*episode.34 雨音の兆し
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どんよりと重たい雲が、空を覆い隠している。
そっか、もう季節は梅雨になるんだ。
本当に何もかもが目まぐるしく変わっていった4月が終わったら、時間の経過が一気に早まった気がする。ゴールデンウィークに死ぬ気で勉強して、テスト期間もあっという間で、結果も私にしては良かったんじゃないかな、って感じで、まあ、結構良い感じ。……。
――なんて、そう上手く行く訳もなかった。
ゴールデンウィーク、檸檬ちゃんとも蜜柑ちゃんともくーちゃんとも遊べなくて、クラスの友達は皆旅行か先客があって、雪帆ちゃんは連絡先を知らないから誘えなくて、私は暇人になってしまった。
せっかくの休みに勉強なんかする気になれる? なれないでしょ、勉強楽しくないもん。
だから私は、最後の希望として、長年連絡を取り合ってなかった幼馴染みに、電話をしたんだ。
名前は、しゅーちゃん。ほら、くーちゃんや雪帆ちゃんのお姉さんと同じ、美雲塾に通ってる女の子。
お互い受験生だったから、1年以上連絡してなかったんだけど、久しぶりに会わないかって誘ってみたんだ。まあ、しゅーちゃんは高校生なんだし、勿論友達と遊びに行くんだろうなって思ったんだけど、ダメ元で電話してみたんだ。
そしたら何と、しゅーちゃんも予定が無かったみたいで、久しぶりに会える事になったんだ!!
私は嬉しくて嬉しくて飛び上がりそうになったんだけど、午前は塾の講習があるから、会えるのは午後からだけだったんだ。
でもまあ、家もすぐ近くだし、家族ぐるみで仲が良かったから、泊めてもらう事にしたんだ。
そして、ゴールデンウィーク2日目、私はしゅーちゃんの家に行った。
久しぶりに会ったしゅーちゃんは、何だか凄く変わっていた。
雰囲気と言うか、何と言うか……しばらくぶりだったから、そう感じただけかもしれないけど。
どこか窶れたような気がしたんだ。
中学生の時は、バトミントン部で、スポーツ少女って感じだったのに、何だか今では引きこもりで不健康な感じ。失礼かもだけどね。
前はさ、筋肉付いてるのに引き締まっててほっそりしてたんだけど、今は本当に痩せてるって感じなの。あの時の綺麗な痩せ方じゃなくて、筋肉も贅肉も無い、病的な痩せ方。
心配だったから言おうと思ったんだけど、もしこれでしゅーちゃんが悩んでたらいけないから、結局訊けなかった。
何だかしゅーちゃん、変わっちゃった気がするんだ。
何もかも。全部が。
あはは、こんな事言うのっておかしいよね。
でも、それが物凄く寂しかった。物心ついた時から、ずっと私のお姉ちゃんみたいな存在だったしゅーちゃんが、1年会わないだけで、あんなに別人みたいに感じられたんだもん。やっぱり高校生になると、何かが変わるのかな。
何かって何だって言いたい気持ちは分かるよ。だけど抑えて、私にもよく分からないから。
で。そんなこんなで、私は身近だった人が、変わって遠くの人になっちゃった事がモヤモヤして、ゴールデンウィーク中はずっと落ち込んでいた。こんな事で落ち込むなんておかしいかもしれないし、無駄な悩み事だって分かってる。
でも、「昔に戻りたい」って、思ったの。
昔に戻るなんて出来る訳ないのはちゃんと分かってるよ。だけど、叶わないって分かってても、それでも叶いたいって思う事、あるでしょ。
だから私は、楽しかった幼稚園や小学生の頃を思い出して、1人で泣いた。
この寂しさが全部流れ出るまで、ずっと。
妖精さんは何も言わずに、部屋の隅で座っていた。一言も、私に話し掛けてこなかった。
それが、物凄く助かったんだ。とにかく、1人で泣きたかったから。
私の気持ち、今は伝わらないはずなのに。おかしいよね。妖精さんって、こういう所は鋭いんだ。
私は人の気持ちを察するのが苦手だから、ちょっとだけ羨ましいよ。
……だけど。だけどね。
ゴールデンウィーク中、私はずっと泣いてたせいで、勉強には全く手付かずだったんだ。
くーちゃんにはちゃんと勉強するって言ったのに、情けないよね。自分で決めた事なのに。
案の定テストも全然解けなかったし、こりゃいきなり補習だなぁ。私も小学生の時みたいに、塾に通った方が良いのかなぁ。
無理して自分の実力より上の学校を受験しちゃったせいで、後から苦労する。ってよく聞くけど、正にこれだよね。って言うか、受験の時にも苦労してたし。
だけど、私はこれで良かった。だって、本当に本当に美空学園に行きたくて、それだからガンバれたんだし、くーちゃんや檸檬ちゃん、蜜柑ちゃん、雪帆ちゃんとも出会えた。
悪い事があると、すぐ嫌になっちゃうけど、だけど、悪い事だけじゃないんだよね。
ま、今はもう立ち直ったし。しゅーちゃんの事も、テストの事もね。しゅーちゃんとはこれからも都合が会う時は会おうねって事にして、また繋がりを取り戻す事が出来たし、テストだってこれからガンバればいいし。
いつまでも悩んでても仕方ないよね!
さぁて、学校に行こう。
学校に着くと、色とりどりの傘が校庭に散らばっていた。
灰色のコンクリートの地面が、重たく濡れている。
何だか憂鬱な気分になるね、梅雨って。五月病って、こういう事を言うのかな。
小学生の頃に、戻りたい。小学生のうちにやりたかった事、全然出来なかった。まあ、高学年の2年間を犠牲にしてなかったら、今頃私はここに居なかったんだろうけどね。
それでも、やっぱり後悔はしちゃうよ。もっと友達と遊んだり、勉強以外の事もガンバっていれば良かったと思う。
……私が勉強ばっかりなせいで、色々迷惑も掛けちゃったし。
私、色々悪い事しちゃってたんだなぁ。
……やり直したいな。
「おっはよ、桃音」
「わ!?」
センチメンタルな気分に浸っていたら、突然背後から声を掛けられた。
傘をぶつけないように気を付けながら振り返ると、
「っえ、檸檬ちゃん!?」
が、立っていた。
右手で傘を差しながら、左脇に松葉杖を挟みながら、微笑んでいた。
「何驚いてんの?」
「だ、だって、すごく久しぶりだったから……」
きょとんとした檸檬ちゃんの顔を、思わず凝視してしまう。
本物だよね。幻覚なんかじゃないんだよね。
そう思った途端、私の心の底が、ぱぁっと明るくなった気がした。
「檸檬ちゃん、久しぶりだね! 蜜柑ちゃんは一緒じゃないの?」
私はわざと、怪我の事には触れなかった。と言うか、それよりも蜜柑ちゃんと一緒じゃない事が気になった。
後で思い返してみたら、学校では仲が悪い姉妹っていう設定になってるから、当然っちゃ当然だったけど。
「あぁ、蜜柑はまだ調子悪いんだ。だけど心配しなくて平気だよ、私がついてるし。」
「本当に仲良しなんだね、2人は」
私にもそういう姉妹が欲しかったなぁ、なんて。
なんて思ってたら、檸檬ちゃんの表情がいきなり険しくなった。
「あぁ、そうだ。ゴールデンウィークは電話にすら出てやれなくて悪かったよ。ごめんな、ちょっと病んでたんだ」
どこか吹っ切れたような表情の檸檬ちゃんだけど、何となく無理をしているようにも見えた。
だけど、ここ1ヶ月はずっと学校に来てなかったから、凄く心配だった。お家もどこにあるのか分からないし、無闇に行ってもプレッシャーになっちゃいそうで怖かったし。
この1ヶ月で、回復出来たのなら、良かったよね。
「そんなの全然気にしなくていいよ。私もちょっと落ち込んでたからさ。」
「へー、お前も落ち込んだりするんだな」
檸檬ちゃんは意外そうに言った。
「そりゃ人は誰だって悩んだり落ち込んだりするよ」
「そーだな。お前みたいな一見何の悩みもなさそうな奴程、結構悩み抱えてたりするもんな」
「え、私ってそんなに悩んでないように見えるの?」
ちょっとショックなんだけど。
「見える見える。まー、人を励ますのに必死なだけだろうけどな。人の事ばっか気にして、自分の悩みとかにちゃんと向き合えないような奴。私そういう奴結構嫌い」
「え、それって私の事嫌いって受け取って良いの?」
かなりショックなんだけど。
「は? 私今励ましたんだけど。自分もっと大切にしろよって」
なんて檸檬ちゃんは言うけど、
「そんなの全然分からないよ~」
私は泣きそうなのを、必死に我慢しながら笑った。
檸檬ちゃんだって、自分の事でいっぱいいっぱいな筈なのに。不器用だけど、私の事、励ましてくれた。
それに、私が結構悩んでた事を、分かってくれたんだ。
私は人に「暗い」って思われたくないから、いつも明るく振舞ってたの。例え嫌な事があったとしても、お母さんや友達にはなかなか言えなくて。だからいつも、「桃音ちゃんって悩みとかなさそうだよね。」って言われるの。
だけど、本当は結構悩んでたりするんだ。そういう風に言われるのだって、悩みの1つだ。
だから、凄く嬉しい。檸檬ちゃんの言葉が、心に染み込んでいくような気分だった。
「何か、ごめんな。色々気ぃ使わせちゃってさ。
この1ヶ月、お前らと会わない間、ずっとずっと考えてたんだ。あれは本当に夢なんじゃないかって。
だけど、足は本当に怪我して痛かったから、あぁ、これって現実なんだなって分かったんだよ。」
檸檬ちゃんは笑ってたけど、その声は物凄く低くて。本当に本当に、信じたくなかったんだ。
その気持ち、私には分かる。私だって信じたくなかった。だけど、今ではちゃんと受け入れないといけないって思ったから、向き合ってるだけで、本当は逃げたい。こんな事、もう考えたくもない。
向き合ってるつもりなだけかもしれないけどね。
だけど、私は逃げないよ。
「檸檬ちゃんに気を使うのは当たり前だよ。だって、私達――」
私は目を伏せて、ゆっくりと息を吸った。
「そうしないと、やっていけないもんね」
零れ出したその言葉は、私が言おうとした言葉じゃなかった。
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「あ、浅黄さん、来たんだ……」
「せっかく静かだったのにね~」
「でも別に良いんじゃない、不登校になられていじめでもあるんじゃないかって疑われるよりマシじゃん」
「テスト期間過ぎたしね。」
檸檬ちゃんと並んで教室に入った途端、クラスメイトの表情が陰った。
そして、ヒソヒソとはっきりとしない悪口が、そこら中から聞こえてくる。
「……何で」
何で、私はこんなに腹を立ててるんだろう。
おかしいよね。だって、もし私か檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんが光じゃなかったとしたら、今頃こんな風に仲良くなれてなかったと思う。もしそうだとしたら、私も檸檬ちゃんや蜜柑ちゃんを疎ましく思ったままだったから。
そうだ。私、最初は2人の事、邪魔だって思ってたんだ。
檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんが嫌われているのは、教室でいきなり喧嘩をして、周りを怖がらせてる2人が悪いって少なからず思ってた。
……だから私、皆の悪口を止める権利、ない。
急な罪悪感が、私を襲った。
ううん、いつまでもうじうじしてちゃだめ! 大事なのは、過ぎた事をいつまでも後悔する事じゃないでしょ。ちゃんと反省して、これからどうするかが大事なのよ。
「行こ、檸檬ちゃん」
私は棒立ちのまま斜め前を睨んでいた檸檬ちゃんの腕を、強引に引っ張った。
「ちょ、桃音っ……」
私は、檸檬ちゃんが足を怪我している事を忘れて、そのままずんずんと進んでいった。
自分の罪悪感を、掻き消す為に。
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雨が地面を叩く音が、心地良い。
普通なら学校に行っている時間だけど、今日はそんな気分じゃなかった。
それはあの子達も同じみたいで。私と同じ、この路地裏に来ていた。
「……何、あんた達もサボり?」
なぁんだ、1人で居たい気分だったのに。ま、この子達なら別に良いけどね。
……同じ秘密を共有している仲だもの。
「こんなジメジメした日に、真面目に勉強なんてしてられないわよ」
橙色の闇――松田苺が、膝で頬づえをつきながら呟いた。
「そうよね。って言うか、私達はもう、人間じゃないから。
学校にも行ってないし、家にだって帰ってないわ」
黄色の闇――麻生林檎が、苺に同調する。
「……律儀ですよね、高本さん。闇になっても、人間からの認識を消さずに、学校にも通って。」
赤色の闇――赤羽朱が、小さな声でそう言った。
「まあ、これが1番楽なのよ。」
なんて私は強がって言ってみたけど、
「行きたかった高校、落ちたんでしょう。それなのに、どうして?」
朱は、声のトーンを変えずにそう言う。この子は人を馬鹿にしたりはしないから、きっと悪気はないのよね。大人気ないから、怒らないでおこ。
「まあ、良いの。だってこっちの方が、桃音ちゃんに怪しまれないでしょ?
あなた達だって、人間からの認識は消してないじゃない!」
「それは、自分がどれだけお前に苦しめられていたのかを、光に思い知らせてやる為よ。ねぇ、苺。」
「そうよ。あの子を見てると、いつも自分が惨めで、優しくされる度に、消えてしまいたくなったもの。ねぇ、林檎もそうだったでしょ?」
「そうね。檸檬ちゃんには本当に消えてほしいわ。」
「……じゃあ、何ですぐに殺しに行かないの」
元々仲が良いらしい林檎と苺の会話に、朱が口を挟む。
2人は不愉快そうに眉を潜めた。
『それは、あの子達が苦しむ姿を見るのが楽しいからよ! 私達に怯えて生きてもらうの。私達は殺すつもりはないわ。
あの子達が、自分から死ぬまで追い詰めるの!!』
ザァアア……
雨音だけが、聞こえる。
また、いつもと同じ。
人を恨む弱虫が集う、この路地裏。
本当はあなた達も分かっているんでしょう?
自分達が恨んでいるあの子達が悪いんじゃなくて、自分が弱いせいでこうなってしまったんだ、って。
でも、私が桃音ちゃんに苦しめられていたのは事実。
だから、私は桃音ちゃんを許さない。私が弱いのが悪いんだったとしても、それでも私は苦しんだ。桃音ちゃんに、苦しめられた。
だから、桃音ちゃん。あなたも悪いんだよ。




