第239話 いつかの目の色
『ワイバーンと仲良くなるためには』という名前の本を右手に持って読んでいるが、全くもって内容が頭の中に入らないのと同時に専門用語らしきものが多すぎてわけがわからない。だが、それでも本を読んでいる限りでは、あまり特別な行為は必要がないものだと理解できた。
「まずいなぁ....」
すでに、移動で一週間。そして、訓練に一週間かけている。このまま訓練を受けているようだったら陸路で半年歩いた方が早いような気がする。
頭をかきむしり、本を放り出すと部屋のドアをノックする音が聞こえた。「どうぞ」と一言いうと、背筋をピンと伸ばして部屋に入ってきたレギナの姿がそこにあった。
「風呂には入らないのか? 滅多に入れないのだから、今のうちに入っておくべきだと思うが?」
「えぇ。僕も後で行きます、それにしても。本当に髪を伸ばしたんですね」
湯上りなのか、火照ったいる首にタオルを巻いて黒く綺麗な長い髪を束ねているレギナの姿を見ながら立ち上がる。
「あぁ、もう短くする必要はないからな。人生に一二度こういうことがあってもいいだろう」
「そうですね。自分も伸ばしてみようかな?」
「お前は似合わなそうだからやめておけ」
全く包み隠さない返しに苦笑し、レギナからタオルを受け取ると部屋の扉を開ける。店の営業をやっている掘っ建て小屋から少し離れたところにトム爺さんの住んでいる家がある。以前は、家族と一緒に暮らしていたのだそうだが今はいないそうだ。
「そういえば。お前につきまとっていた精霊どもはどうした? 姿を見かけないようだが」
「あぁ......一度この剣が折れた時から、姿を見せてくれないんです」
「そうなのか。まぁ、静かなのは願ってもないことだが」
風呂に入る準備として腰に巻いていたパレットソードの鞘を見つめる。そこに嵌っている精霊石は四つ。ルビー、サファイア、エメラルド、イエローダイアモンドといった輝きを持つ宝石のような精霊石だが、輝きは元に戻っているのにその中にいる精霊たちからの声が全く聞こえないのだ。
もとより、トールの声は聞けなくて当然なのだが。
「一つ、お前に渡しておきたいものがある」
「はい、なんでしょう」
鞘から視線を外すと、レギナは懐から一枚の紙を差し出す。受け取り、広げてみると、そこにはパレットソードの設計図のようなものが描かれており、剣のことはともかく鞘についての説明が多く書かれている。
「これは.....」
「ロッソからの手土産だ。中身の内容はよくわからないが、ショウにとのことだ。あいつのことだ、きっと役に立つことが書いてある」
「.....ありがとうございます」
「あぁ、さっさと風呂に入って寝ろ。あしたも早い」
そういって、彼女は部屋を出て行ってしまった。
そういう自分だって魔術はからっきしだ。彼女が時々話すロッソという人物は相当魔術に秀でた人物なのだから余計に書いてることのわけがわからないのではないかと不安になってしまう。
だが、ふと見た一単語に目が向いた。
それは、今起きている状況に最もふさわしく。そして、偶然とは思えなくらいに、先ほどの会話に出ていたのだから。
「....術式、精霊封印.....?」
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「だはっ!」
「いやぁ、この子もダメかぁ。一番人懐っこいんだけんどもなぁ〜」
「人懐っこいって振り下ろしかたじゃないですよ.....今の.....」
思いっきり振り落とされ、背中を機にぶつけ体全身に痺れが走る。いつぞやの右腕が動かなくなったトラウマが脳裏によぎり、不安を取り払うように頭を振るう。
人懐っこいと言われたワイバーンはこちらを一瞥して鼻息を荒くすると、馬小屋のような形をしたワイバーン小屋から顔を出したもう一匹のワイバーンと愛おしそうに鼻と鼻をすり合わしている。
「そういえば....ワイバーンって一生に一度しか番を作らないんでしたっけ....」
「そうそう。しっかり勉強してくだすってるようで」
トム爺さんの優しい表情にどこか安心感を覚えながら、差し伸べられた手を掴み力強く引き寄せられる。
ワイバーンという生き物は、その一生を一匹のつがいと添い遂げるらしい。よって運送であったり、運搬の際には番の片方を小屋に残して、もう一匹を運送に出すと迷わず戻ってくるのだそうだ。たとえ、それが世界の裏側であったとしても、必ず番を見つけて戻ってくるのだという。
そんなロマンチックにも思える話とは裏腹に全身に感じる痛みと戦いながら立ち上がると、地面に巨大な影が映る。ふと、頭上の空をみると逆光でシルエットになっているワイバーンが大きく旋回しながら綺麗に飛び回っているのが見える。
そして、そのワイバーンは徐々に硬度を落としてゆき地面付近で軽くホバリングをした後ズシンと重量感のある振動と共に地面に降り立った。
「いやぁ。ここまで綺麗にワイバーンを乗りこなす方も珍しいわ」
「あぁ。実に気持ちがいいな、乗り物酔いしやすいのが難点だが本当に彼は素晴らしい」
ワイバーンの背中から華麗に飛び降りたレギナが満足げな表情でペテロと言う名のワイバーンの顔を撫で回している。全くもって羨ましい。
「ショウはまだ乗れないのか?」
「はぁ.....残念ながら」
「私の後ろに乗せてもダメだったしな」
前回、二人乗りはどうかと思いたち試しに二人乗り用の鎧をセットしてもらいレギナと一緒に乗ったのだが、どうしても自分だけが振り下ろされてしまい大惨事になりかねなかった。もはや、レギナがワイバーンに好かれていて、自分がとことん嫌われているようにしか感じないのである。
「一層の事、お前だけ陸路を走っていくか?」
「絶対にお断りいたします」
歩くだけでも異常な距離を走ってゆくだなんて身の毛のよだつことを、本気な顔で言うのは全くもって心臓に悪いことこの上ない。
「嫌なら死ぬ気で乗れるようになれ。こんなところでつまづいている時間はない」
「わかってますけど....はぁ....」
どうしようもなく自分が足を引っ張っていることはわかっている。こんな歯痒い思いをするのも慣れたものだが心地が良くないのもまた事実である。そして、トム爺さんにも相当心配されていることもあって、胸が痛い。
「すみません、もう他におとなしいワイバーンはいないんですよね?」
「う〜ん、いるにはいるんだがなぁ〜.....」
「いるんですか?」
「あぁ、だがなぁ。おとなしい時とそうじゃない時があってなぁ....」
トム爺さんがかなり渋っている様子だが、おそらく相当な問題児なのだろう。しかし、こちらとしては切羽詰まっていることもあって、藁にもすがりたい気持ちだ。
ここは、一つ賭けに出よう。
「お願いします、合わせて貰えますか?」
「.....まぁ、お客さんが言うんじゃあなぁ。ついて来んさい」
あまり乗る気でないトム爺さんの着く杖の先には、ワイバーン達がいる小屋よりも大きく、時折聞こえてくる何かを引っ掻くような音と、重々しい鎖の音からして明らかに今まで触れ合ったワイバーン達とは違う空気感を醸し出していた。
そして、その空気感を感じるのか。レギナに懐いているペトロがレギナを盾にするようにこそこそと後ろの方に隠れてしまった。
「ここにいるワイバーンは?」
「ここいる奴は、ちょっと事情がありましてな。こいつの番は体が小さくて、冒険者なんかにもよく狙われていたそうなんで」
ワイバーンという生き物は、竜種に属する魔物だ。滅多に人里に降りることはないのだが、人間の開発により住処を減らしたことにより居場所を失ったワイバーンは時折人里に現れて、人間を襲ったり、家畜を襲うのだ。しかし、普段は大人しいはずのワイバーンが冒険者に狙われる理由が二つある。一つは、人の味を覚えて何度も人里に降りて村を襲うようになった場合、リーフェの父親が襲われたのはこれだ。そして、もう一つはワイバーンの素材が叩く取引されるということだ。基本竜種に捨てる場所などない。その硬い皮膚は優れた防具になり、飛ぶためにしなやかに進化した骨は優れた弓として使われ、他にも衣服、家具にも姿を変え、そしてそのどれもが高級品だ。
安い収入しか得ていない、冒険者にとってワイバーンは金の塊のようなものなのだ。
「扉を開けますけど、正面に立たないようにお願いしますね」
トム爺さんの言う通りに、扉の正面ではなく少し端の方に逸れて身構える。重々しく開かれるとびら、その隙間から覗く巨体と、金色に爛々と光る目がこちらを睨みつけていた。
小屋に太陽の光が差し込む。
そして、鼻に入り込んできた腐臭に思わず袖で鼻を覆ってしまう。それは、レギナも同じだったのか険しい顔をして小屋の中身を見つめている。
「....今日は機嫌が良いな。ユダ」
光が差し込んだ先にユダはいた、それはワイバーンというよりかドラゴンのような巨大な体躯で。そして、彼の大事そうに抱えているというよりも誰にも触れさせないように守っているように見えるもう一体の干からびたミイラのようなワイバーン。
「トム爺さん....」
「あぁ。あれは、あいつの番だ、戦いに巻き込まれて死んじまったんだけど。あいつは手放さなくてな....」
一歩。
次の瞬間、顔をスレスレのところでワイバーンの鋭い尻尾の先端が掠める。頬から血が流れ、まるで涙のように顎を伝い地面に滴った。
ユダの唸り声が腹の奥底に響く。
まるで、この世界すべてを破壊しつくすほどの憎悪を込めたかのように。
だが、トム爺さんの制止を振りほどいてユダへと近づく。
自分は、こんな目をしている男を知っている。
自分は、こんな目になってしまった男を知っている。
自分は、こんな目になっていた自分を知っていた。
「トム爺さん、彼に決めました」
自分は、彼に乗ります。
明日も更新。
正月粘ります。




