第166話 時間の色
さて、如何にもこうにも冷や汗が止まらない。
とんでもないことを口走ってしまった。いや、確かに今目の前の男の冷静さをなんとしてでも欠いて、逃げ出せる状況を作らなければ王都で処刑をさせられることになる。そのためにも、メルトの話を聞いてもらいたくこんなことを言ったわけだが....
目の前のエギルという男。もう怒りで真っ赤になっている。
「....ショウさんと....キス.....」
隣では、自分の唇を人差し指でなぞり頬を染めているメルト。
収集つくのか、これ。
「と、ともかく。話を飲まないのであれば本気ですよ。僕は彼女の.....はい。奪います」
「....っ! メルト、今すぐこの男から離れろっ!」
「いやですっ! お兄様も私のことが.....いえ....別にされても嬉しいですけど....とにかくいやなら話を聞いてあげてくださいっ!」
もう立ち上がって腰の剣に手を伸ばし、威嚇をするエギル。隣ではいやんいやんと頭を振って悶絶するメルト。
なんなんだ、このカオスは。
だが、そんな中で一人冷静な人物がいた。
それはここのメイドのソフィーだ。
「御二方様。どうか落ち着いてください、クラーク家の長女、長男たるもの。常に毅然となさることをお心がけくださいませ」
「く....っ、すまなかった.....取り乱していたようだ」
はい、もうものすごく。
剣から手を離し再び座り直すとテーブルに新しく置かれた紅茶を一気飲みする。そして軽く息を吐き正面に向きなおすと、元の冷徹な表情へと戻った。
「それで、僕のかわいい妹の唇を奪うだと宣った貴様にはそれ相応の覚悟があるとみた。そこまでして貴様が手にしたいものは一体なんだ」
「えぇ、二つあります」
まず一つ。それは時間だ。
自分が無実であるという証明する時間が必要である。何も、無条件に無実にしろとは言わない。ただその無実を証明するための時間が欲しいと言っているのだ。
そして二つ。それはメルト自身のことだ。
彼女が今どう思っているかわからない。だが、もし自分の想像通りに彼女がイニティウム戻りたいと思っているのであるのならば、どうか彼女がイニティウムでギルドの職員として暮らすというのを認めてもらいたい。
そのためにここに来たのである。もし、これが認められないというのであれば。自分は、今ここで彼女をさらい窓から飛び出す覚悟である。
そういった旨を彼に伝える。
「要はその一つな訳か。それだけでいいのか?」
「え、一つ?」
いや、確かに二つ言ったが....
「一つに決まってるだろう」
「いや、二つめ....」
「ん? なんか言ったか、犯罪者風情が。あ?」
あ、シスコンモードだ。これ。都合の悪いところは何も聞いちゃいない。剣こそ手にはしていないものの、白銀の髪が再び逆立っている。
「お兄様。私は....イニティウムに戻りたいです。ここは、私の居場所じゃない。私は....っ、イニティウムで先輩の後を....」
「メルト、俺があんな危険な場所に送り出すと思っているのか」
「いえっ、イニティウムは危険な場所では....っ」
「魔物が一度襲った街を、危険じゃないと本気で言い切れるのか」
「っ.....」
「いいか。俺は何度もお前に言ってきたが。一度肉の味を覚えた魔物は、再び仲間を引き連れて戻ってくるぞ。そうやって潰れてきた街を、俺は何度も見てきた。そうやって潰れた町には何が残っているかわかるか?」
ボロボロの住居に、寄り添うようにして食い残された母娘の姿。すでに肉すら残らず、最後まで戦った父親らしきものの遺体。そんなのがゴロゴロとあるんだ。街中は武器は散乱し、貴族の屋敷には金目のものだけが根こそぎ無くなってもぬけの殻となっている。
「お前を.....そんなところに戻せというのか?」
「それは....」
「イマイシキ ショウ。お前が妹に戻れと言っているのは、そういう場所だ」
薄々は感じていたが。ただの心配性のシスコン兄貴ではないというのはわかった。確かに、彼が言っていることは間違いではないのかもしれない。
だが、
だが、そこに彼女の意思は入っていない。
「どちらにせよ。貴様を連行するのは決定事項だ。それは王都騎士団1番隊が見過ごしておけない」
「1番隊....?」
「そうだ、俺は王都騎士団1番隊のものだ。当然、貴様がさらったレギナ=スペルビアとも知り合ってる」
となると、この屋敷から逃げようものならば1番隊が束でかかってくるということか。まだ一度も戦ったことがないが、レギナ曰く。怪物のような剣技を持った奴らの集団だと聞いている。そんなものに襲われたらひとたまりもない。自己弁護をする前に殺されるだろう。
妹のことではもう揺さぶりはかけられない。
さて、もう詰んだか....?
「一つ目は妹の顔に免じて許してやる。二つ目は容認できない。話は以上だ、同行してもらおうか」
どうやら話は聞いてもらえるらしい。腰から手錠のような鎖を取り出し両手を差し出せと催促をされる。
だが、
ここで捕まってしまえば、自分は一体何のためにここに来たのか。
隣で今にも泣きそうにこっちを見ているメルトを、あの時自分の命を救ってくれた彼女を。彼女の唯一の望みを。
自分は何の恩返しもせずに、ここから離れようというのか。
答えは否だ。
「....決闘」
「何?」
「僕は、あなたに決闘を申し込む」
話し合いで解決できないのならば、
「何を言ってる。何をしようが、俺は妹を....」
「ならば、強さを示せばいい。僕が、メルトさんを守るにふさわしいかどうか。あなたに証明すれば、彼女はイニティウムに行っても構わない。ということですよね」
彼の言うことが、彼女をイニティウムに行かせないという理由ならばだ。どんな脅威が迫っていたとしても、自分が守ればいい。たとえ、あの町が再び魔物に襲われようとも。たとえ、街が廃墟のようになろうとも。
もう二度と。
そう、もう二度とだ。
何も失わない。
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とまぁ、何やかんやあって。今、豪邸の一室をお借りしている。外はすでに夜。綺麗な二つの月の光が部屋の中に差し込んでいる。
さて、その何なんやかんやについて説明しよう。
まず、決闘を申し込むと言った瞬間。エギルは勝ち誇った表情でまず自分の願いを取り下げた。だが、もし勝てるのであれば文句はない。という言質を取ったため、そこで話は肥大した。
まず、自分の身を差し出す条件としてあげた『時間』。それは、エギルとの決闘で消費された。もし勝つようなことがあれば、より多くの時間をとり弁護をさせると約束された。
そしてもう一つ。こればっかりはエギルの話を聞いてから強要できる内容ではなくなってしまった。だが、彼に勝つことができればメルトを守るための力があるということを証明される。そして、そのためにはまず、自分の無実を証明してイニティウムに帰れるようにならなければならない。
つまりはだ、明日の決闘に勝ち、時間を勝ち取らなければここ王都で自分の命は尽きるということである。
「はぁ....」
軽くため息をつき、座っていたベットに身を投げると、宿の寝具とは比べ物にならないくらいの柔らかさが体全体を包み込む。真っ白なシーツと、豪華な刺繍が施された毛布はまるで芸術品のような存在感だ。
なぜこんな部屋をあてがわれたかといえば。しっかりと休んで万全の状態で勝負に臨めるようにするようにだそうだ。いうなれば礼儀でもあり、また言い訳ができないようにするためなのだろう。
果たして勝てるのか。
いや、おそらく勝つのは骨がいる。というか勝てたら奇跡だ。
仮面を割ったときのあの一閃。あれは単なる技術が高いからできる芸当ではない。おそらくそれは獣人と人間の身体的スペックの差だろう。空気を歪ませる剣速なぞ、親父でも出せない。
あれに対抗する手段は一体どうするべきか....
きっとあれだけではないはず。もっと何か....
そんなことを考えていたその時。小さい物音が埋もれた頭の中に聞こえてきた。
思わず体を起こし、周囲を見渡す。腰にはパレットソードはない、今は屋敷に預けており、理由としては決闘の際に細工ができないようにするためだという。
耳をすませながら周囲を見ると、どうやら壁の向こう側から音が聞こえる。まるで、何かを動かしているかのような音だ。
壁に耳を当てる。ネズミだろうか、でもそれにしては音が大きい。そう思っていたその時、足元の壁の一部がガコンと大きな音を立てて外れかける。
「ひ....っ」
とっさに、テーブルの上に置いてあった燭台を手にして構える。こんな屋敷だ、幽霊の一つや二つ出てもおかしくは....
「フゥ....埃っぽい....」
「....へ? メルトさん?」
外れた壁の向こう側から現れたのは、手に明かりを持ったメルトだった。頭にかぶった白いほこりをポンポンと払っている。
「はい、昔から家の隠し通路とか見つけるの得意でしたから」
「は、はぁ....」
隠し通路とはロマンがある。だが、今思えばいつでも自分は殺されていたかもしれないということだ。ゾッとしない話である。
「ショウさん、本当に....本当にありがとうございます」
「え、あ。いえ。そんな、だって自分が勝手にしたことですから。不法侵入に誘拐未遂ですし、本気で自分は犯罪者ですよ」
やや自嘲気味に話すが、それに対しメルトは静かに首を横に振る。そしてそのまま、近づくとそのまま頭を自分の胸に押し付けて、まるで甘えて擦寄る猫のような仕草で。そんな彼女の背中にそっと両手を回す。
「今まで....どうしてきたんですか....?」
「う〜ん....一晩では話せないくらい....いろんなことがありました」
「もし....私が....イニティウムに戻れたら。ショウさんは....またどこかに行っちゃうんですか?」
「....はい、すみません」
「どうしても....?」
「....はい」
そう、自分はひとつ嘘をついている。
仮に、自分が彼女とイニティウムに戻れたとしても。パレットソードのサリーの呪いを解かない限り、自分は再び死にかけることになる。今はウィーネの力で抑えているからいいものの、いつまた動き出すかわからない。
そうならないために。自分はまた精霊に合わなくてはならない。そして、呪いが解けたとき。初めて彼女と一緒にイニティウムでの日々に戻れるのだ。
「....嘘つき....」
「....ごめんなさい」
「でも、ショウさんが....迎えに来てくれたから許します」
「....ありがとうございます」
そっと両手を緩めると、メルトがゆっくりとこちらに顔を上げる。吸い込まれそうなブルーの瞳には涙を溜めていた。
また彼女を傷つけてしまう。そう思った。
「メルトさん、覚えてますか? あの監獄での約束」
「はい、忘れるわけがありません」
「僕、死にかけた時に。メルトさんのその約束が頭に浮かんだんです」
そう、サリーの呪いに殺されそうになった時。本気になったレギナに殺されそうになった時。
何度も何度も死にそうで、死にたくなっていた時。彼女の約束が、頭に浮かんだのだ。
彼女のおかげで、今生きている。
「メルトさん、僕を....生かしてくれて、ありがとう」
「....っ、ん....っ」
突如、掴まれた首が一気に引き寄せられる。
その一瞬、時が止まった。
閉じられた眼、一切の音が聞こえない。
軽い音が部屋の中を響き、引き寄せた体がより一層固く抱きしめられる。
そうだ、今。自分は生きてる。
鼓動を感じる。彼女の暖かさを感じる。
彼女の命を感じる。
離れたメルトは、愛おしげにその顔をそっとなぞる。
「ショウさん....生きててくれて....ありがとう....っ」
はぁ....とりあえず爆発しろ。
明日もコーシーン




