ランチマーケット
二月十八日、十三時。
捜査一課では、野本秀人に関する裁判記録について議論していた。
午前中に仕入れた野本秀人情報についてはホワイトボードに記されている。
「午前中、本人に会いましたが断固冤罪を主張しており、高等裁判所に即日控訴していたようです。・・・話を聴く限り原告死亡ですが、検証する価値はあるとみます。捜査ニ課が抵抗するでしょうが」
安藤は、裁判記録を細かく読んだうえで佐久間たちに確認する。
「野本秀人は通勤中、安間京香の胸と臀部を触れたところを安間京香の同僚や周りの乗客に取り押さえられて、駅員に突き出されたみたいだな。公判では両手吊り革を持っていたと主張したが、原告安間京香や同僚の証言で、野本秀人の主張は却下されたわけだ。これを覆すには相当な検証が必要だぞ?」
「厳しいでしょう。ただ、原告の同僚は冤罪かもしれないと弱気を見せている部分もあり、何とか覆す証拠、例えば安間京香ではなく、野本秀人の行動を見た新たな証言者を探したいと思います」
山川が、会話に混ざる。
「警部、先ほどのお話ですと野本秀人はショットバーのマスターに相談していたとか。今夜行かれるのであれば、ご一緒させてください」
「今夜は、マスターの様子を見に行くだけだよ。野本秀人の相談を受けたことは聴かずに、どんな人物かを見定めるつもりだ。夕方、混み始める前に行ってみようじゃないか?小川も来るか?」
「はい。ご一緒します」
「課長、とりあえず本日はこの流れで当たろうかと思います。バーテンは色々な情報を握っていますが、我々警視庁に有益な情報を簡単にくれるとは思えないので刑事とバレない対応で潜り込みたいと思います」
「わかった。慎重に頼むぞ。山川、飲みすぎるなよ?」
「はい。セーブします」
〜 十八時、ランチマーケット 〜
「いらっしゃいませ」
佐久間たちが入店すると斉藤啓二が、営業スマイルで迎え入れた。
「三人なんだが、大丈夫かな?」
「ええ、勿論。奥のお席か、カウンター、テーブルどこが宜しいでしょう?」
「では、カウンターに近いテーブルで飲ませてもらうよ」
「かしこまりました。すぐにお通しご用意します。今日は、美味しい年代物のチーズが手に入りましてね。ぜひ、ご堪能ください」
「楽しみだね」
佐久間たちはテーブルに座り、メニューを見ながら店内の雰囲気を確認。
「山さん何にする?チーズなら赤ワインかな?小川はどうする?」
「私はジンライムにします」
「私は、日本酒と言いたいところですがジントニックにしておきます」
「二人ともカクテル系かね。じゃあ、私はソルティドッグにしておこう」
マスターに注文しながら、少し世間話をしてみた。
「マスターは、いつも一人で切り盛りを?」
「早い時間は私だけなんですが、バイトの子は十九時頃から入ります。店内が十九時頃から混雑してきますので」
「そうですか。いや、邪魔してすみません。ありがとうございます」
「いーえ。ごゆっくり飲まれてください」
佐久間たちは、他愛もない世間話をすること二十分。
「マスター、また来ちゃった。今日は二人よ」
「いらっしゃいませ。えーと、井上さんに坂田さんでしたよね?」
「嬉しい!やっぱり良い男は違うわね。昨日来ただけなのに覚えてくれてるなんて」
「素敵な女性は忘れませんよ。今日は中川さんはご一緒ではないんですか?」
「ええ。何でも安間圭介と久しぶりに連絡取り合ったみたい」
「ーーーーーー!」
テーブルで飲んでいる山川の目が変わる。
「・・・山さん」
佐久間は、静かに山川の手に、自分の手を置いて制御する。
斉藤啓二は、昨夜同様にカウンターに二人を案内した。
「マスター、今夜は違うオススメカクテルを飲みたいです」
「では、昨日提供したテキーラサンライズのブレンドではなくて、純粋なテキーラサンライズのアルコール度を下げた飲みやすい物をご用意しますね」
井上香織と坂田美雪は、コートを脱ぐと佐久間たちの脇にあるコート掛けに置き、カウンターに座り、飲み物を待った。
「坂田さん」
「なあに?」
「昨日途中で酔い潰れちゃって。確か旦那と寄り戻す戻さない話をしていたような?坂田さんは、元旦那と寄り戻さなくて良いんですか?えーと、野本さんでしたっけ?」
「いいの、いいの。元行員も今じゃプーだし、世間体もあるし。中川さんは良いなあ。私も安間に抱かれようかしら?身体が疼いちゃって。あなたはどうなの?」
「私は、安間とはもう会わないと思います。・・・でも、やっぱりわかりません」
「良いんじゃないの?結婚してくれなくても繋ぎとして今後付き合えば。でも、もうお金は渡しちゃダメよ。絶対に返って来ないから」
「・・・そうですね」
小川は小声で佐久間に話しかける。
「警部、彼女たち安間圭介の被害者でしょうか?」
「小川、警部は辞めろ。佐久間で頼む。・・・そうらしいな。後で彼女たちを尾けよう」
佐久間たちは、見知らぬ振りをしながら井上たちの会話に耳を傾けることにした。
「どうぞ、テキーラサンライズライトになります」
「いやーん。可愛い!」
斉藤啓二はテキーラサンライズのコップに小さな熊の形をした洋菓子をトッピングし提供し、二人から拍手をもらった。
「あの、バーテンさん。今日、元主人は来る日ではないですよね?」
「そうですね。明日だと思いますよ」
「・・・良かった。会いたくもあり、会いたくなくもあり複雑なんです。・・・実は」
「昨日、確か安間圭介さんと安間京香さん肉親ではないか話題になりましたね。わかりましたか?」
「いえ、特に調べてません。バーテンさんも物好きね?」
「・・・いえ。安間という性が一致したので。警察みたいですね?それより、安間圭介さんという男性はやっぱり良い男なんですか?」
井上香織が、答える。
「顔はマスターの方が格好良いです。でも、話術とアッチの方が凄くて。・・・下品な話ですけれど」
「興味あるんですか?」
「勿論あります。良い男ならうちの店にどうかなってね?」
「今度、安間に会う機会があれば、話しましょうか?」
「ええ、ぜひ。この店を紹介ください」
「マスターご馳走さま。チーズ美味しかったよ。また仲間と伺います」
「はい!ありがとうございます。お気をつけて」
佐久間たちは、井上香織や坂田美雪と顔を合わせないように、背を向けながら会計を済ませ、店を出る。
店の階段を上がり、表に出たところで直ぐに応援部隊に連絡する。
「もしもし、日下か?至急、尾行要員を四人代官山まで向かわせてくれ。事件関係者二人のヤサを探って貰いたい。まだ、店内で飲んでいるから小一時間は稼げるはずだ。応援部隊が来るまで、山さんと小川と三人で見張っておく」
「わかりました。至急向かわせます」
電話を切った佐久間に、山川が顔を近づけ興奮気味に話しかける。
「警部。収穫ありましたな。安間圭介の関係者が見つかるなんて思ってもみませんでした」
「ああ。そうだね。・・・しかし、バーテンの様子が少し気になったよ」
小川は不思議そうな顔をする。
「私には何も違和感がありませんでしたが?」
「バーテンは、野本秀人から相談されていて、野本秀人の妻と思われる坂田という女性とも面識を持った。そして、安間圭介と安間京香の関係にも興味があるように見受けられた。・・・何かあるぞ」
「ーーーーーー!本当ですか?押さえますか?」
「・・・いや、泳がそう。話に単純に身を乗り出し情報収集するのが趣味な奴もいる。裏で誰かと繋がっている場合もある。様子見しよう。それよりも、彼女たちの居場所を今夜突き止めておいて、後日聞き込めるようにするんだ。細い糸は気をつけて切らないようにしたい」
「・・・そうですな。三人固まる訳にはいかないでしょうから、少し離れ離れで応援部隊到着まで張り込みましょう」
「そうだね。では、山さんはあのビル陰から。小川は、そこのコンビニ前で。私は反対の古本屋前で見張ろう。応援部隊到着したら、交代するぞ」
「はい、了解です」
張り込み開始から、五十分。
日下が手配した応援部隊が佐久間たちと合流した。
やがて、ビルから千鳥足で出てきた井上香織と坂田美雪を確認すると、佐久間たちは身を引き、応援部隊が尾行を開始。
(頼んだぞ)
応援部隊に捜査を託し、佐久間たちは帰途に着いた。
(明日から、あの二人の身辺調査だ)
少しずつ、見えない糸が繋がっていく気配を着実に感じる佐久間であった。