IN-4
『スネイル様。オルラン商会本部からの通達です』
北にあるスネイルの本邸に、オルラン商会からの遣いが来たのは、決闘の2日前だった。
『決闘には必ず勝てるとの話でしたが、その策を本部が知りたがっております』
『はっ、本部の面々も焼きが回ったかな』
スネイルは毒づく。
『私がおいそれと秘策を教えるとでも?』
『しかし、私は策を教えていただくまで帰る事が叶いません』
遣いが丁寧な口調で、頭を下げた。
本部の用心深さは、病的と言っても良い。方法を聞きだすまでは、どのような手段を使っても帰らないだろう。
スネイルはそう考え、嘆息する。
このゲーム、ファンタジーの世界観を重視しているものの、伝達手段に関しては様々なものが存在する。手紙はもちろん、魔法という形で即座に相手に文字や音声を送ることも出来る。
それらを今回、オルラン商会が使わない理由は1つ。
確実に手の内を知っておきたいから。
手紙・魔法では、無視をされたら終わりだ。見忘れていた、聞き忘れていた、その場にたまたまいなかった…そんな言い逃れがいくらでも成り立つ。しかし、さすがに人の遣いを完全に無視する人間はいないだろう。
『…分かった。気は進まないが、本部から情報が南に漏れる事はないだろう。付いてこい』
スネイルは溜息を1つ付き立ち上がると、自室を後にし、そのまま本邸の裏口へと歩を進めた。その後ろを、遣いが背を屈めながら、小走りについて回る。
『本部には、決闘のローカルルールは伝わっているな?』
『はい、それはもちろん』
無表情に遣いは頷く。スネイルは裏口の戸を開け、裏庭に出た。既に夜も更け、辺りは闇に包まれていた。スネイルは僅かに左右に注意を払い、不審な気配が無いことを確認すると、裏庭の端にある、小さな物置小屋に向かった。小屋の前には、2人の兵士が、直立不動の姿勢でドアを護っているのが見えた。
兵士は、スネイルの姿を確認すると、無言でドアの前のスペースを空けた。
『名目上は、価値のある骨董品が入っているという事になっている物置小屋だ』
鍵を取り出し、錠を外すと、音を立てずに木製の戸を開ける。
『しかし、事実は違う。ここにあるものこそが、決闘の勝敗を分ける重大な物なのだ』
兵士の一人から蝋燭を受け取り、スネイルは部屋の中を照らし出した。遣いがおっかなびっくりと言った様子で目を凝らした。すると、小屋の中にあったのは意外なものだった。
小さな池があった。
人一人も入れない程、こじんまりとした池。正確には水溜りと称してもいいようなものだ。
『これは…池…ですか?』
遣いが不審な声色で尋ねると、スネイルは水面に灯りを近づける。透き通った水面が、僅かに揺らぐ。
『これは、6の魔法水だ』
『えっ?』
思わず遣いの口から感情的な言葉が飛び出す。スネイルは僅かに苦笑した。
『既に検証を重ね、6の魔法水である事が確認された。効能は1~5の全てのステータス異常を一気に回復するというものだ。そして、同じく、グラス一杯飲み干せば死に至る』
『なるほど…南はこの情報を知らない。仮に知っていたとしても、魔法水7が出なければ勝ち目はない…なるほどなるほど』
遣いが己の使命を忘れたかのように、興奮した面持ちで呟く。そして、スネイルに
『確かに、これがある限り、北の必勝は間違いなしでしょう。早速、本部にこの旨を報告したいと…』
と、頭を下げようとした瞬間、
『不審者だぁ!!』
不意に兵士の緊張した声が響いた。スネイルは反射的に使いを外に追い出すと、自分も外に飛び出し、即座に錠を掛ける。
『何事だ!』6の魔法水のセキュリティを確保し、スネイルが叫ぶ。
『不審者が侵入した模様です』
スネイルが素早く辺りを確認すると、左手の方で暗闇に紛れ、うごめく人影があった。1つは遠目から見ても図抜けた大きさが分かる、大男のもの。もう1つは小屋を護衛していた兵士。兵士が切りかかると、大男は器用に身を翻し、兵士を殴り飛ばした。
すると本邸から、護衛用の兵士がわらわらと押し寄せた。大男の影に次々と襲い掛かる。大男は抵抗をするが、数の差は歴然とし、瞬く間に組み伏せられた。
『不審者を捕らえました!』
兵士の一人が報告に来ると、スネイルは低く頷き現場に駆けつけた。10人以上の兵士に組み敷かれ、大男は全く見動きの取れない状況になっていた。
スネイルは灯りを大男に向かって掲げた。
『お前は……』
スネイルが驚きの声を上げる。
『南の集会所にいた…』
『ああ。覚えてくれて光栄だ。話は全て聞かせてもらった』
大男は組み伏せられたまま、微かに笑みを漏らす。
『忘れるものか。私は自分に手を出した者の顔は、見忘れないよ』
スネイルはシニカルな笑みを浮かべ、眼下で組み伏されているカイを見つめた。
カイは苦し紛れの笑みを見せつつ、僅かに首を上にもたげた。
黄金に輝く満月が見えた。
不意にカイは、ドラッグストアで働く拓斗の姿を満月の中に見た。
『明日…合わせる顔が無いな…』
カイはそう呟いた。