*episode.1 2番目の光
私の名前は、桜澤桃音。今日から中学1年生になるんだ。
長い紅茶色のツインテールが特徴的で、もう何年も切ってないから腰まで伸びてる。
私は嬉しくなって、思わず制服を抱き締めた。
全身鏡の前に立って、まだゴワゴワとした手触りの真新しい制服を胸に当ててみる。
小学4年生の頃からずっと憧れてきた私立青空学園に入学出来ることになったんだ。小学校生活最後の2年半を全部受験勉強に費やしたおかげか、勉強が大の苦手な私でも合格することが出来たんだよ。超絶ガンバったんだ。
よく通学路で見掛けていた、綺麗で素敵なお姉さん達。その姿を見るたびに、憧れの気持ちはどんどん膨らんでいった。
友達に訊いて、青空学園の生徒だって分かった時から、ずっと勉強漬けの毎日だった。
大好きだったお稽古は全部止めて塾オンリー、高学年は勉強の思い出しかないくらい。
「叶うまで努力し続ければ叶うって、お父さんの言ってたことは本当だったよ」
私はいつものように、微笑むお父さんの写真の前で、笑いながら手を合わせた。
中学生になったからって、毎日の日課は変わらないよ。こうしてお父さんは、いつでも私のことを見守っててくれてるんだもんね。
目の前がじんわりと滲んで、頬が少しだけ痒くなった気がした。
「桃音ー、早く準備しなさーい!!」
1階からお母さんの声が聞こえてくる。
やだなぁ、そんなに慌てなくてもまだまだ時間は――ってもう7時!?
壁掛け時計の針は、間違いなく7時を差していた。
もうそんな時間なの!?
嘘でしょ、起きた時は6時前だったのに!!
寝間着を脱ぎ散らかしながら制服に腕を通す。
……そう言えば、昨日の夜、絶対に遅刻しないようにって時計の針は秒単位で合わせたんだった……。
ドタドタと音を立てながら着替えていると、硬いものにつまづいて転びそうになった。
「もう、一体誰よこんな場所に鞄置いたの!!」
私は怒りながら通学鞄を蹴散らした。
ここに置いたのは私なんだけど、そんなこと今は気にしてられないない!!
「もう、小学生じゃないんだからしっかりしなさい」
「は~い……」
お母さんに窘められながら朝食を食べた。
私の家から青空学園までは、徒歩30分くらい掛かるんだって。少し時間は掛かるけど、電車やバスに乗るのはちょっと勿体ないんだよね。
ダイエットにもなるから、歩いて通うのもアリかな。
でも、自転車通学が禁止なのはやっぱり惜しいかなぁ。
✡
歯を磨いて髪を2つに結んで、私は家を出た。
暖かい日差しがさらさらと靡く紅茶色の髪を照らして、満開の桜の花が春風に乗ってゆらゆらと落ちている。何だか絶好の入学式日和。
「私もついに、青空学園の生徒になるんだ」
嬉しさの余り、自然と言葉が零れてくる。
まるで箱の中から入り切らないお菓子が溢れてくるみたいに、嬉しい気持ちが膨らんでくるんだ。
校舎が見えてくると、ここでいきなり緊張感が襲ってくる。
足ががくがくと震えてくる。
き、きっと武者震いだよね。きっとそう。
鼓動がドキドキ音を立てて、胸が張り裂けそうになる。一生分の鼓動を使い果たすんじゃないかってくらい、心臓は激しく踊っている。
私は大きく深呼吸をして、青空学園の校門を潜った。
✡
青空学園にの敷地入ってからは、もう何もかもが夢みたいで、自分が立ってる場所も、周りの景色も、来ている制服も、全部が嘘みたいで。半ば放心状態で入学式を迎えた。
夢心地のまま家に帰ってくる。
「ただいま~」
家に入って、何気なく口に出してみる。お母さんは勤務中だから誰も居ないのは分かってるけど、やっぱり寂しいのかな、返事が欲しくて言っちゃうんだ。
「……おかえり」
虚しくなって自分で返してみたけど、もっと虚しくなっちゃった。
諦めてローファーを脱いだその時だった。
心臓がどくんと大きく波打って、心臓の底からキラキラと煌めく何かがぐんぐんと伸びてくるような感覚に襲われたんだ。
目眩がするくらい眩くて、目に見えないのに目が開けられないくらい眩しくて。
それは止まることなく上へ上へと突き進んでいく。私の頭の天辺を目指して。
そして、脳味噌を突き破って――
目の前が真っ暗になった。
✡
『……て、…………て』
誰かの声が聞こえてきた。
今にも泣き出しそうな弱々しく不気味な声に、私は身震いした。
「あなたは、誰?」
私の声に答えてくれることもなく、その声はすぅっと闇に溶け込んでいった。
「……待って。」
手を伸ばしてみたけど、届かなかった。
代わりに、手の中に温もりが生まれた。
✡
「……ぅう」
意識がゆっくりと戻ってくる。
頭の中が混沌としていて、何だかぐちゃぐちゃしてて気持ち悪い。
身体がもぞもぞして、ふわふわしたものが脚に触って――
……これは、何?
袖と裾がふんわりと膨らんだミルク色のワンピースに、夜空のように煌びやかに輝くベール、胸元には大きなリボンと羽根の生えたハートの石……。
今まで青空学園の制服を着てたはずが、見たこともない姿に変貌していたんだ。
????????
「な、な、……な、
何これぇええええええええっ!?
何この衣装、すごく可愛いけど……でも何でこんなもの着てるの!?」
思わず叫びながら、小さい頃に日曜日の朝に放送していてた魔女っ子アニメを思い出す。
……あれにかなり近いよね。なんか怖い怪物を倒して世界を救う~ってやつ。
そのアニメに登場したキャラクターも、初めて変身した時は驚いてたっけ。
……じゃあ私も変身しちゃったってこと?
うそうそ、何で!?
混乱しながらワンピースに手を当ててみた。
手触りに違和感はないけど、それ以前にこの現象は何なのかが謎過ぎるよ――
ブワッッ
混乱しながらスカートの裾を摘んでいたら、いきなり目の前が灰色になった。全てがモノクロになったみたいに、色の濃淡は分かるのに、色はまるで認識出来ない。
一体何が起こってるって言うの~!?
混乱で頭が追い付かないよ――
「……あれ?」
手の中に何かがある。知らない間に何かを握っていたんだ。冷たくて固い感触がする。
手のひらをゆっくり開けてみると、ぶわっと閃光が溢れ出した。――
「目……目がっ」
目が潰れちゃいそうなくらい眩いその光は、徐々に輝きを失っていく。
恐る恐る目を開けて見てみると、それは真ん丸の玉が付いた鍵だった。小さい金色の冠と真っ白いふわふわ動く羽根を付けていて、とってもファンシー。
何だろう、すごい重たい。こんなに小さいのに、どうしてだろう。
「……やっぱり今日だったのか」
ドアの向こう側から声が聞こえてきた。
「誰?」
この現象のことを、何か知ってる人かもしれない、なんて小さな期待を胸に、外に飛び出してみた。
予想通り、私と同い年くらいの女の子が、お向かいの家の屋根に仁王立ちしていた。
……え。しれっと言っちゃったけど、屋根?
「あの、落ちちゃいますよ!?」
誤って足を滑らせたりしたら怪我じゃ済まされないよ。最悪命も……ぶるぶる。
それにこの女の子、どこかで会ったことがあるような……?
「……やっぱり記憶はないんだ。当たり前か、あんたは所詮ただの人間だもんね。力を手に入れたからと言って大して変わらないもんね」
記憶? 記憶ならちゃんとあるんだけど…
「……まあいい、何も知る必要はないさ。真実を知る前に、今ここで私が存在ごと抹消してあげるから――」
「……ぅゎぁぁぁぁぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「……え?」
女の子の語尾をかき消す勢いで、何かが物凄い勢いで落ちてくる音と、凄まじい叫び声が聞こえた。
それは、私の頭上から、どんどん近付いてきて__
「――ってひぇええええええ!」
私めがけて何かが落っこちてきてる!?
よ、避けなきゃ……でもそしたらあの落ちてくる生物はどうなるの?ええとええと、とにかく何かクッション見たいな物を――
「あっ」
時すでに遅し。気が付いた時には、私と謎の生物は鈍い音を立てながら顔面衝突していたんだ。
「ったっ……」
その生物を顔面でキャッチした私は、そのまま尻餅をついて倒れ込んだ。う〜、くっついていてなかなか取れない。ぐ、ぐるじぃ……。
「っぷはぁ!」
何とか引き剥がしたけど、顔の皮も一緒に取れそうなくらいだったよ。
改めて降ってきたその生物をじっと観察してみる。
真ん丸の頭に、2本だけ飛び出した髪の毛らしきもの。見た目は人間に似ているけど、こんなに小さいんだから、人形かぬいぐるみなのかも。
「いたたたた……くそ、失敗したッ」
んんん……今、喋った…………?
「……ぬいぐるみ、さん?」
恐る恐る訊ねてみると、その生物は顔を真っ赤にして激怒した。
「ワタシはぬいぐるみなんかじゃない、妖精だッ!!」
妖……精? あの魔女っ子アニメの定番の……。
やっぱり魔女っ子アニメの世界に入っちゃったのかな、私。
「『魔法の力で妖精の国を救って!』ってことかな?」
「何を馬鹿なことをほざいてる! お前の住むこの地球が危ないんだよォ!」
妖精さんは唾を飛ばす勢いで、物凄い剣幕で叫び散らした。
「……へ?」
地球が、危ない?
「地球温暖化?」
「だーかーらー! この地球がアイツらに滅される前に、ワタシ達が早めに対策を練ってだなぁ――」
ビュッッ!
何かが空を切った。すれすれで避ける私と妖精さん。
靡いた髪の幾本かが持っていかれ、ばらばらと地面に落ちた。
「ええええ、今の何!?」
私の髪の毛がぁあ!
「落ち着け!」
「落ち着けないってば!」
「髪なんか後でいいだろ!」
「話は後にしてもらおうかな。お前が来きてくれたのは好都合だよ、ゆっくり楽しませてもらおうかな」
今まで黙っていた女の子が、腕を組みながら近付いてくる。何だか物凄い殺気が……。
「ふん、ワタシには生憎お前なんかの相手をしてる暇なんかないんだよ」
「妖精の分際で何をっ……!」
「そうやってワタシ達を甘く見てるから逃がす隙を与えちまったんだよ」
睨み合う2人。
「あのー……私は元に戻れるんだよね?」
「保証は出来ないぜ……お前次第だな」
「えー、私戦うのぉ? 無理無理無理」
私普通の女の子だし、運動も苦手な方だし!
「話を最後まで聞けッ! 今日のお前にはまだあいつの相手は早すぎる。ワタシが殺るから、お前は自分の安全を最優先しろ!」
「う、うん……。でもそんな小さな身体で本当に大丈夫なの?」
「だから妖精を甘く見るなってのォ……」
「ご、ごめんなさい……」
心配しただけなのに怒られちゃった。少し理不尽な気がするなぁ。
「下がってろ、ここに居たら死ぬぞ」
妖精さんが、スッと私を庇う形で手を差し出した。
次の瞬間、耳がビリビリするくらい大きく凄まじい爆発音が鳴り響いたんだ。
思わず耳を塞いで目を瞑る。砂ぼこりや瓦礫が大量に落ちてきて、私の頭をごつごつと殴っていく。
既に身体のあちこちが痛くなってきていて、私は慌てて立ち上がり、小さな金属の鍵をワンピースのポケットに突っ込んだ。恐怖で震える両膝を叩きながら必死に歩く。
薄目を開けて隠れる場所を探して、なんとか塀同士の隙間に身体を滑り込ませた。
ふぅ、良かった良かった。
……いや、良くないよ。
妖精さんと女の子は、土煙で見えないくらい激しく戦っている。時々銃を撃つような音や、何か硬い物が折れるような音も聞こえてくる。
音がもう冗談とは思えないくらい……。これを女の子向けで流したら放送事故、いや放送禁止レベルだよ。
「あんたはいつもいつも私達の邪魔ばかりして……今この場で消えて!」
「何言ってんだよ、この地球を滅ぼすって方がよっぽど迷惑なんだよ!」
「こんな穢らわしい人間で溢れた地球なんてなくなったてどうでもいいわ!!」
「お前は人の迷惑になることしか考えられねェのかよッ!」
妖精さんの一言に、銃声が一瞬止む。
「……地球は……この地球は……」
2人の会話が私にも聞こえてくる。
周囲の建物や電信柱が薙ぎ倒されていき、電線から火花が上がり、家々は瓦礫の山と化していく。
このままじゃ私の家まで壊されちゃう!
「やめて────っ!」
私が塀から飛び出した次の瞬間、煙がぶわっと宙に舞い散り、中から女の子と妖精さんが現れた。
「ちゃんと隠れてろって言っただろ!」
「でも……あっ!」
妖精さんが私に気を取られている隙に、女の子が妖精さんの背中に手を向けた。
「危ないっ!」
女の子の両の瞳が銀色に光る。私は反射的に物陰に頭を隠すと、言葉では言い現せないくらいの、鼓膜が破れそうなほどの大きな衝突音と爆発音がしたんだ。私は反射的に塀の間に滑り込む。
その後は、叫び声も何も聞こえなかった。ただ、ぼふっと鈍い音がしただけだった。
私は恐ろしくてその光景を見ることが出来なかったけど、多分妖精が攻撃されて、墜落しちゃったってことはなんとなく分かった。
あんな小さい身体で、あんな高さから落ちたとしたら――
わ、私のせいで!
「ふん……今日はこのくらいで済ませてあげる。けど次は必ず抹殺してあげるから!」
女の子はそう吐き捨てて、残像を残して消えていった。
まるで今までの戦いが嘘だったみたいに、辺りはしんと静まり返った。
……終わったのかな。身体中のジクジクと痛む部分を擦りながら、塀から顔を出してみる。
「……くッ」
瓦礫の山の上を歩いていくと、妖精さんが血がどくどくと流れ出る頭を押さえて、よろよろと立ち上がった。リアルな血に一瞬たじろいたけど、一刻も早く手当てをしないと大変なことは私にも分かった。
いくら妖精さんでも、血がたくさん出たら死んじゃうかも知れない。
「大丈夫か……」
妖精さんはぼーっとした虚ろな目で私を心配してくれた。自分がこんなになってるのに、私の心配をしてくれるなんて……。
声にさえ出さないけど、きっと物凄くしんどいよね。声にもさっきまでの威力はないし、弱々しくて今にも消えてしまいそうなくらいだもん。
「こりゃいかん……」
私は妖精さんを両手で掬い上げ、家の中に駆け込んだ。
しっかりと鍵を閉めて、ヒール付きのブーツを履いたまま洗面所にダッシュする。
とりあえず妖精さんに付いた汚れをなるべ〜く優しく洗い落として、リビングに出る。
救急箱が入っている、食器棚の一番下の段を開けてみる。
「救急箱救急箱……」
膝を折ると、膝裏に激痛が走った。
あ、逃げた時に瓦礫が当たったのかな。何だか逃げ傷みたいで情けないなぁ。
「う……ぅッ」
妖精さんも苦しげに呻いてる。
「ま、待ってて、辛抱して、頑張って、気合いを入れて──っ!」
私は思いっ切り叫んだ。痛みと戦う自分と妖精さんを励ましたかったんだ。
既に虫の息の妖精を抱き上げて、なるべく手早く手当てをする。
包帯は大き過ぎるから、半分の細さに切って、なるべく解けないように、そして痛くならないように慎重に巻き付ける。
「……何をしてる」
「あっ、気が付いた!?」
良かった、死んじゃわなくて。
「……こんなことしなくても、ワタシは妖精だ……放置していれば時期に治る」
「そんなこと言って、死にそうだったじゃない! 妖精さんだからって調子乗ってると痛い目見るよ!」
「人間の分際で何を生意気なことをッ……」
「この格好でただの人間って言い切れる? ほらあーばーれーなーいーでーっ!!」
ばたばたと手足を振り回す妖精さんを必死に抑え込む。
「……そうだな、この際はっきり説明しておこう」
そしたら急に大人しくなって、何故かシリアスな雰囲気になる。
「せ、説明?」
「お前は、産まれた時から普通の人間じゃなかったんだ」
「……え?」
私が、人間じゃないって……どういうこと!?