上編
ぼくが家の戸を数回叩くと、どたどたと階段を駆け下りる騒々しい音が聞こえ、メイズファが顔を出した。メイズファは素っ気なく簡潔に、何の用、とぼくに問う。ぼくは背に抱えていた荷物をおろし、答えた。
「祭の準備。メイズファも来てくれ、だって。」
メイズファは露骨に眉を顰め、ぼくを睨みつけた。拒否の態度。
「面倒だ」
「でも、やらなきゃ駄目だ。皆来ている。イグリも、カエヅチも。」
メイズファは渋々といった様子でサンダルをはくと、ぼくの後について外に出た。突き刺すような夏の陽光。緑の合間からこぼれる木漏れ日が、メイズファの白いワンピィスにまだら模様を映し出している。
ぼくは敷石の道を渡り、メイズファの家のだだっ広い前庭を出た。
「今年はイグリが子神の役をやるのね」
「そう、らしい」
「あいつが神だなんて、笑っちゃう。カサドラの方が相応しいよ。」
唐突に呼ばれた自分の名。まさか、とぼくは軽く受け流した。崖の上に立つメイズファの家はこんもりと繁る緑の前庭で覆われており、東から吹く風がいつも聳え立つ木々を揺らしている。そろそろ木イチゴの実のなる頃だろうか。そんなことを薄ぼんやりと考えていた時、ふいに強い風が巻き上がり、ぼくらを襲った。
メイズファのワンピィスが翻り、白い生足が覗く。ぼくは咄嗟に目を背けた。彼女はそれに気付いてすらいない様子で、能天気にサンダルの足音を響かせている。
「カサドラ」
メイズファの声は澄んでいて、小鳥の囀りのようだ。
「わたしはたまに、人を、殺したくなるんだ」
メイズファはそう言った。ぼくは狼狽えも、気味悪がりもしなかった。メイズファは元々、こういう子だ。皆知っているし、ぼくも一々取り合ったりはしない。
メイズファは続けた。
「どうして皆、死を自分たちから遠ざけようとするんだろう。どうして、身近なものとして捉えられないんだろう」
この町の風習について言っているのだろう。死は不浄なものであるという考えの下、病状の老人や不運な事故で命を失ったものは、黒衣の者が山の奥へと運び、そして二度と戻ってこない。子供の頃から当たり前のことだったから、ぼくは特に疑問を抱いたりもしなかったし、それをあるがままの事実として受け入れていた。
「ねえ」ふいにメイズファが肩を寄せて、ぼくの耳元で囁いた。「昨日、イグリの家の婆様が山送りになったの」
「知ってる」
白く柔らかい体がぼくに寄りかかってきた。
心臓の鼓動が肌を通して伝わってくる。ぼくははやる気持ちを抑え、メイズファをやや乱暴ぎみに引きはがした。彼女がこうする相手はぼくだけだ。
「祭なんてさぼっちゃおう。一緒に、死を見にいこうよ」
メイズファの声色は艶を帯びて美しい。ぼくと同じ十四歳とはとても思えない。まごまごしていると、彼女はぼくの手をぐいと掴んでつかつかと歩き出した。
「ちょっと、待ってよ。まだ決めたわけじゃ」
「わたしはカサドラの態度を了承と受け取ったけど」
メイズファは華奢ながらも力がある。ぼくはぐいぐい引っ張られる内に、されるがままに山への道を辿り始めていた。
後悔を覚え始めたのは、黒い木が鬱蒼と茂る薄暗い道に出た頃合だった。
日の光は頭上を覆う枝葉で完全に遮られており、何ともいやな雰囲気が漂っていた。
「なぁ、やっぱり」
「帰りたいの?」
メイズファは振り返らずに言った。
喋っている間にもずんずんと前に進んでいく。それを見ると、置いて行かれるような気がしてすぐに駆け寄って差を縮めてしまう。
「だって、もしカラスに見つかったら……」森に入ることは大人たちから禁じられている。
すると、メイズファはくるりと振り向き、ぼそりと、独り言のような口調で言った。
「じゃあ帰れば」
ぼくは言葉に詰まり、その場に立ち尽くした。いずれにせよメイズファを一人置いていくわけにはいかない。そう虚勢を張り、ため息をついて彼女の後ろについた。
ただ前だけを見つめて歩き続けた。揺れるメイズファの腰。降り積もった落ち葉。小さな虫。得体の知れない鳥の鳴き声。ぼくの不安は一層駆り立てられる。
でも、それでも、心のどこかではこうしてメイズファという光に吸い寄せられて翻弄されることに喜びを感じていたのかもしれない。それくらいに思春期のぼくにとって彼女とは、魅力的で眩しい存在だった。