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とるに足らない雑記 『情報』

 大人になって気づいたことのひとつは、自分は騙されないと思いながら、誰もが騙されていることだ。

 僕は自分が騙されていることを知っている。しかし知ったからといって騙されないという位置に移動することが出来ない。それどころか誰に騙されているのかすら不明である。

 誰もが騙されているというのに変な話に思えるだろう。こうなるとそもそも騙されているんだと主張すること自体が誇大妄想のようにみえる。

 僕が電波な奴としたら話は単純でいいのだが恐らくそうではない。

 何故、僕が騙されていると気づいたか、それは騙されていないほうが不自然であるからだ。噛み砕いてはなしていく。

 僕らは教育を受ける。義務教育だけでも9年、誰がつくった教育を受ける。その誰かも誰かに教育を受けて育った人間だ。

 教育は学校だけではない、親や親族も世の中で生きる為、あらゆる知識という宝物を授けてくれる。その親もやはり、多くの教育を受けて育つ。

 それらの知識の全てが真実であるという保証は何処にもない。

 言葉というのは時代とともに変化する、元々の意味が失われたものも多い。

 僕らの周りには多くの慣習がある。それらに多くの人は、従う。従わないものは慣習の強度によって、村八分にされたり変人だと言われたりする。あるいは常識はずれのレッテルをはられる。その常識が一体ナニであるか知りもしないで。


 時は情報化社会だという、あらゆる情報が飛び交う、その中のには真実も虚偽もあるだろう。

 誰のバイアスがかかった情報かもわからず、どこの利権が絡んでいるかもわからず、皆が嘘だと思っていたことが事実に変わり、事実が嘘に変わる。

 それらの情報が慣習をつくり、教育をつくり、歴史を繋げ、また世界に流布してゆく。


 どうだろうか、僕が言わんとしていることが見えてきたのではないだろうか?


 有名な方が「嘘を嘘と見抜ける人でないと難しい」ということを言われたそうだ。

 言葉そのものは正鵠を得ていると思う。

 僕は直接聞いたわけでもないので実際にこの人が言ったのかどうかは分からない。この人なら言いそうだなという言葉だし、状況を鑑みるに真実なのだろうが。


 あらゆることは疑いだすとキリがない。そして疑い調べることは、その労力の割に、実入りはない。

 信じる。あるいは間違いが多少あるかもしれないが流される、という生き方のほうが、健やかに生きていけるように思える。

 結果的に大人しく騙されたほうが賢く、騙されまいと流れに逆らうことが愚かなのかもしれない。



(つまりアレか? 騙されながら生きていることへの言い訳か?)

(別にいいじゃん、思考の無駄っぽいし)

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