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名を忘れた男  作者: まさきち
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男の影

 この男はどんな男だったのだろうか。

 姉の部屋から持ち出した写真を眺めてみる。

 引き揚げた遺品を実家に収めた後、再び釜ヶ崎に足を向けた。

 姉の働いていた施設に足を向ける。

 社会福祉法人と銘打っている施設だったが、古びた工場のようなところで、衝立で区切られて幾つかの部屋代わりに分けられており、そのうちの一つが机を並べただけの事務室になつている。

 老人ホームなど、豪華な施設があると思っていたが、期待外れだった。

「永井悟と申します。ここで働かせてもらってました、永井美樹の弟です。」

「なんや、ミキちゃんの弟さんか。理事長、ミキちゃんの弟さん来はったで。」

 入り口近くで事務作業をしていた女性に名乗ると、すぐに理事長と名乗る男が出てきてくれた。

 くたびれた格好の五十代半ばの男は雑然とした事務所の隅にある応接セットまで案内してくる。

「すみません。急にお邪魔しまして。」

 五十絡みの事務員に見えない女がお茶を出してくる。

 色の薄いお茶だった。

「多分、警察やウチの両親からも聞かれているかも知れへんのですけど、この男の事を聞きたかったんです。」

 そう言って、ジャケットから写真を取り出した。

「ああ、権兵衛やな。」

 今時、しかも二十代後半から三十代前半の名前では無さそうだ。

「権兵衛って、名無しの権兵衛か何かですか?」

「そや。記憶喪失の子でな。名前も分からん言うから、みんなそない呼んどったんや。」

「ほんで、名無しの権兵衛ですか。」

「身元も全く分からんし、前向性健忘もあったから、大変な子やったんやけど、ミキちゃんが世話焼いてたんや。」

 ミキちゃんとは、姉の事だ。

「あの、さっき言うてはった、『ぜんこうせいけんぼう』って何ですか。」

「一般的な記憶喪失は逆行性健忘言うんやけど、前向性健忘っちゅうたら、新しいことが覚えられへんようになるんや。病気っちゅうよりは、事故とか怪我とかで頭打ってなるもんや。よう知らんけどな。」

「記憶障害ですか。」

「医者に診せた訳やのうて、わしが勝手にそう思うてるだけやで。前におんなじ症状のおっさん見たことあんねん。」

「はぁ、そうですん。何で姉ちゃんがそんな男に世話焼いてたんやろか。」

「まあ、シュッとした男前やったしな。日雇いに入ってたんやけど、ウチの手伝いとかしてくれて、雑用で使う事にしたんや。なかなかウチもキツい仕事やし、半分ボディーガード替わりにもミキちゃんに付かせとったんや。」

「あの子、今、行方不明らしいんやけど、持ってるメモ帳落として帰られへんようになってるのとちゃう。」

 お茶を出してくれたおばちゃんが会話に入ってくる。

「警察は重要参考人や言うて探しとるみたいやけど、まだ見つからへんみたいやな。無事でいてくれたらエエんやけどな。」

「あの子は変に欲もないし、ミキちゃんの方があの子を気に入ってたみたいやからな。あの子が犯人やなんて考えられへんわ。そや、動機っちゅうもんがあらへんわ。」

「何処に住んでたんですか。」

「ああ、三角公園からちょっと行ったところにある、『ナガタニ』っちゅうアパートや。アパートっちゅうても、ドヤに毛が生えたぐらいのモンやけどな。あと、あんまし人の事聞き回るんは、ここではあんまし良うないから、気い付けときや。」

「ありがとうございました。」

 礼を述べて、事務所を後にした。



「すんまへん。この人見たことありませんか。記憶の障害がありまして、迷子になってるか思うて探してますねん。」

 写真を取り出して、三角公園を中心に聞いて回る。

 何屋か良くわからない、ガラクタを並べた店や、道路に並べた椅子に座っている老人、虚空に向かって話しかける老人など、普段では見られない光景に少し不安を覚えるが、勇気を振り絞って、手当り次第に聞いて回る。

「お前、警察や無いやろ、なんでこの男の事調べとるんや。」

 老人は怒声で返してきた。

「姉ちゃんの良い人みたいで、記憶が出来へんらしくて、迷子になってるんか思いまして。」

「アンタ、ミキちゃんの弟さんか。」

「そうです。」

「アンタも権兵衛の事、疑っとんのか。」

「ちゃいます、ちゃいます。姉ちゃんの事は聞かれへんのやろうけど、どんな男か見てみたかったんですわ。」

「警察も探しとるみたいやけど、権兵衛もあの日から見かけんのや。」

「そうですか。権兵衛さんはどんな人でした。」

「何や、子供みたいなもんやな。真面目で素直で。裏表が無いからな、わしらも素直になってまうねん。」

 老人は遠い目をしていた。

「あんなエエ子らが、何でこないなことになってもうたんやろか。」


 『権兵衛』は事件から誰も見かけていないようだ。

 権兵衛一人だけの情報は殆んど無く、姉ちゃんか施設の人と一緒の場合が多かった。

 姉ちゃんも権兵衛も、この町では好意的に迎えられていた事と記憶喪失というのがやはり目立っていたようだ。

 話を聞く皆が、疑うより、権兵衛も事件に巻き込まれたと思っている事に驚いた。

 ただ、警察は有力な容疑者だと思っているらしいと、かなりの人がそう言っていた。

 日が暮れ、また明日に出直す事にした。


 朝から路上や道路に置いた椅子に座ってワンカップをちびちびしている姿をそこここで見かける。

 何人か聞いて回り、昼になると、国道26号線に出て、チェーン店で昼食を済ませる。

 やはり、まだ釜ヶ崎の中の飲食店で食事を摂るには抵抗があった。

 再び聞き込みを始めた所、一人の男に声をかけられた。

「お前、新聞記者か何かか?」

 肩を掴まれ、振り向かされる。

「何すんねん。」

 男の手を振り払い、向かい合う。

 坊主とはいっても、お洒落系のボウズに細身のスーツを着た男だった。

 歳は三十には少し届かないくらいか。

「何でその男のことを嗅ぎ回っとるんや。」

「何でって、何ででもええやろ。アンタには関係ないやろ。」

 男が懐に手を入れる。

「何するんや!」

「落ち着け、手帳や。アメリカやないねんから、こんな町中でチャカ振り回すような奴はおらへんわ。」

 二つ折りの手帳を見せてくる。

「そうなってんねや。家に来てた人は普通に名刺出してはったから。初めて見たわ。」

「道の真ん中で邪魔やから、そっち行こか。」

 裏路地のような所に入ろうと思ったが、建物の壁に張り付いている先客がいたので、結局歩道で話をする。

 一体何をしてるのか分らないが、この街では、見なかったことにした方がいいことが多そうだ。

「お前、何しにその男の事を聞いて回っとんのや。」

「俺、永井悟ていいます。永井美樹の弟です。」

「ミキちゃんの…」

「あ、姉ちゃんの事、知ってるんですか。警察にも知り合いがおったんですか。」

 警察の知り合いがいるのであれば、手を抜いた捜査はしないだろう。

「まぁ、仕事上の付き合いやな。悪い事は言わんから、もう嗅ぎ回るんは止めとき。それは警察の仕事や。」

「いや、どんな男か見てみたかっただけですねん。話もしてみたいかな。」

「どういうこっちゃ。」

「ずっと男っ気が無かった姉ちゃんが惚れた男を見てみたかったんですわ。あちこちで話聞いてみたら、何やらええ男らしいし。」

「エエ男っちゅうか、小学生のガキみたいな奴や。何でもハイハイ言うていうこと聞くようなやっちゃ。」

「刑事さんも権兵衛さんの事知ってはりますの。」

「知らん。取り敢えず、もうウチ帰り。姉ちゃんの事も男の事も、落ち着いたら話したるから。」

 そう言って俺の肩を駅の方面に押す。

「あ、連絡先の名刺下さい。」

「こっちの名刺は、携帯の番号書いてるわ。」

 懐から取り出した方の名刺はケースに入れてなかったのか、角が無くなり、汚れていた。

 その名刺をジャケットの内ポケットにしまい、大人しく駅に向かった。

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