自分の元へと引き寄せるために。






「……分かったよ。行けばいいんでしょ、行けば。そんな写真ばら撒かれるくらいなら、あんたに会ったほうがマシ」


 スマホの背面に付いた砂利を払いながら、そんなことを呟く。……ふと今更だが、何故こいつには私の声が聞こえているのだろう。もしかして、今持っている物のどれかにも、盗聴器が含まれているのか?


『そうそう、それでいいの。良い子だねぇ、秋那。それじゃあ本文を見て↓』


 そんな件名の元、渋々メールの中身を開かされる。


『それじゃあちょっと遠いけど、水戸(みと)のワ○ダーグーへ行こうか。手段はなんでもいいけど、なるべく早めにね。そこで、面白いものが見られるよ』


「……は、今から?」


 ここから水戸のワ○ダーグーなんて、歩きで向かったら平気で一時間以上は掛かるに決まっている。せめてバスで向かわないと、大変なことになる。そのくせこいつは早めにしろと言っているのだから、まさに鬼の所業だ。


『いいからいいから。それじゃあ、私は先に待ってるよ』


 そんな呑気な件名のメールが届く。どうやら、本気で今から私のことを向かわせる気らしい。ここで裏切れば何をされるか分からないし、ここは従って向かうしかないだろう。


 どうして私は今、自分に纏わり付くストーカー女に従って動いているのだろうか。それ以前に、『A』と名乗る人物が女だという決定的な証拠もない。私は今、何もかもが『A』の掌の上で踊らされているのだ。

 一体私は、これからどうなってしまうのだろう……。不安と苛立ちの半々を胸に抱きながら、大きくため息を吐いて、私は水戸駅方面へと向かうバスが来るバス停へと向かいだした。

作中で出てきた「ワ○ダーグー」とは、東日本に多く展開されているゲームやDVD、CDや本などを取り扱うエンタテインメント専門店「WonderGOO(ワンダーグー)」のことです。

英語のままだと知らない方が「?」となり兼ねないので、今回は敢えてカタカナで扱わせていただきました。


ご興味があればぜひ、調べてみてくださいね。

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