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第3話-『A』と名乗る女

『そんなにソファーぶん殴りながら怒らないでよ、秋那』


 突然私のスマホに届いた、件名の無い宛先不明のメール。その一文に、思わず私は目を疑った。


 ――どういうこと? この人は誰? なんで私が今ソファー殴ったのを知ってるの?


 一瞬のうちに、いくつもの疑問が浮かび上がる。

 私がソファーを殴ったのは、理央也との電話を終えてからだ。確かに独り言のようにブツブツ呟きながら、感情任せで拳を下してしまったのは言うまでもない。

 だがそうだとしても、私一人しかいない空間の出来事を、私以外が知っているだなんてあり得ない。そうなると、考えられるのはただ一つ……。


「……誰か、私のこと見てるの……?」


 真っ暗な部屋の中で、弱々しい声でポツリと呟く。当然返事が返ってくることは無く、ただ虚しい空間の無音だけが耳に残った。それも相まって、先程までの怒りは次第に消え去っていく。


「あ……あははっ、そんなわけないよね。ホントに偶々、迷惑メールが届いただけだよね。うん、無視だ無視。気にしない」


 きっとそうだ、そうに違いない。じわじわと押し寄せてくる恐怖を押し殺して、自分にそう言い聞かせる。

 もうこの話はやめよう。そうだ、そうしよう。なんだか一人でイライラしてしまったせいで、疲れてしまった。まだお風呂に入ってもないし、今日はシャワーだけ浴びてさっさと寝よう。……そう思い、立ち上がった時。


「きゃっ! なに……?」


 再びスマホが通知音を鳴り光る。恐る恐るしゃがんで画面を覗き込んでみると、それは二度目の件名の無いメールだった。


「なんなの……ホントに……」


 怖い。さっきまでアレほど怒りに浸っていたはずなのに、こんなにも人の感情は瞬間的に百八十度変えられるものなのか。恐怖と同時に、不思議と興味深く感じてしまう自分もいた。

 それでも、見るなと言われれば見たくなってしまうのが人の性だ。件名の無いそのメールに、無性に興味を惹かれてしまって、そっと右手の人差し指で押してメールを開いた。


『無視しちゃうの? 酷いなぁ。せっかく秋那のためにここまで動いてあげたっていうのにさ。少しは感謝してよね』


「ひっ……!」


 恐怖と驚きのあまり、腰が抜けて尻餅をついてしまった。挙句、持っていたスマホをソファーの上に落としてしまう。


 ――何? なに、ナニ、何々、なんなの……!?


 たった一つの文章。たった一つのはずなのに、私はこの文章にここまで恐怖に脅かされている。かつて人生で、こんなことがあっただろうか。


「やっ……!」


 再びスマホの通知音が鳴る。画面に映るのは、やはり件名の無いメール。

 もう見たくない。怖くて見ていられない。……そのはずなのに、私の手は気持ちに反して勝手にそのメールの中身を開く。


『そんなに怯えないでよ。私は秋那と同じ女の子だから、君を変な目で見てるわけじゃないよ。ただちょっと君に興味があって、こうして君のことを見させてもらってるわけ』


「興味? それって、どういうこと……? あなた、女なの?」


 そう口にしてから数十秒後。またもスマホがメールを受信する。


『あ、そうそう。この間、秋那の家の中に何個かマイクも仕掛けさせてもらったから、君の声もちゃんと聞こえてるよ。だからこうして秋那と会話ができてるってわけ』


「……は?」


 その瞬間、脳裏に嫌な考えが過った。真っ暗闇の中、部屋中をキョロキョロと無意味に見回し始める。


 ――待って、マイク? それってまさか……盗聴器?


 途端、ドッと冷や汗が滲み出てくる。もうすぐ夏も終わり涼しくなるというのに、まるでサウナにいるかのような汗が次々と流れ出ていく。


『あ、一応言っておくと、盗聴器ではないよ。秋那がちゃんと健やかに毎日を過ごせているか、しっかりチェックしてるんだよ。そんな悪い風に思わないでよね』


「ちょっと待ってよ? なに勝手に人の家上がり込んでそんなことしてるわけ? それって普通に犯罪だよね?」


『そんなこと言わないでよ、私たち友達でしょ? ほら、昔はよく私のことを秋那が叱ってくれてたじゃない』


「叱ってた? 私が?」


 こいつは何を言ってるんだ。よく分からないが、その言い分だと私とこいつは知り合いみたいだ。無論、私はこんなクズと友達になった覚えなど無いが。


『その時から私、秋那のことが大好きになったんだ。こんな私のことを、面と向かって叱ってくれる人がいるんだって、嬉しかったよ』


「大好き? いやいや、何言ってんのあんた。人の家に勝手に盗聴器仕掛けておいて、大好きだって? バカじゃないの、正直キモいよ?」


『キモいなんて言うなよー。でもまぁ、そんな震えた声で喋る秋那もまた、可愛いから良しとしようかな』


「はぁ……?」


 そんなメールの送り主は、私の言葉に怖気付くどころか、冗談にしか聞こえていないらしい。どうやら本気で勘違いをしている、社会の底辺のどクズみたいだ。






 私がため息を吐いたのもつかの間、スマホは懲りずに再び通知音を鳴らした。


『うーん、イマイチ信用されてないみたいだねぇ。それじゃあ、試しに何か質問してみて? 私、絶対に答えられる自信があるからさ』


「は、質問? マジで言ってんのこいつ……?」


 こいつが私の部屋に忍び込んで盗聴器を仕掛けるほど私が大好きだと言うのなら、こちらもそれ相応の質問をしてやろう。ならばと思って、私はとっておきの質問を投げた。


「じゃあ、私のこれまでの経験人数は?」


 誰もいない暗闇に、そんな恥ずかしい言葉を呟く。相手は自称女らしいが、今はもう例え男だろうと関係無い。

 私は絶対にこいつは正解を答えられないと、心の中で確信していた。何故なら私自身、その質問の答えを覚えていないからだ。私が分からないのだから、他人が分かるはずがない。それこそ私のことを、何年も掛けて追いかけ続けない限り、絶対に。

 するとそれから、三十秒もしない間に私の質問の答えは返ってきた。


『えー、簡単だよ。二十一人でしょ? ついでに言うと、初体験は中学一年生の五月で、相手は部活の先輩で三年生だった江川(えがわ)先輩。どう? 当たってるでしょ?』


 絶句した。経験人数はおろか、私の初体験の時期や相手まで把握されている。そんな話、仲の良い友達でも数人にしか話したことがないのに。

 そんなメールの内容に思わず衝撃を受けていると、続け様に送り主からの追い討ちが届いた。


『まだまだ知ってるよ? 中学生のくせに、三年間で同級生や先輩どころか、高校生から三十二歳のおじさんにまで幅広く遊んでもらってたよね。まぁお小遣いくれてゴムさえ付ければ、いくらでもヤっていいよっていうスタンスだったし、そりゃ男が釣られるのも当然だよね。まぁ最近はちゃんと自制するようになってるから、偉いなぁって思ってるよ。


 それからあとは、最近だと愛しの理央也君とよくお休みの日にしてるよね。大体は秋那が理央也君に乗せられて、エッチになっちゃうってことが多いみたいだけど。いやぁ酷いよねぇ、あの人』


「い、いやっ……! もうやめて……!」


 恥ずかしさと恐怖が感情の中で入り混じる。途中からまともに文章を読めずに、半ば飛ばし飛ばしでメールを閉じてしまった。一体どうして、私すら知らない情報を知っているんだ。私の中で、沸々と疑問が浮かび上がる。

 それと同時に、分かってしまった。理解してしまった。だがその答えを認めることが怖くて、私はただひたすらに分からないフリをしてしまっていた。


 スマホが音を鳴らして、次のメール着信を知らせる。本当なら、既に恐怖で中身を開きたくはなかった。

 だがこうして怯えている姿すらも、こいつにはもう筒抜けだ。もう何をしても無駄なのだと悟った上で、私は静かにメールを開いた。


『だから言ったでしょ? 私は秋那のこと、大好きなんだって』


 そのメールには一言、それだけが無情にも書き記されていた。






「……あんた、誰なの? 私のことをそれだけ知ってるってことは、少なくとも知り合いなんだよね?」


 謎のメールの送り主に、私は質問を投げかける。

 その時、話す口の中にふと何か、液体のようなものが流れ込んできた。それでようやく、私は今の自分自身の状態に気が付く。

 早くこの時間が終わってほしい。そんな願いを神のような何かに祈りながら、汚く濡れた手で次に届いたメールを開いた。


『ちょっと秋那。泣かないでよ、ごめんって。確かに、急にメールが届いてこんな話されちゃったら、誰だってショックだよね。そこは私が悪かったよ、謝るよ。


 でも、そうだなぁ。私が誰かっていうのを今言っちゃうとつまんないし……今は仮に『A』とでも名乗っておこうか。私の名前の頭文字だよ、分かるかな?』


 長々と綴った文章の最後に、送り主の仮名が書かれていた。その『A』という一つのワードに、私の心がざわつき始める。


 ――『A』だって? 『A』っていうことは、もしかして……。


「……あんたもしかして、私と小学生の頃から知り合いだよね? 中学三年の時には、同じクラスにもなった……」


 暗闇に向かって、恐る恐るそんな言葉を口にする。

 そして次に返ってきた返事の内容を見たときそれらは全て確信と変わった。


『お、よく覚えてるねぇ。その通り。私は小学生の頃から、ずっと秋那と一緒だった』


「……やっぱり」


 その言葉が本当ならば、メールの送り主は彼女で間違いないのだろう。もはや、疑いようがない。


『でも私が秋那のことを本気で好きになったのは、中学一年生のときなんだ。覚えてる? 秋那が一年生の時に同じクラスになった、撫子(なでしこ)日和(ひより)って女の子。私、当時はよくあの子のそばにいたんだよ』


「……あぁ、あのチビで生意気なビヨリね。懐かしい、そんな奴いたなぁ。あいつ、まだ生きてんのかな」


 撫子日和。あいつもまた、彼女と同じく大嫌いだった。私が何かを言えば必ずムキになって反論してくるし、アホのくせにいつも生意気な目をしてこちらを見てきた。お調子者だか何だか知らないが、あんな文句の多いアホの子は嫌われて当然だと思う。


『存在感の薄かった私に向かって、秋那はよく叱ってくれたよね。私の何がいけないだとか、どうすればもっと地味じゃなくなるとか、色々と秋那は教えてくれた。それが私、凄く嬉しかったんだ。だから、お礼も言いたくて。だいぶ遅くはなっちゃったけど……秋那、ありがとう』


「あっそ……」


 綴られた文章の最後に書かれた“ありがとう”の言葉。その一言が、ここまで心に響かなかったのは初めてだ。それはあまりにも理解しがたい一言で、何故自分がいま彼女からお礼を言われているのか、全く以て分からなかった。






「……で。結局あんたは、何が目的なわけ? 何が目的で私のことを監視して、理央也に変な話を吹き込んで、今こうしてメールでやり取りしてんの? いい加減、私のことが大好きなら教えろよ?」


 まさか彼女が私のことを“大好き”だとは思いもしなかった。これまでそんな素振りすらも見せなかったし、何より今日数年ぶりに彼女と再会したはずだ。

 それなのに、彼女は私のことをこれまでずっと監視していた。一方的に私の近況を知られていて、見られたくもない恥ずかしい一面すらも覗かれていた。そこまでしてなお彼女は今日、わざとらしく再会をした素振りを見せた。つまり、これまで偶々()()()()()()のではなく、どうしても()()()()()()のだろう。それは何か、やましい理由があるからだ。

 常人のストーカーなら、せめて家の中に盗聴器を仕掛ける程度だろう。だが彼女はその域を優に超えて、私の全てを把握しようとしている。これはもう、普段私が使うような意味の“大好き”ではない。彼女の“大好き”はまさに狂気じみていて、もはやこの一言では言い表せないほどの様々な感情が詰まっている。それにはもはや、恐怖を覚えてしまうほどだ。これは早いうちに彼女との縁を切らないと、更に面倒なことになりかねないだろう。


『そうだねぇ。一言で言うなら、秋那を助けたいからかな。最近、秋那は理央也君との仲に疲れてきてるみたいだからさ。私はずっと秋那のことを見守ってきてたけど、そろそろ潮時かなと思って』


「助けたいだって? バカじゃないの? それをどの口が言ってんの?」


 人のことを勝手に監視しておいて、よく助けたいだなんてほざけるものだ。いい加減、笑えない冗談はよしてほしい。


『バカって言うなよなー。秋那にバレずに、ここまで秋那のことを見守ってきたんだよ? そんな技術を持ってるんだから、そこら辺にいる正真正銘のバカと同じにしないでよね』


「なら、その技術の使い方をあんたは間違ってるって言ってんの。自分の力を正しく使えない奴が、バカじゃないわけ無いじゃん。こんなの、やってることはただのキモいストーカーでしょ。私のことを大好きだって言うなら、もっと面と向かって助けようとしてみろっての、バーカ!!」


 誰もいない真っ黒の空間に、私の言葉が鈍く響く。せっかく言葉にして話しているのに、返事が返ってこないというのは虚しいものだ。部屋の外の環境音だけが耳に入ってくる中、私は次の彼女のメールを待っていた。


 ――……あれ、おかしいな。返事こない。


 ようやく落ち着きと取り戻してきて、目を拭いながら二分、三分と彼女の返事を待つ。が、一向に私のスマホは鳴かない。

 四分、五分……。まだ通知は来ない。まさか、今の一言で諦めたのだろうか。もちろんそれに越したことは無いが、これほどまでにネチネチと私のことをストーカーしていた彼女が、すぐに諦めてくれるとは思えない。一体どうしたのだろうと、待っているうちに再び恐怖が蘇ってくる。

 七分、八分……。まだスマホは光らない。あれほどメールの返事がくる度に恐怖を覚えていたはずなのに、どうして今は返事がないことが怖いのだろう。どうしてあれほど楽しそうに会話を仕掛けてきていたのに、急に返事が途絶えたのだろう。

 とうとう前のメールから、十分が過ぎた。どうして私はこんなにも彼女からのメールを待っているのか。無視してお風呂にでも入ればいいくせに、どうして私はこんなにも動けないのか。どうしてこんなにも私は、次の返事を知りたいと思ってしまっているのか。分からない。……分からない、怖い、嫌だ、やめて。いいから、とにかくなんでもいい。お願いだから、早く返事を寄越してほしい。なんでもいいから、とにかく早く。早く、はやく、ハヤク――。


 ピロン。その瞬間、スマホの通知音が鳴り響いた。またもびしょ濡れになった手で、ゆっくりとスマホの画面を操作する。

 新たに届いた、彼女からのメール。前回のメールの着信から、実に十二分の間が空いた返事。それをそっと、右手の人差し指で開いた。


『分かったよ。






 待ってて』


「ひっ!」


 ゾッとした。その短い二つの言葉の意味が、一体どういうことを指しているのか。それを理解するのに、それほど時間は掛からなかった。


 ――待って、待って、待ってよ。来るの? こいつ、この人、この子、来るの? ウチに? 会いに? 私に? なんで? 今から? いつ? 分かんない、いやだ、来ないで、やめて、知らない、そんなこと、こんな人、誰、嫌い、会いたくない、見たくない、死にたくない、わかんない、ワカンナイ、分かんない!!


「もうっ……もういやああぁっ!」


 感情任せに、喉が引き千切れるような声で叫ぶ。その瞬間――私の意識は、真っ暗闇だった部屋の中と同化した。

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