*episode.31 無念
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完全にやらかしたぁ〰〰っ!!
私は頭の中で、頭を抱えて叫びまくった。
だって、こうなるのも仕方ないよ。私はとんでもないミスをやらかしたんだもん。
「桃音、過ぎた事をそんなに悩むのは辞めなさい。今は浅黄姉妹の方が大変な思いをしてるのよ。」
くーちゃんが私の肩を掴んで、私の顔を覗き込んでそう言った。
こんな状況でも冷静でいられるくーちゃんを、私は尊敬するよ。あ、冷静って言っても、決して心配してないとか、どうでもいいとかじゃないんだよね。きっとくーちゃんだって、心の中ではすごく焦ってるはずだ。
その証拠に、私の肩に置かれたくーちゃんの手、物凄く冷たいし、震えてる。
そうだよね。だって、それくらい大きな事態に発展しちゃってるんだもん。
まさかこんな事になってるなんて、考えもしなかった。ただの、闇のイタズラなのかと思ってた。
私達が闇の張った結界の中で迷ってる間に、檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんはあんな事に――
「絶対に許さないわ。いくら恨んでるからって、あんな事……」
くーちゃんは悔しそうに歯を食いしばって、床を睨み付けた。
「……そうだよ、いくら嫌いだからって、復讐しても良い、なんて事はないよね。」
そんな事をしたら、どんどん復讐が繰り返されて、永遠に終わらなくなっちゃうよ。
「ただの『嫌い』じゃ済まされないような事よ。」
くーちゃんが、低い声でそう言った。
ここに辿り着くまでの経緯を簡単に話すね。
昨日の放課後、私はくーちゃんに、居残りで数学を教えてもらってたんだ。まだ5月に入ったばっかりだってのに、もう既に授業に追い付けてなかったから、泣きながら懇願したんだ。
だって、光の戦士として戦ってるんだから、その疲れもあって――予習も復習も出来ないし、授業中だって眠いし、筋肉痛だし、集中出来ないしで、もうサイアクの状態だったんだ。
他の教科も結構ヤバいんだけど、特に小学生の頃から苦手だった数学はちんぷんかんぷんで、このままじゃ本気でマズいと思ったから、くーちゃんにお願いしたんだ。
だけど、くーちゃんだって光なんだ。私と同じくらい苦労してるのに、ちゃんと勉強もしてて、塾にも通ってて……。私と同じ24時間を生きてるのに、どうやって時間を駆使してるんだろう。
ほんと、今こうして普通に話してるのが嘘みたいなくらいだよ。何だか釣り合わないよね、私達。
きっと生まれつきの運勢と才能なんだな、うん。
まあ、才能があったとしても、絶対に努力は必要かぁ。そう考えると、ますますくーちゃんがスゴく見える。私なら才能があれば安心しちゃって、勉強も疎かにしちゃいそうだからさ。
「ほら、ここ解けたの? ぼーっとしてないでちゃんとやりなさい。」
「あえっ!?」
くーちゃんの声で我に返る。目の前には、真っ白なページに黒くて細い数字と記号がびっしり……。
め、目が回りそう!!
「ううん、しっかりしなくちゃ! せっかくくーちゃんが教えてくれてるんだから!!」
私は気合を入れ直して、シャーペンを握った。
「それは気にしなくていいのよ。嫌なら前みたいにはっきり断るから。
それよりそこ、さっき教えたわよね? ちゃんと聞いてたの?」
ちっぽけな脳みそをフル回転させて、やっとこさ解いた問題を、早速指摘されてしまった。
「Outh!!」
思わず英語が飛び出してきた。
「あら、発音はなかなか良いじゃない」
くーちゃんも褒めてくれた。
「でも、今は数学に集中するのよ。桃音がミッチリ叩き込んでくれって言ってきたんだから、覚悟しなさい」
くーちゃんは舌なめずりしながら、眼鏡を光らせた。
確かにそう言ったけど…………そうだけど〰〰〰〰っ!!
その後、私は一生忘れられないくらい、本当にミッチリ叩き込まれたのだった――
とは、いかなかった。
加法と減法の計算をしていた時、結界が張られたんだ。それも、闇の。
私は白黒の問題集とノートを見ていたから、すぐには気付かなかった。けど、くーちゃんのあっという叫び声で気が付いたんだ。
「桃音、これって……!!」
「闇の、結界だ……!!」
私達はすぐに制服のポケットの中に入っているミラクルキーを取り出して、声を合わせて叫んだ。
『トランスフォーム・フューチャー!!』
私達はそれぞれ、桃色の光と赤色の光に包まれて、魔法少女のワンピースに変身したんだ。
『シャイニング・ケーン!!』
そして、シャイニングケーンを出現させた。
「一体どこに居るのかしら……。」
「それに、誰の闇なのかも分からないよね」
そうだ、闇が張る結界は、皆灰色なんだ。妖精さんが張ればそれぞれの光の色になるけど、これじゃあ誰を恨んでる闇が張ったのかは分からない。本当に厄介なシステムだよね。
「私達の所に来ないって事は、まさか――」
「行きましょ。ぐだぐだ考えてる暇なんてないわ。」
私達は、教室から飛び降りた。
2階だろうが関係無い。それに、何だか不思議と、飛べるような気がしたんだ。
「――って言うか、普通に飛んでるしっ!?」
地面スレスレの所で、私の身体は浮かんでいたんだ。爪先が、人工芝をワサワサと撫でる。
「どういう事かしら……。」
隣では、くーちゃんも同じように浮いていた。身体を前後左右にぐらぐらと揺らしながら、懸命にバランスを取っている。
「これも光の魔法なのかな?」
「そうとしか考えられないわ。説明が足りないのよ、あの妖精達は!」
くーちゃんは頭をガシガシと掻きながら怒声を上げた。そりゃそうだ、私だって今にでも妖精さんを取っ捕まえて、まだ話していない光に関する事、全部聞き出したい気分だ。この様子じゃ、きっとまだ隠してる事はたくさんあるんだと思う。
「何を考えてるのか分からないわ、闇も、妖精も」
くーちゃんの言葉に、私は何度も何度も頷いた。
私達は浮きながら、とりあえず校庭から出る事にした。前に進んでいくうちに、少しずつコツが掴めてきたような気がして、校門を潜る辺りからは、バランス感覚も良くなって、完璧に飛べるようになっていた。
楽しくなってきたから、童話の魔法使いみたいに、シャイニング・ケーンに跨ってみる。
「……え?」
その途端、私の身体は何十メートルも上に上がっていったんだ。ギュンギュンという風の音が、耳を埋め尽くす。
「うそぉおおお!?」
ゴマ粒みたいに小さな、驚いたような表情のくーちゃんの顔が真下に見える。
うそ、私、本当に魔法少女みたいに飛んじゃってる……!?
「桃音っ」
すぐさまくーちゃんもシャイニング・ケーンに跨って、私の元に飛んできてくれた。
「ふう。まさか本当にこんな風に飛べるなんてね……」
くーちゃんは両手でしっかりとシャイニング・ケーンの柄を掴んで、そう言った。
「跨った途端、物凄いスピードで大きくなったからびっくりしたわ。これ、魔法を使う時の2倍――2メートルくらいあるわよ」
確かに、跨る前は40センチ程だったシャイニング・ケーンは、跨っても余裕が出来るくらいの大きさになっている。
「最大何メートルまで大きくなるのかしら。もしかしたら小さくなったりもするのかしら? ちょっと気になるわ」
珍しく頬を赤らめて目を輝かせるくーちゃんの腕を、ぐいっと引っ張る。
「今はそれより、闇探しが先っ!!」
どっちにしろ、妖精さんみたいに上空から闇を探せるのは、手っ取り早いし楽だ。
……もう何時間経ったんだろう。多分2時間くらいはぶっ通しで、同じ道を何度も繰り返し歩いてる。
最初の方は上空から探してたんだけど、くーちゃんも私も流石に酔ってきちゃったから、歩いて探す事にしたんだ。
だけど、さっきから、同じ道しか歩いてないような気がするんだよね。
右に曲がっても同じ道、左に曲がっても同じ道、真っ直ぐ進んでも同じ道、引き返してみても同じ道。
途中からはもう訳が分からなくなって、無心に、何も考えずに進んでいったけど、やっぱり同じ道にしか出られなかった。
この光景を何度も見過ぎて、頭の中がおかしくなりそうだ。
「ねえくーちゃん、これって絶、対おかしいよね……?」
青い顔をしたくーちゃんに、息絶え絶えに話し掛ける。
「おかしくなかっ、たら何なのよ、私達の頭がおかしくなったのかしら……」
「これも闇のま、魔法、なのかなぁ」
「そう、かもしれないわね」
立ち止まって休憩したい気分だけど、今立ち止まったら、逆に疲れそうだ。と言うか、ずっと歩いてたから、休みたくても脚が勝手に動く。
「檸檬ちゃんと蜜柑ちゃん、無事だと、いいなぁ……」
言葉は、ちゃんと私の意思通りに話せた。
「きっと無事よ。きっと私達と同じように、迷ってるだけよ」
くーちゃんが、自分に言い聞かせるようにそう言った。
そんなこんなで、私達が死に掛けている時に、道がおかしくなったって事以外は何も起こらないまま――、正確には何かが起こっているのに気が付かず――結界は解けてしまった。
私達が道に迷っている間に、檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんは闇に襲われちゃってたんだもん。
檸檬ちゃんは蜜柑ちゃんを庇って怪我をして、蜜柑ちゃんは自分を追い詰めて熱を出しちゃったんだって。
これも、妖精さんから聞いたお話。妖精さんと赤色の妖精さんも、結界が張られた事に気が付いて、私達の所に行こうと思ったんだけど、何故か辿り着けなかったんだって。
「これは絶対おかしい、闇が何かしたんだ……」
って、妖精さんが言ってた。今日も私達が学校に行ってる間に、黄色の妖精さんに訊いてみるって言ってた。
……そう言えば、檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんが光に変身した時、黄色の妖精さんはその場に居たのかな? 光が覚醒する時の条件として、妖精さんと接触するっていうのがなかったっけ?
どうしてだろう。もしその場に居たなら、どうして檸檬ちゃん達を守らなかったんだろう。私が初めて変身してしどろもどろだった時は、妖精さんが代わりに戦ってくれていた。
あれ? 何だか色々おかしいよ。私の時もくーちゃんの時も、こんな事はなかったのに。
これも、光のなんちゃらなのかな。後で妖精さんに訊いてみよう。
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いけない、今日は塾のテストだった事、すっかり忘れてたわ。
この間の、高本しゅうこに負わされた右肩の大きな傷がズキズキと痛む。何だか内側の方も痛いわ。まさか骨折なんてしてないわよね? 動くからまだ大丈夫よね。
頭の中に浮かんできた最悪の事態を振り払って、右肩を擦りながら美雲塾へ急いだ。もし高本しゅうこに会ったりしたら、この腫れ上がって肩パットを入れたみたいな肩を見せてあげたいわ。
ここのところ、もう何日も経っているにも関わらず、まだジクジクと内側から響いてくる痛みに、少し参ってるの。だってあれ、檸檬と蜜柑が転校してきた辺りじゃなかったかしら。桃音に桃色の闇の正体を知ってしまったと伝えた日だったもの……。
でも、私は左利きだから良かったわ。もしこれで私が右利きだったら、文字は書けないしお箸も上手く持てないしで散々だっただろうし、ね。そういう意味ではラッキーだったわ。
だけど痛いものは痛いわ。ほんと、何が目的であんな事をしてるのかしら。理解出来ないわ。まあ、桃音に気付かれてないみたいだし、良いけど。
深い溜め息を吐きながら、ガアッと音を立てながら開いたドアに入った。
まだ少し早かったのかしら。塾の中に入っても、他の生徒の姿が見当たらない。普段なら小学生が駆け回ったり騒いだりしてるし、授業中でもその声が聞こえてくるはずだもの。
カウンターの上に掛けてある壁掛け時計を見る。始業の時刻より40分くらい早かった。何だ、慌てる必要なかったのね。
学生鞄の中からICカードを取り出して、機械に押し当てる。
「……あら」
教室に入ると、やっぱりまだ他の生徒は来ていなかった。パチンとホワイトボードの裏にある電気のスイッチを付ける。
おかしいわね、緑森さんが来てないなんて。いつも誰よりも早く来ているのに。きっと風邪でも引いたんだわ。
私は1人で納得して、適当な席に座った。
そこは偶然にも、いつも緑森さんが座っている席で、私は慌てて立ち上がった。
緑森翡翠。
彼女は、この塾の中学1年生の中では、断トツ頭が良い。もしかしたら中学生の中でも1番かもしれないわ。
彼女は何があってもここに座りたがるから、もし後で来たら可哀想だものね。
何でこの席に拘るのかが謎だけど、お気に入りの秘密基地を他の子に取られるのが嫌、みたいな、そんな感じの感情よね、きっと。別の席に移動しましょ。
立ち上がった際に、学生鞄が机にぶつかってしまった。
「あっ!」
私は声を上げて、手から滑り落ちた学生鞄を拾った。
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結局来なかったわ、緑森さん……。
私より真面目に、誰よりも一生懸命に勉強してたのに。私が早めに来ても、いつもそれよりも速く予習をしてて、私が遅くまで復習してても、いつもそれよりも遅くまで復習してて……。
この間も、微熱が出ていても来ていたのに。
うーん、モヤモヤするわ!
私は頭を抑えながら、教材を鞄の中に押し込んだ。
この年の女子にしては珍しく、誰とも話そうとしない緑森さんは、私に取って塾の中では唯一尊敬している人だった。こんな風に真面目過ぎる私の事も、彼女だけが受け入れてくれたの。
まあ、今は……他にもそんな人が居るけれど。
そう言えば、この間話した時、何か元気なかったような気がするわ。
重苦しい表情の緑森さんの顔を思い出す。ぴたりと手の動きが止まる。
……まさかね?
いけない、最近は光の事ばっかり考えてるから、何か悩みがありそうな人を見ると、皆光だなんて思ってしまうわ。
私は苦笑いしながら、教室を出た。
こんな短期間で、長年独りで他人なんかどうでも良かった人が、こんなに変わってしまうなんてね。
自嘲気味に笑いながら、そっと右肩を押さえた。