現場検証
三月二十四日、二十一時四十二分。
所轄署経由で連絡が入り、佐久間と山川は渋谷区猿楽町の路地裏で変わり果てた安間圭介と対面した。
軌道捜査隊による初動捜査が行われているところに佐久間たちが到着し、佐久間の姿を見かけた鑑識官が慌てて駆け寄ってきた。
「警部、ちょうど良かった。これをご覧ください」
鑑識官が佐久間に線状痕の写真を見せる。
「・・・これは、もしや?」
「はい。山川刑事所有の拳銃三十八口径と一致します」
山川は動揺を隠せない。
「そんな馬鹿な!」
「慌てなくていい、山さん。回転弾倉の装弾は五発。山さん逮捕の日、既に四発なくなり、残り一発だった。山さんの拳銃はまだ警視庁内で厳重に保管されているし、四発中ニ発が前回と今回だ」
山川は、ホッとするが佐久間は正直戦慄を覚えた。
(まだ、本ボシはニ発所有していることに間違いないだろう。あとニ発、誰に使う?)
鑑識官と話す中、非常線の外側から泣き叫ぶ声が聴こえた佐久間は、思わず振り向いた。
(あれは、井上香織?)
佐久間は井上香織の元へ駆け寄り事情を聴いた。
「井上さん、何故あなたがここに?」
井上香織は佐久間を見ると泣きじゃくって胸元に抱きついた。
「あそこにいるのは、圭ちゃんでしょ?」
「・・・はい。ですが、見ない方が良いです。会わせて上げたいのですが、原型を留めていないんです」
「・・・はい」
「それよりも何故ここが?」
「一時間前まで、圭ちゃんと一緒だったんです。ランチマーケットで」
(ランチマーケット?斉藤啓二か?)
佐久間は、優しく両腕で井上香織の肩を支えるように手を置いた。
「失礼ですが、どんなやり取りを?教えてくださいませんか?」
「私がお店に行ったら、たまたま圭ちゃんがランチマーケットで飲んでいて。圭ちゃんと大きな声を掛けたら、圭ちゃんびっくりして。で、そのまま二人で飲んでいたら、圭ちゃん突然コンビニに忘れ物があるから取りに行くと言って出て行きました。すぐ戻ると言っていたのに、全然帰ってこないから探しに出て見たら、この有様です」
井上香織は、遠くに見える安間の足を見ながら泣き崩れた。
「井上香織さん。店内には誰か怪しい客はいませんでしたか?・・・例えは安間圭介が出ていった直後にいなくなった人間とか?」
井上香織はクビを横に振る。
「いいえ。ただ・・・」
「ただ?何でしょうか?」
「マスターが、私にカシスオレンジを持ってきてくれた時に、圭ちゃんにもテキーラご馳走してくれたんです。確か、サービスです。安間圭介さんと言っていました」
「・・・そうですか、他には何か気になったことは?」
「圭ちゃんが店を出る時、あまり聴こえは良くありませんが、一言マスターがお気をつけてと言ったような。・・・ごめんなさい。確証はないんですが」
「いいえ。参加になりましたよ」
「圭ちゃんとは、もう?」
「・・・鑑識に回してからなので、今夜は無理かと。明日警察病院で会える手配取りましょうか?」
井上香織は、その場で手を合わせ合掌し、涙を拭った。
「会いたいのは山々ですが、今の本命は中川智子さんだと思いますから、遠慮しておきます。中川智子さんには私からライン入れます。あの?」
「はい。佐久間まで連絡くださいと佐久間から依頼されたとお伝えください」
「・・・はい、ありがとう」
泣きながら現場を後にする井上香織に佐久間は一言だけ忠告した。
「井上さん、もう飲みにはしばらく行くの控えなさい。・・・あなたの為です」
「・・・?はい、わかりました」
二人の会話を聴いていた山川は、佐久間に尋ねる。
「尾行しますか?」
「いや、大丈夫だ。井上香織は斉藤啓二のことを勘ぐっていないから、身の危険を晒さないだろう。あの様子だと斉藤啓二も動いていまい。おそらく、斉藤啓二が本ボシに連絡したんだ」
「ちくしょうめ!」
山川は、路地裏にある看板を叩いた。
「やめたほうが良い、山さん。器物損壊と言われたくないだろう?我慢するんだ」
「・・・はい、申し訳ありません」
(本ボシは何を焦っている?我々が本ボシに近づいてきたからか?・・・やはり、捜査情報がどこかから漏れているか、井上香織や坂田美雪経由で斉藤啓二に伝わり本ボシに連絡が行き消しに掛かったか。どちらかだろう。・・・となると、次はあそこか?)
「警部?」
「山さん、済まないが、ワザと分かるように斉藤啓二の尾行を頼む。あえて身を晒すようにだ。これで斉藤啓二の動きは抑えられる」
「何か思いつかれましたね?」
「ああ。安間は失ってしまったが、本ボシは相当焦ってきたようだ。罠を掛けてみるさ。悪いが捜査一課に先に戻る。明日は私一人で行動する。山さんは、小川と行動を共にしてくれ」
「わかりました。お任せください」
(安間圭介、お前の行動は無駄にはしないぞ)
佐久間は、急ぎ警視庁へ戻ることにした。
〜 三十分後、警視庁 〜
佐久間が警視庁に戻ったタイミングで、佐久間の元に一本の電話が入った。
「もしもし、佐久間警部さん・・・ですか?」
「はい。佐久間です。もしかして、中川智子さんですか?」
受話器越しに安堵のため息が聴こえる。
「・・・良かった。あなたに連絡がついて。先ほどラインで事情は井上香織さんから聴きました」
(知った割には落ち着いているな)
「・・・そうですか。あなたが今の安間圭介さんには近い存在であることは井上香織さんから聴いております。・・・安間圭介さんを守れきれなかったこと誠に申し訳ありません」
「・・・いいんです。こうなることも想定して覚悟出来ていましたから」
「覚悟?訳ありみたいですね」
「はい。圭介が自分の身に何かあったときは佐久間警部に相談するように言われていましたので、連絡入れた次第なんです。遅いですが今夜会えませんか?」
時計に目をやると、既に二十三時を回っていたが、声色から直ぐに向かった方が得策と判断し、快く返事した。
「勿論、結構ですよ。私でよければ伺います。どちらへ伺えば宜しいですか?」
「渋谷区代々木神園町です。代々木公園の近くに安間圭介の隠れアパートがあります。お恥ずかしい話ですが、圭介が仇討ちに赴いた時に、万が一を考えて彼のアパートで待っていたんです」
「・・・わかりました。四十分程で到着出来ると思います。夜道は危険ですから、私から連絡するまでアパートは出ないでください。近くに着いたら、また連絡しますので中川さんの携帯番号を教えてください」
佐久間は、携帯番号を控えると安藤に中間報告を入れ、休む間も無く代々木公園に向かった。
〜 四十分後、代々木公園付近 〜
佐久間は、現地に到着すると中川智子に連絡を入れ、迎えに来た中川智子に安間圭介の隠れアパートに案内された。
「この度は、ご愁傷さまです。まずは安間圭介さんにお悔みを申し上げたい」
佐久間は、素直な気持ちで深々と中川智子に謝罪の念を表し、中川智子もそんな佐久間の誠意を汲み取った。
「・・・やっぱり圭介が話した通りの刑事さんですね。彼って結婚詐欺師でしょ?刑事と判事は大嫌いだったんです。でも、佐久間警部だけは敵だけれど、信用出来るって言ってました。・・・妹さんのアパートで圭介と話した時に、あなたは被害者家族として圭介と話してくれたことが、心の底から嬉しかったと、この前食事しながら言っていました」
「・・・そうですか。私の中で手配中である安間圭介と京香さんの兄、安間圭介さん二人が居たことは事実です」
中川智子はプッと笑った。
「面白い警部さん」
「そうですか?・・・電話を受けた時にあなたの並々ならぬ覚悟が伝わってきました。安間圭介さんから私宛に何かメッセージでも?」
中川は、真面目な表情に戻り、黙って安間京香から安間圭介宛に書かれた手紙を見せる。
「これは?・・・拝見します」
佐久間は、一度目は速度をし、二度目は丁寧に読んだ。
「・・・そういうことですか?安間圭介さんはこの手紙読んだ瞬間、嗚咽するくらい悲しみに覆われ自分を責めた。復讐の念に駆られたあなた達は、さしずめランチマーケットの斉藤啓二を復讐の標的とし、行動に出ようとした。しかし、相手は拳銃を所持していて危ないから、せめてあなただけは危険な目に遭わせたくなかった。・・・私の読みは当たっていますか?」
中川は開いた口が塞がらない。
「・・・す、凄いわ。説明なんていらないわね。そこまで圭介の心をトレースするなんて。・・・ほとんど当たり。でも、どうして?」
佐久間は、手紙を読んで涙ぐんだ。
「安間兄妹の深い愛情を感じました。安間京香さんは心底、安間圭介さんを頼りにされ、その妹の想いに気付けなかった様子が目に見えるようでした。・・・同じ立場なら、そのまま斉藤啓二を射殺しに私でも暴走したでしょう」
「・・・警部さん。あ、ありがとう」
中川も、抑えていた感情が佐久間の言葉でタカが外れ、しばらく二人で安間の死を悼んだ。
どれほど泣いたのだろう。
表で聴こえていた深夜タクシーたちの車両走行音も消え、いつしか静寂な空間へと変わっていく。
「中川さん、率直に申し上げます。おそらく犯人は斉藤啓二。そして、実行役にもう一人います」
「・・・安間京香さんに子供を孕ませた男ですか?」
「はい。手紙を読んだ直感ですが、斉藤啓二ではなさそうです。バーテンは結婚詐欺師と敵対なんかしない。おそらく、我々警察関係者か検察庁、法務省など国家公務員でしょう。・・・だから、京香さんはストレートに名前や地位を書かなかった。直接、安間圭介さんに相談して赦しを乞いたかった」
「私も何と無く感じました。しかも、無理やり強姦のごとく孕まされた。でも、我が子は可愛い」
「・・・その通りです。安間圭介さんは兄として、どうしてもケジメをつけてから、真人間として、智子さんと一緒に。なろうとしたんですね、きっと」
「そこまで理解して頂けると、圭介も本望ですわ」
佐久間は、中川智子の手を両手で握りしめて静かに諭す。
「中川智子さん。あなたの旦那は世界一あなたを愛し、妹を愛し、烈火のごとく人生を駆け抜きました。仇討ちは残念ながら出来ませんでしたが、あなた達二人のために命を賭けたことを決して忘れないであげてください。同じ人間として、漢として安間圭介さんの右に出るものはいないと評価します。・・・あなたは、そんな彼がたった一人最期に選んだ女性なんだから、女房として誇りを持ってこれから幸せになりなさい。そして、安間圭介さん位良い男性に巡り会えた時、安間圭介さんにキチンと墓前で紹介してから、安間圭介さんの分まで生きて幸せになりなさい。・・・それが遺された女房の、あなたの責務です。一時の中途半端な傷心で自暴自棄になってしまう時は、私の所へ泊まりなさい。うちの女房とあなた方夫婦と四人で酒を飲みましょう。・・・良いですね?」
中川は、心の底から熱いものが込み上げた。
「私は、あのひとの女房?」
「・・・あなただけです」
「あの人の生き様を知るのも私だけ?」
「最期に選んだ、たった一人の人です。縁なきことには、成し得ません。あなたと圭介さんが共に生き抜くため、紆余曲折し巡り会い今日に至ります。だから、彼の分まで幸せになりなさい」
「・・・はい。・・・はい、わかりました。きっと彼の分まで、幸せになってみせます」
佐久間は優しく微笑んだ。
「さあ、良い女に睡眠不足は大敵です。朝まで側にいますから、しっかり眠って、栄養つけて、彼の供養を頼みます。安間兄妹の仇は我々警察に任せておきなさい」
中川は、肩の力が抜け落ち、崩れるように気を失った。
(極限まで怖い想いをしながら、安間圭介の帰りを暗闇の中で待っていたんだろう。緊張感しか彼女をここまで支えていられなかったのは事実。・・・もう、良いんだ。今はゆっくり休みなさい。これから長い後悔の念と絶望、脱力感の中で君は生きていく。だが、それは時が傷を癒してくれる以外、術はないのかもしれないのだから。・・・お疲れさま)
佐久間は、中川智子の身体をお姫様抱っこしながらベッドへ運び、安間圭介が使用していたと思われる羽毛布団を掛けた。
暗闇の中、蛍電球だけにスイッチ調整しベッドの側で座りながら仮眠を取り夜明けを待つのであった。