天国のルール
「はあ、死ぬかと思った。」
3日間の昏睡状態から奇跡的に目覚めた病室のベッドの上で、妻はまるで絶叫マシンに乗った後かのように言った。余命宣告される程の闘病生活が何ヶ月も過ぎ、すでに限界は超えているはずだが、出会った頃と変わらない、明るくて飾らない口調に安堵した。
駆けつけた主治医も、驚きとともに診察を始めたが、僕に「安心しないでくださいね」と言い残して、看護師とともに出て行った。
もう覚悟はできているが、子供を授かる前だったことは、果たして良かったことなのだろうか。結婚してすぐに彼女が欲しいと言った小鳥と一緖に、2人と1羽で過ごした2年間は、あっという間だった。
僕は妻の傍に座り、手を握った。
冷たくて、細い。
彼女は僕を見て微笑むと
「今ね、ちょっと雲の上行って、神様に会ってきた。」
と、話し始めた。僕は少し胸が締め付けられたが
「へえ、どんな人だった?」
と、普段の会話のように返した。きっと彼女もそれを望んでいる。
「普通のおじさん。でもね、面白いこと教えてくれたの。死んだらね、一度だけ誰かに会いにいけるんだって。」
「へえ、やっぱり。よく聞く話だね」
僕の親父が亡くなった後、お袋のベッドにそっと入ってきたそうだ。普段から付かず離れずの両親だったので、その話を聞いた時は、親父も可愛いところがあるなと思ったのを思い出した。
「でもね、もうひとつあって、誰かを連れてくることもできるんだって。そのどちらかを選べたんだけど、考えつかないって言ったら、じゃあもう少し時間をあげるから考えておいでって」
それは初耳だ。彼女は続ける。
「よく仲の良かった老夫婦が、相手が亡くなったら後を追うように、っていうの、このシステムのおかげじゃないのかな」
なるほど。
「でも、誰かに殺された人とかは犯人を引っ張ったりするんじゃない?」
「なんでそんな悪人を天国みたいな楽園に招待するのよ」
なるほど。よくできたシステムだ。
「あなたならどうする?」
妻が言う。
「んー、確かに難しいね」
「そうよねえ。難しいよねえ。どうしようかな」
彼女はそう言って目を瞑ると、寝息を立て始めた。
その1週間後、妻は息を引き取った。
初めての喪主という立場で、悲しみと同じくらいの段取りと気遣いに圧倒されながら、一通りの葬儀を終えて自宅に帰ってきたのは夜中の2時だった。
知人、友人、親戚、ご近所の方、ほぼ全員に挨拶をしたはずなのに、誰に会ったか、何を話したか、全く覚えていない。
喪服のままベッドに倒れこみ、そのまま深く眠りに落ちた。
翌日、窓から差し込む朝日を浴びて目を覚ました。
結局彼女は来なかったし、僕も朝を迎えている。
ただ、籠の中の小鳥が眠るように死んでいた。
妻の出した答えに、僕はまた惚れ直した。