第213話 心の色
一週間の経過は、思ったよりも早かった。怪我の治療は、ウィーネの魔術を断片的に使う事で二日かけて治した。そして、ここ2ヶ月くらい使えなかった右腕を元の調子に戻すのが一番苦労した。衰えた筋肉を動かすためにまず日常生活から、そしてリハビリと筋力トレーニングを重ねてゆき一週間で刀を振るうには問題ないほどに回復した。もちろん前回までのように自由に技が放てるかといえば全くできないが、攻めと守りぐらいはこなせるだろう。
「ほら、調整が終わったぞ」
「あぁ、ありがとうございます」
小屋の中でバンから受け取ったのは逃走の時に大活躍だった刀だ。左手でしか扱っていない時とは違い、両手で持てるように持ち手のガードは外されている。これでようやく本来の刀としての役割を果たすことができることになる。
「だいぶ無理して使ってるようだったが、本当に大丈夫なんだな」
「えぇ。右腕が戻ってようやく本来の動きを取り戻せました。多分、あなたの刀もうまく扱えると思います」
「ならいいんだが....」
心配そうな面持ちのバンが近寄り、その職人独特のゴツゴツとした指先で自分の胸を指差す。
「俺が心配してるのはその剣じゃねぇ。テメェの心だ」
「それは....」
「いいか。俺は武芸者でもなんでもねぇが、武器を扱う人間の心の持ちようはその剣を見れば一目瞭然だ。どこか掴みようのねぇ受け流しで、結局自分をボロボロにしちまってる。そんな剣だ」
渡された刀が急に重く感じた。自分の心の持ちようが剣を鈍らせる、そんなことは百も承知だ。それは親父からも言われてきたし、何より今までの実戦十二分にわかっているはずだった。
それでも。
自分は今でも迷っているのか?
「とまぁ、ジジィの御託は以上だ。あとひとつだけ。いい加減その剣に名前をつけてやれ」
「え?」
「いつまでたっても無銘じゃ格好がつかねぇだろが。これでも名のある鍛治職人が打った剣だ、俺はそいつをどんな名前にしようが勝手だがこの剣を使うテメェがしっかりと名前つけてやんな」
名前か。
日本刀の名前は基本的に、逸話が元になっているものだったり、使っている人間がつける場合もある。確かに、今回のことはどちらかといえば後者になるだろう。これから、おそらく長い付き合いになるであろうこの刀に一体どんな名前をつければいいのやら。
受け取った刀をしばらく見下ろすと、バンに一言礼を言ったあと小屋の中を後にする。すると、出入口付近で待っていたのはメルトだった。手に、本日の夕食であろう食材を抱えて自分の姿を見て立ち尽くしている。
「あ....お気をつけて、いってらっしゃい」
「....ありがとうございます。では」
腰にパレットソード、未だに無銘の刀を下げてメルトの横を通り過ぎてゆく。どこか、彼女との間に深い溝があるようで目が覚めた後も、リハビリを行なっていた時もどこか距離を遠く感じた。
それもまた、自分にとってひとつの悩みの種なのだろうか。
しかし、今は恋心に目を向けている場合ではないというのはわかっている。優先すべきはジジュー奪還のための戦力を身につけることだった。
現在に至るまで、わかっていることは二つある。
まず一つは、ジジューは生きているということ。これはパレットソードを使うことでの探索による結果だった、修復が終わった後もこの能力は難なく使うことはできた。そして、彼女は怪我を負って衰弱をしているものの治療を受けているおかげか回復をしているようで、とにかく死亡していないということがわかった。これがまず唯一の救いだろう。
そして、二つは彼女の居場所だ。彼女は、現在逃走したノヴァから数十キロ離れた巨大な建造物に囚われていることが判明した。その建造物とは、以前レギナと初めて戦闘を行った騎士団支部のような建物であり、索敵を行ってわかった敵数はおおよそ二百数十名。どう考えても一人で乗り込む場所ではない、だがパレットソードの力を解放したらあるいは、という結論に至っている。
そのためにも、問題なのはパレットソードの能力を元に戻すのと同時に自分自身が戦力を強化しなくてはならない。幸いにも相手の狙いはこのパレットソードだ。そして、ジジューの様子もこちらからモニタリングすることは可能である。
「来たか、今一色 翔」
「....はい」
森を少し抜けた先、少し開けた先に立っているのはトールだった。
「傷と腕は?」
「完治しています、ですが全力では無理です」
「そうか、なら本気で行こう」
次の瞬間、瞬きも許さないほどの斬撃がしたから襲いかかる。とっさに刀を引き抜き防御をしたが、すでに体に触れる寸前のところまで何かが迫っている。
それは、ただの木の棒だった。しかし、いまの斬撃は明らかに剣のような鋭さを感じる。触れていたら確実に切られていただろう。刀を振り抜くと同時にトールの持つ木の棒を逸らし、一歩引いて間合いを取る。
だが、それを彼は許さない。
次の瞬間には目の前で木の棒が一本だったのが二本に増えて襲いかかる。刀で受け止め損ねた一本が脇腹に入り体の奥で骨が砕ける音が響いた。
「ガッ!」
大きく吹き飛ばされ森の中へと体が吸い込まれる。木にあたりさらに大きく体を打ち付けるが、明らかに肋骨が折れていることがわかる。向こう側から木の棒を持ったトールが近づいてくる。その目はひどく冷たい。
その目を、自分は知っている。
「まだ立てるな」
「っ、はい....っ!」
刀を地面に突き刺し、激しく痛む体を支えながら立ち上がる。その瞬間、刀は地面から離れ、バランスを崩したその体に再び木の棒が襲いかかる。トールの持つ棒はなんの変哲もないただ森で拾った棒だ。であるはずなのに、そのひとつひとつの衝撃は木刀をも上回る。
たった数分。
それだけで体は、以前のノヴァの時と全く同じ状態。いや、それ以上の状態に戻る。
「まだ立てるな」
「....っ.....あ....」
「お前が人を助けたいという願いはその程度のものか? まだ、剣の力すら解放していないだろう」
すでに体を起き上がらせているの限界だ。しかし、トールの容赦のない攻撃が続く。頭を打ちのめされ、防いだ刀を持つ手を封じられながら胴をいたぶられる。全身がすでに痛みを通り越して感覚として機能していない。
「それがお前の限界か? なら、お前は誰一人救うこともできない。目の前で救いたい命をまたお前は救えず後悔するだけだ」
「っ....! はぁあああっっっっ!」
立ち上がり、構えた刀を握りしめる。
『今一色流 剣術 時雨<豪>』
斬撃の雨がトールに襲いかかる。しかし、打ち付けても打ち付けてもトールの体に届くことなく木の棒であしらわれてしまう。技の切れ目、足をすくわれた瞬間、体全身に同時に入り込む内臓まで震わせる衝撃が走る。
これは、
『今一色流 剣術 時雨<豪>』
明らかに、それは自分が使っていた技だ。だが、自分が使うものよりもはるか疾く、重い。いつしかの思い出のような痛みが全身に駆け巡り意識がどこかへと遠のいてゆく。
「技は技量の差が顕著に出る。乱打ならば、技の正確さよりも、その手数の多さに重点を置くべきだ。技の使い方を見誤るな」
その一言を最後に体が大きく打ち上がる。反転した青い空が視界に映し出され、自分は今まで何をして来たのだろうかと自問自答を繰り返す。どこか走馬灯にもにた記憶の断片が短い時間の中で駆け巡る。
初めて、親父から今一色流の手ほどきを受けた時、初めて見た技が『時雨』だった。そこに感激して始めたというのに、ここまで完膚なきまでに模倣され挙句自分よりも確実に完全な状態に技を放たれてしまったのならばどうしようもない。
「もう終わりか」
「いや....まだ立て....っ!」
上げようとした顔を思いっきり蹴り上げられ、再び地面を転がる。痛みで体を起き上がらせることができない。だが、立たなくてはなんのためにトールに頼み込んで稽古をつけてもらっているかわからない。しかし、持ち上げようとした頭を思いっきり近づいてきたトールに踏み潰される。
「剣を使え、体を瞬時に修復しろ。動けるときに治しておかないといざという時に動けなくなって詰むぞ」
「は....っ、くっ!」
足が離れた。パレットソードを青の精霊石に接続。抜剣、その瞬間、パレットソードの形状が槍に変化、そして周囲の水が体に集まり始め傷を癒し始める。しかし、発動させていたときに接続されるはずの青の精霊ウィーネの声は頭の中で響くことはない。そして、そのせいでもあるのか傷は修復されているものの治りが普段よりも遅い。
「今、その剣に注がれているのはお前の純粋な魔力のみだ。以前はウィーネやサリーが自分の魔力を使って剣の力を引き出していたようだが、それは飛んだ間違いだ」
ある程度痛みの引いてきた体を起こしトールのことをみるが、この力を使っているときに見えるはずの水脈の線がとても細く見える。本来ならばもっと濃く見えるはずなのに、なぜか今はとても裂くのですら難しいほどに細い。
「その剣で初めて力を引き出したときのことを思い出してみろ。それが、この剣を使いこなす鍵だ。そして、それが足りない今のお前の剣の力は....」
「っ!」
とっさに地面に槍を突き刺し、ドーム状に広がった防護膜を張りトールの攻撃を防ごうとする。
『アクアリウム』
しかし、
激しく触れ合ったアクアリウムの防護膜は、たかだか木の棒の一振りで大きくヒビが入りガラスのように砕け散る。
「ひどく脆いっ」
槍を構え、トールの迎撃に耐えるが使い慣れてない槍で攻撃をされまともみ防御をすることができず、再び地面に体を汚すことになる。
「他の力の使い方にしても同じだ。今のお前が使ったところでそれはただの手品であって武器ではない」
トールがそばの茂みに木の棒を投げ入れる。地面に転がっている自分は、体を修復するのに精一杯で体を持ち上げることができない。
「二週間で俺に一太刀だ。方法はなんでもいい、できなければお前は二度と人を助けたいだなんていう戯言を口にするな。あの小娘は諦めろ」
期限は二週間。
初日から、すでに不可能という言葉が頭の中でちらついていた。
また二日後




