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木イチゴの頃  作者: 聲一
3/3

下編


 婆様の声はしわがれていて、とても聞き取りづらい。

ぼくらは傍によった。


「…………イグリかえ?」

「いや、ぼくらは」


 婆様はまた何かもにょもにょと口を動かしたが、今度は聞き取れなかった。うわ言を呟き続けている内に、婆様の瞼はまた閉じられてしまった。


「もうすぐ死ぬのね」メイズファが男に言った。男はうんうんと首を縦に振る。


「死んだらどうなるの」

「息が止まる」男は言った。「体が冷たくなる。それだけだ」

 

 メイズファは放心した様子だった。


「今日はそこで寝てくれ。明日来る」


 男はそれだけ言うと、さっさと出ていってしまった。ぼくは何とも居心地の悪い思いで、メイズファを見やった。彼女は明らかに動揺している。視線が定まっておらず、今にも大声をあげて泣き出しそうな気配がした。


「大丈夫?」

 声をかけると、あんなにも気丈でおてんばだったメイズファが、急に床にくずおれた。ぼくは驚きのあまり声を出してしまった。


「カサドラ」メイズファの目は涙で濡れていた。「わたしは、怖くなった」


 どうしたんだよ急に、そんな風に声をかけてやろうと思ったが、やめた。彼女が求めているのは、そんな気休めの言葉なんかじゃない。

 メイズファはしゃくりあげながら続けた。


「わたしは、知りたかった。ずっと。死んだらどうなるのか、死んだ後どこへ行くのか。ずっとずっと、それに意味を求めて生きてきた。けれど、現実は、現実には」


 ぼくは冷めた面持ちで慟哭するメイズファを見下ろしていた。

彼女だって、ぼくと同じ十四歳の少女に過ぎない。何も特別なんかじゃない。それを知れて、嬉しいようながっかりしたような、変な気分だった。


「人の一生なんて、ただ予め決められて数えきれないくらい繰り返されてきた生命の事象に過ぎない。それに意味なんて何もない。いえ、ほんとは薄々気づいてたのよ、でもそれを直視するのが怖かった。そうしたらわたしも、いつかは死というあまりにも粗樸な現実と向き合う時がくる。それを認めてしまうことになるから。ねえ、どうしたらいいの、カサドラ」


 ぼくは黙って、俯いていた。



 




















「悪い。家には帰れないことになった」


 翌朝、開口一番に昨晩の男は言った。

ショックはそれほどでもなかった。いつの間にか、この特殊な状況に慣れを感じ始めているのかもしれない。メイズファも隣で男の話を聞いているが、昨日とは打って変わって沈んだ表情を見せている。


「町にかけあってみたんだが、不浄に触れた子などいらんということだった。幸い跡継ぎが不足していたところだ。君らには子を産んでもらう」


 からす衆。

町から病人を請け負って生計をたてている一族。町の人たちからは不浄を呼ぶものとして忌み嫌われている。自分がそのからす衆の一員となる。どうにも現実味が湧かなかった。


「早速だが、仕事に出てもらう」

「仕事って……」


 ぼくらは連れられるままに小屋を出た。寝かせられたイグリの婆様から、異臭がもれでていた。


 外に出ると、数人のからす衆たちが木組みの祭壇を解体している。


「もう、取り壊しちゃうの?」

「あれには魂が宿っている。魂は土に還り、輪廻の末に新たな命をはぐくむ」


 男は落ち葉を踏み分け、家畜小屋らしき建物の軒先に出た。動物の発する特有の臭いが漂ってきて、ぼくは思わず顔をしかめた。

「すぐ慣れる」そういって、男は柵をまたいだ。ぼくとメイズファも後に続く。


 十数羽はいるだろうか。赤黒い鶏が所狭しと動き回っていた。

まだ乾ききっていない糞がそこら中にあり、誤って踏んでしまいそうになる。


「おれが一度外に出すから、掃除しろ」男は立てかけてあった汚い草かきをぼくとメイズファに差し出すと、鶏を鷲掴みにして別の柵の中へ放り込んだ。呆気にとられていると怒られた。ぼくは慌てて、糞とえさの食べ残しがこびりついた藁を外へとかき出した。

 見た目とは裏腹に中々疲れる作業だ。草かきは柄がぼろぼろで、気を抜くと折れそうになる。それに藁はずっしりと重い。最初は服が汚れるのに躊躇していたが、その内気にならなくなった。


 メイズファと協力して全ての藁をかき出し終えた時、男はどこかへ行ってしまいいなかった。


「メイズファ」

「何」


「逃げる気はないか」


 メイズファは少し笑ったようだった。乾いたくちびるから声が漏れ出る。

「同じだよ。どこにいたって」






 町を出てどれくらいになるだろうか。

その日ぼくとメイズファは、クバルという男に狩りに連れていってもらった。印も何もない山道を、クバルは勘だけを頼りに颯爽と歩いていく。


「わたしたちは自然から命を奪うのではない。借りているだけだ」


 獲物の牡鹿を仕留めた折、クバルは言った。

「全ての命は循環している。無駄など何もない」


 メイズファが、クバルは死ぬのが怖くないのかと尋ねると、彼はこう言った。

「なぜ怖がる必要がある?受け継がれてきた輪廻の輪に自分が組み込まれるただそれだけのことだ。怖いというなら、その連鎖が止まってしまうことの方が、おれは怖い」


 やがてぼくらの体は鍛えられ強靭になっていく。自然に対する考え方も、いつかはからす衆が信じてきた輪廻の信仰に侵食されて食いつぶされてしまうのだろうか。それとも、元来人間が忘れていた知恵を思い出しているのだろうか。


 わからない。

今のぼくには、何ひとつ。














 月光が闇を照らしていた。

ぼくはメイズファの手を引いて山道を駆けていた。皆は一年に渡る共同生活でもうすっかり安心しきって、見張りも限られた場所にしかつけていない。


 メイズファははじめ嫌がった。けれども、ぼくが何とか説き伏せた。今はこうして、あの朝とは逆にぼくが彼女を引っ張っている。


「大丈夫だ、ぼくがいる」ぼくは息を切らしながら言った。


「メイズファの言う通り一生に意味なんてないとしても、ひとりで死ぬのと、大事な人に看取られて死ぬのとでは、きっと違うと思う」

「ほんとに?」

「ほんとさ」


 冬が終わり、春がやってくる。メイズファの好きな木イチゴの実がなる季節だ。


 ふいに、勢いよく燃え上がる火柱が頭に浮かんだ。

死人を弔う炎。男によれば、あれは魂が最後の輝きを放っているのだという。



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