第220話 第六感の色
どこか体が軽かった。今まで感じていた痛みもどこかに消えているような、優しく優しく全身を包むような流れ。
それは、確かに風だった。
触りどころのない感覚は、頭の中を通り抜けては消えてゆく。まるで雲のようだ、そしてそんな自分は今どこに。その存在自体が空間と一体化したような感覚すらある。
空間と一体化している。それは即ち、この空間に置かれたもの全てが知覚できるということに他ならない。それは、視覚でもない、聴覚でもない、嗅覚でもなければ触覚でもない。五感を超えた向こう側にある、第六感と言ったほうが正しい、未知の領域が頭の片隅で覚醒して本能を揺すぶっている。
そして、トールが剣を振り下ろそうとした瞬間。体が自然と、次の行動を予測し反応していた。右腕を動かし、振り下ろされた腕を弾く。続いて、追撃の頭突きを回避、そのまま体の重心を後ろに持ってゆくと背面跳びの容量で天地が逆さまになる。
体がまるで別物みたいだ。全く体の重さを感じない。
流れが変わる。
首元を狙ったトールの拳が届くその寸前、おもむろに次の相手の行動がわかる。掴みかかろうとした手を回避するのと同時に、トールの持った左手のナイフを斬りつける寸前で弾き飛ばす。
「....読みが冴えてるな。視えたのか?」
「....感じました。うまく、説明はできません」
視えない目の向こう側で、トールの頬が釣り上がるのを感じた。
電撃。
正面に迫る電撃の残像のようなものが一瞬、感じ取れた。予測をしながら回避の準備、次の瞬間顔の横をかすめるように電撃がバチバチと激しい音を立てて飛んでくる。
うっとおしい。
動かない左肩に向けて右の掌で強く殴りつける。激痛の走る中、数発殴りつけると、左肩から鈍い音が響き万全とはいえないがある程度肩周りが動かせるようになった。
『レディー』
地面に落ちていた弓が伸ばした左手に収まる。深く引き絞った先にいるのは、その様子を漠然と眺めていたトールの頭。
おそらく当てることはできない。それは何と無く、感じる。
だが、それでも。
「俺は、あんたに一発当てないと気が済まない」
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『闇を光で照らすんだ』
ある偉大なミュージシャンはそう言って、二日前に銃弾で倒れたにも関わらず平和のために歌を歌った。
ふと、そんな話を思い出した。
森の向こう側から聞こえる爆音を聞いて思った。いまの彼は、本当にそのミュージシャンそのものだと。だからこそ、自分は応援したくなるのかもしれない。思わず、全てを投げ打つ覚悟で彼と向き合ってしまうのかもしれない。
「どうしたんです? ハンクさん」
「ん? いや。あいつ頑張ってるなってさ」
だから俺も頑張らないと。
そう思って、新しく彼に着せる予定の服の制作に取り掛かった。
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森全体をくまなく手に取るように感じる。この感覚は、パレットソードを使った索敵の感覚に近い。だが、それ以上に範囲は狭く、そしてより精密だ。さらに、対象の行動予測ができる。
視覚として認識していないことがネックとなっているが、しかし全身ソナーとなった上で行動予測ができるこの能力は射撃において相当有利に働くことができる。放った弦を弾いた指から血がにじむ。いくら能力が全開で働くことができたとしても、体の負傷までは癒すことはできない。この力を展開しながら戦っても持ってあと数分だろう。
それでも、やはり予測をしながら放つ矢は確実にトールを追い詰めていっている。徐々に、トールが動く予測も限られてきた。そして、この能力はどんなに疾く動こうとも、どこに隠れていようとも見つけ出し狙撃することができる。トールのような疾さを用いた戦いをする者にとっては最悪の相手と言っていいだろう。
だが、弱点もある。
「っ!」
トールが自分を見つけ接近戦を挑む予測を感じた。すぐさま、狙撃ポイントを別の場所へと移動する。
弱点というか、これはこの能力に慣れていないことに対する弊害のようなもので、接近戦になると多数の予測を感じることができるのだが、それら一つ一つに対応するほどの技量を持ち合わせていないということだ。さすがにいくら刀で攻撃をさばいたのだとしても、攻撃を当てられないのであれば意味がない。
だが、この長距離での攻撃であればある程度相手の行動を制限できる上に、行動の予測も限られる。やはり、接近戦には向いていない能力なのは確かだろう。
放たれた矢がこれから通るべき道に向けて数発突き刺さると大きな破裂音が響き渡りトールの道を塞ぐように木々がなぎ倒されてゆく。
予測。トールが木々に隠れようとしている姿を感じる。
「....無駄だ」
弓矢を構え、弦を引きしぼる。
弓から放たれた緑色の軌跡のような光のような矢は放たれたのと同時に放射状に分裂して飛び立つ。それらはまるでこれから着地点を探し当てるように曲がりながら森の中に侵入してゆく。
その瞬間、木の間からトールが矢から逃れるように森の中を疾走する様子を感じた。決して、見えていたわけではない。しかし、彼の持つ独特の魔力の波長を追跡することでどんなところに隠れていてもこの能力が有効な範囲では必ず狙うことができる。
要するに、トールと一定の距離を保つことができれば一方的に狙い撃ちすることが可能になる。
「もう、あんたは詰んでる」
追撃。さらに矢の量が増えてゆく。
しかし、矢を放つたびに指先が千切れそうな痛みを感じる。お互い限界が近いのは明白だった。
トールから焦りを感じる。先ほどまでの余裕が嘘のように全身を使って矢を回避しながら迎撃を繰り返している。おそらく、こちらの体力が限界になるの見計らっての行動なのだろう。であるならば、こちらも手数を増やすだけ。
だが、本来の目的は別にある。
このままトールをあるポイントまで誘導する。それさえできれば短時間で決着をつけることができる。
「頼むぞ....引っかかってくれ....っ!」
一撃。トールの周りを四方八方から取り囲む弓矢が徐々に違った動きを始める。放たれた弓矢も、この能力の範囲内であれば自由自在に操ることができる。もはや、第六感ではなく超能力の域だ。
ポイントまで、残り数十メートル。
追い込みをかけるように二発続けて森に向けて放つ。分散した矢は確実にトールを追い詰めてゆき、すでにこの時点で一つくらいは当たってもいいのではないかという量を狙撃と回避だけで防いでいる。
自分には到底真似できないことだ。
そして、トールがポイントに差し掛かった瞬間。
上空に向けて引き絞った弓から先ほどまでの矢とは形状と大きさの違う矢が一本放たれる。それは、真っ直ぐ青い空を抜けて吸い込まれるように遠くまで飛んで行った。
そして、一つ青い空に緑の閃光が走る。その瞬間、地上に向けて分散した矢が円形状に地面に突き刺さる。その数は総数30本ほど。そして、その中心にいるのは、トールだ。
30本の矢はそれぞれ地面に突き刺さるや否や軽い破裂音を鳴らし、矢で囲んでいる空間をシャボン玉の表面のような膜で覆い囲む。そこに覆い尽くされた瞬間に、空中で舞っていたはずの枯れ草や、枯葉がまるでそのまま時が止まったかのように空中で静止する。
すなわち、これは時間、空間の固定する魔術。シルの魔術の真骨頂である。
そして、例外なくその空間に囚われたトールもその場で回避をしようとした瞬間をそのまま切り取ったように固まっている。
「っ!」
すかさず、弓の弦を限界まで引き絞る。すでに擦り切れて指から血が滴り、握った弦を濡らしているが、そんなこと御構い無しにさらに弓がしなるほど引き絞ってゆく。
この絶好のチャンス。逃すわけにはいかない。
矢は、放たれた。矢は真っ直ぐ、固定されたままのトールに目掛けて曲がることなく、周囲を空気を歪ませながら飛んでゆく。
被弾、その瞬間に猛烈な風が着弾点にから吹き荒れた。思わず立っている岩のを掴んでいないと吹き飛ばされそうな勢いの風が吹き荒れている。だが、それでも第六感はしっかりと着弾を確認しており、確実にトールのいた場所に着弾したことを認識している。
一太刀、すなわち一撃をここで与えることができた。これで、トールと契約をすることができ、そしてジジューを助けることができる。安堵感からか、全身の力が抜けていくのがわかる。
たった三日ではあったが、こんなにも辛いとは思わなかった。
だがこれで、ようやく。
ようやく、
と、思った時。頭を電気が走ったかのような衝撃が走る。力の抜けた体が痙攣し、頭が割れるような激痛が走る。
なぜ、
なぜ、
なぜ。
攻撃を受けた。一体どこから、
起き上がろうにも足がうまく動かせない。頭に食らった衝撃は間違いなく、何度も食らったあの衝撃に間違いない。トールの放つ、あの電撃の衝撃だ。
「教訓だ。相手を仕留めたと思っても気をぬくな、その死体を確認するまで相手は仕留められてないということを肝に銘じろ」
「そ、そんな....っ。あなたは、た、たし、確かにっ!」
背後から聞こえてくる声は確実に、あの場所で動けなくなっていたはずのトールの声だった。それに、感じるこの気配は魔力が高まって、しかも傷一つ負っていない。
なぜ、
ただただその言葉が頭の中でぐるぐると回っている。
「不思議そうな顔をしているが、別に原理は難しくない。お前は、残像の俺を捕らえたのさ」
「残....像....っ?」
「あぁ。確かに一瞬焦ったさ、だが戦闘において冷静さを欠くのは死に直結している。いい勉強になったな」
トールの魔力が指先に溜まる。それは理解している、なぜならそれを感じることができるから。そして、どうしても逃げたいのに体が言うことをきかない。
一気に逆転である。
「俺は、お前たちの最大限の能力を熟知している。容易な策で勝てると思うな」
次の瞬間、体に走った稲妻が一気に意識を刈り取った。だがその寸前に、頭によぎったものがあった。
こんな化け物、勝てるはずがない。
と。
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