JK第2号 オリエンテーション-JK課にようこそ-
辞令交付式の会場だった文化会館から、JK課のある県庁までは多少距離がある。私たち3人はJK課の先輩、船橋三咲班長に連れられて、県庁へと向かった。
周囲には私たちと同じように先輩職員と歩いている新規採用職員の姿が見える。しかしその数は式典会場にいた人の人数より明らかに少ない。先程茂原さんが言っていたように、県庁以外が勤務先になった人も多いのだろう。
「船橋さんはJK課3年目なんですかー?」
4人で歩き始めて、まず最初に口を開いたのは柏さんだった。
「ええ。2年前は私も先輩に連れられて、この道を通った。……懐かしいわ」
「やっぱり緊張しました?」
明らかに緊張していない声の調子で、柏さんはさらに尋ねる。
「……そうでもなかったかな。見るもの全てが新しくて、緊張している余裕はなかった」
船橋班長のその言葉は、今の私の心境に似ている気がした。私も、今は新しくなった自分の世界を理解する作業に精一杯で、悩んでいる暇がない。
「正面に見えるあのビルが、県庁本庁舎よ」
船橋班長は歩きながら、進行方向に指を指した。その先には、確かに巨大なガラス張りのビルが見えている。周囲に他の建物がないからか、それは一層大きく見えた。
「なんか、微妙に薄汚れてません?」
柏さんがそんな感想を呟くと船橋班長は薄く笑った。
「他の県と比べると飾り気もないし、建物も古くなってきているから、見た目は良くないかな。でも、中は見た目よりは綺麗よ。最上階には展望台と食堂があるから、昼休みに見学してみたらどう?」
「職場に展望台があるんですか?」
「県庁は職場であると同時に、県民の皆様を迎える場所でもありますから」
そう説明しつつ、船橋班長は本庁舎とは別の方向に歩いていく。すると本庁舎とは別の建物が目に入ってきた。
その建物は、高さは本庁舎の半分程度、幅は2倍程度の横長の建物だった。先程の本庁舎よりもさらに古い建物に見える。
「この建物が中庁舎。郵便局や銀行があるから立ち寄ることも多いんじゃないかな。そしてその先にある建物が議会棟。その名のとおり、県議会の会議場と控室がある建物よ」
中庁舎の建物は中央部分がトンネルのように潜り抜けられる構造になっていた。その中庁舎を通り抜けると視界が開け、正面、右、左のそれぞれに建物の姿が見える。
「右にいくと議会棟の入口があるけど、用事のないときは無闇に立ち入らないように。正面に見えるのが県警本部。警察も……まあ、気軽に入る場所じゃない」
「県庁って……いっぱい建物があるんだねえ」
柏さんが間の抜けた感想を漏らす。右手に見える議会棟や正面に見える県警は、本庁舎や中庁舎と比較すると小さいが、見た目は新しいように見えた。
そして左手には、本庁舎の半分程度の大きさのビルが見える。見た目は議会棟や県警と同じように、新しく見えた。
「左手に見えるのが南庁舎。あなたたちが今日から勤務することになるJK課はここの10階にあります」
船橋班長はそう説明すると、入口の警備員に頭を下げ南庁舎の建物内に入っていった。私たちもそれに習い、中に入る。
南庁舎10階の一室にあるJK課は、一瞥しただけでは他の課と変わりない普通の部屋だった。
しかし、仕事中の職員が全てセーラー服を着ているのが、唯一にして最大の相違点だった。冷静になればなるほど、その光景は異常に見えてくる。
「一年生連れてきましたー」
部屋に入るなり船橋班長は課内の皆に呼びかけた。その一言で全員の視線が私たちに向けられる。私たちは船橋班長に誘導され、部屋の中央に立たされた。
「えー、それでは最初に軽く自己紹介してもらいます。準備のできた人から順番にどうぞ!」
船橋班長にいきなりそう告げられ、私は戸惑って柏さんと茂原さんの様子を伺った。
最初に自己紹介が必要になることは想像していたし、準備もしていたが、挨拶の順番が指定されないという状況は想像できなかった。
時間にして数十秒程度の沈黙があっただろうか。まずは茂原さんが第一声をあげた。
「茂原真名と申します! C県職員として働ける日を夢見ていました。しばらくは足手まといになるかと思いますが、命を懸けて頑張りますのでよろしくお願いいたします!」
茂原さんの力の入った挨拶が終わると、少し間をおいてから拍手が起きた。拍手が収まるのを待ってから、次は柏さんが声をあげる。
「柏あかねです。高校で勉強するよりもさっさと就職した方が面白そうなので、この道を選びました。よろしくお願いします」
茂原さんの力強い挨拶とは正反対の、ある意味脱力したその挨拶に、しかしそれでも同じく拍手が巻き起こる。
茂原さんと柏さんの挨拶が終わって、しかしそれでもまだ私は挨拶をする準備ができていなかった。
また十秒程度の沈黙を作り、それから私は声をあげた。
「さ、佐倉木野子です。あの、私は……その、自分を変えたい……と思ってこの道を選びました。よ、よろしくお願いします」
事前に考えていた内容はうまく伝えられず、しどろもどろになってしまった挨拶だったが、それでも変わらず拍手は巻き起こった。
「これからの1年間は、この9人で乗りきって行くことになります! 皆さん仲良く頑張りましょう。それでは解散!」
船橋班長がそう締めると、最後にもう一度拍手が起きた。
私たちは自己紹介を終えると、課内の片隅にあるテーブル席に座らされた。6人掛けのテーブルの片側に私たち3人が座り、もう片方に船橋班長が座る。
「それでは最初に私が、JK課の仕事について簡単に説明します」
船橋班長はそう前置きすると、三人の顔を順番に眺めてから話を始めた。
「まず最初に、JK課の誕生秘話を話しておきましょうか。JK課という組織が最初に作られたのはF県のS市でした。しかし、S市のJK課と、このC県のJK課は全く別のものです」
「市と県だから別ってことですか?」
柏さんが口を挟むと、船橋班長は少し困ったような表情をした。
「それも大きな違いではある。ただ、それ以前の問題になるかな」
「S市のJK課は行政組織上の課ではない、と言うことですね」
続いて茂原さんが口を挟むと、船橋班長は満足気に頷いた。
「そう、S市のJK課は市役所に設置された課ではなく、単なるプロジェクトの名称でした。参加している女子高生たちも、公務員として採用されたわけではない」
船橋班長はそう説明すると、一呼吸置く。
「我が県の知事はS市のJK課に多大なる興味を持っていて、C県でも行うことはできないか、それも見せかけではなく本当に女子高生を正規の県職員として採用し、行政組織としてのJK課を設置できないか、様々な方向から関係部署に実現の可能性を検討させました」
「一歩間違えると変態だね」
柏さんが軽口を挟むが、船橋班長はそれに反応せず説明を続けた。
「実現までの道のりは長いものでした。関係部署と協議を重ね、いくつもの法令を改正し、ようやく3年前に、中学校卒業間際の女子だけを対象とした採用試験を開き、その合格者だけを受け入れる『C県商工労働部JK課』が誕生したのです」
「一言でまとめると、変態が全力で頑張った、と」
「柏さんは毒舌……と」
船橋班長は冗談混じりに、手元の紙にメモする仕草を見せた。
「ともかく、こうしてJK課は生まれました。このJK課は課員が女子高生であること以外は、他の課と全く同じ権限を持っています。だからあなたたちも子供の遊びではなく一人前の大人として、しっかりと業務を行ってください」
「……はい」
茂原さんは真剣な表情で、柏さんは少しばつの悪そうな顔で返事をした。会話に加われなかった私も、返事はしっかりと返した。
「それでは次に、JK課の業務を説明します。JK課は総務班、企画広報班、学生支援班の三班からなり、どの班も一年生一名、二年生一名、三年生一名の三名体制で、三年生が班長になります」
船橋班長は右から順番に、総務班、企画広報班、学生支援班と指差していく。そしてその指を、さらに奥の机へと動かした。
「奥の席にいるのが副課長。JK16年生よ」
「16年生……」
そのあまりの表現に私は思わず声をあげてしまった。冗談として笑えばいいのか、真面目な反応を返すべきなのか、それすら分からない。
「16年生ってことは、さんじゅ……」
「柏さん?」
船橋班長は穏やかな表情を崩さず、しかし鬼気迫る声で柏の言葉を遮った。
「『その先の単語を』『本人の前で』口走ったら、私でも助けられないから」
「き、気を付けます」
姿勢をただして柏は謝った。
「隣の席が課長。JK38年生」
「……」
誰しもが突っ込みたい気持ちに駆られたが、先程の一件もあり微妙な空気のまま沈黙が流れる。
「あの……その。そこまで無理してJKを名乗って、その……セーラー服を着なくてもいいんじゃないでしょうか」
私は沈黙を破ってそう呟いた。さすがに、あの年でのセーラー服は誰が見てもいたたまれなくなる。
「しかたないのよ。JK課の制服はセーラー服とする。JK課は制服以外での勤務を禁ずるって条例で定めてあるんだから」
「いくらなんでも変態が頑張りすぎだろう」
柏はあきれた顔で呟いた。
「さて、説明したとおり、あなたたち3人はそれぞれ別の班で仕事をすることになります」
船橋班長は姿勢をただしてそう告げる。私はJK課で勤務することは知っていても、どの班でどんな仕事をするかは知らなかった。
それは茂原さんや柏さんも同じことだろう。二人の表情にも緊張が走ったのが見てとれた。
「まず、茂原真名さん。あなたは学生支援班になります。女子高生の視点から、学生の抱える諸問題を解決するのが学生支援班の、そしてあなたの仕事です」
まずは茂原さんの班が発表された。
「はい。頑張ります!」
茂原さんは満足そうな表情で返事を返す。
「柏あかねさん。あなたは企画広報班です。女子高生ならではの方法でC県の魅力を広報するのが主な仕事です」
「へえ……よく分からないけど楽しめそうな気はします。頑張ります」
柏さんもまた、不満ではなく満足そうな言葉を返す。
「最後に、佐倉木野子さん。あなたは総務班で、私の下で働くことになります。主な仕事は庶務……一言で表現すれば『雑用』です」
「雑用……」
私は、その仕事内容について、どのような感想を持てばいいのか分からなかった。言葉に困っていると、船橋班長が言葉を続ける。
「佐倉さん。これからの一年間で、あなたは雑用という仕事の難しさ、面白さ、そして素晴らしさを知ることになるでしょう。それだけは最初に、予告しておきます」
「は、はい。頑張ります」
私は船橋班長の言葉の意味を理解できず、どうにか返事だけを返した。