逢い引き
井上香織と坂田美雪が、ランチマーケットで斉藤啓二と会話を楽しんでいる頃、中川智子はお台場で安間圭介とディナーを嗜んでいた。
昨年、大金を安間圭介に貸してから音信普通となっていたが、貸した大金は返金不要だから、もう一度会いたいと中川智子から安間圭介にラインを入れていたのだ。
中々既読にならない為、諦め、昨夜遅く眠りにつこうとした時既読に変わった。
ガバッとベッドから起き上がり、スマートフォンを正座しながら凝視する。
「ふぅ、ふぅ」
部屋の明かりを点けて、暖房をオンにし、テーブルにある飲みかけのコーヒーを一口飲んだ。
中川智子は、安間圭介の気持ちが変わらぬよう極力、刺激を与えない配慮をしながら、純粋に会いたいと伝え、安間圭介も何かはわからぬが気落ちしているようだったので、慰める言葉を選んだ。
人生で、これほど文章に気を使ったことがあっただろうか?と思うほど、ラインでの駆け引きをすること十五分。
やっと、今夜のディナーに漕ぎ着いたのである。
中川智子は、まだ安間圭介の前で着たことのないミンクのコートに中は薄いピンクの洋服をチョイスし、腕にはほんの微かに匂うカナダ産の香水をつけた。
勿論、宿泊することを前提にランジェリーにも力を入れた。
もう一度、人生をやり直すか如くデートに賭けたのである。
「ゴメンね、今まで連絡避けて」
鴨肉を食べながら、安間圭介は突然謝罪の言葉を発する。
「ううん。気にしないで。圭介モテるから仕方ないって諦め掛けてたの。でも、また会ってくれて嬉しいわ」
「・・・智ちゃん知ってると思うけれど色々な人と付き合いながら、一人の人を決めたいと前から思っていてさ。怖い目にも遭って、しばらく一人になりたかったんだ。ラインも本当はどうしようかと迷ったんだけれど、智ちゃんだから気になっちゃって」
「本当?・・・諦めないで良かった」
「・・・今夜の洋服似合ってるよ」
「ふふふ。見たことないでしょ?」
「ああ。色っぽいよ」
恋人たちが語らう良い雰囲気だ。
中川智子は真剣に安間圭介と一からやり直すつもりでデートに臨んでいた。
今夜は他の女について安間圭介の意見を聴いたうえでプロポーズすることまで考えていた。
頭の片隅に昨夜一緒に飲んだ井上香織と坂田美雪の影がチラつく。
「ねぇ、圭介。今夜どうしても、あなたに本当のことが聴きたいの。話してくれる?」
一瞬、安間の表情が曇る。
「・・・何だい?」
「あのね、他の女について聴きたいの。勿論、圭介モテるから束縛は絶対にしない。あなたは束縛が嫌いなのは知ってるから、それは約束する」
「・・・・・・」
「昨夜、井上香織さんと坂田美雪さんと飲んだの」
「・・・そうか。それで?」
「みんな、圭介が好きで堪らないことがわかったんだけれど、圭介は誰が本命?」
「・・・こうして食事してることが答えにならないかな?」
「なら良いわ。彼女たち、あなたに会いたがっていたわ。セフレでも良いみたい」
「智ちゃんは、それでも良いのかい?」
「・・・正直、嫉妬する。私だけのモノにしたいもの。でも、我慢出来るわ」
安間は微笑する。
「・・・賢い女性は素敵だよ。今夜はゆっくり休めるかい?」
「・・・うん」
こうして、恋人たちが過ごす一夜を久しぶりに取り戻した中川智子は幸福に包まれ、優しい朝を迎えた。
朝日が部屋に差し込み、まだ眠っている安間の額にそっとくちづけをし、安間のワイシャツを羽織り、目覚めのコーヒーを入れる。
「・・・おはよ。コーヒーかい?」
安間は、ボーっとしながらコーヒーを入れる中川の姿を見つめた。
「飲むでしょ、圭介?ブラック?」
「うん。ブラックで」
備え付けの食パンとコーヒーで朝食を摂りながら安間は、昨夜の会話について少しだけ中川に尋ねた。
「一昨日、井上香織や坂田美雪と飲んだ時どんな話したの?俺の悪口?」
「やだ、悪口なんか言わないわ。坂田美雪さんの元旦那話が出たわ?」
「そういえば、彼女結婚してたんだった。元って、離婚したんだ」
「ええ。痴漢容疑で捕まって銀行辞めたって言っていたわ。大変でしょ?」
「ーーーーーー!」
「どうしたの?」
「いや、坂田美雪は旧姓かい?それとも旦那の姓かい?」
「確か、旦那は野本秀人って言ってたかしら?」
「ーーーーーー!」
「何だって!」
安間は急に険しい表情になり、中川は慌てた。
「どうしたの、圭介?顔色悪いわよ?」
「・・・奴は?野本秀人はどこにいる?」
「どこにいるって?坂田美雪さんならわかるんじゃないかしら?あっ、一昨日飲んだショットバーにね、たまにマスターに相談しに来るみたいよ」
「ショットバー?どこだ?」
「代官山駅徒歩七分のランチマーケットっていうショットバーよ。どうしたの?」
「先日、妹が殺された」
「ーーーーーー!ひょっとして、安間京香さん?」
「ーーーー知ってるのか?」
「・・・お店で話題になったの。マスターにも聴かれたわ。肉親かどうかって」
(野本秀人とマスター裏で繋がっているのか?・・・だとしたら、野本と見せかけてマスターが妹を殺したか?・・・必ず仇を討ってやる)
「・・・圭介?」
「ああ、ごめん。妹のことで犯人を追ってるんだ。警察なんかに任しておけなくてさ」
「野本秀人が犯人なの?」
「妹と裁判で争っていたんだ。奴は控訴していた。妹に恨みがある。自分でした罪を逆恨みして、よくも妹を」
「・・・本当なら、私も手伝うわ。坂田美雪を利用して野本秀人を誘いだそうか?」
「・・・少し考えてみるよ。なあ、智ちゃん。このことは二人だけの秘密で良いかな?坂田美雪にもまだ黙っていて欲しいんだ。良いかな?」
「わかった。知らんぷりして、色々探ってみるね。何かあれば圭介に教えるわ」
「・・・ありがとう。妹の仇を討ったら、結婚しようか?」
「ほ、本当!・・・なら、証拠にあなたの子が欲しい」
「・・・わかった。じゃあ今度は中にね?」
「・・・うん」
安間の腕の中で、中川はこれ以上ない至福を感じ、安間は激しい憎悪を心に宿しながら事に及ぶ。
(京香、待ってろよ。兄ちゃん、どんな汚い事でもして、お前の仇取ってやる。例え眼前の女を利用してもな)
野本秀人とマスターである斉藤啓二を仇と見立て、安間圭介の瞳奥は鋭い光を放っていた。