クサナギ副所長の人事ファイル⑤ ラウリイズ博士
「……事情を説明してもらえますか」
「すごいだろう? コイツはドイツで発見された超大型のリジデウムでな。ついさっき仕留めてきたところだ」
「……何故貴方がドイツに行ってるんです? 出撃許可は出ていない筈ですが」
「ああ、つい最近アンバーソンの旅行記を読んでね。どうしても行きたくなってしまったんだ」
報告します。
現在サイト5は分類不明の巨大リジデウムの血液及び臓物によって重度の汚染状態にあります。
対象は全長約千二百メートル。俗に言うドラゴンを思わせる形状をしており、新噺投影級のリジデウムと推測されます。
つきましてはA級伝承現実改変による被害を防ぐ為、洗浄が完了した旨をお知らせ致しますまでは当該施設への接近を極力避けていただく様お願い申し上げます。
ラウリイズ博士は小さなワイングラスに床にたまった血液をすくい上げました。
「ウェルカム」
「何の真似ですか」
「ウェルカムドリンクというやつだよクサナギ君。血は好きだろう? 君達は聖人の血と肉を好んで食すそうじゃないか」
「それはワインとパンです。冒涜的な発言は慎んで下さい」
「おや、お気に召さなかったかな」
「これは査問会議ものですよ? ラウリイズ博士」
「何故だ、ドラゴンを討伐するのは聖人の所業であって魔女の犯す業ではなかった筈だぞ?」
「貴方は聖人ではないでしょう『蠅の王』。そもそも許可無しでサイト外に出ている時点で論外です」
サイト5管理者――ラウリイズ博士は壮年の白人男性です。
出生の記録が存在しておらず、実年齢は不明です。
財団によって確保された最初期のリジデウムの一つであり、A級職員としての着任期間も最も長い為にリジデウムに関する知識も豊富です。
既に察していただけているかと思いますが、博士は財団による収容から数え切れぬ程の脱出を繰り返しており、財団が指定する三人の問題児の一人です。
おまけに脱走の言い訳は常に聞くに堪えない詭弁屁理屈の塊である為、その行動の後処理も非常に困難です。
度重なる脱走を快く思わない財団本部によって幾度となく脱出防止の為の措置がとられていますが、いずれも大した効果を上げていません。
この様な状況は全てラウリイズ博士の持つ特異性の強力さに起因します。
博士はその特異性の強力さと人類庇護への有用性が確認され、現在のA級職員システムの礎となる制度を財団が作るきっかけとなった人物です。
ラウリイズ博士の全身は謎の言語と未知の図形で構成された形状の刺青に覆われています。
この記号は現在存在が確認されている如何なる文化圏の文字とも一致せず、翻訳にも成功していません。
そして、左の脇腹には一本の槍が刺さっています。
槍は石突きの部分から数十センチが体外に露出しており、またこの損傷による出血はありません。
露出している槍の本体はその長さと重量から屡々ラウリイズ博士の行動を阻害します。
ラウリイズ博士の特異性はこの槍が身体から引き抜かれた際に発動します。
槍は博士の意思で手を触れずとも操作する事が可能であり、如何なる出血をも伴わずに引き抜く事が可能です。
引き抜かれた槍の全長は三メートル二十八センチあり、本来ならば確実に博士の身体を貫通する長さですが、博士に刺さっている際には何かしらの方法でその身体に収まっている様です。
引き抜かれた槍も博士の意思によって操作が可能であり、時速千二百キロメートル程の速さで飛行する事が可能な様です。
また、ラウリイズ博士本体も槍に随伴して飛行を行う事が可能です。
この特異性は槍が抜かれている場合のみに発動し、また槍に随伴する形でしか飛行を行う事は出来ません。
槍が抜かれる事によって発動する特異性は財団職員に「蠅の王」と呼ばれている能力です。
この名称は博士本人に対する呼称の一つでもあります。
槍が引き抜かれる事によって開放された左脇腹の穴から無数の青い燐光色に光る蠅の群れが出現し、博士の意思に従って行動します。
この蠅は実態を持ち、通常の人類の手でも摑まえる事が可能です。
穴の奥は宇宙空間の様になっており、長大な槍が博士の身体に収まる事から考えても穴の奥が一種の異空間になっている事が予想されます。
蠅自身も特異性を持ち、それは他の生物の頭上に止まる事によって発動します。
特異性が発動すると、蠅に止まられた生命体(以後「宿主」と呼称)は肉体の制御権を失い、ラウリイズ博士の意思の支配下に入ります。
またこの場合のラウリイズ博士の意思というのはラウリイズ博士本体の意思ではなく、肉体の制御権を奪うと同時に宿主の身体に入り込んだ新たなラウリイズ博士の人格によって行われます。
蠅は特異性を発動する前は人格を持ちませんが、特異性を発動すると同時にラウリイズ博士の全記憶を引き継ぐ新たな人格を獲得して宿主に寄生します。
言わばこの特異性は「他人の肉体を奪ってラウリイズ博士を増産する能力」と言えます。
人格は蠅の数だけ増産する事が可能で、それぞれが独立した思考を行う事が可能です。
ただし、その考え方は群体生物の思考を思わせるもので、個という概念は持ち合わせていない様です。
この人格は蠅が宿主の肉体を離れた際に失われ、宿主は肉体の制御権を取り戻します。
ラウリイズ博士は群体生物の持つ「超個体」が擬人化された人格を持っています。
彼の体内に存在する蠅達は彼の僕ではなく、彼自身の構成要素です。
彼は財団において主に神学系の研究を行っており、事ある毎に「人間の神は死んだ」という事を主張しています。
「我々は我々の神だ。君達は我々を王と呼ぶが我々は君達が定義する所での神に近い存在だと思っている。もっとも君達にそれが理解し難いのも無理はない。人間の神は死んだのだ。君達……否、今は君と呼ぶのが適切だな。君が、君達から君へと転じた瞬間に君達の神は死んでいる。それが自らが神になる事を望んだ人間の選んだ道なのだろう」
私には分かりません。
「君の中では聖人と神は同一なのだろう? であれば私は聖人だ。魔女ではない。つまりは聖人たる者として竜を狩る事は当然の責務と言う訳だ。分かるね?」
私に言われても困ります。
「我々は今は無き隣人の為に君の傍に居るのさ。神を失った君が新たなる隣人と成る日を心待ちにしてね」
「……取り敢えず早急に始末書を提出していただく様お願いしますね」
NAME:ジェス・ラウリイズ
CLASS:A級職員(博士)
SEX:男性
AGE:不明
BIRTH DAY:不明(財団にやって来た日D.25 M.12 Y.――――を誕生日としている)
ADDRESS:NDP財団本部研究所サイト5ルーム3000(訪問は避ける様重ねてお願い申し上げます)
文責 クサナギ副所長
D.―― M.―― Y.――――
国際機関NDP財団本部付属研究所✓
隣人という名の宇宙。