JK第6号 販促イベント①-シーバくんのおへや-
「きのちゃん、ちょっといい?」
メール処理が終わり一息ついていた私に、正面から柏さんが声をかけた。
「……うん」
私が姿勢をただすと、柏さんはJK課の片隅にある六人がけのテーブルを指差した。来客の応対や簡単な打ち合わせに利用しているそのテーブルには、今は企画広報班の野田班長と睦沢先輩が座っている。
「今からあそこで企画広報班の打ち合わせをするんだけど、きのちゃんにも参加してほしいんだってさ」
「わ、私が?」
理由が分からず、私はうろたえる。すると隣の席の横芝先輩が横から口を挟んだ。
「……他の班の手伝いをするのも調整担当の立派な仕事」
「あ……は、はい。分かりました」
私は横芝先輩の言葉を聞き、自分の仕事を改めて理解する。席を立った私の背に向けて、横芝先輩はもう一声呟いた。
「リビングドール……」
「え?」
「……精巧な人形は、時として人を乗っ取る」
「は、はあ」
私はどんな言葉を返すべきか分からず、適当に相槌を打って横芝先輩に背を向けた。
「……横芝先輩のあれはキャラなの? 素なの?」
柏さんは小声で私に耳打ちする。
「キャラではない……かな。表現は独特だけど、話の内容は本質を捉えていると思います」
私は少し迷いつつも、自分の印象をそのまま柏さんに伝える。横芝先輩の言葉は最初はふざけているように見えても、後から考えると真剣な内容であることが多かった。
「じゃあなにさ。きのちゃんはこの後人形に乗っ取られそうになるの?」
「いや、それは……」
柏さんの真っ当な突っ込みに、私は何の言葉も返せなくなった。
「それではこれより、企画広報班会議を始めます。司会進行はわたくし、睦沢小滝とQさんが勤めさせていただきます。よろしくお願いいたします」『よろしくな』
睦沢先輩は最後の部分だけ声色を変えると同時に、肩に乗っている不気味なぬいぐるみの頭を手のひらで押さえつけた。最後の挨拶はそのぬいぐるみが発したという設定だろう。
睦沢先輩のあれはキャラなの?素なの?と、私は隣に座っている柏さんに聞いてみたい衝動に駆られる。しかし流石にこの会議の席上では、それを尋ねることはできなかった。
「本日の議題はJK課アンテナショップ販売促進イベントについてです。まずはQさんから、イベントの概要について説明していただきます」
睦沢先輩はそう言うと、肩に乗ったQさんを手に持って、机の上に置いた。そして彼?の表面から飛び出ている触手を振り回す。
『JK課アンテナショップでは年に三回、JK課職員による商品の紹介及び販売を行っている……テレビ局が取材に来るほどの人気イベントだ。……テレビと言ってもCテレビだがな!』
睦沢先輩、いやQさんはイベントについてそう説明する。CテレビとはC県ローカルのテレビ局だ。
『Cテレビーーム!』
そしてそのテレビ局のキャッチフレーズを睦沢先輩、いやQさんが叫ぶ。
「あの。真面目な会議なんですよね?」
私は思わずそう尋ねていた。すると野田班長が緩い口調で口を挟む。
「企画広報班のモットーは不真面目だって、この前言ったじゃない。むしろ真面目に会議しようとする人の方がここでは問題児かな~」
「は、はい」
私は雰囲気に押され思わず肯定の返事を返してしまう。
「これがイベントの進行表です。開催日時は4月20日の日曜日、10時から12時まで。出演者は企画広報班の3人と、スペシャルゲストとしてシーバくんが来てくれます」
「おお。シーバくんですか!」
柏さんは感動して声を上げる。シーバくんはC県のマスコットキャラだ。県の形を模した愛らしいその格好は、C県に留まらず全国的な知名度も高い。
「企画広報班の3人が出演者ということは……私の役目は何なんでしょう。裏方のような仕事ですか?」
「いえ。このイベントはアンテナショップの運営会社に全ての進行を任せていますから、私たちJK課はただ出演するだけが仕事です」
私の質問に睦沢先輩はそう答える。しかしその答えで、私の疑問はさらに膨らんだ。
「え~と……出演者は3人だけではないんですか?」
「いやいや。3人とスペシャルゲストって最初に言ったじゃない」
野田班長はそう言いながら進行表の出演者欄を人差し指で示す。そこには確かに、企画広報班の3人と、そしてスペシャルゲストのシーバくんの文字が記されていた。
「え」
その時点で、私も自分の役目に気付いた。
「佐倉さんはシーバくんになってください」
「えええええ!?」
その後の会議の内容を、私はほとんど覚えていなかった。自分の仕事は『適当に周囲の人たちに愛想を振りまく』だけだった。だから会議の内容を覚えていなくとも特段問題はない。
いや、しかし。簡単な仕事内容であっても、あまりにも役目が重すぎる。私があの有名マスコット、シーバくんの中の人になってしまっていいのだろうか。
「シーバくん利用マニュアル、か……」
私は野田班長から分厚い紙の束を渡されて、自席に戻っていた。シーバくん利用マニュアルと題されたその分厚い紙の束には、シーバくんを使う際の約束事が事細かに記載されている。
シーバくんになっている時は絶対に声を出さない。首の着脱は必ず密室で行う。シーバくんになったことを口外してはならないといったような、演者としての注意点がまずは説明されている。
続いてシーバくんの運搬、保管方法、お手入れの仕方、破損した時の処理といったシーバくんの管理方法についての項目があり、最後の方はシーバくんの『設定』が長々と記載されていた。
「シーバくんはC県に住む不思議ないきもの。好奇心が旺盛で挑戦が大好き」
「食いしん坊でいたずら好き。未知のものに立ち向かうときは情熱で体が赤く輝く……」
私がシーバくんの設定を読み上げていると、なぜか横芝先輩がその続きを読み上げた。
「もしかして、横芝先輩も前にシーバくんの中に入ったんですか?」
先程からの横芝先輩の様子を見て、私はその事を察した。しかし私の問いに、横芝先輩は少し間を置いてからそれを否定する。
「シーバくんは中に入るものではない。ただ、かつてうだるような熱さの中で、私がシーバくんになっている夢を見たことはある」
「あ……そ、そうですね」
私は先程の自分の質問が失言だったことに気付いた。マニュアルにはシーバくんになったことを口外してはならないという一文があった。
つまり、横芝先輩がシーバくんの中に入ったことがあったとしても、それをそのまま答えることはできない。
「シーバくんは無料で呼べる知名度抜群のゲストだから、『毎年必ず』企画広報班のイベントに来てもらっているの」
私たちの話を聞いていた船橋班長は、毎年必ず、の部分に力を込めてそう告げた。そして私の顔を見て笑ってみせる。
それはつまり、横芝先輩だけでなく船橋班長も、かつてシーバくんになった夢を見たと言うことなのだろう。
「シーバくんはみんなの心の中に生きている。シーバくんの設定を読み込めば、おのずと自分の中のシーバくんが目覚める。後は彼にすべてを任せればいい」
「は、はあ」
横芝先輩が私にアドバイスらしき言葉を伝えてきたが、どうにも意味が分からない。とにかくこの設定を読み込め、と言うことだろうか。
「シーバくんを演じるのではなく、シーバくんになりきった方がいい。光はそう言いたいのよ」
船橋班長がそう補足してくれて、私も横芝先輩のアドバイスの意味を理解する。
「演じるとなりきるって具体的にどう違うんですか?」
私がさらに訪ねると、船橋班長はあごの辺りに手を当てて考え込む。
「シーバくんの真似をするのが演じる、自分がシーバくんだと思い込むのがなりきるってことじゃない? 人の真似をするのは難しいけど、自分で思い込むだけなら簡単よ」
「うーん……まあ、頑張ってみます」
船橋班長の言いたいことは分からなくもないが、自分がシーバくんだと思い込むこともそれはそれで難しそうだった。
とは言え、他に自分で考えつく良い方法があるわけではない。私はとりあえずシーバくんの設定を読みつつ、自分がシーバくんだったらという想像をしていくことにした。
「きーのちゃん」
私が小一時間ほどシーバくんのマニュアルを読みふけっていると、柏さんが声をかけてきた。私は顔をあげる。
「今からシーバくんを取りに行くから、きのちゃんも手伝ってくんない」
「取りに行く……」
私はその言葉の意味が少しの間分からなかった。
「ああ、その……いわゆる、表皮の部分をってことですか?」
着ぐるみ、という単語を使ってはいけない気がしたので、私は悩んだ末に『それ』をそう表現した。しかし、表皮という表現もあまりよい表現とは思えない。
「またすごい表現をすんね……まあともかく行こうか」
「はい」
私は隣の横芝先輩に断ってから、席を立ち柏さんの後を追った。
「それで、どこにあるんですか、その……抜け殻は」
私のその言葉を聞いた柏さんは、その場で前に倒れ込むような姿勢を取る。
「なんで次々表現が変わってくのさ」
「表皮はないな、と思ったのですが。抜け殻もないな。って感じでしょうか」
「……普通にシーバくんって呼ぶのは駄目なん?」
柏さんに言われて私は考え込んだ。そうか、『それ』を私が着用することでシーバくんが誕生するのではなく、シーバくんと私が重なることでシーバくんが目覚めるという設定も可能かもしれない。
「……ちょっとその方向で検討してみます」
「お、おう」
私がそう答えると、柏さんは歯切れの悪い返事を返した。
「ああ、それでシーバくんは隣の建物の2階にあるんだって」
柏さんは思い出したように私の最初の質問、シーバくんはどこにあるのかを答えてくれる。
「隣の建物……あの小さなところですか?」
確かに南庁舎の隣には小さな建物があった。他の庁舎と比べると小さく、人もほとんど出入りしていないので、印象は薄い。
「昔は県警が使っていた建物なんだって。今は単なる倉庫になってるらしい」
そう説明しつつ、柏さんはその建物の中に入っていく。その建物の中はとても暗く薄汚かった。他の庁舎とは違い、古いだけではなく修理や清掃も満足に行われていないようだった。
「えーと……」
階段を登ると柏さんは周囲を見渡し、一番奥の部屋に進んでいく。
「たぶんここだ。ちょいと待ってて」
柏さんは持っていた鍵を扉に差す。かちりと音がし、ゆっくりと扉が開いた。
「うわあ……」
開いた先の光景を見て、柏さんは声にならない声を漏らす。私もあまりの光景に何の言葉も出せなくなってしまった。
その部屋には一面にブルーシートが引かれ、そしてそこに沢山のシーバくんが寝かせられていた。1匹、2匹、3匹、4匹、5匹、6匹。6匹のシーバくんが一列に並んで寝かせられている。
「なんというか……死体安置所って言葉が浮かんできたよ」
「いえ、シーバくんは死んでいるのではなく寝ているだけなので……宿泊所という表現の方が適切ではないかと」
「……こんな所には泊まりたくないなあ」
そう言いつつ、柏さんは一番近くにあったシーバくんに歩み寄る。
「ともかくこいつを箱に詰めて、JK課まで運ぶよ」
「う、うん」
柏さんが頭の部分を持ち上げたので、私は反対側の足の部分を持つ。そして部屋の片隅に置いてある箱に、シーバくんの身体を無理やり押し込んだ。
あまり箱のサイズは大きくなく、シーバくんはかなり苦しそうだった。
「少しの間我慢してくださいね」
私は最後にそう声をかけると、箱の蓋を閉める。
「それじゃ戻ろうか」
私たちはシーバくんの入った箱を二人で持ち、JK課に戻った。二人でないと持ち運べない大きさではあるが、重さの方は一人でも持ち運べるくらい軽かった。もっとも、これを一人で身に付けるのだから、このくらい軽くて当然かもしれない。
「シーバくんは当日までJK課にいるんですか?」
「いや、当日まではアンテナショップで預かってくれるってさ。アンテナショップまでは副課長が公用車で運んでくれるみたい」
「じゃあ、次に会うのは本番当日ですか……」
その辺で着替えて練習するわけにもいかない。それは分かっているが、このままシーバくんと別れて当日を迎えるのはとても不安が残った。
「やっぱり緊張してる?」
柏さんに聞かれて、私は素直に頷いた。
「……あまり、人前に出て何かをしたことはないので。柏さんは緊張してますか?」
「私は人前に出ることで緊張したことはないなあ」
柏さんはとても気楽そうな声で返事を返す。
「きのちゃんが何か失敗しちゃったとしても私がフォローしたげるから大丈夫」
「あ、ありがとう……ございます」
私は頭を下げた。当然だが、シーバくんとして舞台に上がる私より、柏あかね本人として舞台に上がる柏さんの方が、数倍も大変に決まっている。それなのに柏さんは私を気にかける余裕があって、私は逆に柏さんを気にかける余裕がない。
同じ1年生として仕事を始めた彼女との間に明確な差を感じて、私はその時少し焦りを感じた。