第224話 因果の色
この世に肉体を得て、二千年以上の月日が経った。
その二千年の間、一度たりとも忘れることはなかった。目の前で、手を伸ばせば救えそうだった。止めることができた、であったはずなのに逃げたのだ。
自分可愛さに逃げたのだ。
二千年の間、罪の意識に苛まされどんなに喉が渇こうとも、腹が減ろうとも、崖から身を投げようとも、死を許される事はなかった。
これは、救える命を目の前で見捨てた罰なのかもしれない。
そんなときだった。
彼の剣を振るうことのできる人間が現れたのだと、遠い極寒の地で悟った。
その時に思ったのだ。
この剣を持つ人を救わなくては、
あのときと同じことを繰り返してはならない。今度こそ、自分が守るのだと。
だが、時の流れは残酷だった。
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混濁した意識の中、うっすらと目を開けた先には見慣れたメルトの顔とハンクの顔が映っていた。背中に感じる感触から考えて、どうやら今ベットの上で寝ているらしい。
「....っ」
「ショウさん、まだ起きちゃ....」
「いえ.....大丈夫です。それより....トールは?」
「....あ」
腰の痛みに少し顔をしかめるが、先ほどした質問に対してのメルトの表情を見てベットから起き上がろうと両腕に力を込める。ふと、はだけた和服の内側には若干血で滲んでいる包帯でぐるぐる巻かれた腹部が見える。横で、動くのを止めようとしているメルトに一言「ありがとう」と伝えると、山小屋の中にある別の部屋へと向かう。
ノックを一回。
中から聞こえてきたのはバンの返事だった。
「失礼します」
「目が覚めたか、嬢ちゃんに感謝しておけよ」
「えぇ。それはもちろん....ですが....」
扉を開け、目の前に飛び込んできた光景。それは、椅子に座るトールの目の前でバンが上半身裸のトールの肌を触っている姿だった。そして、バンの触っているトールの傷だらけの肌に浮かぶ黒いシミの様なもの。黒子とかそういう類のものではなく、例えるのなら何かとても悪いものが体の表面に浮き出ている様な感じだ。
それらが大きく、体の表面を覆う様に点々と広がっている。
「....それは....」
「お前が気にすることじゃない。何、ただの寿命だ」
「ですが....っ」
「ですがもクソもない。ここ最近で酷くなってな、理解したのだろう? サリーの蒼い炎を通して」
「っ....はい」
姿形は、最初に会った時に比べ幾分か若くなっているにも関わらず体を見てしまえば、筋肉のついた老人の肌みたいになっている。どう見ても、健康そうには見えない。
あの時、サリーの蒼い炎にトールが飛び込んできた時に見えた彼のビジョンは、思わず戦場で張り詰めた神経が大きく解かれる様な光景だった。
永遠にも思える長い年月。時には人と交わり、だがあまりにも長すぎる命故に先立たれ、人と関わらない様にと砂漠の地を、極寒の地を、岩山を、魔物の住まう森を、ただひたすら歩いてきた彼の姿。
そんな中で、感じていた彼の心の中には後悔と懺悔のみ。
全てはパレットソードの最初の持ち主に対する「救えるはずだったのに、逃げ出した」という罪の意識。長い年月、それらが積み重なった自責の念が自分の心を押しつぶすかの様になだれ込んできた。
「とまぁ。以上だ、もうすぐで俺は死ぬ。だが、残り五日付き合えるくらいの寿命は残ってるだろうさ。その最中に死んだら精霊石だろうと何だろうと持っていけ」
「そんな....」
「死んだら俺の負けだ。死んだらそこまで、二度と敵に向けて剣は振ることはできない」
それ以降、無言のまま立ち上がりそばに掛けておいた服を手に取り肩に下げると部屋を出て行った。自分の死を全く恐れていない、そんなことを語る堂々とした背中だった。
「ったく、あぁも長生きすっとあんなに偏屈になっちまうもんか」
「それ。バンさんにもそのまんま言えますよ」
「あぁ? なんだと坊主?」
バンが上目遣いで睨んだところで、先ほどトールが座っていた椅子に腰掛けバンと同じ目線で向かい合わせになる。
「さっきまで、トールの体のこと見てましたが。一体どうしたんですか?」
「あ? あぁ....あいつ気絶したお前さんを担いで帰ってきたわいいんだが、玄関先でぶっ倒れてなぁ。うわ言の様に俺以外に体は見せたくねぇって言うもんだから仕方なく俺の部屋で寝かせておいたんだよ」
「.....そうだったんですか....」
結局、自分はトールの体の異変について知ってしまったが彼はこのまま自分と一緒に死と隣り合わせの訓練を行うつもりなのだろうか。医療に関してはド素人の自分でもわかる様なひどい有様だ、自分が言えた口ではないが彼には無理をさせたくはない。
外はすでに夜。大きな二つの月が闇夜を照らしているが、うっすらと空にかかった雲から見て、あしたは雪か雨だろうと思った。
「それで、明日もやるのか?」
「....それは」
「こう言っちゃなんだがな。あの野郎、もう期限云々よりも明日ポックリ逝っても不思議じゃない体だぞ。お前さん、あのクソ女のいる場所はわかるんだろ? 一つ、ここはあいつを置いて行ったほうがいいんじゃないか?」
「....」
今の自分の技量、と言うよりかは能力の扱い方は以前に比べて確かに洗練されている。このままジジューを救出に行っても、おそらくは扱い方次第で向こう側を壊滅に追い込みながら救出することができる。
だが、それでいいのか。
たった二週間ではあるが死にかける様な訓練を一緒に行った師でもある。自分一人だったら、パレットソードの扱い方も中途半端に終わっていただろう。教え方はどうであれ、死にかけている師を放っておく薄情な真似はできない。
それにだ。
このことを知ってしまった以上、パレットソードを新しく扱う人間として彼とはしっかり向き合わなくてはならない。
故に、出た結論は。
「いえ、僕は彼と戦って。彼をジジュー救出の人員として連れてゆきます」
「....ったく、あの野郎と一緒に強情になりやがって。けれど、それを聞いて少し見直したぜ」
「....えっと、ありがとうございます」
少し頬を釣り上げた彼は立ち上がり、山小屋に備え付けの机へと向かう。そして、机の上に広げられたものをそれぞれ手に取っているわけだが、それらに見に覚えがあった。
「....あっ! それってっ!」
「チッ....大声出すなってんだ。夜中だぞ? 悪いが、修理には三日かかる。それまではこいつなしでやってもらうしかねぇ」
バンが手に取っているもの。それは、今まで愛用していたパルウスの作った防具の成れの果てだった。以前にも、胸当てが真っ二つに割かれてリュイのエルフの村で直してもらったりしただが、今回は腕当て、足当て、胸当てもろとも大きく歪み、ヒビが入ったり、割れていたりとかなりひどい状態だ。
「使ってる素材が素材だからなぁ....完全に元に、とはいかないがキチッと使える様にまではしてやる」
「....ありがとうございます」
「あぁ。こいつがなけりゃ、今頃お前さんはもっとひどい怪我をしてただろうな。死んだあいつも報われるだろうさ」
ボロボロになった防具は、リーフェと一緒に初めて買いに行った防具であり、最後に買った防具だ。そして、パルウスと初めてあったこと、彼と交わした言葉は少ない。だが、そんな彼は自分に最高の一品を与えてくれた。
そして、
そんな彼を敬愛し、憎んだ人間が彼の防具を直している。まさに、これは因果だ。そして、トールにとって自分はまた因果なのだろう。その因果に自分は立ち向かわなくてはならない。これは、直感ではなく使命なのだと心の奥底で誰かが声を上げている様な気がする。
自分は、もう一度。彼と向き合う必要がある。
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だが、向き合うと言うにはあまりにもそれは乱暴すぎた。
相手は、これから死ぬというにも関わらず衰えるどころかむしろ更に疾くなっていっている。もはや、死ぬというのが多ほらなのではないかと思ってしまうほどだ。
そんな彼に向けて、一本の矢から数百に分裂した矢が飛び交う。それらをいとも簡単に躱し、数こそ劣るが精密射撃でこちらの眉間を貫こう電撃が飛び交う。そんな中で会話なんてしようものならば舌が吹き飛ぶだろう。
そして、最悪なことに周りには雪が降っている。ウィーネの魔術はあくまで空気中の魔力の通る水脈を使用するものなのだが、水道管が凍ったかの様に反応が悪い。反応が遅れるのは命取りだ、そこでシルの精霊石でパレットソードを弓状にして戦っているのだが、積もった雪で足場が悪く移動がしづらい。
今まで天候の変化に対して気に病んだことはないが、これはあまりにもひどい。そんな中、平然とトールはスピードを緩めず走っているのだから関心を通り越して呆れてしまう。
そして、この日は。あまりの寒さに体が動かなくなったところを突かれて、この日の訓練の幕を閉じた。
こんな人間とどうやって対話をしろというのか。
次回更新は二日後




