第232話 奪取の色
腕の中に収まる少女はそのまま眠るように気絶した。その冷たい胸に手をおくが微かに心臓は動いている。だが、想像以上に彼女の体はボロボロだ。これでは空中を跳んで脱出するのは体の負担を考えてかなり厳しいだろう。
本当ならば、今ここで彼女をウィーネの魔術で治癒したいので山々だがその治癒は自分の体を引き換えに彼女を治癒させるものだ。彼女の傷の状態で自分が同じダメージを負いながら治癒を行えば確実に気絶するだろう。そうなれば、彼女を守る人間は一人もいないことになる。流石にそれはリスクが高い。
よって、とるべき行動は一つ。
ナインヘッズの連中が陽動作戦で城内に入り込んだ騒ぎに乗じて、陸路でメルトたちのところにたどり着くのが一番安全かつ最善の方法だ。
「待ってろよ.....もうすぐで助かるからな.....っ」
ジジューの閉じ込められていた監獄の中は窓も何もなく、吹き抜けの窓のようなものが一つ、そこから外の冬の冷たい風が入り込んでおり、ろくに食事も与えられず、そして糞尿の処理もされていなかったのか部屋全体から異臭がした。こんな状態で二週間近く、彼女のことを助けることができなかったのかと思うと胸が痛い。
そして、一つ気づいたことがあった。
今、腕の中で自分のローブに包まれて気絶している彼女の肌にあったはずの刺青が綺麗さっぱり消えているのである。正確に言うのであれば、ミミズ腫れのような治りかけのあざのような形で肌に多少跡が残っているものの、それは明らかに刺青などではない。
「一体何されたんだ.....」
体全身についた刺し傷、鞭の様なもので打たれた跡。拷問の後のようにも見えるが、少なからず人間のやることではない。
それを行なったのは一体誰だ。
王都の『啓示を受けしものの会』か。
それとも先ほど殴り倒した黒装束の男たちか。
いや。
それとも.....
と考えたところで、頭を大きく振るう。仮にガルシアだったとしても彼女をここまで甚振る理由がどこにあると言うのだ。彼が狙っているのは自分の持つパレットソードだけ。
まさか。自分の居場所を聞き出すために、彼が行なったことなのか。
ありえない、信じたくない。
そんな事実から目を背けるように彼女の傷ついた肌を隠すようにしてローブを着させる。できたらこの場で少しでも彼女の傷を癒してあげたい。パレットソードの持ち手を回し、ウィーネの精霊石に接続する。自分の体の中を流れ始めるウィーネの魔力を片手から、彼女の体を覆うローブに通す。
「こんなことしかできなくて、ごめん」
すると、白いローブが魔力に呼応するように青白く優しい光がジジューを優しく包み込み傷を癒し始めた。だが、自分がウィーネの魔術を使用している時よりもはるかに治りは遅い。あくまで応急処置なのだと理解する。そして、やはりこの状態での脱出は危険だと判断した。
「なんであんたがここにいるのよ…」
「…よ、二週間ぶりだな」
「はぁ…最悪…ねぇ、どうして助けなんかに来たの? バカなの?」
多少傷が癒えたのか、ジジューは意識を取り戻しその瞬間に浴びせられた侮蔑の言葉に少し安心した。これだけのことが言えるのならばおそらく死ぬようなことはあるまい。
「バカはあんただ。自分一人犠牲になろうとしやがって、自分たちの居場所なんか想像できたろ、なんで言わなかったんだよ」
「あのねぇ…私はあんたたちに気を効かせようとして…」
「俺の性格を知ってるんだったらわかるだろ?」
その瞬間、彼女の青い瞳がほんの少しだけ揺らいだ。考えついてはいたが、それを信じたくなかった。だが、少しだけ期待していたかのような。そんな眼だった。
外が騒がしくなってきた。
陽動作戦、開始。
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塔の外を出るとナインヘッズの面子が城内に流れ込んで黒装束の大軍相手に大暴れをしていた。さすがは元軍人と言ったところか、少人数の生き残った黒装束たちを一網打尽にしている。
現在ジジューを両腕で抱えている自分は、この戦乱の真っ只中を駆け抜けなくてはならない。そして、ローブの特性上。埃の多い場所とかではステルス機能は発揮されない。すなわち、本気で誰とも戦わず駆け抜けなくてはジジューもろとも死ぬということである。
「スゥ....フゥ....」
軽い深呼吸。
次の瞬間、高い城壁から角度90度を一気にジジューを抱いて駆け下りる。着地と同時に中庭で起こっている戦場を一気に駆け抜ける。
頭上を剣が交差し、
体すれすれをナイフと矢が掠める。
「ショウっ! 貴様なぜっ」
「ガレアさん、ちょっ! 彼女の状態で空中の脱出は無理でっすっ!」
途中、大剣を構えたガレアが自分の姿に気づき声をかけた。その最中でも、容赦無く黒装束の男たちが襲いかかってくる。剣で応戦ができない今、避けるので精一杯だ。
そして、とうとう囲まれて自分の背中とガレアの背中が触れた。
「はぁ…で、どうしたらいい?」
「陸路で彼女と脱出します。道を作っていただけますか?」
「道って…簡単に言うな…」
「お願いします。9番隊副隊長」
「.....ケッ、クソッタレっ! やってやるから頭低くしろぉいっ!」
次の瞬間、とっさに屈めた体の頭上を通る大きな大剣がハンマー投げのように大きな風切り音を立てて、取り囲んだ黒装束の男たちの頭を次々となぎ払ってゆく。
活路ができた。
「行けっ、ショウっ!」
「ありがとうございますっ!」
「おい野郎どもっ! 『エスコート』だっ! 丁重に御返ししろっ!」
ガレアの声が城を震わせる、その瞬間それに負けじと元9番隊王都騎士団の声が城を震わせた。
自分を中心に敵が寄せ付けられないように、9番隊が次々と黒装束の男たちを押さえつけてゆく。この機を逃すまい、とわき目を振ることなくその先に見える城の出口に向けてさらに加速する。そこさえ抜ければこちらの勝ちだ。彼らも脱出を確認したのと同時に撤退をするだろう。
後残り数歩。
しかし一歩踏み出すたびに、直感とも言うべき思考が脳内を駆け巡った。
最初にこの城内に侵入した時。
ここにくる前のこと。
そして、恐れていたこと。
どうして、こんなにもことが簡単に進んでいる。
運か?
違う。
策略か。
「っ…!」
次の瞬間、体全身を覆い尽くすような強い圧迫感を感じる。
殺気か、
威圧か、
体を動かすことができない。
進もうとした足が地面に着く寸前で、体全身が殺意という名の鉄線に絡め取られたかのように身動きが取れなくなる。
動けば、殺される。
だが、精神的なものではない。トールと戦ったときに感じた命のやりとりの中で、自分は恐怖の中でも戦うことのできる術を学んだはずなのだ。これは精神的な萎縮とはまるで違う。
これは、体そのものの動きが封じられている。
いつの間にか周りの音は消え去っていた。湖畔の水面が静かに凪いだように静かになった。
体全身から吹き出る冷や汗と生唾を飲み込む音以外に聞こえたのが腕の中でガチガチと歯を鳴らすジジューの口の音。させる腕の中で、たった一人で拷問に耐えていた彼女が恐怖に震えているのだ。
「…来る…あいつがっ…私の色を奪ったあいつが…っ!」
引き裂いたような声でジジューが叫んだ。次の瞬間、ゴキリと何かが外れるような音が夜の空に響いた。そして、そのままドサリと何かが倒れるような音がした瞬間、まるでそれが連鎖するように次々と何かを突き立てる音、何かが外れる音、何かを砕く音が響き始める。それは戦闘を再開したものではないというのがすぐさま理解することができた。
そして、再び静寂。
最後の何かが倒れたのと同時に、何者かの足音が混ざった。
「貴様たちには効かぬようだ。その胸につけている魔導具のせいか? まぁいい、動きを封じることができたならそれで良しとしよう」
聞き覚えのある声だった。
そう気づいた瞬間、途端に体の自由が戻った。何が起こったのか、すぐさま後ろを振り向くと、そこには先ほどまで戦っていた黒装束の男たちが、あの城壁の上にいた死体と同じように自らの胸を剣で刺したり、首の骨を折ったり、中には自分の心臓を抉り抜いているものまでいた。
黒装束の人間は全て倒れていたが、ナインヘッズの面子は今だに身動きが取れないのか、その場で全員氷漬けにされたかのように固まっていた。
「…ガルシア」
「ショウ、貴様がわざわざここに出向くとはどうやら悪運続きでもないらしい」
全身を黒いローブで身を包み、右手に持った槍をズルズルと地面に引きずりながらこちらに近づいて来る。その左手に握られているのは、何か丸いボールのようなもの。
月明かりが差し込む。
彼の左手に握られているのは、人の頭だった。そして、その頭には見に覚えがあった。
「あいつ.....」
「邪魔だった、だから斬った」
あの時、地下で会ったジジューの師匠と呼ぶべき人物。そして、メルトを誘拐し、その性格の破綻しているあの男のフランツ=テックの首を彼は握っていた。
「俺の目的は最初から変わっていない。その剣をよこせ、そうすれば。今ここで動きを止めているこいつらの命は助けてやる」
「断る。誰にもこの剣を渡すつもりはない」
次の瞬間、槍の先端が目に見えない速度で、そばで身動きが取れなくなっているガレアの喉元に槍の先端が迫る。
「正気か?」
「えぇ。正気だ」
「貴様のことだ、すぐに飛びつくかと思ったが」
他人の命はどうでもいい、ということか。
振り下ろされる寸前、ジジューを地面に置いた後すぐさまパレットソードの持ち手を回転させ、精霊石と接続。次の瞬間、空に雷鳴が響き体全身が黄色い放電に包まれ目の前が黄色い光に塗りつぶされる。
眼を見開く。
現れたのは、スローモーションのようにガルシアの槍がガレアの喉に向けて突き立てられるその姿。そして、これから自分が行う行動を示した黄色い光の軌跡。
両足に力を込め、駆け出すと非常に体が軽かった。
瞬時に、槍の先端を叩き落としガルシアの腹部に一撃叩き込もうとするががそれを彼は右腕の義手で防いでいた。
突如、周りの風景が元のスピードに戻る。
「....その動き。その疾さ....あの男の」
「これは、師匠の技だ。あんたを一度打ち破った、師匠のな....っ!」
両手で構えた全体が黄色く、そしてその全体に幾何学な模様の施された『棍』そして、その両端に掘られた魔法陣と全体に走る黄色い放電。
これは、俺を乗り越えたお前が手にするものだ。
確かに彼はそういった。
だからこそ、これは僕が手にしている力。
『戦棍 レイ』
これより、全力の奪取を開始する。
次回は二日後。
遅れてごめん。




