安間圭介の死
山川から宣戦布告を受けた斉藤啓二は同じ猿楽町のとある雑居ビル屋上に登り、微かに震えながらタバコに火をつける。
タバコを三口、深く吸い込んだ後眼下に見える通行人たちを見つめながら、握りしめてきた携帯の番号を押した。
「プルルルルル」
(おいおい、早く出ろよ)
「・・・はい。もしもし」
(繋がった!)
「もしもし、俺だ。斉藤だ!」
「・・・あまりこの時間に掛けてくるのは穏やかじゃないな?」
「悪い。でも、緊急事態だ」
「・・・二分待て。外から掛け直す」
一方的に電話が切れた。
二分後。
「プルルルルル」
「・・・待たせた。緊急事態ってなんだ?」
「・・・奴が来た」
「・・・奴?」
「山川っていう刑事だよ!」
「何故、山川がお前の店に?」
「前にも実は来たんだ?」
「ーーーーーー!何故黙っていた?」
「偶然、店に来たんだよ。はじめは気がつかなかったんだが、悪い」
「・・・それで?」
「山川が自信満々に言うんだ。俺を見たと」
「馬鹿な!・・・なんて答えた!」
「確か、あなたを見たことがないと。それに店を切り盛りしているからそんなことはないと」
「・・・山川がアリバイを聴いてきたのか?犯行時の?」
「・・・いや。ただ、見ただけだと言ってただけだと思う」
「お前は馬鹿か?山川はアリバイを聴いたんじゃない。お前にカマかけたんだよ?・・・墓穴掘りやがって。殺すぞ」
斉藤啓二は、汗を大量にかきながら弁解する。
「ま、待ってくれ。大丈夫だよ。その前に山川が独り言だが、眠らされたことを言ってた。その後に俺を見たといったからアリバイって意味でも言い訳出来る」
「・・・本当か?・・・なら良いが、お前がマークされ始めるとはな。おい、何か安間京香絡みで俺に報告してないことはないだろうな?」
再び、大量の汗が出る。
「・・・・・・」
「・・・あるんだな?・・・話せ」
「い、いや、安間京香ではないんだが、安間京香の兄、安間圭介の彼女達が店に飲みに来たんだ。話の流れで安間圭介と安間京香は兄妹であると、彼女達なりに整理していた。・・・それだけだよ」
「何だって?おい、何故早く教えん!」
「いや、話出ただけだから」
受話器越しに、相手先の苛立ちが如実に伝わってくる。
とてつもないプレッシャーに斉藤は押し潰されそうになった。
「・・・その話もしかして山川に聴かれたのか?」
「・・・わからない。ただ、彼女達が店に飲みに来た時、居たかもしれない」
「・・・少し探りを入れてみる。いいか、お前はマークされ始めたんだ。くれぐれも浅はかな行動するんじゃないぜ?でなけりゃ、俺は親友でも殺す。知ってるだろう?」
「あ、ああ。ああ。わかってる」
「・・・それと安間圭介には気をつけろ。多分、お前のところへ辿りつくぞ?」
「まさか?」
「お前の話振りから、彼女達の中に安間圭介に話す者が出てこない方が不自然だ。つまり、安間圭介は妹の死について自分なりに調べ、やがてお前に聴きに来る。・・・多分近いうちにな。その時は・・・わかるな?」
「ごっくん」
斉藤は生唾を飲んだ。
「・・・わかった」
「・・・俺も助太刀してやるよ。二人で一人だからな。じゃあ、一度切るぞ。気張れよ」
電話を切ると、斉藤はヘナヘナとその場に座り込んだ。
(怖かった。やはり逐一報告を怠ったのがいけなかったのか?・・・でも俺の店でのことだ。彼奴に命令されるいわれはないさ。でも、安間圭介が来るのか?本当に?・・・用意しなくちゃ、俺が先に消される)
翌日、斉藤啓二はいつもと同じように店を営業していると、見慣れない客が来店した。
一見さんかと当初は思い、接客をしつつも、どこか引っかかる。
(どこかで見かけた顔だ。どこだ?どこで見かけた?)
その時だった。
「カランコロン」
「いらっしゃいませ、ああ。井上さん?」
「マスター、また来ちゃった?今夜は一人よ。・・・ーーーー!」
爽やかに入店した井上香織の足がピタッとカウンター前で止まる。
斉藤啓二は不思議そうな顔をし、安間圭介は凍りついた瞬間であり、二人の運命が決定した刹那である。
「圭ちゃん?ねぇ、圭ちゃんでしょ!」
井上香織が、顔を隠すように飲んでいる安間圭介の元へ駆け寄った。
(・・・この馬鹿女。来るな)
「ねぇ、圭ちゃん。久しぶりね、今日は誰に会いに来たの?・・・私じゃないよね?・・・中川さんと一緒じゃないの?」
やりとりを見ていた斉藤はハッと我にかえった。
(圭ちゃん?中川?・・・そういえば、あの夜中川智子に店外へ呼び出されたな。コンビニ前で話した時に、彼女の背後に誰か居たような?・・・そうか、そういうことか!あの夜、安間圭介は俺を見定めていたという訳か)
斉藤は、カウンターの下に手を入れ、あるボタンを押した。
そして、何食わぬ顔で安間圭介と井上香織の会話に聞き耳を立てながら仕事を続ける。
安間圭介は、カウンター越しで仕事をしている斉藤啓二が自分に気付いていないか観察しながら、小声で井上香織と会話する。
「やあ、香織ちゃん。ここに来れば君に会えると智子さんから聞いてね。今夜は少しばかり返金に来たんだ」
百戦錬磨の安間圭介である。
咄嗟の言い訳をし、胸元から財布を取り出し十万円を井上香織に渡す。
「いいの?確か月々五万円振込だったんじゃないの?」
安間は、ニコッと微笑みながら肩に手を置いて優しく話す。
「いいんだ。返せる時は足してでも返すつもりだったから。いつも、助けてもらってばかりでゴメンね」
井上香織は、そんな安間のや優しさに久しぶりに酔った。
「圭ちゃん、お金なん良いからさ。今夜は久しぶりに。・・・ねっ?」
「・・・そうだね。行こうか?」
「うん。じゃあ、一杯だけ飲んでから行こうよ。マスター、カシスオレンジください!」
「・・・はい。すぐお作りします」
五分後。
「お待たせいたしました。どうぞ、カシスオレンジです」
斉藤啓二はそっとカシスオレンジ以外に、テキーラを安間圭介に差し出す。
「・・・注文していませんが?」
「当店からのサービスです。安間圭介さま」
斉藤啓二は、静かな目で挨拶するとカウンターに戻っていった。
(しまった。やはり、この女のせいでバレた。・・・作戦変更しなければ。今夜は諦めよう)
「香織ちゃん、少しばかり飲んでいてくれないか?コンビニに忘れ物をしてね。すぐ取って戻ってくる」
安間が席を立とうとすると、井上香織は安間の服袖を掴む。
「本当に?避けて逃げるんじゃないよね?」
安間は、井上の頭を撫でた。
「当たり前だよ。これから、楽しい夜を過ごすのに。今夜は頑張るからね。少しばかり待っていて」
「うん。期待しちゃう。待ってるね」
「ああ。じゃあ、ちょっといってくる」
安間は席を立った。
店外へ出ようとした時、ふと斉藤啓二と目が合った。
斉藤啓二は心を悟られぬよう、一言だけ安間に発する。
「お気をつけて」
「・・・・・・?」
「カランコロン」
安間は出ていった。
「パーーーーーン」
五分後、遠くから微かに銃声が聴こえた気がした。
安間の戻りを心待ちしながら、カクテルを飲む井上を、斉藤啓二は複雑な心境で黙って見つめていた。
五分、十分、一時間経過しても安間圭介が、ランチマーケットの扉を開くことはなく、それを悟った斉藤は心の中で合掌していた。
安間圭介の哀しい最期である。




