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名を忘れた男  作者: まさきち
彼女
11/16

覚悟

 金曜の晩だけあって、平日は空いている店内もかなり埋まっている。

 空いているカウンターに座り、ビールを頼む。

「兄ちゃん。今日も一人か?」

「ああ。」

 気が滅入る時に飲む酒は美味くはない。

 基本的に楽しい時に酒は飲みたいもんなのだが、このところ、気が晴れない日が続いているから仕方がない。



 店に誰かが入って来た音がし、何気なく振り向くと彼女がいた。

「しんちゃん。やっぱり、ここだったのね。」

 カウンターは両側とも空いているため、彼女は俺の右側に座る。

「どうして来たの?今日は忙しいんじゃなかったっけ?」

「電話かけてもでないから。」

「あ、忘れちゃってたよ。」

 ポケットを弄る仕草をしてみる。

 少しだけ、電話からも離れたかったのだ。

 それと、この店に彼女を連れてきたく無かったのもある。

「明日の待ち合わせも決めてなかったでしょ。」

「ああ。そうだったよね。今日は忙しいって言ってたから、連絡来るの待ってたんだよ。」

「そうだったの。じゃ、明日の朝9時に迎えに行くよ。」

「えっ、わざわざ良いよ。しかも早いし。」

「私は大丈夫だよ。」

「分かったよ。それで、今日は飲んでくのか?」

「これから明日の準備もあるし。もう出ないといけないし。」

「今から準備って、もう9時過ぎだぞ。」

「そうなんだけど、仕事終わりの人のための集会があって、準備はそれからなの。」

「こんな時間から女の子を駆り出して働かせるなんて非常識だよ。」

「好きでやってるんだから、良いじゃない。それに功徳を積むこともできるから。」

「意味分かんねぇよ。」

 彼女の宗教では、善行を行うことを推奨しており、『功徳を積んで心を浄化する』とか言っている。

 明日の準備なんて善行どころか、勧誘行為で、教団の利益にしかならないだろ。

 おまけに教団にお布施をするのも功徳を積む一つにらるらしく、彼女の母も定期的に幾ばくかのお布施をしているらしい。

「それで、明日はどんなことするんだよ。」

「最初だから、分かりやすいことからかな。明日、楽しみにしててよ。」

 腕時計をチラチラ見ながら話しているところを見ると、本当に時間は無いようである。

「本当に今から行くの?」

「うん。」

 そう言って立ち上がった何か思い出したようにバッグに手を入れる。

「あの、いつも来てる人ですよね。」

 カウンターの端にいつも座っている男性に向かって声を掛けた。

「明日、もしお暇なら…」

「ここでそう言うことは止めてくれ!」

 バッグから覗いていたのは、勧誘に使っている教団のパンフレットだった。

「何よ!何でそんなこと言うの!」

「こんなところでそんなことするのは営業妨害だよ!」

「まぁ、確かにそうだがよ。ちょっと今回はソレ、貰っても良いかな?」

 爺さんがパンフレットに興味を持っているのか?

「ああ、誰か暇なら誘おうと思ってな。期待はしないでくれ。」

「本当ですか!ありがとうございます!集会は明日の朝10時から駅前のコスモハイツっていうマンションでします。オートロックなので、マンションの前でお迎えします。」

 昔は公民館やセンターを借りていたような気がするけど、何故なんだろう。

「すみません。もう、行かないといけないんで。行くかどうかはしんちゃ…、この人に伝えてください。」

 慌ただしく彼女は店を出ていった。



「すみません、みなさん。お騒がせしまして。」

 大将と常連の二人に頭を下げる。

「アレか。最近悩んでたのは。」

 大将が聞いてくれる。

「ええ。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」

「爺さんなら、相談に乗れると思うぞ。」

「え?」

「爺さん、やっと出番だぜ。」

「ワシの最後の仕事かな。」

「あの。そもそも、何か僕が相談するのを待ち構えていたみたいなんですけど。」

「まぁ、その通りだな。」

 大将が返してくる。

「あの人が来たからな。」

 爺さんがいつも来ている男に視線を向ける。

 一体何を言っているのか分からないが、何やら助けてくれるらしい。

「一体何が起こっているのか分からないんですけど。」

「ああ、この爺さんはヤメ検でな。俺は検事の時に知り合ったんだよ。」

「そんとき、コイツも色々あってな。」

「ヤメ検?」

「検事を辞めてから弁護士になったんだよ。爺さん、そう言えば少し前、どっかのカルト被害者の会を手伝ってたよな。」

「ああ。手伝いならできるが、その前にこの子の覚悟を聞かないとな。」

「覚悟、ですか?」

「そう。あの子が宗教を辞めるということは、家族や人間関係を失うことになる。それを支えるだけの覚悟はあるか?寄り添って支えていく覚悟だ。」

 そう言った爺さんの声に気圧され、返答に詰まる。

 いや、僕の覚悟が足りなかっただけか。

 彼女の宗教は嫌いだったが、彼女は嫌いになれなかった。

 今でも好きかと聞かれて、僕はどう答えるのだろう。

 彼女の母親まで救えなかった場合、大きな障害になるだろう。

 もし、今後、結婚を考えるとして、自分の家族から反対を受けることは目に見えている。

 皆が手放しで祝福してくれるようなことはもう無いんだろう。

 それでも、僕は彼女と一緒に居たいんだろうか?

 しかし、サラッとこんな人生を左右するような選択をさせるなぁ。

「中途半端に関われば、両方とも傷付くだろうな。それぞれ新しい人生で新しい幸せを見つけるのもお互いのためなのかも知れんしな。」

 爺さんの言葉からは優しさが伝わってくるが、その奥に何かを期待するものが見える。

「少し、考える時間が必要かな?」

「いや、いいです。迷うことなんて無かったんです。僕は彼女と一緒に居たい。でも、彼女の宗教が僕らを幸せにしてくれるとは思いません。だから、助けに行きます。」

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