前編 トマトとナス
「ここが野菜四天王の住処……」
四歳くらいの幼い少女が洞くつの入り口を見上げた。
彼女の名前はフィア。人間を虐げる野菜たちと戦う勇者なのだ。
凶悪に進化した野菜たちは野菜帝国をつくり、全ての人間をヒャクショーと言う名の奴隷としている。その野菜帝国の支配者たる四天王を倒すべく、フィアはこの洞くつを訪れたのだ。
「日当たりも悪いのに……変なの」
野菜とは思えない住処の立地にフィアは首を傾げる。
「ま、いいや」
フィアは気を取り直し、一つ頷くと洞くつの中へと足を踏み入れた。
いつ敵が現れるか分からないから、警戒しながら進む。洞くつの中は明るかった。岩壁に明かりが取り付けられている。
もし暗かったとしても問題ない。フィアは魔法が得意なのだ。灯りを作り出すなど簡単である。
勇者に与えられる伝説の剣バンノボウチョを右手で握り締める。左手には伝説の盾、オナベノフタ。
伝説のかぶとチュウカナベは重すぎた。試しにかぶってはみたが、フィアは頭の重さに耐えかねて転んでしまった。その為かぶとは外している。
フィアは洞くつを一歩一歩用心深くに進み、岩の扉をみつけた。
岩の扉に小さな手をかける。この先に四天王がいるかもしれない。だが、巨大な岩壁はびくともしなかった。
フィアは壁を破壊すべきか悩み、そこで一つ思い付いた。自分には聖なる呪文がある。
「開け、ゴマ!」
フィアが聖なる呪文を叫ぶ。
すると、今までびくともしなかった岩の扉がゆっくりと開いていった。その様子を見守る。突然中から敵が出てこないとも限らない。用心しなければならないのだ。
少し待ったが、何もないし誰も出てこない。
フィアは中へと入った。
何もない広い部屋。その奥に今フィアが入って来たのと同じような扉が一つあるだけだ。
次の瞬間、背後で扉が突然閉まった。大きな音が洞くつの部屋に響き渡る。
フィアは背後を振り返らなかった。何故ならば部屋の中央に一つの野菜が転がっているのに気づいたのだ。
その野菜は赤い光に包まれて徐々に姿を変える。本来ならば調理され家庭の食卓にのるはずの野菜は、今やフィアと同じくらいの背丈だ。そして手足が生え、目や口までも存在する。
これこそが諸悪の根源、狂化野菜だ。
野菜四天王の一人トマトがゆっくりと口を開いた。
「よくぞ来た、勇者」
「お前をやっつけて、美味しく食べてやるんだから!」
フィアはバンノボウチョを手に駆け出す。トマトもフィアに向かって来る。無数のミニトマト砲弾をかわし、トマトに肉迫するとバンノボウチョを一閃した。
トマトはよろめき、その場に倒れ伏す。倒れたトマトは赤い光に包まれた。そしてフィアの手のひらにのる位の大きさへ、普通の野菜へと戻る。
だが、戦いはまだ終わってない。ここからが本番だ。これを食べてしまわねばならないのである。
「フィア、トマト嫌いじゃないからこのまま食べちゃお……」
フィアはそう呟くと、生のままのトマトにかじりつこうとした。
その時のことだ。
「ちょっと、待った!」
突然フィアを止める声が響いた。
「うにゃっ!」
フィアは驚いて飛び上がる。ここにはフィア以外の誰もいないはずだ。
恐る恐る振り返る。そして声の主を見て再び驚いた。
そこには己の養父が立っている。思わずその名を呼んでしまった。
「シェイド!」
だが、彼は首を横に振る。
「俺はシェイド——お前の養父じゃない。バンノボウチョの精霊だ」
「バンノボウチョの精霊?」
「そうだ。勇者が美味しく野菜を食べるのを手伝う存在だ。よろしく頼む」
「うん」
「って、勇者フィア……お前チュウカナベはどうした!」
精霊はフィアの頭にチュウカナベがないのに気づいたのだろう。驚いたように尋ねる。
「あんな重いのフィアかぶれないよ!」
むくれるフィアに精霊はため息をついた。
「仕方ない。チューカは無しでいこう」
「ねえねえ、そんなことよりもトマトどうするの?」
「ええっと……勇者フィアはトマト苦手じゃないのか」
精霊はどこからか取り出した冊子をめくりながら呟いた。
フィアはその冊子の正体が気になり精霊へと近づく。そして彼のエプロンのすそを引っ張った。精霊がフィアを見下ろして言う。
「なんだ?」
「それ、なあに?」
フィアが冊子を指差して尋ねると、精霊は笑顔で答える。
「勇者データだ」
「フィアの個人情報!」
「カタイこと言うなって。情報漏洩には気をつけてるからさ」
「むー。なんか納得出来ないけど……」
「そんなことより、トマトだ。嫌いじゃない、どんな調理法でも食べれるなら今回は変わり種でいくか!」
精霊がポンっと手を叩く。すると突然目の前に台所が現れた。
「あー折角だ。その辺に転がってるミニトマトも拾ってくれ」
精霊の言葉でフィアはそこかしこにミニトマトが転がっていることに気づいた。これは先ほどのミニトマト砲弾だろう。せっせと拾い集め、精霊の元へと持っていった。
そして先ほどから気になっていたことを聞く。
「変わり種って?」
「トマトでデザートを作る。トマトのコンポートだ。勇者フィアはリンゴのコンポートが好きらしいからな」
ほうほうとフィアは頷いた。
精霊はトマトを湯むきした。そして水と砂糖を火にかけて作ったシロップにトマトを入れる。
「ちなみにシロップは水の代わりにワインでも美味い。レモン汁いれてもすっきりした味わいだ。粗熱が取れたらシロップに漬けたまま冷蔵庫に入れる」
精霊は冷蔵庫の中から良く冷えていそうなトマトのコンポートが入ったボウルを取り出した。
フィアはこてんと首を傾げる。
今作っている最中なのに、何故出来上がりが冷蔵庫から出て来るのか。
「ねえ、何でもう出来てるの?」
「……細かい事は気にするな。制限時間内で完成させるための秘術だ」
ほら、と器に盛られたコンポートを渡される。フィアは一口食べた。思わず唸る。
「果物みたい」
「そうだろう。ちなみに面倒くさいときはな。湯むきしたトマトに砂糖をしっかりかけて冷蔵庫に突っ込むだけでもいいぞ。お、そろそろ時間か!」
キッチンタイマーが鳴り、精霊はもぐもぐやっているフィアへと告げる。
「四天王はあと三人。勇者データを見る限り、お前にとっては強敵だ……。気を引き締めてかかれ」
どんどん精霊の姿が薄れていく。精霊が消えた後にはフィアだけが残った。
「ご馳走さまでした……。じゃあ次、行ってみよう」
フィアが食べ終わると手にしていた食器が消える。
部屋の奥にある岩の扉へと意気揚々と歩み寄った。
再び聖なる呪文で開けた岩の扉の先は前の部屋と同じような場所だ。
フィアは部屋の中央あたりの床を見つめ、視線を鋭くする。さっきと同じ。赤い光に包まれた野菜が転がっている。瞬く間にフィアと同じ位の大きさとなり、手足が生え、目や口が現れた。
その姿にフィアは冷や汗が流れた。先ほどのトマトとは違う。これは自分が苦手とする野菜の一つだ……。
「勇者フィアよ。私は野菜四天王の一人、ナス。どうやらトマトはやられたようだな」
「あんなの敵にもならないもん」
「……ふん。昨今同族にフルーツトマトなどと言う、人族にも果物族にもおもねるようなモノが出ている始末だ。トマトなど四天王の名折れ、野菜族の面汚しよ!」
フィアはこいつを倒した後のことを考えると足がすくんだ。
倒した後の狂化野菜は食べねば復活する。それも美味しく食べなければならないのだ。嫌々食べれば負の感情が奴を蘇らせる。
「どうした。臆したか?」
ナスの挑発にフィアは首を横に振り、駆け出した。
倒した後のことはその時考えよう。バンノボウチョの精霊が助けてくれるはずだ。
ナスは己に向かって駆けてくるフィアに無数の棘を飛ばした。フィアは魔法の炎で棘を燃やし、そして身軽な動きで燃やしそこなった棘を避ける。
ナスは巨大な棘を手に持った。そして近づいて来たフィアを斬りつける。フィアはオナベノフタで棘の一撃を受けた。そのままぐいぐいとオナベノフタを押し込んでいく。
「この……馬鹿力めが!」
忌々しげに呟いたナスはフィアの怪力によろめいた。
チャンスだ。
フィアはよろめき体勢をくずしたナスをオナベノフタで殴り飛ばした。
全力で殴り飛ばされたナスの身体は飛び、勢いよく背後の壁に叩きつけられる。そして床に落ちた。
フィアは警戒しながらナスへと近づく。何かあればすぐにバンノボウチョで斬りつけるのだ。
だがフィアの接近より前に、ナスは赤い光に包まれる。そして床の上には通常の野菜に戻ったナスが転がった。
じっと床に転がるナスを見つめる。
背後で突然声がした。
「お疲れさん」
振り向けばバンノボウチョの精霊が立っている。
「ほら、そこのナス持って来い」
精霊に促され、フィアは嫌々足元のナスを拾った。そして精霊へと歩み寄り、ナスを手渡す。
フィアの様子に精霊は笑った。
「嫌そうな顔してんなぁ」
フィアはこっくり頷いた。
精霊はナスを片手に、先ほどのように勇者データの冊子を開く。
「なに、なに。ナスの食感が嫌い、か」
フィアはじっと精霊を見つめる。果たしてこの精霊はナスを美味しく食べられるようにしてくれるのだろうか。
だが精霊はフィアの不安など何処吹く風といった様子である。冊子を仕舞うと、ポンっと手を叩く。再び台所が現れた。
「ねえねえ、何つくるの?」
「ナス嫌い対策。ナスキャビアだ」
果たしてそれで自分はナスを美味しく食べられるだろうか。
フィアは不安に思いながら、精霊の手元を見つめた。
精霊はまずナスの表面全体をボコボコ叩いていく。
「何やってるの?」
もうとっくにこいつはやっつけた。後は食べるだけなのだがとフィアは思い、精霊にたずねた。
「ん、これはな。後で皮を剥きやすくするためだ」
「フィアがやる!」
ナスをボコボコにしてやるのだ。
フィアは自分にうってつけの作業だと思い、やらせてもらえるよう精霊にせがんだ。だが精霊はその願いをにべもなく断る。
「だめだ」
「むー! なんでー!」
「お前がやると負の感情がこもるからだ」
はっきり言い切られ、フィアはしょんぼりした。
仕方ない。ここで精霊の作業を見守ろう。自分は勇者だ、良い子なのである。
精霊はナスのヘタを切り落としてから、縦方向に何箇所か切れ目を入れた。
フィアはこれも皮を剥きやすくするためだろうか、とじっと観察する。
精霊は準備の整ったナスを焼き始めた。ナスの焼ける香りが漂う。こんがりと焼けた所で精霊は皮を剥きだした。
「俺なら鰹節と醤油で焼きナスにするところなんだがなぁ……」
ブツブツ呟きながら、丁寧にナスの皮を剥く。そして皮を剥き終わったナスを今度は包丁で丁寧に叩きはじめた。
精霊はじっと作業を見守るフィアに聞いた。
「アンチョビは好きか?」
「うん、大好きだよ」
基本的に野菜以外ではあまり嫌いなものがないフィアは頷く。それを見て精霊は笑った。
「じゃあ、炒めるぞ」
精霊はフライパンにオリーブ油を入れ、どこから取り出したのかみじん切りのニンニクも入れた。熱せられ、ニンニクの食欲をそそる香りが漂う。そこへこれもまたどこから取り出したのかアンチョビのみじん切りを加えた。更に先ほど叩いたナスを入れる。
混ぜながら炒め続けるとフライパンの中身が見るからにねっとりとした感じになってきた。すると精霊はそこに塩コショウを加え、そして味見をした。
「こんなもんか」
一つ頷き、精霊は火をとめる。
「ちなみにフランスパンとクラッカーどっちがいい?」
「パン。でも、このお料理なんでキャビアなの?」
見る限り全然キャビアっぽくない。たしかに粒々はあるが色はナスの色だ。
そんなフィアに精霊はまあ見てろ、と言うと何故か冷蔵庫から何かを取り出した。
「これは今作ったのを一晩冷蔵庫で冷ましたもんだ。作りたても悪くないが、こっちのがオススメだ。そして、見ろ」
「黒くなってるよ」
「そう、だからナスキャビア。通称貧乏人のキャビアだ」
そういって笑いながら切ってトーストしたフランスパンの上にナスキャビアをのせる。そしてそれをフィアに手渡した。
フィアは勇気を出して、それをかじる。
「……おいしい。これ本当にナス?」
「変なこと言うなぁ。お前ずっと作るの見てただろ?」
確かにそれはそうなのだが、全くナスとは思えないのだ。
「お、そろそろ時間か。じゃあ次も頑張れよ」
精霊はせっせとナスキャビアをのせたパンを食べるフィアに別れを告げる。フィアは食べながら、消えていく精霊を見送った。そしてナスキャビアを美味しく食べ、あっという間に完食した。