純文学とは、つまらない文学である。
純文学の定義を調べると、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。
芸術性重視の作家たちは、大衆小説との差別化を図るために、自らを純文学と定義するようになった。とあります。
芸術性とはなんでしょう。
辞書より引用 (新明解国語辞典第5版)
1.芸術(作品)として評価したときの味わいの豊かさや完成度の高さ。「他人の肖像画で何かの記念に描かれたものには芸術性が薄いようだ」
2-A.芸術という名に値するかどうか、芸術的に優れた制作・演奏が可能かどうか。「その作品を盗作と見るかどうかについて陶芸家側は、作品の芸術性にかかわる〔=芸術でありえるか、それとも失格するかの〕問題だとする」
2-B.その芸術分野(作品)ならではの趣やその芸術家特有の感覚・傾向。
ますます解りません。
同じく芸術も調べました。ウィキペディアより引用
表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)などを指す
これらの意味を咀嚼すると、かなりの創作物には芸術性があり、文学であれば純文学を名乗れそうな気すらします。
名乗ることが出来ないとすれば、見ても心がまったく動かされない文章は純文学足りえない、といったところでしょうか。今私が書いているような内容ですかね。(これは小説ではないですが)
事実だけを淡々と書けば、そこには芸術性が生まれないのかもしれません。
少なくとも私が読んできた小説はジャンル問わず、人の心を動かす力がありました。そらもう人生を変えてしまうほどに。私に新しい価値観や考え方を幾つも植えつけてくれました。
普通であれば、これでまとめに入る訳ですが、私は頭がおかしいので続けます。
『純文学とは芸術性を強調したジャンルではあるが、娯楽小説にも芸術性はあり、その線引きは酷く曖昧である』なんて結論。面白くない。面白くないので勝手に定義をつくってみたいと思います。
ええ、ですのでここから先は個人の意見というか、妄想、妄言の類です。
絵画。ありますよね、その中には子供でも書けそうなものだったり、数秒で書けそうなものだったり、意味がわからない作品だったりするものがあります。少なくとも私にはキャンバスに絵の具を乱暴にぶちまけただけの絵にとんでもない価値がつくのがわかりません。
ですが、あれが芸術なんだと思います。突き詰めた芸術、探求に探求を重ねた、“純粋”な芸術は人の理解を拒むものになります。
理解出来ないからそこ芸術足りえるのです。
純粋さはあらゆるものを拒みます。純度が下がるからです。
ですから娯楽性やわかりやすさ、とっつきやすさを捨てます。
もう捨てまくりです。そうして芸術であるという妄執や、信念を形にしたものが純粋な芸術であり、純文学です。
純度を落とさない為に、純文学には挿絵がありません。百パーセント文字だけです。ストーリーも不要ですし、オチなんて当然ありません。
価値も不要ですので、値段がついた瞬間に純文学としてはランクが落ちます。賞の受賞なんてもっての他です。
それどころか、作者や読者さえ不純物です。
絵画の例を出しましたが、真の名画には作者名がありません。不明なのでなく意図的に公表していません。音楽の世界も同じですね。つまりそういうことです。
作者不明。未発表で読者すらいない。つまり誰も読んだことがない文学作品こそもっとも純文学足りえるのです。
さて、これでは極端すぎますので純度が八十以上を純文学として、まぁ許される範囲だと仮定しましょう。
読者はいる、作者も判明している。賞も価格も、まぁ許しましょう。
キャラクターの意図は不明で、性別はおろか人間かどうかすら明記されていないものが望ましい。ストーリーはあってないようなもの。ストーリーがあるとどうしても読者は楽しもうとしますからね、ここは大事なところです削ってください。
暴力、性描写はNG。恋もしないし、推理もしない。剣や魔法なんて絶対に出てきません。未来の科学なんて想像の余地もないし、過去のロマンに想いを馳せることも許されません。
そうやって面白そうなことを捨てた文学を純文学。
シンプルにまとめると『つまらない文学を純文学』と定義致します。
つまらない日常の風景。古代からあるモチーフである、星や風や月の輝きや太陽の暖かさ。母の温もりであったり、父の厳しさであったり、食べ物への感謝や死の恐怖もいいでしょう。普遍的などこにでもある“つまらないもの”で構成された文学。
いかがでしたでしょうか? これが雷然の結論です。
ではまた。どこかでお会いしましょう。
にしてもお前、こんな無茶苦茶書いて大丈夫か?
真面目な人とか偉い人から怒られたりしない?
「へーきへーきどうせ誰もみてねぇ」
いやそれはネット社会なめすぎ。
「それに妄言だと断言してるしな。流してくれるさ」
いつも見通しが甘いんだから。やれやれだぜ。