助手って大変です
「ただいまですー」
「お、やっと帰ってきやがったな。ほら早くこっち来い、調度入れ時だ」
玄関を潜るや否や、カウンター奥の衝立の影から顔を出し、ちょいちょいと手招きをしてくるのはこの店の主人。
燃えるような赤髪は相変わらず寝起きのままのぼさぼさ頭で、生気の無い黄金色の瞳を見る限り、はたから見たら仕事中とはとても思えない。
私が慌ててカウンターを抜けて衝立の向こうの工房に入ると、むあっとした甘ったるい匂いに包まれた。匂いの出処である巨大な竈の中の、直径1メートルは優に超えるこれまた巨大な壺に駆け寄ると、ながーいかき混ぜ棒で壺の中をかき混ぜていたご主人が振り返った。
「俺が合図したら三個放り投げてくれ。いいか、まだだぞ」
言われ、私は急いで懐から麻袋を取り出すと、先程買ってきたばかりのイチゴサイズの石を掌にあけた。茜色の石が窓から差し込む光に反射してきらきら光る。まるで宝石みたいだ。
「よし、今だ」
「えい!」
ドオンッ!!!!
……?
はて、一体何が起こったのでしょう。
私が買ってきた石を三個壺に投げ入れた途端、壺の中の紫色の液体が発光して……今はもうもうと真っ黒な煙を上げている。
「……ミーコートオオオオ」
「うぎゃっ」
がしっと頭を掴まれ、ものすごい力で引き寄せられる。いたい、いたいです。
目の前にはプスプスと細い煙を上げた見事な赤のアフロヘアーの、煤に塗れたご主人の顔。眠そうな目はいつもに増して座っている。口は笑っているから余計に怖い。
「お前、一体何を買ってきやがったんだ。調合失敗したじゃねーかオイ」
いたたた頭が割れる、このままじゃレスラーが片手でリンゴを割るが如く、私の頭が完膚無きまでに粉砕されてしまう。
「こ、こ、こ、これ、で、す」
ぎぎぎ、と機械のような動きで、私は残りの鉱石が入っている麻袋を差し出した。
なんだ、さっきの爆発が私のせいだというのかこの人は。まったく、何でもかんでも人のせいにするのはよくないぞ。だいたい私はちゃんと言われたままにお使いをこなして――
「俺、白塩石を買ってこいって言ったよな?」
「はい。わたし、ちゃんとはくえんせき、買ってきました。おじさんたち、これはくえんせき、言いました」
アイアンクロー宜しき攻撃を喰らいながらも、私は無い胸を張ってドヤ顔をかます。だから早く自分の非を認めろご主人よ、誰にだって失敗はあるさ。
拙い言葉でそう告げると、ご主人のこめかみにピキリと青筋が浮き出た。
「馬鹿野郎が! こいつは爆炎石って言って火薬を作る時に使う鉱石だ! 栄養剤の材料に使うやつがあるかああああ!」
「うぎゃああああああ」
未だ言語が拙いのだからしょうがないじゃないか、とかそんな紛らわしい名称付けるなよなとか、反論は如何程もあったが、ご主人お得意のグーサンド頭グリグリのおしおきをされている私は情けない断末魔を上げることしか出来なかった。
私近衛美琴(このえ みこと)には前世の記憶がある。いや、正しくはこの世界に魂だけトリップしてしまったと言うべきなのかな。
日本で生まれたごく普通の大学二年生だった私は、ある日唐突にこの世を去った。学校帰りに居眠りトラックに突っ込まれ、本当に呆気ない最後だった。
次に目覚めた時、私は人の形を成した人ではないものになっていた。「ホムンクルス」と呼ばれている、 所謂人造人間のようなものらしい。元々肉体のみで構成されるホムンクルスが生来魂や感情を持ち合わせていることはないらしく、私が目覚めた際に目の前にいたご主人のことを父親と勘違いした時、彼は大層驚いていた。
「――じゃあ鉱山地区まで本当の白塩石を買ってくっから、お前はそこの残骸を綺麗に片しておけ」
「はーい。いってらっしゃいです」
『本当の』の部分を強調して言ったご主人に唇を尖らせながらも、私は元気に手を振って彼を見送った。
入り口のドアにつけられたベルがちりりん、と鳴ると、店内は静寂に包まれる。
<アトリエ ジルヴァ>。それがこの店の名前だ。
私の肉体を作った張本人であるご主人――ジルヴァが店主を務めており、彼は「錬金術師」というお仕事をしている。見た目は20代後半かそこらで未だ若く、生活態度も毎朝寝癖は直さないわ、工房内の片付けも掃除もまともにしないわでだらしない部分がどうにも目立つけれど、この国でも指折りの優秀な職人らしい。ホムンクルスを作れるという点でも生まれながらの体内魔力、錬金術師としての才覚共にずば抜けて優れているという証拠と言う。人は見かけによらないな。
魔法を使って、作業台の蛇口から水を出す。
この世界に錬金術に加え、魔法の類が存在していることには驚いた。魔法なんて、前の世界では本やゲームの中でのものだったから。かと言ってファイア! とかウォーター! とか唱えたら何かが起こるというわけでもなく、業者さんの描いた掌サイズの魔法陣の上に、市販されている用途に沿った魔法石を設置すれば発動する、というなんとも地味なものだった。魔法の呪文にはちょっと憧れていただけに、残念である。
ハンドルの無い蛇口から出てくる水を金桶に溜め、よいしょよいしょと竈の元へと運ぶ。いたいけな少女の身には、なかなかの重労働だ。
ご主人によって作られたこの世界での私の体は14歳かそこらの少女の姿をしていて、生前の私とは似てもにつかない可憐な美少女だった。
白磁の肌に薔薇色の小さな唇、肩まで伸ばされたサラサラの栗色の髪、アーモンド型のスカイブルーの瞳はくっきりとした二重で、まつ毛なんてすっぴんなのにふさふさで、常に天を向いている。何故このような容姿にしたのかと尋ねたら、ご主人は一瞬考え込むような素振りを見せ、不細工なのより容姿が整ったやつといる方が不快じゃないだろうと答えた。うん、正論だけどその答えはどうかと思うよ。
ご主人は克つて別の街でお店を開いていて、数年前に今私達が住んでいる工業の街、<ドルニア>に引っ越してきたらしい。ここでの生活にも慣れてきて、店も繁盛し、一人で回すには厳しくなってきたため助手として私を作ることにしたそうだ。
まあ助手としての仕事がこなせているかどうかは、見ての通りですけどね。
ごしごしと水で濡らした布巾で、竈の周りに飛び散った煤や薬品を拭う。
この体に新たに生を受けてから一年とちょっと経ったけれど、未だに私はお仕事において録にご主人の役に立った試しがない。お使いを頼まれれば今日のように買い間違えるのはしょっちゅうだし、分量を測るのを任されれば読み間違えて壺の中身を爆発させるのが関の山だ。せいぜいこなせているのは部屋の掃除や洗濯、食事の準備など、一般的な家事程度だ。最早助手というより家政婦だねこれは。
まったく、自分の要領の悪さが恨めしい。
この一年の間で日常会話をこなせるくらいの言語と、一般常識を叩き込まれたが、体は変わりはしたものの中身は生前の私のままだ。物覚えの悪いこと悪いこと。普通のホムンクルスならば術者の要望には何でも従い、その人の腕によりけりだが、腕が良ければ生を受けてすぐにでも役立てるくらいの頭脳と力を兼ね備えている。私のような存在は、とんでもない異端児だとご主人は言っていた。ほんとに耳の痛い話である。
しかし口も態度も悪いけど、ご主人はこんなポンコツな私にも根気良く付き合ってくれた。
言葉がまったく分からなかった時期は子供用の絵本や文字表を買ってきて、雑ではあるものの分かり易いように教えてくれたし、現に今もこんな私と生活を共にしてくれている。さして生活の役に立ってるわけでもなく、むしろ私が手伝うことによって損失が増えているというのに。綺麗な洋服やふかふかのベッド、ごはん……は最近は私が作っているけど、失敗作と言っても過言ではない私に十分すぎる生活を与えてくれている。
だから少しでもご主人の役に立ちたい。
「お前を作ってよかった」「お前のような助手を持って俺は誇りに思うよ」なんて言われたい。
それからそれから、いつも偉そうなご主人の鼻を明かし……じゃなくて、なんやかんやお人好しで優しいご主人に恩を返したいのだ。
ご主人の眠たそうな金の瞳が優しく微笑むのを妄想しながら、私はふんふんと鼻息荒く壺を磨き続けた。