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ペイン・プロキシー

 その占い師は、就活帰りらしき女性の声に耳を傾けながら、話のリズムを整えるように右手を揺らしていた。

 わたしは窓ガラスを拭く手を止めて、その右手の動きに見入っていた。

 ゆら、ゆら、と動く右手が周りの空気をかき回すたびに、女性の肩の力が抜けていくように見えた。

 もっとも一番肩の力が抜けているのは、その占い師本人なのではなかろうか。

 いや、肩というより、全身脱力状態だ。

 年齢は、三十前ぐらいだろうか。

 公平に見て、彼は整った顔立ちをしていると思う。・・・なのに、だらーんと締まらない表情や髪型をしているせいで、二枚目半にレベルダウンしているのだ。

 まあそのぐらいのんびりというか、お気楽な性格のほうが、辻占いには向いているかもしれない。

 わたしがバイトをしている、このコンビニの店長さんなんて、一日中売り上げと在庫のバランスに神経を尖らせていて、肩も表情筋も固まりっ放しだ。


 「せんぱ~い・・・また、あの占い師を見てるんですか?」

 ふいに後ろから呼びかけられて、わたしは慌てて振り返った。

 「え?・・・あ、ミィちゃん・・・これから道場?」

 「はい。先輩は、夜までバイトですか?」

 ミィちゃんは、わたしが通っていた空手道場の後輩だ。

 わたしより二つ年下の、高校二年生。細い黒髪をショートカットにしているが、ボーイッシュというよりも、可愛らしい雰囲気の女の子だ。

 とても空手をやっているようには見えない。


 「うん・・・」

 「よく働きますね。夏休みに旅行とか行くんですか?その費用を稼いでるとか」

 「行かないわよ。・・・っていうか、予定なんてないわ」

 「え~・・・先輩、確かサークルとかも入ってないんですよね?」

 「そうよ」

 「じゃあ・・・夏休みになったら、道場に復帰しませんか?」

 「え?」

 「師範だって歓迎してくれますよ。先輩は優等生だったから」

 「ありがとう・・・でも、夏休みは勉強とバイトで一杯だと思う」

 「そうですかあ・・・バイト、楽しいですか?空手よりも?」


 楽しい?

 そういうのじゃない。

 空手のほうが、ずっと楽しかった。

 ・・・空手の中に、わたしが求めているものがあると・・・信じていた頃は。


 わたしは小さい頃、ヒーローやヒロインに夢中だった。

 変身して、華麗に舞うように突き、蹴り、打ち、撃って・・・悪い奴らをやっつける。

 弱い者が傷付けられないように守って戦う。

 そういう存在に憧れていた。

 小学校に通うようになって、通学路の途中に空手道場があることを知った。

 ダンスやバレエの教室を兼ねている建物で、道路に面した壁が大きな窓になっていたので、練習風景を見ることができた。

 わたしは・・・ヒップホップよりも、バレエよりも、空手の動きを夢中になって見た。

 それは、憧れていたヒーローやヒロインの動きだった。

 わたしは両親にねだって、空手を習わせてもらった。

 両親はどちらかというと、女の子のわたしにはダンスかバレエを習わせたかったようだが。


 入門した道場では、フルコンタクト空手をやっていた。だから、ずいぶん痛い思いもした。

 でもわたしは、そんなことで空手をやめようとは思わなかった。

 ヒーローやヒロインは、痛いぐらいでは降参しないからだ。最後の最後まで諦めず、逆境を乗り越えて勝利を掴む。

 痛みを堪えて立ち上がるたびに、自分が本物のヒーローやヒロインに近づいてるような気がした。


 努力の甲斐あって、高校生になってすぐに黒帯を取得できた。

 ・・・でも同時に、その頃から空手に疑問も持ち始めた。

 競技性と、実用性のギャップ。

 わたしは、ケンカに強くなりたいと思って空手を始めたわけではない。

 でも、ヒーローやヒロインの戦いは、何でもありの・・・いわゆるケンカに近いものだ。

 自分が道場でやっている、ローキックとボディブローの打ち合いが、果たして現実の戦いで使えるのか?

 わたしは考えた。本やネットで調べたり、ちょっとヤンチャな先輩に質問したりもした。

 そして・・・ひとつの答えが出た。

 わたしのやっている空手は、そのままでは実践は難しいということだ。


 だが、だからといって古流空手の理合いを取り入れてみようとか、そういう気にもなれなかった。

 わたしは・・・気付いたのだ。

 わたしは、本当に、ヒーローやヒロインになりたいと思っていたのだ。

 そんなわたしが今更、少々ケンカに強くなったところで、何になるのか?

 

 普通ならここで、自分の理想と現実に折り合いをつけて、実現可能な将来像に「夢」というラベルを貼り付けるのだろう。

 怪人と戦うのは無理でも、犯罪者を取り締まる警察官になるとか。

 弱い者を救うのなら、病人や怪我人を治す医者になるとか。

 ・・・でも、それも違うと思った。

 警察官や医者が悪いというのではない。そういうことじゃない。

 ただ・・・結局わたしは、どう頑張っても、どこにでもいる、ただの普通の人であって、特別な存在ではない・・・ということが、わかってしまったのだ。

 そのことに気付いてから、わたしの空手への熱意は急速に冷めていった。

 そして・・・高校三年生の夏に、受験勉強を理由にして、わたしは道場を辞めた。


 大学に合格したわたしは、サークル活動には興味がわかず、この・・・駅近くの商店街の端っこの、ちょっと大きな交差点にあるコンビニでバイトを始めた。

 たかが週三回のバイトかもしれないが、ちょっとでも現実の、というか、実社会の質感を知りたかったからだ。

 いつまでも、ヒーローやヒロインに・・・「特別な存在」なんかに憧れていてはいけない。

 「ありふれた存在」の自分を受け入れなければいけない。

 そう思ったのだ。


 そして、バイトを始めてから、なぜだかあの辻占い師の存在が気になり始めた。

 彼はわたしがバイトをしているコンビニと、交差点を挟んだ対角線上の位置で、折りたたみの机と椅子と看板という、必要最小限の道具で仕事をしている。

 高校生の頃から、彼がここで仕事をしているのは知っていたけれど、こうしてバイトのたびに目にしていると、その浮世離れした雰囲気がじわじわとわたしを侵食するような気がした。


 「・・・楽しいっていうんじゃないけど・・・」

 わたしは言葉を濁して、ミィちゃんから視線を外した。

 その視線が、彼の・・・辻占い師のほうへ泳いだ。

 「ふうん・・・」

 ミィちゃんが、意味あり気にニヤリと笑った。

 「先輩、あの占い師って、好みのタイプですか?」

 「え?」

 「だって、あたしが通りかかると、大体いっつもあの人をじ~っと見つめてますよ」

 「えっ?・・・ない。それはない。ただ・・・何となく気になるのよ。あの、手の動きとか・・・」

 「手?ですか?」

 「そう。不思議な動きなのよ。変則的なファイターがフェイントをかけるみたいな・・・と思ったら、パワーファイターのラッシュみたいだったり・・・」

 「ふうん・・・そんなに、よく見てるんだ」

 ミィちゃんは急に小声になって、俯いた。・・・その目が、ひどく辛そうに見えた。

 「よく見てるって、このコンビニの向いにいるんだから・・・ミィちゃん?」

 わたしはちょっと屈んで、ミィちゃんの顔を覗こうとした。

 そんなわたしの動きにカウンターを合わせるように、ミィちゃんがパッと顔を上げた。

 「じゃ、あたし、稽古に行ってきます」

 弾けるような笑顔だった。

 「ああ・・・行ってらっしゃい」

 わたしの言葉が終わるより先に、ミィちゃんは手を振って・・・背中を向けて、駆け出していた。


 その日のバイトが終わって、コンビニを出ると、もうすっかり暗くなっていた。

 占い師は、もういなかった。

 このぐらいの時間なら、大抵まだ仕事をしているんだけど・・・今日は早仕舞いなのだろうか。

 ミィちゃんが、好みのタイプか?なんて、変なこと言うから・・・ちょっと気になってしまった。

 「先輩・・・」

 ふいに後ろから呼びかけられて、わたしはドキリとした。

 振り返ると、ミィちゃんがスポーツバッグを抱えて立っていた。

 「あ・・・何?道場からの帰り?」

 そう言いながら、わたしはミィちゃんがひどく辛そうな顔をしているのに気付いた。

 「どうしたの?稽古でどこか怪我したの?」

 ・・・いや、違う。

 わたしも経験したことがあるが、苦痛が表情に出るほどの怪我をしたら、姿勢がどこかアンバランスになる。

 ミィちゃんの立ち姿は、バランス的にはごく自然だ。

 だが・・・何かがおかしい。

 「先輩・・・あの占い師を、探してたんですか?」

 「え?そんなことないわよ。ただ、今日は早仕舞いなのかなって・・・」


 「やっぱり、気にかけてるんだ」

 独り言のように呟きながら、ミィちゃんはぷいと横を向いた。

 そして・・・彼女の体の輪郭が、急にぼやけてきた。

 「ミィちゃん?」

 彼女の周囲から、湯気のような、煙のようなものが立ち昇り始めた。

 それは次第に彼女の背後に集まり、何かの形を・・・それは・・・ミィちゃんだった。 その、フワフワとした煙のようなミィちゃんの表情は、ひどい苦痛に歪んでいた。

 そして、実体のほうのミィちゃんの首筋に、背中から両腕を絡めた。

 ・・・同時に、ミィちゃんは両手で頭を抱えて、すすり泣きのような声をもらし始めた。

 「ミィちゃん?大丈夫?」

 大丈夫なわけないと思いながらも、わたしはそう言わずにはいられなかった。


 その時。

 ミィちゃんの背後に、誰かが・・・いきなり姿を現した。

 だらっとした表情と、髪型。

 「・・・あ」

 あの、辻占い師だった。

 彼は背中に大きな袋を背負っていた。たぶん、商売道具が入っているのだろう。

 結構な重さの荷物のはずなのに、そんなことを感じさせないほど軽いステップで、彼はミィちゃんの背後から滑るように、わたしのほうへすり抜けてきた。

 その動きの途中で、彼の体が一瞬ブルッと震えたのを、わたしは見逃さなかった。

 彼はミィちゃんとすれ違いざまに、煙のほうのミィちゃんの脇腹に、右のショートパンチを叩き込んでいた。

 小さくて鋭くて、打撃系の格闘技を経験していなければ、見えないようなパンチだった。

 実際、この暗闇の中では、彼のショートパンチに気付いた通行人は、わたし以外にはいないようだった。


 「は・・・!」

 煙のほうのミィちゃんが、悲鳴とも吐息ともつかない声を上げた。

 そして・・・本当に、煙か霞のように、散り散りになって消えてしまった。

 ・・・消えながら、その細かい粒子が、占い師の右拳に吸い込まれていった。

 同時に、ミィちゃんが悪夢から覚めたような表情になった。

 「ミィちゃん?」

 だが、ミィちゃんはわたしの声には反応しなかった。

 目の焦点も定まってない。

 占い師が、わたしのすぐ隣に立って、左手をミィちゃんのコメカミのあたりでユラユラと揺らした。

 「あ・・・え~っと」

 「あの・・・」

 占い師とわたしは、同時に声を掛け合った。

 「ん~と、先に言ってもいいかな?」

 「あ、はい、どうぞ」

 「この子は、じきに意識が戻る。その時この子の目の前に、君がいないほうがいいんだ。だから・・・ちょっとそこへ」

 彼はそう言って、コンビニの裏手を指さした。そっちには小さな児童公園があるから、とりあえず、そこへ身を隠そうというのだろう。

 「あ、わかりました・・・?」

 わたしは頷きながら、目的地を指さす彼の右手を見て息を呑んだ。

 その手は、血塗れだった。

 それだけではない。あちこちが変形している。

 間違いなく複数箇所を骨折しているはずだ。


 「ちょっと、その手・・・!」

 「え?ああ・・・これ?見えるの?」

 彼は相変わらずだらっとした顔で、口調ものんびりしていたが、よく見ると額に脂汗がにじんでいる。

 「見えるって、大怪我じゃ・・・」

 「いや、これはね。こうすると・・・」

 彼はそう言いながら、わたしの目の前で左手を数回振った。

 「ね?」

 「ね、って、・・・え?」

 彼の右手には、どこにも怪我などなかった。

 「説明はあとで。とにかく早く」

 のんびりとした口調とは裏腹な素早い足取りで、彼は公園へと向かった。

 わたしは目の前で起こったことが理解できず・・・だから、理解できたことを口に出すことで、気を紛らわそうとした。

 「あの、さっきのショートパンチ・・・すごいですね。寸勁ですか?」

 「へっ?ああ、あれも見えたの?やるねえ。何か格闘技とかやってるの?」

 「あ、空手を・・・やってました。フルコンの」

 「おお、道理で」


 そんな会話をしている間に、公園に着いてしまった。

 彼はベンチに腰をおろすと、背もたれにだらしなく体重をあずけた。街灯に照らされた彼の顔色は、悪かった。

 「大丈夫ですか?」

 「うん。・・・ちょっと、休めば」

 他人事のように言いながら、彼は深く静かな呼吸を繰り返した。両肩が上下するたびに、顔色が落ち着いてきた。

 「さて・・・と。色々聞きたいって顔をしてるね。何から聞きたい?」

 「あ・・・じゃあ、あの、ミィちゃん・・・いや、その・・・」

 「ああ、さっきの女の子?」

 「はい。あの子の後ろにいた、煙みたいなミィちゃんは、一体何なんですか?」

 「あ、そうか。そもそもあれが見えてたんだ。だから僕の寸勁も見逃さなかったんだな・・・まあ、とりあえず、座ったら?」

 占い師はそう言って、ベンチの真ん中を親指でさし、自分は端っこに寄った。

 彼の正面で突っ立ったままでいたわたしは、ギクシャクとベンチに腰をおろした。

 「え~と・・・そうそう、あの子の背中にいたやつね・・・あれは、あの子の『痛み』だ」


 「・・・痛み?」

 「そう。痛み。・・・痛い、っていうのは、とても大切な感覚だ。フルコン空手をやってたんなら、よくわかるだろ?痛みがあるから、生き物は心や体の異常や不調を知ることができる。痛みをなくすために、適切な休養や手当てをして、回復に努めるんだ」

 「はい」

 「ところがだ。人間てのは、脳が肥大化したせいで、痛みとの付き合い方が厄介になっちまったんだ。きっかけは、たぶん、果てしない欲望だな」

 「欲望・・・ですか」

 「そう。人間は、欲望を満たすために努力をする。だが、欲望が満たされないと・・・それは失望となり、いつしか痛みになる。人間は、無限に暴走する欲望の中で、同時に無限の痛みも背負うことになったんだよ」

 「・・・はあ」

 「ところがだ。人間の脳ってやつは、器用というかずるいというか・・・大き過ぎる痛みは、無視するっていうテクニックを覚えたんだ」

 「無視?」

 「そう。無視だ。感じないようにするのさ。・・・逆のケースもあるよ。体に異常はないのに、不安やストレスで脳が痛みを作り出しちゃうとか。でもまあそっちは、医者の領分だ。僕たちが相手にしてるのは、君も見た・・・あれだ」

 「あの・・・煙みたいな」

 「そう。痛みってのは、感じることで消費されていくんだ。だから、感じてもらえない痛みは、その人の中に蓄積していく。でも、いつまでも溜め込んではいられない。溜まった痛みが、その人のキャパシティを超えると・・・」

 「さっきみたいに、実体化するんですか」

 「そう。・・・誰にでも見えるものじゃないけどね。で、実体化するほどに成長した痛みは、本人に『感じて』もらうために、色々と無茶をするんだ」

 「それで、ミィちゃんは苦しそうだったんだ」

 「その、ミィちゃんだけじゃない。周りの人間にも危害が及ぶことがある。・・・実体化した痛みに干渉されたら、通常の理性を保つのは難しい。犯罪行為に走るケースも多いんだ」

 「ミィちゃんは・・・どうして、そんな痛みを・・・」


 「原因は、君さ」

 「・・・え?」

 「あの子は、君のことが好きだったんだ。まあホルモンとか、心と体のバランスが不安定な思春期にありがちな、一種のレズビアンだ」

 「・・・えええ?」

 「『えええ?』だろ?あの子自身もそう思った。だから、君への想いは、そのまま痛みになった」

 「・・・あ・・・あっ、でも・・・どうしてそんなことがわかったんですか?」

 「まあそりゃ・・・この春から、君はしょっちゅう・・・あのコンビニから、こっちを眺めてたろう?」

 「えっ?あ、その、すいません」

 「いや、それはいいよ。眺められるのも占い師の仕事のうちだ。・・・で・・・そうそう、その、そんな君をだ。あの子・・・ミィちゃんか?悶々とした顔で見てたからな。察しもつくさ。君は・・・『空手をやっていた』と言ってたよね。じゃあ今は、道場には通っていない・・・大方、ミィちゃんてのは道場の後輩ってとこか。ずっと憧れていた先輩が、道場をやめてしまった。でも、会おうと思えば会える。でも会ってみれば、先輩はどこの馬の骨ともしれない男を眺めてる・・・で、さっき、溜まった痛みが臨界を超えたってわけだ」

 「すごい・・・あなた・・・人の心が読めるの?」

 「心の一部だけね。感情ってやつを。・・・記憶や思考は読めない。でも感情が読めれば、状況を観察することで、かなりの部分を推理できる。で・・・夕方のあの子の様子から見て、今夜あたりが危ないと思ってね。店を早仕舞いして待ってたんだ。痛みが実体化するとしたら、君が引き金になる可能性が一番高いから」

 「それで・・・あんなにタイミングよく・・・」

 「いや、ああなる前に処置できたほうが、本当はいいのさ。今回は、ちょっと危なかったよ。過激な少年漫画なら、痛みに体を乗っ取られたミィちゃんが、君を拉致監禁とか、そういうパターンだ」

 「えええ?」

 「で・・・漫画なら、そういうタイミングで、ヒーローが救出に現れるんだが・・・そうなる前に痛みを回収するのが、僕の仕事だ」

 「あ、そうか・・・あのショートパンチで、ミィちゃんの痛みを破壊したんですね?」

 「ちょっと違う。破壊じゃない。回収・・・いや、代行といったほうがいいかなあ。・・・痛みはね、壊せないんだ。誰かが感じなければ、消えないんだよ」

 「え?・・・あ、じゃあ、あの煙のミィちゃんがバラバラになったのは・・・」

 「うん。あれはね、回収しやすいように細かくしただけ。で、僕はその痛みを、『何かを思い切り殴った時の痛み』という形で感じて、消費したわけだ。君が見た、僕の手の怪我は、その痛みのイメージなんだ。あの時僕は、あのぐらいの怪我をしたのと同じ程度の痛みを感じてたんだ」

 「・・・ミィちゃんは、そんな痛みを抱えてたんだ・・・っていうか、そんな痛い思いをしてたのに、あなたもよく普通に歩いたりしゃべったりできますね?」

 「うん。慣れてるからね。まあ・・・びっくりしたろうけど、ミィちゃんの記憶も操作しといたから。明日になれば、元の可愛い後輩に戻ってるよ。今度のことは、大目に見てあげてくれないかな」

 「わかりました」


 「・・・えらく素直だね。大目に見るとか見ないとかいう以前に、こんな突拍子もない話を受け入れちゃうなんて」

 「だって、実際に見ちゃいましたから」

 「それもそうか」

 「そのかわり・・・あ、そのかわりってのも変だな。その、お願いがあります」

 「ん?何?」

 わたしは、占い師の目をまっすぐに見て、言った。

 「弟子にしてください」

 「・・・へ?」

 彼が、「痛み」の説明を始めた時から、わたしの中に湧き上がってきた思い。

 それは、彼が「僕の仕事だ」と言った瞬間に、決定的なものになった。

 「わたしを、弟子にしてください」

 「・・・いいの?面倒っちゃ面倒な能力だよ、これ。人の感情が読める、気持ちがわかるってのは・・・過ぎたるは及ばざるがごとしっていうだろ?社会生活を送るのに、人の気持ちがわからないのも困るけど、わかり過ぎるのもやっぱり困るよ。この能力を持ったら、普通に会社勤めをしてとか、そういう人生はまず無理だ」

 「わかります。でも・・・これって、すごく大切な仕事だと思います。人知れず、重い痛みに苦しむ人を救って、犯罪も未然に防いでって」

 そうだ。彼のやっている仕事は・・・わたしがイメージするヒーローやヒロイン像に、限りなく近い。

 「そう・・・じゃ、ちょっと試しにやってみるかい」

 「簡単には弟子にしてもらえないんでしょうけど、わたし、諦めませんから」

 「いや、簡単だよ」

 「とりあえず、占いの仕事からお手伝いします。ええと・・・駅前で、チラシとか配りましょうか?」

 「いや、だから、弟子にするって」

 「・・・え?」

 「しかし、チラシ配りからって・・・ずいぶんアナクロな師弟像だな」

 「あの・・・いいんですか?こんな簡単に」

 「いいんだよ。この仕事は、慢性的な人手不足でね。やる気がある人がいたら、とりあえず試してみようってことになってるんだ」

 「なってるって・・・そういう業界とか、組織とかあるんですか?」

 「いや、そういうのは無い。でもこの能力を渡される時に、必要事項は通達されるし、能力者同士が出会ったら気がつくから、その時に情報交換もするしね。ただ、この能力を持っちゃうと、組織を作ってまとまるってのは難しいんだ」


 「あ・・・あの、能力を渡されるって?」

 「うん。この能力はね、人から人へ渡せるんだ」

 「ひょっとして、弟子に力を譲ったら、師匠の力は消えるとか・・・」

 「ないない。それはない。それじゃいつまでたっても、人手不足は解消されないぞ」

 「あ、そうか。・・・わたし・・・実体化した痛みとか、あなたの痛みのイメージが見えたから、才能があるほうだと思ったんだけど・・・能力を渡せるんなら、才能はあまり関係ないのね」

 「そんなことはないよ。ただね、実体化した痛みが見えるから、この仕事に向いてるってもんでもないんだな」

 「じゃ、どんな才能ならいいんですか?」

 「いい悪いというより、その・・・個人の才能や資質に応じて、渡された能力の発現のしかたが変わるんだ。例えば僕は、実体化した痛みを殴って、砕いて回収するけど、これはあくまでも僕のスタイルだ。もっとも、殴らなきゃならないほど肥大化した痛みにぶつかることなんて、滅多にないけどね。普段は占い師をやりながら痛みを回収してるんだ」

 「ふうん・・・あ、ひょっとして、占いをしながら右手をヒラヒラさせてるのって・・・」

 「お、鋭いね。そう、あれでお客の痛みを回収してるんだ。ああやって実体化する前に処置できれば安全だし、僕の苦痛も少ない。もちろん、痛みってのは本人が自分で感じて消費するのが一番だから、いつもやるわけじゃないけど。つまり、占い師ってのは一種の方便だな」

 「じゃ、世の中の占い師の何割かは、あなたみたいな・・・」

 「ん~、いや、他にも色んな職業の人がいるよ。バーテンダーとか、探偵とか、クレープ屋とか」


 「・・・どうやって痛みを回収するんですか?」

 「バーテンダーは、お客の痛みを酒に混ぜて飲んで、『悪酔い』という形で感じる」

 「・・・うわ」

 「探偵は、依頼人の痛みに同調すると、古傷が疼くと言ってた」

 「ハードボイルドだわ・・・」

 「クレープ屋は、商品を食べた客の痛みを回収して、それを『飢餓感』として感じるとか。ボール一杯の生クリームを一気飲みして、それでも追いつかないことがあるってさ」

 「胸焼けしそう・・・」

 「僕にこの能力をくれた人は、似顔絵描きだった」

 「へえ・・・あなたも描いてもらったの?」

 「ん・・・描いてもらいたかったけど、結局、描いてもらわなかった。僕はあの時高校生だったからなあ。ちょっと恥ずかしかったんだ」

 「恥ずかしい?」

 「きれいなお姉さんだったからね」

 「へえ・・・」

 わたしは口の端っこで笑いながら・・・その笑顔が、ちょっとひきつっているのを感じた。

 それを彼に見られたくなくて、さり気なく横を向いた。


 「さて・・・じゃ、さっそく路上教習といこうか?」

 「え?今から?」

 「うん。すぐ済むよ。ただしこれは、試験も兼ねてる。不合格なら今回の話はナシだ」

 「はいっ・・・頑張ります」

 わたしは背筋をしゃんと伸ばして立ち上がった。

 占い師とわたしは、駅前まで歩いた。

 「さてと・・・じゃ、仮免許をあげよう」

 彼はそう言って、わたしの額の前で右手をヒラヒラさせた。

 そして・・・いきなり、目の前の世界が変わった。

 勤め帰りの人たちが行き交う、ありふれた雑踏に・・・もう一枚、別の風景が重なったような感じだ。

 色とりどりの煙が。霧が。霞が。・・・そう、「痛み」だ。

 それは・・・

 頭の上だったり、足下にまとわりついたり、背中に貼りついてたり、肩に載ったりしていた。

 大きさも形もさまざまだ。

 だが、ミィちゃんの背後に現れたような、強力そうなのはいなかった。

 「どうだい?ちょっと変な感じだろ」

 「はい・・・あの、師匠はいつも、こんな世界を見てるんですか?」

 師匠と呼ばれたのが可笑しかったのか、彼はクスッと笑った。

 「うん。・・・まあ、慣れればどうってことないよ」

 「でも・・・あんまり大きな力を持った『痛み』はいないみたいですね。ひょっとして、初心者用に感度を低くしてあるの?」

 「いや。さっきも言ったけど、実体化するほど大きな痛みなんて、滅多にないんだ。今の時間帯は、勤め帰りで疲れたりイライラしてる人が多いから、これでも結構大きめの痛みが出てるほうだよ」

 「そうなんですか。・・・あ、それで、これから何をすればいいんですか?」

 

 「実践だよ。そこそこ膨らんだ痛みを回収して、消費してもらう」

 「はい。・・・でも、どうやって?」

 「標的と同調したら、回収方法は体が勝手に選び出してくれるよ。さて・・・あ、ちょうどいい感じの痛みを発見。ほら、あの、今改札から出てきた小父さん」

 「ええと・・・紺のスーツにストライプのネクタイで、黒ぶち眼鏡の?」

 それは、わたしの父親よりちょっと年上ぐらいの男性だった。

 たぶんサラリーマンだ。・・・疲れ切った顔をしている。

 そしてその背中には、小学生ぐらいの子供・・・っぽい形にまとまった煙が、おぶさるようにまとわりついていた。

 「そう、その人の背中のやつね。まあ実体化しているほうだけど、そんなに育っちゃいない。子供みたいな形をしてるけど、まだまだ煙っぽいしな」

 「何だか背後霊みたいですね」

 「実は、そういう解釈もアリだ。・・・じゃ、行ってらっしゃい。さり気なく近づいて、手早くね。思い切っていこう。しくじってもちゃんとフォローするから」

 「はい。・・・師匠に面倒をかけないように、頑張ります」

 わたしは、軽く目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。

 気持ちを落ち着けて・・・なるべく普通に歩いて・・・標的の背後についた。

 えっと、ここから・・・そうだ、痛みと同調するんだ。・・・同調?どうやって?

 う~・・・そうだ。組み手の時に、相手のリズムを読むような感じで・・・

 うん。わかった。わたしも、師匠と同じ・・・パンチで、痛みをバラバラにして・・・

 「シッ」

 わたしは、歯の隙間から鋭く、ごくわずかに息を吐きながら、ショートバンチを繰り出した。

 「う・・・」

 小父さんの背中にくっついてた痛みは、風に吹き飛ばされるように散り散りになって、わたしの拳に吸い込まれていった。

 その小父さんは、相当気分が楽になったであろうことが後ろから見てもわかるほど、軽やかな足取りで去っていった。


 ふう。

 ちょっと緊張したけど、まあ初めてにしては上出来なんじゃないかな・・・と、突きを決めた拳をガッツポーズ気味に持ち上げて眺めたのも束の間。

 ・・・痛い!

 痛い、痛い、痛い!

 何なのよ、この痛みは?

 痛みの・・・強さは、今までにも経験した覚えがある。

 試し割りに失敗して、拳を骨折しかけた時のが近い。

 でも、強さだけじゃない。こう・・・痛みの質が違う。

 わたしは左手で右拳を握り締め、その場に立ち尽くした。

 悲鳴を上げるのを堪えるのに精一杯で、動くことなどできない。

 

 気がつくと、占い師がすぐそばに来ていた。

 「師匠・・・」

 「上手くやったな。でも、そんな顔で突っ立ってちゃまずいよ」

 彼は呟きながら、右手をフラフラと揺らした。

 途端に拳の痛みがやわらいだ。

 「あ・・・」

 「歩けるかい?」

 「はい」

 「じゃ、さっきの公園まで戻ろう」

 そう言いながら微笑んだ彼の顔色は、悪かった。

 ・・・わたしの痛みを回収したからだ。

 彼は、黙って先に歩き出した。

 でも、まるで背中に目がついているかのように、わたしの足に合わせたスピードで歩いてくれた。

 わたしは・・・思うように体が動かなかった。

 痛みは、ほとんどない。

 でも、ひどい疲れ・・・虚脱感?虚無感?

 背筋が伸びない。猫背になって俯いてしまう。

 考えが、まとまらない。

 「ま、座って一息つこうや」

 「・・・え?」

 顔を上げると、占い師がベンチに腰をおろしていた。

 もう、公園についたんだ。


 「すいません、師匠。・・・次は、もっと上手くやります」

 「・・・いやあ」

 占い師は、夜空を見上げながらボソッと呟いた。

 「次はないよ」

 「えっ?・・・それって・・・不合格ですか?」

 「そう」

 「待ってください。そりゃ、わたしは『痛み』を受け止め損ねたかもしれませんけど・・・回収はできたし、あの小父さんだって楽になったはずです」

 「うん。今回に限ってはね。・・・でも、もし君一人でこの仕事を続けたら・・・もたないよ」

 「そんなことありません。耐えてみせます。気持ちを強く持てば・・・暴走した『痛み』に苦しんでる弱い人たちを、救えるはずです」

 「違うんだ。僕たちの仕事は、そういう・・・強者が弱者を救うとか、そういうことじゃないんだ」

 「え?」

 「君は、人並み以上に強い精神力を持ってる。だから、痛みは乗り越えなければならないと思ってる。克服すべき課題とか、倒すべき敵とか・・・そう思ってる」

 「あ・・・」

 「そうじゃないんだ。痛みは、生き物にとって大切な感覚なんだ。なのに・・・大切なものなのに、嫌われている。まあ、そりゃそうだ。痛い思いなんてしたくないから、心や体を大事にするんだ。でも、考えてみりゃ理不尽だよな。嫌われることに存在意義があるなんてさ」

 「わたしは・・・その」

 必死で考えをまとめようとした。でも、言葉が続かなかった。


 「痛みにも、色々あるんだ。君が経験してきたのは、乗り越えることで成長できる、そういう痛みだ。でも、僕たちが相手にしているのは・・・叶わない願い、届かない想い・・・そういうものから生み出された痛みだ。僕たちは、ファイターでもウォリアーでもソルジャーでもバスターでもない。痛みは、敵じゃないんだ。僕は、痛みを回収するって言ったけど、これもちょっと違う。もっと・・・そう、痛みを、抱きしめるように感じるんだ。それでやっと、痛みはその役目をまっとうできる。君のように、痛みを敵視してちゃ駄目だ」

 「わかりました。だから・・・」

 「いや。わかってない。君は結局、上手く仕事をして、弱い人を助けようと思っている。そうじゃないんだ。痛みを乗り越えられる者が強くて、乗り越えられない者は弱いとか、そういうことじゃないんだ。痛みを・・・消費する、っていう表現もまずいのかな。僕たちは、そう・・・この世に溢れ出た『痛み』の、調整弁みたいなもんさ」

 「う・・・ん」

 「納得しかねてるようだな。じゃあ聞くけど、君が痛みを回収したあの小父さん。彼は、あんな痛みを抱えて、それでも・・・ずっと、ずっと、家族のために、頑張って会社で働き続けてきたんだ。君は、そんな人を『弱い』と思うのかい?」

 「あ・・・」

 ハッとした。今度こそわかったと思った。

 「いや、まだだ。今のは僕が説明したからさ。例えば、ミィちゃんは?心のどこかで、自制心の足りない子だと思ってないか?」

 「あっ・・・いえ、ミィちゃんは、普段はすごくしっかりした子です」

 「逆だよ。この仕事をするなら、人間の・・・ミィちゃんだけじゃない、すべての人間の、自制心とか、自我とか理性ってものの頼りなさを知らなくちゃならない。何よりも問題なのは、君自身だ。君は、自分が弱いから痛みを受け止められないと思っている。そうじゃないんだ。そういう考え方をしているうちは、この能力を制御することはできない。・・・今回は、不合格だ」

 

 占い師は立ち上がって、わたしを見た。

 その表情は、少しほっとしているように見えた。

 「仮免許は、取り消させてもらうよ」

 彼が、わたしの頭の上で右手を揺らした。

 視界が一瞬ぼやけたあとで、見慣れた風景が戻ってきた。

 「一人で帰れるかい?それとも、家まで送ろうか?」

 「いえ・・・一人で帰れます。それよりも・・・」

 「まあ、そんな顔をしなさんな。今回は、不合格だ。でも、縁があったら機会もまたあるよ」

 「本当ですか?」

 「本当さ。でもそのためには、今回の不合格を受け入れなきゃならない。時間をかけて、ゆっくりとね」

 「ゆっくりって・・・どのくらいですか?」

 「まずは、そういうことを気にしないことから始めてくれ。・・・じゃあね」

 彼は白い歯を見せて微笑みながら、左手をヒラヒラと振った。

 ・・・振りながら、わたしに背を向けて歩き出した。そのまま振り向かずに、公園から出ていった。

 ・・・名前ぐらい、聞いておけばよかった。


 「せんぱ~い、こんにちは~」

 「ああ、ミィちゃん・・・」

 わたしはコンビニのゴミ箱の片付けをしながら、ミィちゃんに手を振った。

 ふと、視線が交差点の向こうに流れて、おや?と思った。

 「どうしたんですか?」

 「うん。いつもあそこにいた占い師が、今日はいないの」

 「ふうん・・・」

 生返事をしながら、ミィちゃんは大袈裟に首を傾げた。

 「う~ん・・・変だなあ。あたし・・・ゆうべ、道場からの帰りに、ここで先輩と会ったような気がするんだけど・・・」

 「そう?覚えがないけど」

 「そうですよねえ。・・・じゃ、行ってきます」

 「行ってらっしゃい」


 わたしはミィちゃんを見送ってから、もう一度交差点の向こうを見た。

 あの角に占い師がいないのなんて、いつ以来だろう。

 ・・・わたしはふと、もう・・・あの占い師には、二度と会えないような気がした。

 そう思ったら、なぜか涙がにじんできた。

 どうしてだろう。

 わたしは、あの占い師と言葉を交わしたこともないのに。



 ペイン・プロキシー 完

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