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名を忘れた男  作者: まさきち
彼女
12/16

動き始める

「よっしゃ。兄ちゃん、よく言った。」

 大将が嬉しそうに声を上げる。

「おい、マサジ。どっちに転んでも大変な選択なんだ。茶化すなよ。」

「爺さんだって、その方が良かっただろ?」

「まぁ、少しはな。あの子が入った『天命の行』とやら、相当危ないってのもあったからな。公安もマークし始めてるらしいしな。」

「へぇ、宗教にも公安が付くのか。」

 大将が反応する。

「ああ、アメリカじゃ、カルトが大量自殺とか物騒な事件を起こしてたりするからな。最近は日本でも同じように警戒してたりするんだよ。」

「ってことは、金だけじゃねぇって事だな。」

「まぁ、そういう事だ。」

 話が飲み込めないが、何やら物騒な話をしていないか?

「何か物騒なんですか?」

「まぁな。退会しようとする人間や救済会を威圧するためにガラの悪いのを集めてるんだよ。」

「えっ?」

「揉めれば、ひと悶着あるかもな。」

「ちょっと待ってくださいよ。そんなのどうすれば良いんですか?」

「もう少し人手があればな。」

 爺さんが何故かわざとらしくため息を着く。

「あの、もし、私でよろしければ、お力をお貸ししましょうか?」

「多分、縁が回って来たんだ。俺からもお願いしたい。」

 大将が割って入ってきて頭を下げる。

「お二人には食事や泊まるところ、それに仕事まで世話をしてもらってます。恩に報いるため、私で良ければ力をお貸しします。」

「いや、俺らは兄さんに受けた恩を返してるだけさ。今度はこの兄ちゃんに力を貸して欲しいんだ。」

「えっと、よく分かりませんが、力をお貸しすることができるのであれば、こちらからお願いしたいところです。」

「えっと、みなさんは長い付き合いなんですか?」

「すみません。私は記憶に障害がありまして、どのぐらいの付き合いかは分からないんですが、お二人には良くしてもらっています。」

「ええっと、どういうことなんですか?」

「それじゃ、改めて自己紹介しようか。」

 30歳になろうかといったところの男性は、名前が無い。

 彼には記憶に障害があり、自分の名前も覚えていないらしい。

 それだけでなく、爺さんの言うには、前向性健忘というものに近い症状で、少し時間が経つと記憶が無くなってしまい、新しい事を記憶できなくなるという症状らしい。

 その記憶が無くなる間隔はまちまちと言うことだ。

 何故か大将と爺さんが意欲的に見えるため、何故か聞いてみるが、はぐらかされる。

 昔からの付き合いのように思えたので、聞いてみるが、そのあたりのことは事が無事に済んでから教えると躱された。

「まだ、情報も足りてねぇな。その道に詳しいのを呼んでやるよ。電話借りるぞ。」

 そう言って、爺さんはカウンターの内側に入って電話をかけ始めた。



 一旦、話を中断して、ビールを水に変えて、食事を終えた頃に助っ人が店に入ってきた。

 きっちりとスーツを着込んだ四十代の男で、エネルギッシュな印象だ。

「香川さん、お久しぶりです。」

「おう。本当に久し振りだな。2年ぶりぐらいか。」

「ええ。そんなものですかね。」

「こいつは弁護士の青山だ。えっと、この若いのが…」

 そう言って爺さんが僕に紹介する。

「初めまして、狭山です。」

「今回はこの若いのの彼女を『天命の行』から脱会させたいんだ。」

「彼女ですか?家族でもなく。」

「ええ。彼女を今後ずっと支えていく覚悟はできています。」

「彼と香川さんとどんなご関係なんですか?」

「ただの飲み友達だよ。」

「本当に良いんですか?貴方らしくもない。」

「ああ。大丈夫だ。」

「その言葉を信じますよ。」

 青山弁護士が『天命の行』についての情報を教えてくれる。

 青山弁護士は、この『天命の行』の被害者の会の相談役もしており、内情に詳しく、それを僕たちに教えてくれることになった。

「駅前のマンションで勧誘行為をした後は、郊外の道場に連れて行かれるのが多いパターンみたいですね。何か所か駅前などの出入りのしやすい場所で警戒心を下げて勧誘してから、強制的に郊外の施設に連れていって、逃げられないようにしてから強制的に勧誘と洗脳をすると聞いています。明日も同じパターンでしょうね。」

「その郊外の道場が本部なのか?」

「いえ、そこは修行の場としてはメインとして使っているようなのですが、本部はまた別の場所にあります。本部は教祖と幹部だけが出入りできるようにしているようです。」

「教祖はよくその道場に来るのか?」

「大きなイベントには顔を出すようですが、毎回ではないですね。」

「で、物騒なのはその道場にいるってことか?」

 大将が気になっていたことを聞いてくれる。

「ええ。その通りです。」

 小一時間、青山弁護士からの説明を聞いたあと、爺さん、いや、香川弁護士を中心として、少し無茶な作戦が立てられていく。

 幸い天気が悪くなったのもあり、客足が鈍り僕らは朝方まで作戦会議が続いた。

 青山弁護士は持ってきた資料を僕に説明しきると、始発に合わせて店をあとにした。

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