*episode.16 結界の中で
今日は、朝から雨が降っていた。
霧雨程度なんだけど、やっぱり雨が降ってるとテンション下がるよね。
昨日の魔法のせいで筋肉痛になるし――昨日の夜の痛みなんかとは比べ物にならないくらい痛くて、痛みのあまり目が覚めちゃったくらい。おかげで寝坊しないで済んだけど、痛すぎて歩くスピードがかたつむりレベルになってる。
赤羽さんは、大丈夫かなぁ。
筋肉痛と戦いながらも、学校に着いたのは結構早かったみたいで、校舎内には生徒はほとんど居なかった。
なぁんだ、もっとゆっくりして良かったんだぁ。
なんて思いながら、教室に入った。
「あっ」
教室に入ると、目の前に赤羽さんが居た。赤羽さんの席は1番廊下に近い列の1番前なんだから、当たり前なんだけど。
昨日あんなことがあったんだから、今日は学校休むのかな、なんて思ってたけど、ちゃんといつも通りの時間に来たんだ……。
「おはよう、赤羽さん」
私から挨拶すると、
「おはよう」
赤羽さんも返してくれた。何だか少しだけ微笑んでるように見えた。
素直に嬉しかった。今までは私が話し掛けるとすごく嫌な顔をしてたから、こんな風に返してくれるのも、こんな風に笑ってくれるのも、心の底から嬉しいんだ。
でも浮かれてなんかいられないよね。昨日言えなかったこと、ちゃんと伝えないと。
「赤羽さん、あのね……」
いざ切り出してみるも、やっぱりちょっと言いにくい。昨日のことで赤羽さんも傷付いてると思うから、そこに遠慮なしに「私の仲間になって、一緒に戦って!」なんて言えないよ。
「何?」
赤羽さんは怪訝そうに私を見上げていた。
「ええと、ええと」
変な汗が噴き出してくる。どうしよう、何も考えずに言い出した私が馬鹿だった!!
「あ、後で。休み時間に言うねっ」
私はそれだけ言って、さっさと自分の席に向かった。
体中が、悲鳴を上げてるのが分かる。
✡
休み時間になった途端、私は教室を飛び出した。
赤羽さんに休み時間に話すねって言っちゃったけど、後回しにしてもその時になると逃げたくなる現象に襲われて、つい逃げ出してしまったんだ。
トイレの1番奥の個室に駆け込んで、便座の上にしゃがみ込む。
あ〜、こんな利己的な考えを赤羽さんに押し付けたくない!
でも、赤羽さんと仲間にも友達にもなりたい!
どうすりゃいいのさ、もう。
そう思いながらも、いつまでもトイレに籠ってるわけにはいかないから、結局決心がつかないままトイレから出てきてしまった。
優柔不断過ぎるよ。自分の情けなさが自分の思ってた以上だったもんだから、かなりショックだった。
これじゃ妖精さんがイライラするのも仕方ないわな。
「あの、桜澤さん……」
肩を落としながら廊下を歩いていると、いきなり名前を呼ばれた。心臓が口から出てきそうになるくらいびっくりして、振り返るとそこには、俯き気味で制服の裾を握り締めている赤羽さんが立っていたんだ。
「赤羽さん……」
マズイ、この状況でよりによって赤羽さんに遭遇するなんて! このまま次の休み時間まで乗り切れると思ったのに!
慌てふためく私を差し置いて、赤羽さんは話し始めた。
「昨日はごめんなさい。妹と1年ぶりに会ったから取り乱しちゃったの。」
赤羽さんは恥ずかしそうにはにかんだ。
あ、昨日のこと、気にしてたんだ……。
そうだよね、久しぶりに家族に会えたんだもん。きっとすごく嬉しかったけど、その分ショックも大きかったんだよね。
久しぶりに会ったら、妹が別人みたいになってたら、そりゃぁね。
「良いんだよ、家族ってすごく大切だもんね。」
「ええ、……それに、あのちびっこい生物から全て聞いたわ。
私に光が堕ちて戦士になったことも、これから妹と戦わなくちゃいけないことも。」
赤羽さんは真剣な面持ちになって、私を見据えてきた。その瞳には、何の揺らぎもなく、真っ直ぐに真実を受け止めた色をしていた。
やっぱりすごいよ、赤羽さん。一晩で受け入れられるなんて。
「私、朱を知らず知らずのうちに追い詰めていたのね。まさか自分が妹を苦しめていたなんて思いもしなかったわ。
償うためにも、私、あなたと戦うわ。」
赤羽さんの瞳に、吸い込まれそうになった。まるでさらの瞳が引っ張り出してるみたいに、目の奥からじんわりと涙が滲んできた。
「……うん。一緒に頑張ろう」
私は頷いて見せた。
「何だ、やっぱり現実だったのね、……そうよね」
赤羽さんが、そう呟いているような気がした。
「お、赤羽。昨日急に居なくなったらしいけど何してたんだ?」
赤羽さんの背後から、担任の鳳先生がやって来た。鳳先生の声に、赤羽さんの体が小さく飛び跳ねる。
「あ、先生。別に何でもないですよ、ただ桜澤さんとふざけてただけなので」
赤羽さんはまるで操り人形みたいな動きでくるりと振り返り、ぎこちない笑顔で説明し出した。
急に態度が変わっちゃったけど、どうしたんだろう。先生の前だから礼儀正しくしてるとかかな?
「そうか。具合悪い時は無理するなよ。桜澤もあんまり付き合わせるなよ」
鳳先生は一瞬驚いたような表情になり、私の頭を軽く叩いて、行ってしまった。
「は~、赤羽さんって本当に優等生なんだね。ふざけてたって言っただけで先生すごいびっくりしてたよ。
それに、あんな風に咄嗟に誤魔化せるのもすごいなぁ。私なら口が滑って言っちゃいそうだよ」
たははと笑ってみたけど、赤羽さんは反応なし。
「……どうしたの?」
声を掛けてみるけど、やっぱり赤羽さんは何も言わない。
でも、何となく分かるよ。赤羽さんがどうしてこうなっちゃったのか。
✡
赤羽さん。
赤羽さん。
赤羽さん。
その後の授業も、ずっと赤羽さんのあの表情が頭の中に残っていた。
表情って言うか、あの無感情な顔が。
鳳先生から話し掛けられた途端、声まで変わっていたんだ。
クラスメイトを避けているのは、小学校でのいじめが原因だって分かったけど、先生を避ける理由なんて――
「……あ」
あるじゃん、いじめが原因で先生が嫌いになる理由なんて。
✡
放課後。私は妖精さんに赤色の妖精さんを連れて来てもらって、結界を張ってもらった。
今は誰にも邪魔されたくないし、きっと赤羽さんもこの話は誰にも聞かれたくないと思ったんだ。
「苺野さん、どういうことなの? まさか闇が――」
「赤羽さん」
私は赤羽さんの言葉を無視して、問い掛けた。
「鳳先生、苦手?」
「……どうして今それを?」
赤羽さんは私を睨んだ。
「それを訊くためだけに、わざわざ結界を張らせたの?」
私は黙って首を縦に振った。
赤羽さんは一瞬目を見開いて、呆れたように溜め息を吐いた。
「あなたって本当にお人好しなのね! 呆れた」
「あ、あはは」
何て返したらいいのか分からないから、とりあえず笑っておいた。
「――闇と戦うわけじゃないのに、無闇に結界なんて張らない方がいいよ」
私が次の言葉を言おうとした時、別の声が頭上から聞こえてきたんだ。
「あっ、あなたは――」
この間妖精さんを苦しめた、私の闇の声だった。
「ふーん、赤色の光も覚醒したんだ。良かったね」
私の闇は真っ赤に染まった風景を眺めながらそう言った。
そうだった、結界が張られたことは、闇にも分かっちゃうんだった! 結界の中に入れるのは、私達光だけじゃないんだ。
目の前の問題に必死過ぎて、そんな大切なことも忘れちゃうなんて――本当に馬鹿だ、私!
「妖精さんまで油断してたみたいだね~。ま、それなら私としても都合い――」
笑い半分の闇の言葉はそこで途切れてしまった。闇の視線が赤羽さんに移ったんだ。
「な、何であんたが――」
私の闇は、目を見開いて赤羽さんを凝視する。赤羽さんは怪訝そうに闇を見上げてから、何かを思い出したように声を上げたんだ。
「あ、あなたもしかして――」
赤羽さんが言い掛けたその時、私の闇はそれ以上何もしてこないまま姿を消していた。
いきなり現れたと思ったら、いきなり消えちゃった。
「な、何だったの……」
「あの子、私知ってるわ」
赤羽さんはさっきまで闇が居た空間をじっと見詰めながら、ぽつりと呟いた。
「え、知り合いなの?」
赤羽さんはだまって頷く。
「ええ。多分だけど、塾で会ったことがあるわ。」
塾か。それって美雲塾のことかな?
美雲塾……確か雪帆ちゃんのお姉さんも美雲塾に通ってるんだよね。まさかとは思うけど……そんなわけないよねぇ。だって雪帆ちゃんのお姉さんになんて会ったこともないし、当然恨まれるようなこともしてないし。
それにしゅーちゃんなんてこともないよね。しゅーちゃんとは1年以上会ってないとは言え、顔を見ても分からないなんてことはないし、確かに雰囲気は似てるような気がするけど、あんな風に人を傷付けるような子じゃなかったもん。
それに、闇は光を恨んでいるとするなら――。
しゅーちゃんが、私のことを恨んでいるってことになる。
そんなことは絶対ないと思う。物心ついた頃から姉妹みたいな存在だったし、喧嘩することはあってもそのたびに仲良くなっていたもん。
いつも私のことを可愛がってくれて、忙しい時もたまに会えた時は声を掛けてくれてたしゅーちゃんが、まさか。
「それより紅、早く桃音に話しちゃおうよ。今度は赤色の闇に気付かれるかもしれない」
赤色の妖精さんが急かすと、ぼーっと宙を見上げていた赤羽さんははっと我に返る。そして私を見据えながら、口を開いた。
「鳳先生が苦手なのは確かだわ。でも、先生に限ったことじゃないの」
赤羽さんは目を伏せながら、ゆっくりと声を絞り出す。
「鳳先生に限ったことじゃないってことは、他の先生も?」
「ええ、……大人が苦手で。」
答えたくなさそうな顔をしつつも、すぐに返してくれた。
そして、ゆっくりと座り込む。私もその隣にしゃがんだ。
「大人……」
赤羽さんは自虐的に笑う。独特の影が堕ちている顔は、結界のせいか、夕焼けのせいか――真っ赤に燃えているように見えた。
その顔には、苦しげな表情が見え隠れしている。
「昨日、私がいじめられていたって言ったでしょう?」
「うん……」
赤羽さんの声が重たくなる。
きっと、私に話すのがとても辛いんだ。
でも、私は赤羽さんが言おうと思ってくれてるなら、例えそれが辛い事でも止めたりしない。
赤羽さんのこと、ちゃんと全部知っておきたい。
「教師は、気付いていたのに…………見て見ぬふりをしていたの。きっと、自分の学校の生徒がいじめをしていたなんて世間に知られたら、自分の人間としての立場が危うくなると思ったのよ。……子供はせいぜい自分にとって良いように見せるための引き立て役とでも思ってるんだわ」
赤羽さんば勢いよく立ち上がって、真っ赤な空に向かって叫んだ。
「周りの目ばっかり気にするなら、教師なんか辞めちゃえばいいのよ!
1人1人のことを全て見られなくても、せめて自分が見たことには目を向けなさいよ! どうして逃げるのよ!
自分の生徒を助けるのが教師なんじゃないの!?」
赤羽さんは胸に手を当て、荒くなった息を整え、再び叫んだ。
「先生のこと、信じてたのに……!」
赤羽さんは私に背を向けているから、どんな顔をしてその言葉を言ったのかは分からない。でも、その言葉が赤羽さんにとってどれだけ苦しいものなのかは、その声ですぐに分かった。
信じてた人に裏切られる気持ち、何となく分かる。
みぞおち辺りに冷たくて大きな石を落とされたみたいに、ずしっと重くなって、頭の中が冷たくなっていく感覚。
「それでも、私は子供達を守れる教師になるって決めたから、あんな人達に負けたりなんかしないわ」
私は呆然として赤羽さんを見上げていた。ううん、もしかしたら赤羽さんに見蕩れてたのかもしれない。
だって、その職業の人に、自分が辛いことをされたのに、その仕事に就きたいだなんて。私だったらそんな風に思えない。
きっと、教師がみんな悪い人だとは思ってないんだ。大人は苦手でも、みんながみんな悪い人なんじゃないって。
子供を助けることが、自分に出来るなら。
「……桜澤さんの夢は?」
赤羽さんは振り返って、私を見下ろしてきた。
「え?」
「桜澤さんに、将来の夢がないなんて考えられないわ」
ちょっと意地悪っぽく笑った赤羽さんは、今までとは別人のように思えた。
くくぅ、それにしてもプレッシャーを掛けてくるなぁ。
それでも、どこか吹っ切れた赤羽さんの表情を見ていたら、私も叫びたくなってきた。
立ち上がって、空を仰いで。
「まだ夢はないけど……まずは赤羽さんと友達になりたいかな」
「……桜澤さ、」
「ね、夢。言ったよ、これが私の一番の夢なんだから!」
私は赤羽さんの声を遮って、彼女の手を握った。泣きそうになる表情筋をフル活動させて、精一杯笑って、
「言わせたんだから、叶えてよね」
「……分かってるわよ」
赤羽さんの瞳から涙が零れ落ちた。
「……泣くなんて、桜澤さんらしくないわよ」
あ、私も泣いてたんだ。
私達は笑い合った。これでやっと、本当の友達になれたのかな。
これで、やっと第一歩が踏み出せた気がする。