山川の逮捕
目を覚ますと、人集りが出来ている。
(ここは、どこだ?)
意識が朦朧としながら頭をかく指からは硝煙の臭いがする。
(いつも嗅いでる臭いだ。・・・誰か発砲したのか?)
薄暗い視界の中で目の前には、頭部から血をドクドクとたれ流し横たわる女性がいて、目線をふと女性から上に上がると拳銃を構えた警察官が三名こちらを狙っている。
(・・・夢でも見ているのか?)
「う、動くな!動くと撃つぞ!」
(警察官が、俺を撃つ?何をおかしなことを言ってやがる。やはり、これは夢か?)
しかし、妙に頭が重く気分が優れない。
ボンヤリと周囲を見渡すと、警察官の背後に十名程度だろうか?人集りが出来ており、こちらを不安げに見ている。
警察官が放つ言葉と周囲の雑音がやけに騒がしいが、中々心に響かない。
遠くから、パトカーのサイレンが複数台であろうか?一台、また一台と自分の近くに集まってきて、少しずつ現実の空気が流れてくる。
(・・・リアルな夢だ)
山川が、完全に目が覚めたのは佐久間警部の姿を捉えた瞬間だった。
上野警察署台東交番から応援要請を受けた捜査一課が緊急出動し、現場に駆けつけたのである。
「取り押さえろ!」
所轄署の警察官に取り押さえられて、顔をアスファルト舗装に潰されそうになり息苦しい。
「ぐふっ・・」
(何が起きている。俺が地べたを這っている?馬鹿な!)
もがく山川を抑え込みながら、鑑識官が素早く右手人差し指を簡易キットで硝煙検査していく。
「うぐぅ・・・」
山川が苦悶の表情を見せる中、鑑識官は周囲に聴かれないようにそっと佐久間に耳打ちした。
「佐久間警部。硝酸塩がジフェニルアミン化学物質により青紫色に変色しました。・・・残念ですが、現状では黒です」
鑑識官の発言が聴こえた山川は少なからず動揺してしまった。
(硝酸塩が?俺から?・・・馬鹿な!)
「・・・わかった。ご苦労」
目をつむり、腕組みを解いた佐久間は山川の側まで来ると、しゃがみこみ山川を無言でジッと見つめる。
いつもは優しい佐久間の顔が険しい。
初めてといって良い程、佐久間の眼光は全てを否定し、山川は「ごくっ」っと唾を飲んだ。
「・・・山川義郎。二十二時五十八分。お前を一般女性射殺の現行犯で緊急逮捕する!」
「ーーーーーー!」
「ち、ちょっと待ってください。警部!私です!山川です!あなたの部下です!やってません!何かの間違いです!・・・警部!」
「ガチャーーン」
鉛色の手錠が、虚しく山川を捕らえる瞬間だ。
自分にはめられる手錠をまじまじと見つめ、山川はすがる目つきで佐久間を見た。
「警・・・部・・・?」
「・・・警視庁へ連行しろ。念のため、山川の身体から薬物が検出されないかも調べてくれ。ガイシャは鑑識官に任せる。・・・私は直ちに捜査一課に戻る」
早口で指示を出した佐久間は、それからは山川と目線を合わすことなく、背を向けてパトカーに向かい、山川はそのまま所轄署員に両腕を拘束された。
「警部ーーーー!」
パトカーに押し込まる山川を絶対に見たくないと佐久間の小刻みに震える背中が物語る。
非常線が張られた雑踏の中、山川の虚しい叫び声が、細い路地にそびえ立つ塀に反射しパトカーに乗り込む佐久間の耳からいつまでも離れることはなかった。
人集りを整理する警察官たちの怒号と連行されながらも抵抗する山川の声などが混じり合って大有記念病院脇の路地裏は真夜中であるにもかかわらず、騒然としている。
悲しいバレンタインが慌ただしく終わろうとしていた。