*episode.10 冷たい心の奥の奥
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シャーペンを机の上に転がしながら、今日何回目かも分からない溜め息を吐く。
私の勝手な感情のせいで、赤羽さんを傷付けちゃった。ただそれだけがずっと頭をループしていて、思い通りにならないからってイライラしてた自分が無性に腹立たしかった。
はぁ。自己嫌悪だ。
優等生で勉強熱心な赤羽さんが授業を受けないなんて、余程のことがない限りは有り得ないよね。……やっぱり、あの発言はまずかったんだ。
結局、赤羽さんは午後の授業にも姿を見せなかった。保健室を覗く気力も無くて、私はそのまま校庭に出た。
「……無責任だ」
情けない。こんなのが地球を守る戦士だなんて馬鹿みたい。
……これはいかん、ネガティブな考えしか出来なくなってる。そう分かってても、落ち込んでる時は簡単には前向きになれないよね。だって、人を傷付けたんだもん。
「おい、何しけた顔してんだよ」
「え、妖精さん!?」
妖精さんが、私の頭上を飛んでいたんだ。
「どうしてここに?」
「赤色の光のことが気になってな。様子を見に来たんだよ」
「ふーん……」
一瞬でも期待してた私が馬鹿みたい。
もしかしたら、私のことを心配して来てくれたのかな、なんて思っちゃったじゃんか。今は妖精さんが心を読めなくて良かった。
「で、赤色の光はどうだ?」
「その赤色の光って言い方辞めてよ、赤羽さんって呼んで」
今はあんまり、光とか戦いとか、そんなことは考えたくないんだ。
「……赤羽と何かあったのか?」
流石妖精さん、鋭い。心は読めないとは言え、パートナーってだけはあるなぁ。くくぅ、何だか気付いてもらえて嬉しいような、知られたくないような。
「まあね、ちょっと。光のことで必死になり過ぎて、赤羽さんを傷付けるようなこと言っちゃったんだ」
悩んだ末、私は妖精さんに話した。何だか隠し事する必要もないような気がして。
妖精さんはしばらく何も言わなかった。腕を組みながら、私の歩くスピードに合わせてふわふわと飛んでいる。
怒られるのかな。まだ覚醒もしてない赤色の光の心を傷付けるなんて、って。
「……はァ……ったく、お前は自分の気持ちにも気付けないのか?」
妖精さんが口を開いて、私の頭をぺちぺちと叩き出した。
「……分かってるよ、そんなの」
妖精さんが何を言いたいのかは分からなかったし、言われてみれば私はこれからどうしたいのか、なんて全然考えてなかった。
「じゃあ、何でお前は赤羽の側に居てやらないんだ?」
「……そんなの分かんないよ」
私が責任から逃れたいから? 赤羽さんにこれ以上付きまとったら可哀想だから?
分からないよ。
「迷いがあるからだろ。」
妖精さんは静かな声で言った。
……やっぱり、何もかもバレバレだね。
本当に心読めてないのかなって疑いたくなっちゃうくらいだよ。
そうだよ、私は本当は赤羽さんの側に居てあげたいよ。少しでも赤羽さんのことを知って、少しでも力になれたら――気持ちが楽になってくれたら嬉しいなって。辛いことも、苦しいことも、全部、半分だけでも背負ってあげたい。本当は友達になりたいって思ってる。
「いつまでも迷ってても、ただしい答えは出せないんじゃないのか」
私は無言で首を縦に振る。
夕日が、校庭を橙色に染める。私の影が、長く伸びている。
私と妖精さん以外誰もいない校庭の真ん中で、私は必死に涙を堪えた。……何て酷い人間なんだろう、私。こんなに一緒に居たいって思ってるのに、何でそれが出来ないんだろう。
友達になりたいなんて嘘だから? 本当は一緒に戦ってくれる人が欲しいだけ?
「はぁ……こっちがイライラしてくるな」
「何で思ってること分かったの?」
「全部口に出てんだよ、うじうじうじうじ、そんなことにも気付けないのかよ」
妖精さんは心底不愉快そうに私をあしらう。
「……ここ、慰めるところじゃないの?」
「さっきも言ったけどな、こうやって迷って悩みまくった末に出る決断はな、大体間違ってんだよ」
「じゃあどうすればいいの!? 悩むのってそんなにいけないことなの?
悩んじゃだめなの!?」
どうすればいいのさ!
「それじゃあ妖精さんが正しい答えを教えて!
私は赤羽さんのところに行ってもいいのか、私は本当は赤羽さんのことをどう思ってるのか!」
涙がぼろぼろと零れた。いつの間にこんなに出たんだろうってくらい、たくさんの水滴が制服を濡らしていた。
ぼんやりとした視界に、はっきりとした表情の妖精さんが居る。
「答えを出す時は、迷いなんか捨てるんだよ。どっちが正しいか、どっちがベストかなんて考えるな。相手の気持ちなんて分からないんだから、どっちが正しいかなんて知るわけねェだろ。
お前が赤羽のそばに居たいなら居ればいい。拒まれたら素直に帰ってくればいい。
友達になりたいならなればいいし、仲間が欲しいなら仲間になってくれと頼めばいい。
お前の、桃音がしたいようにすればいいよ」
妖精さんは優しい表情で私の手を握ってくれた。
こんなに柔らかい表情の妖精さんを見たのは初めてかもしれない。言い方はキツイけど、言葉はちゃんと私の心に届いていた。
「……こうやって、感情を分かち合える友達が、これからたくさん出来るよ。……お前は誰よりも人の気持ちを考えられる。」
この時は、嬉しさでいっぱいで、どうして妖精さんがこんなことを言ったのかなんて考えられなかった。
涙が再び溢れてくる。これはきっと、悔しさや悲しみの涙なんかじゃないよ。嬉しい時にも、涙って本当に出るんだね。
――お前は誰よりも人の気持ちを考えられる。
妖精さんの言葉が、まるで紅茶に角砂糖が溶けていくみたいに、じんわりと染み込んでくる。
また溢れてきそうになる涙を必死に堪えて、私は何とか笑った。
「……妖精さん、私やっぱり赤羽さんのところに行く」
「そうか、でもいいのか?」
「うん、もし断られたら素直に出ていくから。やっぱり赤羽さんを傷付けちゃったんだから、相手の気持ち云々より、ちゃんと謝っておかないとって思って」
またしつこいって言われるかもしれないけど。私は今日中にちゃんと謝りたいから。
「そうだな。頑張れよ」
「うん、ありがとう」
私は急ぎ足で校舎に戻った。
「……やれやれ」
妖精さんが呟いた声は、なんだかどこかで聞いたことがある、懐かしい気がした。
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「赤羽さんっ!」
保健室の戸を叩いて、返事も聞かないまま勢いよく開け放つ。物凄い音を立てながら跳ね返ってくる戸を避けながら、保健室に駆け込む。
「赤羽さん、具合大丈夫!?」
「……桜澤さん!?」
赤羽さんは驚きの表情で跳ね起きた。ある程度、顔色は元に戻っていた。
「桜澤さん……どうしたのよ、もう下校時刻過ぎてるんだけど」
「えっと、その……謝りたくて、お昼のこと……」
真っ直ぐに赤羽さんの顔が見られなくて、思わず俯いてしまう。
「今までも、今日も――しつこく付きまとったり、嫌な事ことっちゃってごめんなさい」
しどろもどろになっちゃったけど、ちゃんと言えたかな。
「……あのことはもういいわ。私こそ急に大きな声出して驚かせてごめんなさい」
赤羽さんは苦笑して、少しだけシーツを握り絞めた。
その表情には、苦悶の色も少しだけ見えたんだ。
「ねぇ、赤羽さん」
「……何?」
「私ね、赤羽さんと友達になりたいって思ってたんだ。もちろん今も」
自然と思っていることが口に出てくる。
赤羽さんは、黙ったまま私を見詰めている。
「この前、鍵を届けてくれたでしょ? あれ、とっても大切な物だったの。それに、私が休んだ日も、わざわざプリント届けてくれたし。……あの時から、ずっと仲良くなりたいって思ってたんだ。
何か変だけど、特別な何かを感じたんだ。赤羽さんはきっと……几帳面で真面目だけど、優しくて思いやりのある人なんだなって……」
「そ、それは最初のイメージでしょ? 今は――」
「今もそうだよっ!」
私の声が保健室にこだまする。
「……え?」
「この1週間、ずっと話し掛けてきたよね。赤羽さんは迷惑そうにしてたけど……。でもね、それでも諦めなかったのは、本当に赤羽さんのことが好きって思ったからなんだよ! ちょっとは私のわがままもあるけど――本当に私のことが嫌いで鬱陶しいなら、そう言って。そしたら諦めて、もう話し掛けたりしないから。」
「桜澤さん……」
ここ1週間、最初は赤色の光である赤羽さんを監視するために話し掛けてきたけど、いつの間にかそんなことはどうでも良くなってたんだ。いつもいつも、こんなことのために監視して話し掛けたりするなんて嫌だなって思って。仲良くなりたい、一緒に戦ってくれるだけの仲間じゃなくて、一緒に笑ったり、助け合ったり出来るような関係になりたいって。
それに、赤羽さんは本当に私のことを嫌ってるようには見えなかったんだ。これはただの自意識過剰なのかもしれないけど、私を追い払った後の赤羽さんは、とても苦しそうな顔をしてるんだ。これはうざったいから、とかじゃなくて、今した事を後悔しているみたいな、悲しそうな顔。
表情なんて人それぞれだと思うけど、私にはそう見えたから。
だから。
「私、赤羽さんのこと、もっと……分かってあげられる人になりたいな」
一生懸命笑ってたはずなのに、私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「……止めて、もう止めて」
赤羽さんは掴んだシーツを眺めながら呟いた。
……今の、いけなかったのかな。
また、感情的になっちゃった。
「桜澤さん。私、桜澤さんのことが好き、本当は嫌いなんかじゃない」
赤羽さんはシーツ越しに膝を抱えながら話し出した。少しずつ声を絞り出して。
「本当はずっと仲良くなりたいって思っていたの。何回無視しても、まるで子犬みたいに何度も何度も私のところに来て、話し掛けてくれるのが嬉しくて嬉しくて。
……私には、今までそんな風にしてくれる人も、友達も出来たことなかったから」
赤羽さんは双眸に涙を浮かべていた。
夕日に照らされた頬に、透明の液体が伝う。まるで、彼女の心の氷が溶けたみたいだった。
「小学校では、勉強ばっかりする私は良く思われてなかったの。そのせいで何かあるたびに私は悪者扱いされて……。
所謂いじめってやつかな。暴言暴力は日常茶飯事だったから、それをずっと引き摺っていて、中学校でも友達は作らないって決めたの。きっと冷たく接していれば、いつかはみんな離れていくだろうって思ったの。
……でも、桜澤さんは違ったのよ。
どんなに冷たい私にも、何度も何度も――本当に楽しそうに子犬みたいに私のところに来て。
まるで太陽みたいだなって思った。私の心の氷を溶かしてくれるくらい暖かくて」
「……うん」
私の両目からも、再び涙が溢れてきた。
でも、何故子犬? と思ったけど、空気を壊し兼ねないから黙っておいた。
「桜澤さんほど、心の痛みを分かってくれる人は居ないわ。本当はずっと、助けてほしいって思ってた。
今も、ずっと死ぬことばっかり考えてたくらい」
「そんな――」
「死にたい」って言う人に、「そんなこと言っちゃだめだよ」なんて言えるわねがない。でも、何て反応したらいいのか分からなくて、私は何も言わなかった。
「だからね、まさか桜澤さんが来るなんて思わなかったわよ。本当、正義のヒロインにでもなったのかと思ったわ」
赤羽さんはくすくすといたずらっぽく笑った。
一瞬バレたのかと思ってギクッとしたけど、私もたははと笑った。
……きっと、赤羽さんがわざわざ東京から引っ越してきてこの学校に入学したのも、そのいじめが原因なのかも知れない。
「桜澤さん、ありがとう」
「ううん、私も。ありがとね」
赤羽さんの笑顔は、心の底からの笑顔には見えなかった。
でも、気が付かないふりをした。
きっと、まだ赤羽さんは完全には私に心を開いてないから。