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フィスト オブ ジョーカー

 南方にとても豊かな国がある、という報告を受けた帝は、さっそく将軍に勅令を出した。

 「すぐに兵を率いて侵攻せよ」

 「御意に」

 そして将軍は、一万の兵を率いて南に遠征した。


 それから一年。

 比類なき武を誇り、帝の信頼も厚き将軍は、行軍を続けた・・・がしかし、目的の豊かな国を探し出せずにいた。

 ただ、幾つかの無人の村を発見しただけであった。

 不思議なことに、それらの村はどれも、つい今朝方まで人が暮らしていたかのように、生活の痕跡がありありと残っていた。

 将軍はやむを得ず、帝にありのままを報告した。

 「・・・その、発見した村も、とても豊かとはいえませぬ。家などは木の枝を組み、さらに細かい枝や木の葉で隙間を埋めたような・・・いわば、末端の兵卒が野営に使う寝床のようなものばかりで」

 「・・・ふむ」

 帝は、面白くなさそうに顔をしかめた。

 「わずかばかりの畑には、野菜と芋がいい加減に植えてあるばかりで・・・雑草も多く、手入れがよくされているとはいえませぬ」

 「それでは、その村の者たちは、何を食しておるのだ?」

 「畑の収穫のほかに、種子や果実、野山の獣や虫なども喰ろうておるようでございます。肉などを干す道具や、素焼きの土器に木の実などが残っておりました」

 「蛮族の村か。・・・そのようなものに興味はない。もう一度、行ってまいれ」

 「御意に」

 そして今度は、三万の兵を率いて出征した。

 

 それから、三年の月日が経った。

 今度も将軍は、豊かな国を見つけられずにいた。

 ただ、また無人の村をひとつ、ふたつ、みっつと発見した。

 そして、七つめの村を見つけた時・・・そこで、ひとりの老婆の出迎えを受けた。

 村には、その老婆しか残っていなかった。

 将軍は問うた。

 「お前だけか?他の者はどうしたのじゃ?」

 「噂に名高い将軍が攻めてきなさるというので、逃げさせていただきました」

 「お前ひとりを残してか?」

 「いえ。わたくしめは、残されたのではなく、残ったのでございます」

 「何のためにじゃ?」

 「わたくしめを、帝の所へ連れて行ってはもらえませぬか・・・申し上げたいことがありますのじゃ。わたくしめは、そのためにここに残ったのですじゃ」

 「戯言を申すな。我らは忙しいのじゃ。帝の命を受け、この南方の地にあるという豊かな国を手に入れねばならんのでな」

 「その豊かな国というのは、ここでございます」

 「・・・なんと?この、蛮族の村がか?」

 将軍は、呆れ顔で老婆を見た。

 伸び放題の髪。

 獣の皮で作った質素な服。

 「まあ、お疑いになるのも無理はございませぬが・・・そこのところ、直接帝に説明してさしあげようかと」

 「いや、しかし・・・」

 「もう、再遠征から三年が過ぎておりましょう?このまま探索を続けられても、他に何も見つかりはしませぬ。何しろここがその豊かな国なのですからの。ただ無為に時を浪費するより、ここらで手掛かりのひとつでも持ち帰ったほうが、帝もお喜びになるのではございませぬか?」

 「・・・うむ」

 将軍は考えた。

 (まあ、帝がお喜びになるかどうかはともかく、拙者も兵たちも、いい加減疲れておる。この老婆がどれほどの手掛かりになるのか心許ないが、それを口実に一度都に戻るのも悪くはなかろう)

 そして将軍は、その老婆を連れて都に戻り、帝に拝謁させた。


 「この・・・薄汚い老婆が、伝え聞く豊かな国の住人だと?」

 帝は壇上から老婆を見下ろし、しばし呆れかえったのちに、高笑いをあげた。

 「は、は・・・で、その豊かな国の者どもが、何ゆえ余の兵たちから逃げたのじゃ?戦って、追い払おうとせんのだ?」

 「わたくしどもは、武の力を持ちませぬ。ゆえに攻め入る者と戦ったりはせず、ただ逃げるだけでございます」

 「ふん、そうであろうな。報告によると、そのほうたちの村には、金属製の道具もないそうではないか。そんな貧しい村が、余の兵と戦えるはずがない」

 「まさしく。物がなければ貧しいということであれば、確かにわたくしどもは貧しゅうございます。ただそれは、戦いを避けるためでもあります。豪華な家を建て、よく手入れした田畑を作れば、その土地に愛着がわきます。されば、帝のように攻めてくる者があれば、土地を守るために戦おうという気持ちがわいてくるでありましょう」

 「では、貧しい暮らしをしておるのは、戦いを避けるため・・・迷わず逃げるためと申すか?」

 「さようでございます。ですから、わたくしどもは逃げることにかけては自信がございます。今まで将軍が見つけた村は、全てわたくしどもが暮らしておりました。そのいずれも、将軍に攻め入られる前に捨てて逃げました。今後、わたくしどもをいくら探そうと、同じことを繰り返すばかりです」

 「そうか。・・・そのほうらはそれほどに、逃げるのが巧いのか」

 帝の目が光った。

 新しい遊びを思いついた子供の目だった。

 「さようにございます」

 「ならば・・・これは何とする?」

 言うが早いか、帝は玉座に座ったままで腰の剣を抜き放ち、老婆めがけて投げつけた。

 左右に控えた従者たちから、どよめきが起こった。

 ・・・剣は、老婆の体をすり抜けて、その背後の床に突き刺さっていた。


 帝は片眉を上げて、少しばかり感心していた。

 彼は老婆の右肩を狙って剣を投げていた。・・・すぐに殺してはつまらないと思ったからだ。

 だが老婆は剣の軌道を見切り、ごくわずかに体をひねってかわすと、すぐさま元の姿勢に戻っていた。

 その動きがあまりに小さく鋭かったので、従者たちには剣が老婆の体をすり抜けたように見えたのだ。

 「ふん。確かにお前は逃げるのが巧いようだな。ならば何ゆえ、お前は余に会いに来たのじゃ?わしは、お前たちの国を攻めようとしておるのだぞ。・・・まあ、お前たちが本当に豊かな国の住人ならば、じゃがな。まさか、歓迎してもらえるとは思っておるまい?戦う力を持たず、逃げるのが本分だというのに、何故わざわざ自分から危険に飛び込むような真似をしておるのじゃ?」

 「はい。仰せのとおり、わたくしどもは逃げることだけがとりえでございます。帝の軍が何度攻めてこようと、その度に逃げおおせることができます。まあ、正直面倒ではございますが。・・・ですが、この国の軍隊が南征を繰り返すことは、もはやわたくしどもだけの面倒ごとではありませぬ」

 「と、申すと?」

 「南征を繰り返すことは、他ならぬ、この国の民草の災難となっております。・・・帝はこれまで、この国をそれなりにお上手に治めておられました。ですから民草も、それなりの日々を送っておったのです。ですが、大軍を率いての遠征は・・・たとえ戦闘が無くとも、大変な費用がかかります。そのために税は重くなる一方です。また、補給が・・・物資の調達はもとより、それを遠征軍に届けるだけで、大部隊になりましょう。近頃は、そのための人手が正規軍だけでは足りず、民草から徴用しておるとか。こんなことが続けば、民草の生活は遠からず立ち行かなくなります。そうなれば、いずれお困りになるのは、帝でございます」


 「ふん。・・・お前は、余にそんな説教をするために、わざわざ参ったと申すのか?」

 「説教などと、滅相もない。・・・お願いに参ったのでございます。もう、南征はお止めください」

 「よかろう。簡単なことじゃ。お前らも余が治める民草として、この国に帰属すればよい。さすれば南征は終わりじゃ」

 「結構でございます。ならば今すぐ、南の地もそこに住むわたくしどもも、帝の支配下にあると宣言なさいませ。わたくしどもはただ、今までどおりに暮らすのみです」

 「いや、それはならぬ」

 「・・・と、申されますと?」

 「余の国の民になるのであれば、余のために働き、余のために税を納めねばならぬ。今までと同じというわけにはゆかぬ」

 「それは・・・帝にとって、大いに損でございます」

 「なぜじゃ?」

 「わたくしどもは、豊かになるために生きておるのではございませぬ。ただ、生き延びるためだけに、天地から恵みをいただいておるのです。とても帝に税を納めるような力は持っておりませぬ」

 「力が無いというのなら、つければよいではないか。金属製の道具をやろう。鉄や銅、金銀を掘り、水を引き、広い畑を耕し、糸を紡ぎ、布を織る方法を教えよう。それでお前たちも豊かになれば、よいではないか」

 「・・・それは・・・わたくしどもにとっての豊かさではございませぬ」

 「拒むなら、力ずくで従ってもらうまでじゃ」


 老婆は、しばし黙ったままで思案していた。

 だが、ふと何かを思いついたらしく、背後を振り返って、先ほど帝が投げつけ、床に刺さったままの剣を見やった。

 「それにしても、見事な剣でございますな。・・・石を敷き詰めた床に当たったというのに、折れもせずに刺さるとは」

 「当然じゃ。余の剣であるぞ。・・・最高の鋼を、当代一の鍛冶職人に鍛えさせたのじゃ」

 「では、その剣を・・・そこに控えておられます、将軍にお貸しいただけませぬか?」

 「何じゃと?」

 この意外な申し出を、帝と将軍は理解しかねた。

 「ひとつ、賭けをしませぬか?将軍が、この剣でわたくしめを斬れたなら・・・わたくしどもの国・・・帝や将軍にとっては、蛮族の村でしょうが・・・そこへ、案内いたしましょう」

 「ほう」

 「されども・・・もし将軍が、わたくしめを斬れなかったなら、もう南征は諦めてはもらえませぬか」


 (ふん。・・・小賢しい真似を)

 帝は、顎鬚をさすりながら考えた。

 (斬れたなら案内する、か。・・・それは言い換えれば、案内させたければ斬り殺すな、ということだ。斬られなければ老婆の勝ち。斬られても、生きてさえいれば・・・案内すると偽って、途中で逃げるか、罠にかけるつもりやもしれぬ。地の利はあちらにあるのじゃからな。・・・いや、罠は無い・・・か。そのつもりがあれば、とうにやっておるはずじゃ。ならば、やはり逃げるための方便か)

 老婆の真意を量りつつも、帝の心中には別の興味がわいてきた。

 (老婆の体術と、将軍の武術。・・・逃走と、闘争。どちらが上か?)

 帝は、剣も槍も弓も、ひととおり・・・一流といえるレベルで扱うことができた。

 だから、老婆の体術が並ではないこともわかっていた。

 だが侍従たちとは違い、帝は老婆の体術に感心はしたが、驚きはしていなかった。

 帝の武の師は、将軍だった。

 (あの老婆は、確かによい動きをしておる。だがそれは、無駄を極限まで省いた『早い』動きじゃ。だが将軍は男であり、まだ若さもある。ゆえに『強く』も『速く』も動ける。・・・よく見れば、老婆の服の右肩辺りが、わずかに切れておるではないか。我が将軍なら、衣に傷ひとつつけさせることなくかわせるであろう。・・・それに)

 帝は眉をひそめて、老婆をジロリと見た。

 (ひょっとするとこの老婆、殺さない程度に斬るという制限をつければ、将軍の動きが鈍るとでも思っておるのではないのか。他ならぬ余の剣じゃ。わずかでも加減を誤れば、致命傷になる・・・が、それは将軍の武を甘く見ておる。そして、将軍を甘く見ておるということは、つまりは余を甘く見ておるのと同じじゃ)

 帝の目に、小さな怒りの火がともった。


 「・・・よかろう。将軍、余の剣を取れ。聞いたとおりじゃ。この老婆には案内役を務めてもらわねばならん。それゆえ、殺してはならん。・・・だが」

 帝は口の端に、嗜虐的な笑みを浮かべた。

 「右でも左でもよい。片腕を、斬り落とせ」

 「・・・御意に」

 一礼した将軍は、既に剣の傍に控えていた。

 「結構でございます。では将軍、始めましょうか」

 「もう、始まっておる」

 将軍は淀みのない動きで、石の床に突き刺さった剣を、まるで鞘から抜くように引き抜いた。

 そのまま、剣の切っ先を老婆の胸元に向ける。

 老婆は、右手右足を前にした真半身で構えた。

 両手はだらりと垂らし、腰はあまり落としていない。

 剣なら、突くのが定石だが・・・真半身の構えは的が細く、まっすぐに突けば、横にかわされる可能性が高い。

 それよりも、遠心力に任せて横一文字に薙ぎ払うように斬るほうが、かわすとしても後ろに逃げるしかない。

 (・・・と思わせて、水平斬りを誘っておる)と、将軍は読んだ。

 横に払うように斬ろうとすれば、どうしても一瞬、剣の切っ先が目標から外れてしまう。

 (恐らく、その瞬間に踏み込み、間合いを詰めて拙者の動きを封じるつもりであろう。だが甘い・・・いかに真半身に構えようと、拙者の突きはかわせぬ)


 将軍は、剣先をピタリと老婆に向けたまま、じり、じりと間合いを詰めた。

 老婆は動かない。

 帝は玉座の肘掛けにもたれ、頬杖をつきながら、両者を眺めていた。

 将軍の技量は知っている。問題は、老婆がどう対応するかだ。

 その老婆は、剣先が近づいているというのに焦りもせず、その顔には微笑みさえ浮かべていた。

 (ふん。強がりおって・・・そのハッタリが、我が将軍を相手にいつまで持つかな)

 だが将軍は、老婆を相手に油断してはいなかった。

 丁寧に、慎重に・・・間合いを詰めていた。

 (まだだ・・・絶対に、回避動作が間に合わない距離まで、接近する・・・)

 そして。

 ついに、その境界線に到達した。

 (よし・・・ここなら、老婆から先に動くことは、できない)

 もし老婆が左右や後ろに動けば、剣が追いつく。

 前に出れば、自分から刺されるだけ。

 将軍は自信を持って、意念を「突く」ことに集中させた。・・・ために、守りの意識が途切れた。


 その刹那。

 老婆の右腕が、フッ、とぼやけた。

 将軍は剣を持った右手に、コッ、というわずかな衝撃を感じた。

 おや、と思いつつも、しかし彼は剣を突き出した。

 だが・・・剣は、老婆には届かなかった。

 剣の、その刃があるはずの場所には、老婆の右拳があった。

 将軍は慌てて自分の右手を見た。

 その手には、間違いなく柄が握られていた。

 ・・・そう、柄だけが握られていた。

 その先に伸びているはずの刃は・・・粉々になって、床に散らばっていた。

 最高の鋼を、当代一の鍛冶職人に鍛えさせたという、帝の自慢の剣が、老婆の裏拳によって打ち砕かれたのだ。

 ・・・そして老婆の拳には、傷ひとつついていなかった。

 

 これには帝も将軍も、さすがに驚いた。

 左右に控える侍従たちは、声も出せずにいた。

 帝は玉座にもたれていた体を起こし、やっとの思いで声を発した。

 「お前たちは・・・戦わないのではなかったのか?それは、武ではないのか?」

 「異なことを。・・・猿が桃の実をとる時、桃の木と戦っているなどと思っておりましょうか?・・・ただ機が熟するのを待ち、手を出したのちは、桃の木に感謝するのみでしょう。わたくしどもの拳は、そういう拳でございます」

 老婆はゆっくりと首を振りながら、静かに述べた。

 帝は急に・・・こんな者たちの相手をしていることが、ひどく馬鹿馬鹿しいことのように思えてきた。

 「ふん・・・もうよい。ゆけ」

 帝は、玩具に飽きた子供のような顔をして手を振った。

 「恐れ入ります」

 老婆は一礼して、悠々と宮殿を後にした。



 フィスト オブ ジョーカー・・・完

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