第241話 誰にも消せない色
「ねぇ。あんたどういうつもりかわからないけど、私と一緒に行動してると死ぬわよ?」
「別に〜、だって今までだって散々死にかけてたじゃん」
「それ以上に、ってことよ。このばか」
まっすぐと続く、辺りに何もない草原の中をゴトゴトと進む一台の馬車。その荷台から足を下ろしながら揺さぶられている綺麗な青髪の少女。ジジュー、そしてつば付きの広い帽子をして馬を操作するハンクの姿がそこにあった。
空の上を大きな鷹が舞っている。そんな光景を首だけを上にぼんやりとジジューは眺めながら徐々に上体を荷台の上に預ける。
空っぽの右袖に目線を向けて、軽くため息をついた。
「ねぇ。本当に良かったの?」
「何って、だってあいつがせっかく命がけで助けた奴、そのまんま見捨てる阿呆
がいるかって」
「それだけなの?」
突如、ハンクの耳元に息がかかる距離でジジューの顔が接近する。どこか妖艶にも思える色っぽい声に、ハンクの馬の手綱を握る手がわずかに震えた。
「私....今、片腕ないから。簡単に襲えるよ?」
その真意は。
優しさに触れたことがないから、
守られたことがないから、
大事に思われたことがないから、
だから、こんな言葉が溢れてしまう。誰にも言い聞かせるわけでもない、言葉が頭の中をかすめた。
「.....」
「ねぇ.....どうなの?」
「別に俺、ロリ興味ないし」
「殺す」
そのあと。とても片腕がないとは思えないアクロバットな動きでハンクに襲いかかるジジューとそれに抵抗しようと暴走したハンクの操作した馬車が大きく揺れた。
遠くの青い空で、鷹が泣いた。
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ワイバーンが大空で鳴く。
ワイバーンから見たら芥子粒のような人間の自分が風に煽られて大きく空へと跳ね上がった。空中に足場はなく、体のバランスが全く取れない。
「っ!」
真下をワイバーンの大きな顎門が襲いかかる。空に飛ばされた自分を喰らおうと必死にその首を伸ばしている。ユダの尻尾は鎖で繋がれており、一定の高さに飛ぶことは叶わない。
しかし、このまま落ちれば彼の餌食だ。
『今一色流 抜刀術 雷閃<轟>』
ベルトから外した鞘がユダの巨大な顔に直撃する。身体強化術を限界までかけた攻撃はユダを再び地面に叩き落とす。空中で錐揉み回転しながら抜刀、吹き出した炎が地面を濡らし、その反動で静かに地面に降り立つ。
地面に着地する。正面を見据えれば、そこには今だに闘志の消えていないユダのギラギラ光る目がこちらを見据えていることに変わりはない。
「.....」
『ギャルルルルルルル......っ』
彼の背後。そこには、ユダの番だったもの。その腹の底から何かがこみ上げそうな腐臭と、すでに形すらグズグズな彼女を今でも守ろうとしているのか。
心底。彼が羨ましかった。
そこまで、彼女を愛する時間があったのだから。
再び、翼に篭った魔力で生成された風の刃が襲いかかる。両手に構え直し、目を細め迫りくる風の刃を睨みつけ、一閃。
『炎下統一 壱の型 焔宿し』
一薙で吹き出た炎が周囲を包み込み、炎に包まれた風の刃はそれぞれ爆発を引き起こしながら霧散してゆく。
「その程度なのか?」
続けざまに挑発に乗ったかのように放たれた風の刃をそれぞれ炎と刀で切り裂いてゆく。先ほどの比べて、攻撃の手が雑になっている。
こんな程度で倒れるくらいなら、今頃自分はこの場に立ってはいない。
こんな程度で倒れることが許されたのなら、自分はもっと弱かった。
苦しそうな咆哮が響く。ユダは、先ほどの炎を受けて体を覆う鱗の一部が焦げていたり、おそらく治療を受け付けなかったのだろうか所々ある傷口が開いて、そこから血が流れていている。
だが、自分がしたいことは屈服ではない。
それをやるのならもっと簡単なのだ。しかし、それでは全く意味がない。彼の中にある憎悪は絶対に消えることはない。それは、きっと彼を一生苦しめていずれは自分を殺すだろう。
徐々に、ユダの動きが止まり始めた。
そろそろ、ワイバーンの中にある魔力もつき始めているのだろう。散々打たせておいて申し訳ないとは思うが、今度は
「こっちの番だ」
『炎下統一 蒼炎の型』
炎の色が紅から、徐々に濡れたような鮮やかな蒼色へと変化してゆく。そして、青くもえる刀身を地面に突き刺した瞬間に自分を中心とした地面がヒビ割れ、そこから吹き出した蒼い炎。
それは、自分とユダを包み込んでゆき炎の色を通じて、彼の精神が入り込んでくる。
途端に噎せ返るような憎悪の嵐と、思わず吐き戻しそうなほどの強い執念が全身を駆け巡る。これほどの憎悪を抱えて、これほどの執念を抱えて叶えたいことはただ一つだった。
(人間ヲ、殺ス)
このどこにも行きようのない憎悪を、払いようのない執念を。
自分は、知っている。
自分は、見ている。
だから、
自分は、彼を止めなくてはならない。
(人間ガ憎イっ!
奴ラハ我々ノ住処ヲ奪イッ、我ガ番ヲモ奪ッタッ!
体バッカリデカイ僕ヲ彼女ダケガ優シクシテクレタッ!
ミンナニイジメラレテイタ時モ彼女ダケガ守ッテクレタッ!
ソレナノニ、僕ハ、アノ時彼女ヲ守レナカッタッ!
ソンナ優シイ彼女ヲ、貴様ラ人間ガ殺シタンダッ!)
森の中で、ユダを中心にして空から落ちてくる石を、白い小さなワイバーンが身を呈して守っているイメージ。
そして、しょぼくれているユダに魔物の肉を持ってきて持っらっているイメージ。
そして、
そして、
そして、
目の前で、串刺しになった変わり果てた彼女の姿に絶望し、その場にいた冒険者を皆殺しにしているイメージが頭に突き刺さった。
ユダの咆哮で、体が吹き飛ばさそうになる。同時に、心の奥底にある何かも消し飛びそうになった。ユダのいうことは最もだったし、そして彼の言うことも理解できる。そして、何よりまるで鏡を見ているようだった。
昔の自分を写した、鏡を見ているようだった。
だが、
だが、
だが、
それを否定しなくては、自分の周りに立って支えてくれた大事な仲間たちに申し訳ないではないか。立ち向かわなくては、自分が今まで歩んだ道を否定することになる。
「俺は、あんたの言うことがわかる」
(ッ!)
「だがなぁ、どうしても消えねぇんだよ。どんなに殺そうとしても、どんなに抗っても、どんなに死のうとしてもっ! あの人の笑っていた顔が消えねぇんだよ…っ!」
(....炎ヲ通シテ....言葉ガ.....)
「俺の中で汚くこびり付いてる、大事な大事な色は....誰にも消せねぇ、自分にだって消せねぇよ....あんたの中にあるあんたの色は、そんな血の色で塗りつぶして消えるような薄っぺらい色だったのか?」
(.....)
「過ぎたものを見て痛むのは自分の心だけだ…今ある大事なものに目を向けなければ、すぐにでも死にたくなっちまうのが人間の弱さだ」
弱いから。
みっともないから。
汚いから。
醜いから。
だから、
「俺は、俺の為すべきことを。何度も嘆きながら、挫折しながら。それでも前を見続けることを、価値あることだと叫ぶ」
『炎下統一 白炎の型』
炎は、蒼から純白へ。地面から引き抜いた刀を空高々へと掲げる。
これは篝火だ、この薄暗くてどうしようもない道を照らす篝火だ。そして、過去の自分が今の自分を彩る、かつての大事な人たちが自分たちの道を指し示す。
『炎下統一 白炎の型 仁燎』
振り下ろした刀から迸った白い光。それは、ユダを飲み込み透き通ると、その背後にある小屋にあった彼女の亡骸に炎が灯った。
ユダは、その場から一歩も動かず。ただただ、小屋が焼け落ちてゆくのを眺めていた。その表情は、どこか凛としていて、そしてその両目から大粒の涙がこぼれていて。
これは、弱かった彼の決別の瞬間にも思えた。
「ユダ、でいいのか?」
(好キニ呼ベ)
「そうか、じゃあユダ」
炎はまだ灯っている。彼との意思の疎通が、この炎を通して行うことが可能だ。どこかくぐもった感じの声で、それでもって自棄っぱちにも聞こえなくもない声だった。
「手伝って欲しい」
(....何ヲ?)
「翼を貸してくれないか?」
(火ノ中デ、オ前ノ姿ヲ見タ)
「....あぁ」
(オ前ハ、辛クナイノカ?)
燃える小屋を見つめるユダからの言葉に、思わず自分の胸に手を置く。果たして自分は今、辛いと思っているのか。だが、思い浮かぶのはあの人の幸せそうな笑顔で、そして自分の大切な人と一緒に仕事をしていて、その記憶が辛いものだと言えるのかと言われれば、
それは。
「いや。辛くない」
(強インダナ、オ前)
「強くなったんだ。みんなが居たから」
(ソレデ、僕ニ乗リタイノカ?)
「あぁ。俺は、君に乗りたい」
同じ苦しみを知るものとして、同じ痛みを知るものとして。だからこそ、共に旅をする仲間にふさわしいのだと。
自分が言えたことではないが、
一緒に彼を旅をして見たくなったのだ。
「一緒に来てくれるか?」
『炎下統一』を鞘に収め片手を差し出す。握手ができるような相手ではないとは思うが、確か『ワイバーンと仲良くなろう』に書いてあったのは「片手を差し出して、その手にワイバーンが鼻をこすりつけたらもう仲良しです」なんて記述があったからだ。
そして、ユダが軽く自分の手の匂いを嗅いだ後。
少し湿ってゴツいユダの鼻先が自分の手に触れた。
「これから、よろしく」
始めて、本に書いてあったことが役に立った。
次回は二日後




