閑話 きっかけの色
『グスターレ』
彼らがこの街から出て行って、4ヶ月近い月日が流れた。
あれから、街はなにも変わらない。相変わらず、ここに流れてくる冒険者や男も多いし、町のあり方も、生き方も、そこに住む人もなんら変わったことはない。ただ変わったことといえば、この街でもう一つの売りであった遺跡が、近々取り壊されることに決まったということだ。
そして
「それでは、リタさん。今回の結果ですが....盲目にも関わらず、素晴らしい技術だと思います」
「大きに。慣れてるんわ、視えんことにも」
手先に触れた布の感触をしっかりと確かめ、それを胸に抱えた後手持ちの手提げにそれを入れる。
今日は、お店が開店する前の職業講義を受けていたところだ。
内容は裁縫、手計算、料理、初級魔術などなど。職に就くために重要なスキルをここ、遊女館の一室にて習っている。決して、遊女としての生き方を捨てたわけではない。むしろ捨てられないと言うのが正しい言い方だ。
だが、いずれこの生き方を捨てなくてはならなくなった時。その先にあるのは死ではなく、むしろ様々な選択肢の存在する未来であるようにとのことで新しく設けられたカリキュラムだ。
朝起きて、店が夜に開くそれまでの間。ここで受ける遊女の数はすでに2桁を上回っている。最初は、あの地下空間で彼に救われた遊女たち。その大半は、国へと帰って行ったが、帰る国すらない遊女たちはここで学んで行った。
そして、生き方を変えたいと思った遊女もいたのだろう。職業の講義が聞けると聞いた遊女たちは日に日にその数を増やして行った。
男を支配する生き方ではなく、自分の望んだ生き方を選ぶために。
「リタさん、これならばもう私の講義を聞く必要はないんじゃないかしら?」
「いややわ。せんせ、うちのこと嫌い?」
「そんなことないわよ。むしろ、あなたみたいな生徒を持って誇らしいわ。まだお店で?」
「.....うん、あの後な。違う店に入って客を引いとるんやけど、やっぱ瞽は嫌なんかねぇ。あんまり、指名してくれへんやわ」
「そう....もしよかったら、私の織物屋で一緒に働かない? あなただったら優遇してあげてもいいわよ?」
「....大きに、考えさせてもらうわ」
「えぇ、考えておいて」
職業の講義のくる人物は大抵が実際に店を持っていたり、すでに引退した人物なんかが来て教えている。その手を引いているのはギルドだ。ギルドはなにも冒険者をまとめ上げているわけではない。冒険者が持って来た素材などを店に降ろしたり、協定を結んだりして独自の供給ルート開いたり国を跨いだ交易を行ったりする、言うなれば生産企業の元締めを行なっている強大な規模の会社だ。
そして、ギルドと協定を結んでいる店に就職をするということは安定した生活を望むことができるということだ。
そうすれば、自分の体を汚すことなく生きる道が生まれることになる。
そんな考え事をしながら、街の中を杖で地面を叩きながら自分の店へと続く道を歩いている。
結局自分はなにになりたいのだろう。
どう生きたいのだろう。
3歳の頃、熱で寝込み命が救われた代わりに光を失った時。両親は自分のことを娼館に売った。もともと、貧乏で口減らしのために捨てられたのだと聞いた。こんな話、この街ではどこにでもありふれていることであって、男に抱かれるためにはこんな話の一つや二つすることに躊躇もプライドもない。
プライドも、守るものもない中で虚ろな胸の穴を埋めるために男と交わって、それで生きている意味を見出した。でも、別れ際に彼がこう言った。
『....僕の持論ですが、どんな人にもきっかけはあります。あとは、選んだ道をどうやって歩むか、ですかね?』
きっかけは与えられたのだ。
あとは、選択の問題だ。
見えるはずのない、空の色すら忘れてしまった真っ暗な虚空を見上げる。肌から感じるじっとりとした感覚は雨が近いことを告げていた。
「ほんと、無責任な人....」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「....」
雨の音が頭の中に響いている。おかげで、店の前を通る人の足音が聞き取りずらい。木枠の向こう側でこちらを覗き込んでいる人間なのか、いったいどのような服装をしている人間なのか。
それらの情報が全て雨によって消えてしまっている。
基本、客から声をかけるようなことは少ない。初めて店に訪れるような客ならなおさらだ。だから、遊女が男に声をかけて店に連れ込む。
だが、目が見えない者にとってそれは不利というものだ。どのような人物かは音を聞いて判断するし、相手が男か女かは声を聞かなければわからない。そして、目元を隠しているため顔の表情の読み取りずらい自分は人から見たら怖い印象を受けるそうだ。
今夜は客を取ることはできないか。
そう思ったその時だ。
懐かしい音を聞いた。
この長く、裾が擦れるかのような音。そして、ベルトがカチャカチャと音を立てて剣とぶつかる音。そして、
あまりにも姿勢が良すぎるくらいにしっかりと地面を踏み込む意思を持った足音。
「....ちょっと、そこのお兄はん」
「....」
「そこの、裾の長いおべべを着たお兄はん」
あの時と同じように、
すると、その足音は自分の目の前を止まってこちらへと近づいてくるのがわかる。この、無責任にうちを放り出した代償を、しっかりと払ってもらわなくては。
しっかりと、体で。
「....私の姿が見え....いや。すまない、今のは忘れろ」
「あれ....女の人? す、すまへんなぁ。知ってる人と似てて....いや、その....」
「....」
雨のなか、聞こえて来たのは女性の声だった。ものすごく芯の通った、強い女性の声だ。もしやとは思ったけど、やっぱりそううまく行くはずもないか。
「堪忍な、お詫びやさかい。うち、寄っとく? 今ならお安くしよりよす」
「いや....私は女相手にそういう趣味は....」
「お酒だけでも、小料理なんかも良ければ....」
「....わかった、少し邪魔になろう」
そこから先は早かった。部屋の準備、そして料理の準備を手配させて床の準備も一応させた。自分も女性相手というのは経験が少ない、だが相手が堅物であれば堅物であるほど、簡単に落としやすいというのもまた事実なのだ。
準備を終え数分、会計を先に済ませたと思しき客が入って来た。
「済まない、こんな格好で」
「いえいえ。お召し物、お預かりします」
声は明らかに女性だ、彼女かローブを受け取りそれを部屋の隅に畳んで置いておく。受け渡されたときに軽く触れた手の感覚は、とても強いものを感じた。
「お姉はん。冒険者?」
「....まぁ、そんなところだ」
「へぇ、女の方なのに剣を使うなんてすごいわぁ」
「貴方は、見えてるのか?」
「いいえ。音でわかるんの、お姉はんがとても強い人っていうのもなぁ」
部屋の襖が開かれる音が聞こえた。先に自腹で注文しておいた酒が到着したようだ。手元に置かれたグラスとボトルを手に持って酒を注いでゆく。
「私....酒は」
「ええやないの酒も女の嗜み、一杯。付き合ってくれへん?」
グラスを相手に渡す。手元からグラスが離れ、彼女が口にして飲む干す音が聞こえて来た。自分もグラスに酒を注ぎ口にする。この酒は、彼が頼んだものと同じ銘柄の酒だ。
「....懐かしい味だ。随分と前に飲んだ記憶がある」
「そう? お姉はんは海賊?」
「一時期な」
不思議なことをいう人だと思った。そして、同にもこの女性が彼との接点があるように思えてならなかったのだ。
どことなく、雰囲気が彼と似ている。
「お姉はん。どちらからいらしたの?」
「....どこからか、もうどこから来たのか、どこに行くべきなのかもわからなくなってしまった」
「あらあら。迷子?」
「....そうだな。迷子か、いい表現だ」
そういって、グラスを差し出す気配を感じる。
そこに再び酒を注ぎ、まるで自暴自棄になって酒を煽る男のような飲み方をする気配を感じる。
彼女は、きっと遊女の世界などは知ることはないだろう。
だが、女性なのに剣を握り戦う世界を自分は知らない。きっといろいろな経験をして道を見失ったのだろう。
そうして道を見失った人間を癒すのも、遊女の務めだ。
「辛い思いしたんやなぁ」
「仲間と思っていた人間に裏切られ、帰る場所をことごとく潰され。一緒に旅をしていた友人とはいまではどこにいるか見当がつかない。一緒に罵り合う仲間もいなければ、剣を合わせる相手もいない。こんなにも一人が辛いものとは思わなかった」
一人は辛い。
一人は辛くないと言っている人間は、一人になった経験のない人間の言う言葉だ。幼い頃から人の姿がわからなくなり、常に周りの恐怖と戦いながら生きて来た。
ゆえに、一人が辛いというのがよくわかるのだ。
「....何をしてるんだ?」
「ハグや。なに、したことないの?」
「人肌に触れるのは....慣れてなくてな」
抱きしめる腕に力がこもる。
彼女の心臓の音が聞こえる。こんなにも強く脈打っている心臓は男の中でもそうそういない。片手で髪をすかし、そのボロボロになっているであろう彼女の体を思いっきり抱きしめる。
こんなことしか、自分はできないのだ。いや、むしろ孤独を知っているからこそできることなのかもしれない。
「うちの知ってる男でなぁ、無責任な上にでどうしようもないくらいに、お姉はんよりも弱いくらいの男なんやけどな」
彼女の耳元に口を寄せる。
『きっかけは誰にでもある。選択した道をどうやって進むか』
あの男の言葉を口にしていた。
すると、その言葉を聞いた彼女の体が軽く震える。だが、その震えは徐々に大きくなってそれは笑い声へと変わっていった。
「プッ.....そうか。その男は、とんでもないくらい無責任でどうしようもないなぁ。ハァ、だがそんな甘っちょろい言葉を吐きそうな男を私は知ってるなぁ」
「不思議やねぇ。うちら、男視る目はないようやわぁ」
「あぁ、全くだ」
あぁ、全く。
そう呟き終えると、腕にスッポリと収まっていた彼女は寝息を立ててしまった。相当疲れていたのか、それとも酒に弱かったのか、それとも何かが腑に落ちたのか。
とりあえず、床の準備をさせておいてよかったと思った。
次の日の朝、一言礼を述べた後彼女は出ていった。自分と彼女の間にどんな関係があったとしても、それは一夜限りの話。
二度と、彼女と会うことはないだろう。
そして、その一夜での出来事が自分の人生を決定づける重要な日になるのかもしれないということを自分は改めて知った。
その日、授業を終えた自分は先生の元に駆け寄った。
「あら、リタさん。どうしたのかしら?」
「せんせ。うち....昨日の話、断るわ」
「....そう、わかった。返事が聞けて嬉しいわ」
「でね、せんせ。その....もし、もし知り合いがおったらでええんやけど....」
「何かしら?」
盲目の人間ができることは少ない、そしてそれはこの世界にとって不利な、そしてデメリットでしかないことがある。でもだ。そんな人間が、孤独で昨日の客のように多く苦しみを抱えてる人間に手を差し伸べたい。
そのために、今自分には
そう、
「うち....」
やりたいことがあるんですっ!
明日から更新はお休み
テスト期間中でね、できればこちらもチェックっ!
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