*episode.27 目の前の悪魔
「はぁああ!? 何してんのよ、あなたは馬鹿なの!?」
耳がキンキンするくらいの大声で、受話器が叫んだ。
否、受話器の向こう側に居るくーちゃんが。
塾が終わったであろう時間に電話をして、放課後に浅黄姉妹に呼び出された時に、戦っていたところを見たと言われたこと、それから黄色と橙色の闇は2人の小学生の時のクラスメイトだったこと、そして私が誤魔化すために嘘を吐いたことを話したんだ。
当然くーちゃんは驚いたり呆れたり怒ったりして、もうわけが分からなくなってる状態。塾の後で疲れてるっていうのに、私の話をちゃんと聞いてくれた。
「でも、私もあなたと同じ状況になったら、きっとその場しのぎで嘘を吐いていたかもしれないわ。私だって自分がこんなことになるなんて思いたくもなかったし、実を言うと桃音の闇と遭遇すするまで信じてなかったもの……。あなたの判断が正しいかは分からないけど、きっと、今はこれで良かったんだと思うわ。
……そう、思いたいわね。」
くぐもったくーちゃんの声が頭の中でハウリングする。
檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんは、光のことを信じたくないって顔をしていた。でも、いつかは知らなくちゃいけないし、2人も戦わなくちゃいけない時も来る。
それならやっぱり早めに話した方が良かったのか、それとも先延ばしにして、2人が受け入れてくれるのを待った方が良いのか。
……分からない。だって私もくーちゃんも、檸檬ちゃんでも蜜柑ちゃんでも、2人の気持ちが分かる黄色と橙色の妖精さんでもない。
……ん? 黄色と橙色の妖精さん?
「あっ」
私は小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「私、いいこと思い付いちゃった!」
夜の部屋に、私の声が高々と響く。
「どう、妖精さん? 聞こえた?」
「あァ、バッチリだ。」
妖精さんは頼もしい表情で頷いた。
「それじゃ、よろしくね!」
「おう、任せとけッ」
星も月もない無地の紺色の空に吸い込まれていく妖精さんの姿を見送りながら、私は見えない星に願った。
どうか、檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんが、光のことを受け入れてくれますように。そして、私たちと一緒に戦ってくれますように。
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結界のような不思議な空間――この間の黄色と橙色の光の夢の時に居た空間に、妖精さんが飛び込んだ。ここが一体何なのか、そしてここに入るとどんなことが出来るのかは、私には分からない。
早速妖精さんが、姿の見えない黄色と橙色の妖精さんに話し掛けた。
「……一体何があったんだよ、成長はもう終わったんじゃなかったのか?」
「ごめんね。黄色と橙色の光が、少しだけ曇ってしまったの。」
返ってきた弱々しい声に、妖精さんはむっと顔を顰めた。
「おいおい、まだ覚醒もしてないじゃないか。勘弁してくれよ……」
額に小さな手を当てて、深い溜め息を漏らした。
「ワタシにも原因が分からないの。だけどきっと、2つの光のバランスが崩れてきてるの。」
「それって、黄色と橙色の光はお互いを支え合ってバランスを保たないといけないってヤツか?」
「多分そう……。だからお願い、もし次闇が結界を張ったら、2人のことを説得して。そうしたらワタシも、きっと完全に成長を遂げることが出来るから。」
必死な声で懇願してくる黄色と橙色の妖精さんに、妖精さんは優しく頷いた。
「……分かった。ワタシ達に任せとけよ。」
この空間が、じんわりとぼやけていく。
「ありがとう。2つの光を、……よろしくね。」
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「……な、何なんだよ桜澤、嘘だって言ってたじゃねえかよ……」
「あはははは……ご、ごめんね、檸檬ちゃん」
へらへら笑いながら頭を掻く桜澤は、一昨日と同じ、あのヘンなワンピースを着ていた。そしてその両腕は、しっかりとアイツらに握られている。
その隣には、悔しそうに歯を食いしばりながらアイツらを睨み付ける赤羽も居る。桜澤と色違いのワンピースを着ている。
元気ハツラツで何にでも興味ありそうな桜澤ともかく、あの真面目でふざけたりしない赤羽が、コスプレ……?
「やっぱり、夢なんかじゃなかったんだ……」
青ざめた顔の蜜柑が、隣でふるふると震えていた。
そんな私達を嬉しそうに見るコイツらも、一昨日と同じだ。
小学校の時の、クラスメイト。
「ふふっ、久しぶりだね、檸檬ちゃん。」
「蜜柑ちゃんも。元気だった?」
陽気に話し掛けてきたけど、そんな作り笑いに騙されたりなんかしない。
コイツらは、裏でいじめを指導してた奴らなんだ。クラスメイトに蜜柑に怪我をさせるように指示してたのはコイツらだった。
蜜柑の前だったからさっきは知らないふりをしてたけど、私は知ってる。大人しくて気の強い奴に従う事しか出来ない奴を捕まえて、問い質したことがあるからだ。
バレてないとでも思ってるのか、コイツらは。それとも何か裏が――いや、あるに決まってるだろ、目の前で拘束されてる桜澤と赤羽がその証拠だ。
「元気な訳ねぇだろ、誰のせいで引っ越すハメになったと思ってんだよ!!」
私は蜜柑が居ることも忘れて、怒鳴り散らした。
とにかく許せない。私達があそこから離れた今でも苦しんでるってのに、何の不自由もなくのうのうと生きてるコイツらが、とにかく――!
ふざけんな。今度はせっかく心を開いた奴にまで手を出したってのかよ。
何でそこまで執着するんだ、コイツらは。私達が仲が良い姉妹だから? それだけでどうしてここまで出来るんだよ。
「分かってるわよ。だからこうして会いに来てあげたんじゃない。」
何度も見た自信に満ち溢れた顔が喋る。
麻生林檎。背が高くて美人で、一見大人しそうに見える。けど、1番タチが悪いのがコイツだ。大人の前ではいい子ぶってるから、チクったって相手にすらされない。私がこんなんだからってのもあるけど、とにかくコイツは猫を被るのが上手かった。
もう一方は松田苺。引っ込み思案で見るからに暗そうな奴で、クラスメイトに馴染めてなかった。蜜柑が話し掛けると嬉しそうに笑ってたくせに、林檎と仲良くなった途端蜜柑を邪魔者扱いしやがった。恐らく林檎の言いなりになってるんだろうけど、そんなの知ったこっちゃない。前は蜜柑にべったりだったくせに、他の友達が出来たからって簡単に捨てたのが許せなかった。
大嫌いな2人の姿が、目の前にある。
夢に何度も出てきて、何日も何日も私と蜜柑を苦しめてきた悪魔が、今、目の前に。
――殺すしかないと思った。
コイツらが生きている限り、私達は安心して眠れもしない。いつ街で遭遇するか、いつまたいじめられるか、もしかしたらここまで追い掛けてくるんじゃないかって、毎晩毎晩魘されてた。夜中眠れない時は、蜜柑と手を繋ぎながら一緒に泣いたことだってあった。
そして今、目の前に現れたんた。それにこの様子だと、追い掛けてきたみたいだし。
「お前らほんとにふざけんなよ!! 今すぐ目の前から消えろよ!!」
私が叫ぶと、林檎と苺は面白そうに笑った。
何がおかしいんだよ、畜生。
「消えろだなんて酷い。中学生になっても口が悪いのが直らないお姉さんなんて嫌だよね、ねぇ、蜜柑ちゃん」
苺がにやにやしながら蜜柑を見る。私に隠れながら下を見ていた蜜柑の肩が、びくっと跳ねる。
「蜜柑に話し掛けんな!」
「わっ、怖い怖い」
苺は面白おかしそうに笑う。くそ、おちょくってやがる。
何なんだよ。12歳の女が2人だけで桜澤と赤羽を見付け出して捕まえて? この間のアレは何なんだよ。何で桜澤と赤羽はこんな格好してんだよ。それに私の目がおかしくないなら、景色の色がなくなってる気がするんだ。
「お前ら、桜澤と赤羽に何する気だよ!!」
「へぇ、この子達と知り合いだったんだ。」
林檎は目を丸くして桜澤と赤羽を見下ろした。
「びっくりだね。まさか接点があったなんて」
苺も手を口元に当てて笑っている。
「ふざけんなよ、私達と関わってたからコイツらに手を出したんだろ!! 分かってんだよ、お前らの考えてることくらい!!」
私達が誰かに手を差し伸べられたら、それを毟り取るくらい簡単にするんだろ、お前らは。意味分からない理由であんなに蜜柑を痛め付けてたコイツらなら、やったっておかしくない。
それでも林檎と苺はしらばっくれる。
「この子達に手を出したのは、この子達が光の戦士だからよ? 何訳の分からないことを喚いてるの?」
光の戦士? 何だそれ。
「訳分からないのはそっちだろ!!」
ギッと2人を睨む。
「あれぇ、光のこと、まだ何にも知らないんだ?」
「知るかよ!!」
何なんだよ、ヒカリって。それに何の関係があるんだよ。
「ふぅん。それじゃあちゃぁんと教えてあげないとね。」
「そうね、きっと聞いたら耐えられなくて簡単に闇に染まっちゃいそうだけどね。」
「檸檬ちゃんって、粋がってても根は弱いものね。もしかしたら蜜柑ちゃんの方が強かったりして。」
「ははっ、それ有りうるね」
楽しそうに笑う2人の会話を聞きながら、私は全身が痙攣するくらい力を入れた。怒りが収まらない。
「光の戦士っていうのはね、世界を守る正義のヒロインなんだよ。この2人と、檸檬ちゃんと蜜柑ちゃんと、他にも3人居るの。」
は? 戦士? 世界を守る正義のヒロイン??
ちょっと待て、これって私の頭がおかしいんじゃないよな。誰だって理解できないよな。
こんな現実じゃ有り得ないファンタジーアニメみたいなことを真顔で言っているコイツらは、本当に何を考えているのか分からない。冗談にしろそうじゃないにしろ、コイツらがおかしいのは本当みたいだ。
「地球を滅ぼそうとする悪の組織が居てね。その人達と戦わなくちゃいけないの。その戦う相手が私達、闇。」
「闇は光を強く恨む人間に寄生して、光を倒す力を与えられる。」
待てよ。何でお前らが私達を恨むんだよ。逆だろ。
『だから、あなた達は命を掛けて戦わなくちゃいけない!!』
2人は口を揃えて高らかに言い放った。
「そんな話信じるかよ!」
ガチで頭おかしくなってんじゃねぇのか、コイツら。
「光の力を受け入れないと、あなたも純真な光にはなれないよ?」
「純真な、光……?」
「ちょっと、桃音の前でその事を言わないでよ!」
今まで黙っていた赤羽が叫んだ。
「くーちゃん、いいよ、本当の事だもん」
それに下を向いて辛そうに笑いながら答える桜澤。
「純真じゃない光は、一昨日のこの子みたいになっちゃうんだよ」
苺が視線を桜澤に移す。脳裏に焼き付いた、血に塗れて倒れ込んだ桜澤は、ぴくりとも動かない。
一昨日盗み見してたことも気付いてたのかよ。
そう言えば、あんな量の血を浴びてた桜澤は、死んでないはずないよな? 何であの時いきなり起き上がったんだろう。
蜜柑も同じ事を疑問に思ったらしく、小首を傾げながら恐る恐る訊ねた。
「さ、桜澤さん、死んじゃったりしてないですよね……?」
「死んでないよ。あの血は本物じゃないから安心して。それに目の前に生きてるじゃん。馬鹿だね蜜柑ちゃん。って言うか、何で敬語なの、蜜柑ちゃん?」
蜜柑が怖がってること分かってるくせに……。
「それじゃあ、桜澤さんは無事なんですね……」
だけど、蜜柑は安堵したように溜め息を吐いた。馬鹿なんて言われた、そんな事も気にならないくらい、蜜柑は心の底から安心した顔をしていた。
「……でも」
ヒュッと目の前を何かが掠めた。
「……ひっ!!」
驚いて飛び退く蜜柑。私も身体を硬直させながら、ロボットのように首を動かして、アイツらを見た。
「びっくりした?」
林檎が得意げに目を輝かせて笑う。
「もし今のが命中したら、あなた達なんかかーんたんに肉塊になっちゃうんだからね!」
苺もにやにやと笑いながらそう言った。
「ふざけんなよ……!」
腹の底から熱くてドロドロした何かが湧き上がってきた。真っ黒で汚くて、まるで――
「お前らそっくりだよ」
地面を睨み付けながら、そんな言葉が出てきた。だけどアイツらには聞こえてないみたいで、表情を変えないままずっと私を見ている。
何見てんだよ、気持ち悪い。吐き気がするからこっち見んな。
絶対に許さない。誰が何と言おうと、死ぬまで――いや死んだ後もずっとずっと呪ってやる。精神が掻き乱されて頭が狂っても、どんなに痛くても一生死ねないようにしてやる。自殺も出来なくしてやる。
絶対。絶対。絶対――
「……檸檬、ちゃん?」
桜澤の声で我に返った。顔を上げてみると、そこに居る全員がじっと私を見ていた。
桜澤も、赤羽も、林檎も、苺も、そして蜜柑も。
「な、何だよ」
何でそんな目で見るんだよ。
「それ」
赤羽が汗を垂らしながら私を指差した。その細くて白い指先は、微かに震えている。
「まさか、檸檬ちゃん――」
林檎と苺の表情が、みるみる嬉しそうに釣り上がっていく。
『檸檬ちゃんが、闇に染まった!!』