*episode.30 不意の覚醒
ぐるぐる、ぐるぐる、何度も何度も、頭の中が回っている。
目の前がぐにゃぐにゃ歪曲して、色んな色が混ざり合って、気持ち悪い。
どうして――どうして青葉ちゃんが?
その文字が、色んな大きさや書体で頭の中を埋め尽くした。
「……もうやだ」
無意識に口から零れ出したその言葉を、私はゆっくりと、しっかりと噛み締めた。
✡
コンコン、と戸を叩く音がした。私はベッドの中で蹲りながら、「どうぞ」と言った。きっと保健の先生だ。
「……檸檬、帰ろう」
――と思ってたけど、入ってきたのは蜜柑だった。
「え、何で蜜柑が!?」
白いシーツを跳ね飛ばして跳ね起きた。蜜柑はゆっくりと戸を閉めて、床に落ちたシーツを拾い上げた。
私、今日は保健室登校するって蜜柑に伝えてないんだけど。朝は休むつもりだったし、学校に来たのだって午後の授業が始まってからだ。最近、蜜柑は本気でエスパーなんじゃないかって疑い始めたくらいだ。いくら双子でも、何でも分かる訳じゃないし、無理もないよな。
「分かるわよ。だって靴箱に檸檬のローファー入ってたもの」
蜜柑はおかしそうに笑った。
「何だよ、いちいちそんな所まで見るなよ」
本当、過保護な姉だよな。
だけど、少しだけ嬉しかった。
「檸檬、無理して学校来なくても良いのよ? 家で勉強した方が捗るんじゃないかしら」
「はぁ? 何だよいきなり」
私がそう言うと、蜜柑は少し不機嫌そうな顔をした。
「だって、私の事が心配で来てるんでしょ?」
「……っはぁ!? バッカじゃねぇの、自意識過剰じゃん」
何て言えば良いのか分からなくて、つい意地の悪い言葉が出てきてしまった。くそ、このひん曲がった性格をどうにかしたい。
「自意識過剰じゃないわ。檸檬は図星を突かれると、すぐに口が悪くなるんだから!」
蜜柑の言った事は図星だった。私が居ないからって、蜜柑がいじめられたりしたら嫌だし。それに、蜜柑が居ない家にも居たくない。
「……あぁ、そうだよ」
照れ隠しの為にわざと乱暴に脚を振り上げて、ベッドから下りて上履きを履く。近くに置いてあった学生鞄を持ち上げて、
「帰ろーぜ」
蜜柑は、無言で頷いた。
夕焼け小焼けのメロディが遠くから聞こえてくる。もうそんな時間か、早いな。
小学校の時は、早く大人になりたいって思ってたのに、今では小学生の頃に戻りたいってしょっちゅう思うようになった。と言うか、全てを無かった事にしてやり直したいって思う。昔に戻っても、あの辛い経験をもう1度辿らなくちゃいけないなら、いっその事1からやり直したいんだ。
男子と取っ組み合いの喧嘩をした後に家に帰ったら、蜜柑が居ない――あんな寂しい感情、もう忘れてしまいたい。
もう、あんな――
じゃり。
砂利を踏む音が、聞こえた。
視界に現れる、2つの人影。
「……!!」
顔を上げずとも、私はこの2人が誰なのか分かった。
髪型ですぐに分かる。――林檎と、苺だ。
「……何の用だよ」
また来やがったのか、コイツら。どこまで追い詰めれば気が済むのかなんて知らねぇけど、ネチネチネチネチ練り消しみたいにしつこい奴らだ。きっとコイツらは、私達が地球の反対側まで逃げようが追い掛けてくるんだろうな。
「この間もそうだけど、何でわざわざ向こうからこっちまで来たんだよ。そんなに私達の事が好きなのか?」
わざとアイロニーを込めて言う。
「ふふっ、よく分かったね、檸檬ちゃん。私達、檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんの事がだぁい好きなんだよ」
「なぁんだ、てっきり伝わってないのかと思ったけど、ちゃんと分かってくれてたんだ! 嬉しいわね、苺」
「そうだね、林檎」
2人は嬉しそうに微笑みながら手を合わせた。だけど、その口元は嫌味ったらしく歪んでいる。コイツらも皮肉を言ってるんだ。
「くそ! ふざけてんじゃねぇよ、お前らに好かれるとかっ……」
気持ち悪過ぎて反吐が出る。
私が吐き捨てると、林檎と苺は目を見開いて嗤った。
「何真に受けてんの?」
「あんた達の事なんか好きじゃないから。」
言い終えた途端、苺と林檎からすっと表情が消えた。
「……苺ちゃん、その……」
「蜜柑ちゃん」
蜜柑の言葉を、林檎が遮った。
「苺に余計な事、言わないで?」
林檎のその笑顔が、やけに恐ろしく見えた。夕日のせいで逆光になってるからか? 真っ黒の顔に浮かんだ3つの細長い曲線が、異様に不気味に感じた。
早く逃げなきゃ。このままじゃ、また蜜柑が酷い目に遭わされるかもしれない。
そう分かってるのに、何故か体が動かなかったんだ。
それって、私がまだ、コイツらを殺したいって思ってるから? 今ここで仕留めないと、またいつ現れるか分からないから――
そうだ、今みたいに!
殺さなきゃ。殺さなきゃ。殺さなきゃ。また蜜柑がいじめられる前に、殺さないといけない!!
「れ、檸檬……?」
蜜柑が、私の制服の裾を掴んだ。それで我に返る。
「檸檬、まさか私が怖がってると思って、苺ちゃんと林檎ちゃんを殴ったりとか……する気じゃないよね?」
心配そうな顔で訊ねてくる蜜柑は、もう全部分かっちゃってるんだ。私が林檎と苺を殺す気なのも、それが蜜柑の為だっていうのも。
「そんな事しないで、――しちゃダメ。
私、人殺しの檸檬なんて、嫌だ」
「……蜜柑」
「ふふ、善意のつもりでもただのお節介って事だよ、檸檬ちゃん」
林檎がくすりと笑う。
「林檎ちゃん、ちょっと黙ってて」
そんな林檎に、12年間ずっと一緒に生きてきた私でも見た事がないくらい強気な口調で、蜜柑はそう言った。あの他人の顔色ばっかり伺ってた蜜柑が、だ。林檎もそんな風に言われるなんて思ってなかったのか、本当に黙り込んでしまった。
「檸檬。どんなに嫌いでも、どんなに怖くても、あの子達を殺さないで。
私だって、いつどこで出会すか分からなくて、怖かった。それは檸檬と一緒だわ。外に出るのも嫌だった。
ても、死んでほしくはないわ。生きて、ずっとずっと――」
蜜柑が言い掛けたその時だった。
いきなり、目の前が真っ暗になったんだ。
……いや、違う。真っ暗になったんじゃない、色がなくなったんだ。
「はっ、これ、この間と同じ……」
桜澤と赤羽とコイツらが、戦ってた時の――!!
「ふふっ、そんなにびっくりしなくてもいいじゃない、もう3回目よ?」
「そろそろ慣れてもらわないと、いつまで経っても本気で戦えないじゃない!」
面白そうに腹を抱えて笑う林檎と苺。
まさかコイツらが、これを?
「ねえ、そろそろ良いよね、林檎?」
「そうね、そろそろ――」
私達を見ながら、怪しげに笑う2人。
もう訳が分からない。小学生の時みたいにけらけら笑ったり、嬉しそうに微笑んだり、気持ち悪いくらい不気味に笑ったり。
何なんだよ。何なんだよ、コイツら。私達に何をしようってんだよ。どうしろって言うんだよ。
もう、何も分からない――
『――そろそろ、光になってくれないかなぁ!!』
2人の姿が消えたかと思ったら、次の瞬間、目の前に現れた。気持ち悪いくらいに口の両端を釣り上げて、三日月形の目をした、世界で1番気持ち悪い顔。
近寄んな、そう言おうと思った途端――
心臓に合わせて、全身がどくんと脈打った。
✡
「……ココ、ハ」
いつもとは違う、何か変な声が出てきた。
いや、そんなのはどうでもいい。ここは、どこだ。
真っ暗で、暖かくて、何か湿ってる。
「……蜜柑?」
私、今まで何してたんだっけ? あれ、なんにもしてなかったのか?
って言うか、ミカンって誰?
「……れもん」
か細い声が、返答してくれた。
レモンって、私の事?
「みかん、……蜜柑」
「檸檬、檸檬」
私達は、狭い空間の中で、お互いの身体を温め合うように、そっと抱き合った。
複雑に組まれた細い指と指には、水が漏れ出す隙間もない。
ぷかぷかと浮かびながら、私達はそっと目を閉じた。
「蜜柑」
「檸檬」
私達の声が、重なった。
『大好きよ――……』
✡
「……あ」
気が付いたら、目の前に光が戻っていた。ずっと真っ暗な場所に居たから――さっきまで見てたアレは何だったんだろう。内容ははっきりと覚えてるけど、さっきまで自分が体験していたって感じではない。じゃあ何だったんだって話だけど、何だか不思議な気持ちだった。
「れ、檸檬」
あ、ちゃんと蜜柑も居る。良かった、よか――
「おい、蜜柑!!」
私は蜜柑を見た途端、噎せ込んでしまった。
いやいやいやいや。おいおいおいおい。待て待て待て待て。
「何で蜜柑が、桜澤達と同じ奴着てんだよ……」
そう。蜜柑は、この間桜澤と赤羽が着ていたワンピースを身に纏ってたんだ。
「いつの間に着替えたんだよ? それにそれどこで――」
「知らないよ! それに檸檬だって同じかっこしてるじゃない!!」
今度は蜜柑が私を指差す。
「…………!?!?」
自分の腰に手を当ててみる。何やらふかふかした物が手に当たる。
「わ、私も……?」
い、いつの間にこんな格好になったんだ!? こんなヒラヒラふわふわのワンピースとか、恥ずかし過ぎて死ぬ!! 林檎と苺に見られたらもう死ぬしかない! 絶対ネタにしていじられる。
ああもう、スカートなんか性に合わねえのに! しかも短過ぎだし。
「……あれ?」
スカートを引っ張っていたら、何かが冷たい音を立てて落ちた。
その落ちた物を拾い上げてみると、ファンシーショップか何かで売ってそうな、鍵の形をしたおもちゃだった。
何だこの魔法少女の変身アイテム☆みたいなやつ。
「なあ蜜柑、これ何だか知らない?」
訊ねてみるけど、蜜柑は首を横に振った。そして、自分も鍵を持ち上げたんだ。
「え、蜜柑も持ってたの!?」
「うん。気が付いたら握ってて……。よく見たら檸檬のと色違いよね。」
確かによく見てみると、私のはレモネードみたいな黄色で、蜜柑のは本当にミカンみたいな色をしていた。
何だか本当に魔法少女になっちゃったみたいだな。懐かしいな、小さい頃は憧れてたっけ、こういうの。
「……ぷふっ」
私が鍵を眺めて昔の事を思い出してたら、誰かが含み笑いをした。
「檸檬ちゃん、よーく似合ってるよ、ぶふふっ……」
「双子の双子コーデなんて初めて見た! しかもコスプレ……」
林檎と苺が、私達を指差しながら笑い転げていた。目に涙まで浮かべてる。
「何がそんなにおかしいんだよ!!」
くそっ。こういう可愛い系統の服が似合わねえのは自分でも分かってんだよ。だけど蜜柑はちゃんと似合ってるじゃねーか。何なんだよ、くそ。
「うそうそ、似合ってるよ、檸檬ちゃんも、蜜柑ちゃんも」
林檎と苺は、「あーおっかしー」と笑いながら涙を拭いた。
「さあて。準備も整ったわね。」
そして、嬉しそうに頬を赤らめて笑った。
『私達の恨み、きっちり晴らさせてもらうからね!!』
「――っ!?」
物凄い気迫だった。林檎と苺は手を繋いで、もう片方の手のひらを私達に向けてきた。何をするつもり――まさか!
あの時――初めて桜澤と赤羽とコイツらが戦っていたあの時。コイツらはあの時も同じようなポーズをしていた。そして、このポーズをした後は、あのガラスの破片みたいな奴を繰り出していた。アレを全身を浴びた赤羽は傷だらけのボロボロになってたし、ガラスなんかが刺さったら――赤羽は復活してたけど、私達も助かるなんて保証はないし。
くそっ、どうしたらいいんだ! 逃げるしかないのか。
私はぼーっと突っ立ったままの蜜柑の手を乱暴に掴み取って、走った。
「蜜柑、逃げるぞ!」
もう何十分走ったんだろう。そろそろ喉が乾きすぎてへばりつきそうになってる。
ぜえぜえと喘ぎながら、縺れる足を何とか奮い立たせて、蜜柑の腕を引っ張る。
「蜜柑、頑張れ」
私がそう言うと、蜜柑は声も出せないのか、こくこくと激しく首を振った。その顔はびしょ濡れだった。
くそ。体力のない蜜柑はともかく、運動は得意な方の私なら、これくらいでへばる事ないのに。このブーツが走りにくいんだよ。
しかも何だよ。私の頭が正常なら、さっきからずっと同じ道をぐるぐると回ってる気がする。違う曲がり角を曲がってるはずなのに、辿り着くのはいつも同じ道なんだ。
このでっかい家、もう何回目だよ。
「あははははははははははっ」
遠くの方から、甲高い笑い声が聞こえてくる。
「檸檬ちゃん、蜜柑ちゃん、どこー?」
うるさい。うるさいんだよ、お前ら。
くそっ――
「あっ!」
その時、蜜柑が小さく声を上げた。次の瞬間、私の身体はぐにゃんと捻れて、硬いコンクリートの地面に叩き付けられた。腰辺りがじわじわと痛む。
「ぐっ……」
すぐに蜜柑が転んだんだと分かった。
「大丈夫か、蜜柑……」
脇腹を抑えながら、蜜柑を見る。蜜柑は膝を擦りむいたのか、両手で膝を抑えながら目に涙を浮かべていた。
こういう怪我が、きっとトラウマなんだ。
「大丈夫だよ、蜜柑。小学生の時はアイツらに負けちゃったけど、もうあの時とは違うじゃん。ちゃんと居場所も出来たじゃん。だから大丈夫だよ。」
「……でも」
「何の為にここまで逃げてきたんだよ」
私は語気を強めて言った。
「お前、何の為にあそこから逃げたんだと思ってんだよ」
「……檸檬?」
今にも消え入りそうなくらいか細い声が、私の名前を呼んだ。
「大丈夫だよ、蜜柑。」
私は、血が付いた蜜柑の両手を、自分の両手で包み込んだ。痛々しい膝の傷から、赤い血が垂れた。
「れも――」
「蜜柑っっ!!」
私は前に飛び出した。蜜柑の背後に、人影があったからだ。小さくてよく見えなかったけど、あれは林檎と苺だ。と言うか、その2人以外有り得ない。
だけどそんなのどうでもいい。私が許せないのは、2人が蜜柑を狙った事だ。
「くっ……そ野郎……」
私は左足で着地しながら、ガラガラの声を絞り出した。変な方向に捻れて着地したせいか、ピキッと鋭い痛みが左足首を襲う。
「檸檬っ!!」
蜜柑が倒れ込んだ私を支えてくれた。
「檸檬、足に――」
言われるままに見てみると、私の左の脹脛には、直径7センチくらいのガラスが突き刺さっていた。
あ、刺さってるんだ。実感が湧いた途端、物凄い痛みが全身を駆け巡った。
喧嘩で慣れてるはずなのに! こんなに痛いのは初めてかもしれない。
「いったぁあ……」
思わず情けない声を上げながら、私はガラスを引き抜いた。気持ち悪い痛みが走った。血はそんなに出なかった。
「れ、檸檬!」
「大丈夫、だいじょぶだ、蜜柑」
私は額に脂汗を浮かべながら笑って見せた。
「それより、蜜柑が無事で良かったよ。だってほら、私、アイツらが蜜柑を傷付けたりしたら、本気で殺してたかもしれないじゃん」
蜜柑を狙ったってだけで殺したい気分だけど。
「そんな、だって……」
蜜柑は顔を真っ青にして震え出した。
「いや、いや……」
がたがたがたと激しく震えながら、胸元を爪でカリカリと掻く。
「み、蜜柑っ!?」
これ、まさか――
「蜜柑、落ち着けっ、深呼吸しろ!」
私がそう言っても、蜜柑は頭をぶるぶると振るだけだった。
不規則な呼吸の音が聞こえる。北風みたいなその音は、決まって蜜柑がパニックになった時に現れる症状だった。
「いや、いや、檸檬!」
蜜柑は胸をぎゅうっと抑えながら、地面に倒れ込んだ。
「蜜柑っ……!!」
✡
「……これで、満足なのかよ」
ベッドに横たわりながら、開いた唇の隙間から声を漏らした。
何がしたいんだよ。私に怪我をさせて、蜜柑を発作起こさせられたら満足なのかよ。意味分かんねぇ。
足、痛いし。だけど、蜜柑が心配するから言えないし。
病院、明日行こう。蜜柑が学校行ってる間に。
そうだ、あの小学生の日。私はクラスメイトの女子に蹴られていた蜜柑を庇って、捻挫した事があったんだ。それも、左足首。
自分のせいで私が怪我をしたと、蜜柑は自分を追い詰めた。自分がしっかりしないから、私が怪我をしたんだって。
絶対わざと狙ったよな、アイツら。確かあの中に林檎も居たし――くそ、また腹立ってきた。
いっそのこと、庇わなきゃ良かったのか? 蜜柑を狙ってたんなら、蜜柑が怪我をすれば、蜜柑だって傷付かずに済んだ――だけど、きっとあの2人は、攻撃されそうになった蜜柑を私が助けるのを狙ってたんだ。あの日と同じように。
万が一上手くいかなくても、蜜柑が怪我をしたら私が怒り狂う。どっちにしろ、最悪の結果になる。
だけど、私はこれで良かったって思ってる。蜜柑が怪我をしなかったんだから。
私は、だけどな。
蜜柑はきっと、後悔してる。
……くそ。もう訳が分からない。
どうすりゃいいんだよ。
私は一心不乱になって、机の上に置いてあったカッターを握り締めた。
出しっぱなしの冷たい金属の刃が、ヒリヒリと痛む手に当たる。




