表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅の狂鬼  作者: 夕霧沙織
6/7

五章 鬼娘



 クランの指示通りこっそり芳養先輩の家を出て一時間程ぶらぶら。ではないが二人にああ言った以上、嘘にならないようまず祖父の様子を見に戻った。彼は居間で鱗の尻尾を畳に出し、炬燵と一体になりながら暢気にテレビを観ていた。昼前の、朝のニュースにバラエティ色の強い番組。

「那美か?今日は栗花落ちゃんと出掛けるんじゃなかったのか?」

「色々あって。すぐ戻ります」朝の薬は行く前に飲ませたはずだ。「昼は帰って来られないかもしれないから、自分でちゃんと薬飲んで下さいね」

「もう治った」

「じゃあさっき咳してたのは何です?」

「噎せただけだ」

「つべこべ言わずに飲んで下さい!もう年なんですから」

「那美はいいもんだ、一錠で済むんだからな」

 龍族用に調合された風邪薬は肉体の体積の大きさと比例してかなり多い。その量、人間用の約十倍。

「昼食は鍋に鳥粥を作ってあるので、温めて食べて下さい」

「それだけでは足りんぞ」

 まあ食欲旺盛な内は病状もそう悪化しないだろう。

「昨日余った龍商会饅頭、冷蔵庫にありますから適当にどうぞ」

 言った途端、目の前で揺れていた祖父の尻尾が消えた。いそいそと寝巻きで台所へ向かい、箱を片手に饅頭を頬張りながら戻ってくる。こう言う時だけ元気なのだ、この人は。

「抹茶にしますか?」やや呆れつつ尋ねる。返事を聞いて台所へ行き、湯を沸かして一人分点てた。炬燵の祖父は早くも三個目を平らげようとしていた。

「はい」「ああ、ありがとう」ずずず……「上手くなったな」

「栗花落さんのお手本にならないといけませんから」

「そうか」

 祖父の視線の先は、祖母と両親の遺影。

「バイトは楽しいか?」

「はい。とても張り合いのある仕事ですよ。私向きの」

 ふーっ……長く細く息を吐いた。

「例のアレはどうだ?」

「大人しくしてくれています……あの、お爺ちゃん」

 その時何故か私の頭には既に終わり、審議を待つばかりの刑務官一同の、キイス・バーモン氏の事件が浮かんでいた。

 彼等の身に瞬発的に訪れた常人に在らざる力。鬼憑きに近いとずっと思っていた。

「……似ていませんか、私や柚芽お婆ちゃんと」

 祖父は炬燵の中で脚を組み替えた後、首を小さく横に振った。

「どうしてです?」

「話を聞く限り、そ奴等の能力は普通だ。行動が多少おかしくなっただけで、な」

 確かに、どちらも鬼憑きでない衛兵に止められている。本物ならその程度で倒されはしない。

「それに彼奴等を動かしていたのは単なる欲だ。鬼を呼ぶ憤怒とは全く違う。加えて」

「はい」

「事件に別の何者かの意志を感じる。そ奴等を社会的破滅に導く事で、別な目的を果たそうとする人間の。お前はどう思う?」

「クランはお爺ちゃんと同じで、別な犯人がいると言っています。私は……分かりません。でももし誰かに無理矢理呼び起された物なら、赦せない」

 抹茶を一口含み、祖父は静かに私の名前を言った。

「お前と柚芽は怪物でも異常者でもない。人より信念を強く持ち、優し過ぎるだけだ。仮にあるとするならば、鬼の使い処を間違えないようにな」

「お爺ちゃん?」

 初めての言葉に戸惑いを隠せない。こんな恐ろしい物を、使う?何のために??

「もう行け。栗花落ちゃんが待っているんだろう?」

「!はい。薬、ちゃんと飲んでから寝て下さいね」

「分かっているさ」

 思ったより長居してしまった。しかし携帯の時計を見ると、戻るにはまだ三十分程度早い。どうしよう、晩御飯の買い出しでも済ませろと言うのかクランは。今日の商店街の特売は生ハンバーグ、って!

(こっそり戻ってみようかな……?)

 何も無ければそれで良し。危険そうならレイ君と協力して栗花落さんを逃がそう。そうそう彼女はか弱い盲人なのだ、しかも怖い保護者付き。心配でつい指示を破っても仕方がない。うん、責められる道理も当然無い。一から十までどころか〇・五も説明してくれないクランが全て悪い。

 そうと決めたら早速行動だ。来た道を走って引き返す。

 先輩の家の前は三十分前とは全く雰囲気が違っていた。家屋の塀や電柱の陰のそこここに、武器を持った黒スーツの男達が潜んでいるのが見える。住宅街とは思えないピリピリした空気。さながら警察の捕り物直前だ。

 とん。不意に肩を叩かれて心臓が破裂しそうになった。

「宝君?」

 色気のあるハスキーな声に振り返る。

「は、芳養先輩!?どうして」

 すっきりとしたグレーのスーツを着こなす先輩は、雑誌のファッションモデルそのものだ。形の良い唇から覗く白い歯がキラリ、と光る。

彼は左右を確認し、「連中に見つかったらマズい。ここを離れよう」私の返事も聞かずに手を掴んで歩き出した。

「ちょっ!?まだあそこには」

「君に出て行かれた方が危険だ」

 凡そ女性の手を扱う握力ではない。手首に指が食い込んで痛かった。

 説明も無く連れて来られた先は、テレビ局前の喫茶店。小洒落た店内にズカズカ入り、ウエイトレスに二名と告げて一番奥の席へ。

「ここまで来ればひとまず安全か」

「離して下さい!」

「あ、ああ」

 手首のくっきり残った指の痕を見、先輩が深々と頭を下げた。

「だ、大丈夫か……?済まない。一秒でも早く、君をあの場から離さないとと思って」先程までの強引さはどこへやら、しどろもどろに弁解の言葉を口にした。高校時代の格好良いイメージが崩れる。「その、宝君。怒っているよな?」

「当たり前の事確認しないで下さい!」タイミングの悪いウエイトレスが注文を取りに来ていなかったら確実に一発殴る所だった。

「俺はホットコーヒー。宝君は」

「いりません!今度は邪魔しないで下さい!」

「ま、待ってくれ頼む!」立ち上がりかけた私に対し、先輩は頭をテーブルに付けた。「俺が全部悪いんだ。謝る、迷惑分は一生掛かっても償う。だからお願いだ宝君。一杯、この一杯だけ付き合ってくれ。飲み終わる頃には、多分向こうも収拾が付いているはずだ」

「訳の分からない事言わないで下さい!!」視界がぐにゃりと歪む。「私先輩の家に栗花落さんを置いて来ちゃったんですよ!あんな映画の中のヒットマンみたいな連中のど真ん中に!」

 頬を伝う涙と一緒に悪い想像ばかりが溢れ出す。こうしている間に、もし流れ弾に当たったら?誘拐されて乱暴されていたら?

「お客様?大丈夫ですか?」

「済まない、彼女にはミルクティーを。それと冷たいお絞りを一つ」

「畏まりました」

 先輩は私の肩に手をやり、「大丈夫、奴等はプロだ。無関係な人間は巻き込まない。狙われているのは俺だ、いないのに気付けばすぐに撤収する」平時ならドキリとする声で、「だから落ち着いてくれ。君に泣かれると俺も辛くなる」

 信じていいのだろうか?嘘を吐いている様子は無いが。

「ありがとう」頬に冷たい感触。「少し当てておいた方がいい。腫れが治まる」

「……お礼は言っておきます」熱を持った瞼がひんやりして気持ち良い。

 そうだ、栗花落さんは一人じゃない。ボディガードのレイ君はボウガンとナイフを持っている。技量がどの程度かは知らないが、安全な所に逃がすぐらいはできるだろう。

 注文の二杯がテーブルに並べられた。カップを持つ先輩は絵になる。

「美味い」

「先輩……どうして私にはミルクティーを?」

「あ、ああいやその……高校の時いつも飲んでたから好きなんだなと。嫌いなのか?」

「まあ飲めない事はないですけど」祖父の茶道教室を手伝うようになって以来、牛乳臭いせいで敬遠していたのだ。高校まではあれ程毎日飲んでいたのに。

「替えてもらおうか?」

「結構です」カップに口を付ける。臭いを我慢して半分飲み、またお絞りを当てる。

 あの部屋ならカーテンも閉まっていたし、降りて行かなければ奴等に見つからないだろう。でもそうだ、帰って来ない私を心配して出て行ってしまうかも……。

(外があんな風になるって分かってたら、クランの指示になんて従わなかったのに)

 キイス氏を逮捕した逆恨み?嫌がらせにも程がある。あの子は人を導く立場なのに、他人の感情を何も分かっていない。

「宝君は学生時代と全然変わってないな。一目で分かった」

「コーヒー、早く飲まないと冷めますよ」約束は約束だ。空にしてくれないと戻れない。

「今は連合政府で仕事しているんだって?それも警察ばりの部署の。凄いな」

「別に」イライラする。ルックスだけじゃないかこの人、私が何考えてるかぐらい分かるだろうに。

 カップを撫で回しつつ、最初以来一口も飲もうとしない先輩はまた話題を変えた。「お爺さんは元気なのか?もう結構な年だって聞くけど」

「元気ですよ。今は少し風邪気味ですが」

「最近流行っているらしいな。俺も移されないように気を付けないと」

「……先輩、もしかして猫舌なんですか?」

「いや、違うが」

「なら無駄話せずにさっさと飲んだらどうです?私ずっと待ってるんですけど」

「宝君」


 ガタンッ!


「もう充分付き合いましたよね」財布から紙幣を取り出しバンッ!先輩の目の前に叩き付ける。「これで支払いしておいて下さい。お釣りは返してくれなくて結構です」

「宝君!!」

 追い付かれないスピードで店のドアを潜る。「ありがとうございました」扉越しに律儀なウエイトレスの声が聞こえた。

(こっちの道の方が近いか)

 トレーニングで走るのには慣れている。細い路地を直線に走り抜けて、出た。芳養先輩の家の前。黒スーツ達は……良かった、もう影も形も無い。

「那美さん?」垣根に凭れる様にして栗花落さんは立っていた。衣服や髪に大きな乱れは無い。

「だ、大丈夫ですか?怪我は!?」

「平気ですよ。レイさん達が守ってくれましたから」いつもの穏やかな声。

「達と言うと、セミアちゃんやアス君もいたんですか?」無人の路地を見回す。「皆どこへ行ったんです?」

「クランベリー様が迎えに来られました。私はしばらく那美さんが戻って来るのを待って、来なければ教室の方へ行くつもりでした」柔らかく微笑み、「その様子ですとお爺さんは大丈夫なのですね。大事が無くて本当に良かったです」

「栗花落さん……っ」優しい言葉に思わず涙ぐむ。「済みませんでしたっ!私……置き去りにして」

「那美さん?」気配を頼りに彼女がゆっくり歩いてくる。その間にもえづき、伝う液体が止まらない。

「どうしたのです?何かあったのですか?」

「いいえ……」見えないと知りつつ、芳養先輩に掴まれた手首を隠す。「栗花落さんが、気にする程大した事、ではないんです……済みません……っ」

「私はこの通りピンピンしていますよ?だからどうか泣かないで下さい」

 ふわっと柔軟剤の効いたハンカチが頬に当てられた。良い匂い。

「那美さんに泣かれてしまうと、私もどうしたらいいか困ってしまいます」

 こんなに涙を流すのは何年振りだろう。両親や祖母が死んだ時はショックで一滴も出なかったのに。

 大の大人が喘いで大泣きしていれば、傍から見た者が何事かと思うだろう。滑稽だ、酷く。でも止まらない。

「そうですね」首を傾げ「お家へ戻りますか?」

 こんな姿を見せたら、祖父は風邪も忘れて跳ね起きるだろう。気を揉みに揉んで心労を溜め込んでしまうに決まっている。ただでさえ鬼の事で散々気苦労を掛けているのに。

「いえ……今は戻りたく、ありません……っ」鼻声で伝える。

「なら私の知っている穴場に行きませんか?あそこなら滅多に誰も来ません」

 今、他人にこの酷い顔を見られるのは嫌だ。私が首肯すると、栗花落さんは手を優しく引いて早速歩き始めた。



「ふぅん……そういう事か」

「何がそういう事だ!ちゃんと説明しろ!」

「そうだよくーちゃん!あのスーツの人達は何者?目的は何?」

 ボンちゃんに調査経費として小切手を書かせて正解だった。取るべき手筋は既に見えている。

「問題はいるかどうか、か」

「だから誰が!?」

 ただ奴等の正体はまだ見えてこない。あのバーで何を探しているのか。

(ママンにもう一度訊いた方がいいな。従業員でないとすると客の側……)

「もう!くーちゃん無視しないでよ!」

「駄目ですよ二人共。女王様は今考え事中です、僕達は静かにしないと」

 現時点での脅迫者についての情報は余りに少ない。この小切手で足りるか?場合によっては兄にもう一度繋ぎをつけてもらう事になるかも、

「わ」突然首に掛かる重量。前のめりに倒れそうになるのを両足で踏ん張る。「セミア、重い。特に胸が」むにゅむにゅしている。

 妹は両腕を私の前側に回し、「くーちゃんが黙ってるのが悪いの!ちゃんと説明して」

「セミアさん離れて下さい。女王様が潰れてしまいます!」

「いーだ!アスは口出してこないでよ!一衛兵のくせに」

「そのままでは肉圧で女王様が窒息死してしまいます。レイさんも止めて下さいよ!」

「いや、ほら、元はクランが俺達に何の説明もしないのが悪い。せめてさっきまでどこにいたのかと、これからどこへ行こうとしているのかぐらいは話すべきだ。お前もそう思うだろ?」

「?行くのはスナック杏里ではないのですか?こちらの方面で僕達全員が知っている場所はそれぐらいです」

「うん、そう」流石衛兵は分かっている。目線を頭上の見えない生乳に向け、「ちょっと遅いクリスマスプレゼントを渡しにね。だからどけて」

「や」

「首折れそうなんだけど」

 妹は渋々押し付けていた生乳を離した。まだ抱き締められたままだが、取り合えず生命の危機は脱した。

 昼近くのスナック杏里。準備中の札が掛かったドアをノックする。

「はぁーいどなた?」

「準?丁度良かった、ママンは?」

「まだ眠ってるわ。青の事ね、ちょっと待ってて。起こしてくる」

「ううん、いい。話があるのはあなた」

 内側からドアが開かれる。時間外だからか、オカマはトレーナーにジャージとおじさん臭さ全開の格好。

「ワタシに御用?とにかく中へどうぞ」

 掃除中らしく店内の酒棚の瓶が半分カウンターへ移動していた。「ごめんなさいね散らかってて」昨日と同じボックス席に座る。「コーヒー持って来るわ、ちょっと待ってね」

「探し物は見つかった?」

 振り返った準は一瞬だけ凄い形相。「何の事かしら?」目が笑っていないまま尋ねた。

「掃除はいつもこんな早い時間に?まだ正午にもなってないよ」

「偶々。今日はちょっと用があって開店時間前に来られないから」

「ママン寝てるし、今なら何を見つけても自由に持ち出せるね」

 分厚い唇を引き結んで、「何が言いたいのかしら女王様?」答えの代わりに、ファンデーションを塗った鼻先に小切手を突きつけた。

「どう?奴等の言ってきた金額より上?」

「ま、まさか……!一千万?有り得ないわ、社員一人のためにここまで出すなんて!」

 〇二つ書いただけで効果覿面だ。

「私について全部話してくれたらあげる。これだけあれば全身手術出来るでしょ。店も移らなくていいし、良心も痛まない。どう?乗らない?」

 おじさんは小切手を穴の開く程見つめた後、「分かった。知っている事を話すわ」そう言ってカウンターへ。手際良く五人分のドリップコーヒーを作りながら、「羨ましかったのよ」と嘆息した。

「青は真性のイケメンで女の子の引く手数多。それに比べてワタシは……ただの小汚いオカマよ。本性を出した途端、女房子供には逃げられるわ職場はクビになるわ……ママンが拾ってくれなかったらきっと首括っていたわ。でも現実は厳しいの。心は女でも身体は四十過ぎのオッサン、鏡を見る度に絶望物よ。青はママンがああでしょ、それで親御さんの理解もあって毎月ホルモン注射して……神様って不公平よね、本当」

「四六時中見張ってて、如何にも魂胆がありそうな神様よりはマシじゃない?」

 ゲラゲラゲラ。

「変な子ねえあんた。リアリストなの?」

「まあそんな所」

 化粧の奥からおじさんの笑顔が覗く。

「飄々としてて、今時の女の子じゃないみたい」小切手を覗き込む。「青はモテるってのにとってもシャイでね、惚れた女にマトモに声も掛けられない子なのよ。茶道教室の話が店で出た時にもねえ、俺は行かないの一点張り。そのくせワタシに写真を撮ってきてなんて頼んで。自分で行けば那美と自然に話せる絶好のチャンスなのに」

「男ってそんな物だよ。妙に臆病で照れ屋なの、だったら惚れなきゃいいのに」何故かレイの方を見て妹が断言する。「振り回される方は堪ったもんじゃないわ」

「断ろうにも恩人のママンの孫だし、しばらく付き合えば自分から動くと思ったの……青と龍士会が脅迫されたのは五枚目の写真を渡したすぐ後だったわ。青には那美の身の安全と引き換えにこの店を毎晩壊すように。龍士会は顧客情報をライバル会社に売られたくなかったら警察へ通報するな、青に協力しろって手紙が送られてきたらしいわ」

「で、あなたには店の存続と幾許かの謝礼をやるから、店にある『何か』を探して持って来い、と」

 準は肩を一瞬震わせ、「読心術でも使ってるのあなた?怖いわ」

 流石ドリップコーヒー。芳醇な香りが鼻腔から入ってくる。

「美味しい、ありがとうございます」

「そう言ってもらえるのは何年振りかしらね……偶には電話でもしてみようかしら。あの子達、何か困ってなきゃいいけど」

 それからほっ、と肩の力を落とし、くすくす笑った。

「とんだトリックスター」手の中の十万をひらひらさせる。「すっかり憑き物が落ちた気分だよ。ありがとうね、女王様?」

「私難しい事よく分からない。子供だもの」

 オカマは私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた後三人に、あなた達こんな糞餓鬼に頼ってたら人間失格よ、苦笑混じりに言ってみせた。

「ボビーが見つけてくれるかもよ?犬はそう言うの得意だから、ね」

「クゥン」尻尾ばたばた、任せろと言わんばかりだ。

「人手ならここに若者が三人もいるし」

「おいクラン!自分だけ外しただろ今!」

「私は指揮専門。準。探し物は何?」

 石よ、と彼は言う。握り拳を一回り小さくしたぐらいのトパーズの原石、奴等は幸運の石だって説明したわ。どうしてそんな物のために、ここまで大層な脅迫劇をしたのかは分からないけれど。

「他の所はもう調べたの?」

「ええ。ママンの部屋とここ以外はね」

「OK」私は手を振り上げ、「じゃ頑張ってね三人共、とボビー。私トイレ」そのまま立ち上がって奥の暗がりへ進む。後ろからの二人と一匹の非難を避けつつ、闇に誘われてドアを潜った。

 壁に掛かったスパンコールの派手な衣装さえ無ければ普通の民家のリビング。老婆の一人暮らし、家具やカーペットも相当くたびれてくすんでいた。

「起きてるなら出て来れば良かったのに」

 ショッキングピンクのパジャマを着たママンの隣に座る。スプリングの死んだソファはべこべこに硬かった。

「心当たりはあるけどここには無い、って所?」

「年寄り相手にズバズバ言わないでくれるかい?心臓が止まりそうだ」

「そう?」

「あんたには分からないだろうけど、準と同じで私も怖いんだよ。腹の底まで見透かされてるようで」

「まあグロテスク!私に透視能力は無いよ」

「はっはっは。ほらまた惚けて。それも『振り』かい?海千山千の私でさえ、あんたの本心は全然読めない。――何者なんだい?」

「ただの田舎国の女王様、それ以上でも以下でもない。ママンは買い被りし過ぎ」

 そう答えると皮肉げに唇を歪め、「ま、一応そう思っておくよ」少し悔しげに言った。

「そろそろ幸運の石の話、してくれる?」

「ああ、思い当たる節が一つ。でも……どうして今になって探したりするのかね?」

「古い話?」

「二十年近く前、常連客の男が女に言ったのさ。俺の右腕は生まれた時に幸運のトパーズを埋め込まれている、だからどんな死地からでも帰って来られる、って。そいつは」

「年齢の割に酷く奥手、しかも恋人相手に見破れない嘘を吐ける程器用でないロウイ・キャンベル中尉?」

 目玉が飛び出るかと思い、流石の私も一瞬ヒヤリとした。

「だってオカマバーにカップルで来る客自体珍しいし、死地に赴く仕事の筆頭は軍人でしょ?二十年前ってわざわざ前置きもある」

 ママンは深呼吸を数回。「今度からあんたと話す時は心臓の薬を用意しておくよ」

「でもレイの父親って死んだんでしょ?幸運の石の効力は無かったって事?それとも」ソファの角に頭を預ける。「遺体から見つからなかったとか?」

「本当怖い子だねあんた。まるで見てきたように言うじゃないか。ああ、風の噂では親族が遺体を引き取って調べたらしいが、散々解剖しても欠片一つ見つからなかったそうだよ」

「生前誰かに渡したか……本当に遺体は本人だったの?戦場で拾ってきたなら、顔の判別ができないぐらいグチャグチャだったんじゃない?」

「葬儀に行ったけど奇跡的に綺麗だったよ。冬で気温が低く、顔にも殆ど損傷が無かったからね。あれは間違いなくロウイさ、私ゃ何度も棺桶の中を見たもの」

「シスカも何も気付かなかったの?だってその時にはレイがいたはず」

「……そう言えばあの子、葬儀に来なかったね。まあ……ロウイの家は色々あるから行きづらいのは分かるよ。あの時はまだシスカも女王じゃなかった。婚約もしてない女が子供抱えて出席すれば、その気が無くたって遺産相続や何やらに巻き込まれちまう」

「遺産、ってそんなに多いのキャンベル家は?」

「“白の星”じゃ有名な軍人一族さ。傭兵として戦争に参加した褒賞金で一財成して、今じゃ夜那珂やなかに屋敷を構える大地主。当主はロウイの叔父だって話さ」

「ふぅん……そんな大金持ちがたかが石一つのために大掛かりな脅迫はしない、か。しかも石は二十年も前に無くなっている」

 ママンは首を竦め、「行きつけの店ってだけでそんな大事な物預ける奴がいるかい?」と言った。

「いないね。でも連中がこの店をターゲットに選んだって事は、第一候補は外れだった訳だ」恋人のシスカと息子のレイが住むクオル、そこに石が無いと判断したからこそ別の場所を捜索し始めたのだろう。

「ま、石がどこにあっても今は関係無い。物騒な連中を追い払うのが先決」

「……あんたならきっと上手い隠し場所を見つけるんだろうね、誰にも見つからないような」

「それなら宇宙に投げ捨ててしまうのが一番手っとり早いよ。――難しいのは見つけられないように隠す事じゃない。誰に見つかるように隠すかだよ」



 環紗中央公園。栗花落さんが私を案内したのは、入口から大分歩いた外れの東屋だった。大人二人が座ると木製のベンチはもう一杯。常緑樹に周りを囲まれ、公園中央で元気良く遊んでいる子供達の声もここには届かない。

「空気が綺麗でしょう?旦那様には内緒の場所なんですよ」

 涙は随分納まっていた。目の縁が擦り過ぎて痛い。

 彼女は立ち上がり、一本の樹の幹に触れた。

「樹の香りがすると生家を思い出して落ち着くんです。古い樹やまだ瑞々しい樹が家中にありましたから、懐かしくて」

「木造の私の家も落ち着きますか?」

「ええ。宝お爺さんと話していると、私のお爺様を思い出します。もう随分昔に亡くなられてしまいましたけど、生きている時分は毎日のように語り掛けて頂きました」

 寂しそうな微笑み。今までに無く胸が締め付けられるように痛む。

「那美さん、お爺さんを、勿論御自分も大切になさって下さいね」


 ボロッ。


「は、はい……努力します」

 祖母や母がもし生きていたら、こんなに優しい言葉を与えてくれたのだろうか?身体の芯まで通る声が私の心を抱擁し、安心させてくれる。

 閉じた瞼がぴくっ、と動く。「那美さん?また泣いていらっしゃるのですか?」

「いいえ。泣いてなんていませんよ、大丈夫です」相手が盲目なのを忘れて笑顔を作る。「本当にもう大丈夫ですからね」

 ふふっ、口の端に手を当てて控えめに吹き出すのが可愛い。「そんなに強調しなくても信じていますよ。那美さんは正直な方ですもの」

 彼女は私の隣に優雅にスカートを押さえながら座る。何か質問しようと頭の中がグルグルして、口から飛び出てきたのは自分でも首を傾げるぐらい優先順位の低い問いだった。

「先生、外食であんなに肉ばっかり食べてるのに太らないんですね。家ではヘルシーな物なんですか?栗花落さんは魚派っぽいし、きっと一汁三菜きちんと考えて作っているんでしょうね」

「いえ、魚はお刺身ぐらいしか召し上がりません。それも二週間に一回ぐらい、殆ど主菜は肉類です。後はお浸しやサラダと、スープをつける程度なので一汁二菜ですね」

「肉料理はどんなのを?」

「何でも召し上がられますよ。週一回は必ずステーキの日がありますし、私がお肉屋さんに買い物に行った時は豚カツと鶏の唐揚げを。先程大家さんに差し入れた煮込み、あれも旦那様の好物の一つなんです」

 年も年だし、よく血管がコレステロールで詰まらないものだ。

「栗花落さんも魚より肉派なんですか?」

「元々小食ですので特に派と言う程好きな物はありません。旦那様に美味しそうに召し上がって頂ければ充分です。那美さんはお爺様がいますし、矢張りお魚の方をよく食べるのですか?」

「そう、ですね。昨日が一夜干しで、一昨日はアラ煮でした。脂っこい物嫌いなんでしょうね家の祖父。昔から魚中心の食卓だったので私も気にせず作ってました」

 肉が魚に比べて少々割高なのも理由の一つだろう。両親の保険金は私の養育費に消えてしまったし、祖父の教室の稼ぎで生活するには食費を少しでも削らなければならない。アラなど不要な部位は只か格安で手に入る。それにスーパーでも魚の方が見切り品になるのが肉よりずっと早い……我ながら何てせせこましい。

「向こうの家ではよく作っていたのですよ魚料理。スーパーマーケットで割引のパックを沢山買って煮付けにして……旦那様も渋々ながらちゃんと食べて下さいました」

 先生が魚を嫌いなのは想定範囲内。それより、栗花落さんが私と同じように見切り品を活用している事の方に驚いた。彼女は財布の中身など気にせず、新鮮で栄養価たっぷりの物を選んで買っているイメージ。

「意外です。悪気がある訳じゃなくてその……栗花落さんみたいな女性でも割引商品に手を伸ばすのが、何だか親近感が湧いてくると言うか」

 ふふ、また笑われた。

「お金は無限ではありませんから。それに、折角並べられているのに食べてもらえずに捨てられてはお魚が可哀相です。命をきちんと頂くのが、買う側のせめてもの責任ではないでしょうか……と言った所で旦那様の好き嫌いは変わらないのですが」

「なら今度家で作ってもらえませんか?」信じられない!突拍子の無い願い出だ。「そうだ、次の教室は趣向を変えて食事会にしましょう。その頃ならスナックの事件も解決しているでしょうから、そのお祝いって事で」

「まぁ。私の拙い料理で宜しいのですか?」

「拙くなんてありませんよ!私も手伝います」

 楽しみだなあ、栗花落さんの手料理。きっと凄く上品で、頬が落ちる程美味しいに違いない。

「余り期待しないで下さいね」

 彼女が微笑むとつられて私の頬も緩んだ。

「――どうやらお越しになられたようです」


 ガサッ!


「動かないでもらおうか」

 東屋を取り囲む黒スーツの一人が言う。その右手には銃口をこちらに向けた拳銃が握られていた。



『石を見つけたら郊外の第四倉庫に持って来い。手紙にはそうあったわ』

 女王陛下は結局俺達が棚を全て空けてまた元通りにした後、何食わぬ顔で戻ってきた。そして準から前文の回答を引き出すと、さっさと階段を登って出て行ってしまった。訊かれた方の準は「いっけない!お掃除お掃除!」わざとらしく言い、先程苦労して戻したボトルを布で磨き始めた。

「事件よりお前の姉貴の方がよっぽど謎めいてる」

「確かにね。はぁあ、またプレゼント渡しそびれちゃった。くーちゃん全然隙無いんだもん。どうしよっかな……」

 俺とセミアの視線が衛兵の頭で同時に止まる。

「ねえアスも考えてよ。くーちゃんのハートをガッチリ掴める方法」

「頭良いんだから自分で考えろよ、なアス?どうやったらいい感じに渡せると思う?」

「普通に渡せばいいのでは……?二人共自信を持って選んだ品でしょう。女王様は喜んでくれると思いますよ」

「優等生!」

「え?」

「渡す中身じゃなくてスチュエーション。どうロマンティックな雰囲気でプレゼントを渡してその先に持って行くか」

「僕もそういう事は疎いのですが……たかが最初のプレゼントでそこまで発展しないのでは?力み過ぎですよ二人共。大体初めからその先を期待していたらガッカリしてしまうだけだと」

 確かに一理ある。クランはイヤリングや栞一つでどうこうできる相手ではない。

「何してるの三人共?」「クゥン?」待ち草臥れたのか本人が戻ってきた。昼間なのに相変わらずのぼんやり眼。もしかして女子にありがちな低血圧か?

「準、電話借りるよ」

「ええどうぞ。幾らでも使って頂戴」小切手効果絶大、満面の笑顔だ。

 カウンターの奥の壁掛け電話の受話器を外し、迷い無くボタンを押す。

「……もしもし。ああ、那美のお爺さん。私はクランベリー、那美の友達の。那美はもう帰ってる?………そう、なら少し帰りが遅くなると思う。晩御飯は自分で作った方がいいかも……うん、そこそこ危険だけど大きな怪我はしないんじゃない?鍛えてるし、え、捜索願?出しても無駄だよ多分、すぐ戻って来るから。………うん、じゃあお大事に」ガチャッ。

「那美さん、まだ帰ってきてないのか?芳養先輩の家を出て行ったのは大分前だぞ」

「ああ、その時は戻ってるよ。後の消息が不明って話」

「えっ!?では芳養家の前で栗花落さんはずっと待っているんですか?こんな寒空の下で」

「それは大丈夫。……じゃあ行こっか倉庫。機密情報取り返して来ないといけないし」

「??」もう何が何だか。所詮下々の者は従うしかないって事か。



 しばらくの辛抱だ。大人しくしていれば危害は加えない。リーダーの男はそう言い残し、監禁部屋のドアの向こうへ消えて行った。

 試しに栗花落さんの縄に指を掛けて解こうとしたが、結び目が固くて全然緩む気配が無い。

「駄目です……固過ぎて解けません」

 強い圧力で不自然に曲がった指が痛々しい。

「大丈夫、何があっても栗花落さんだけは私が。必ず先生の所へ帰しますから安心して下さい」

 分かっているのかいないのかいつも通りの微笑みを浮かべ、「はい」と返事をした。

 ここへは公園から目隠しされて車で連れて来られた。乗車時間は凡そ十分、まだ環紗の外には出ていないはずだ。殺風景な内装から考えて、恐らく郊外に建つ倉庫の一つだろう。

 空木箱に後ろ手を引っ掛けて立ち上がる。縛られていない足で出口のドアまで行き、苦しい体勢を我慢しながらノブを回す。

「開いています。ちょっと待って下さい」

 ドアを数ミリ開けて外の通路の様子を窺う。見張りはいない。

「誰もいません、チャンスです」彼女を立たせようと戻った時、ドアが開いた。

「大人しくしていろと言ったはずだが?まあいい、新入りだ。仲良くしてやれ」

 ドンッ!黒スーツに蹴られて見覚えのあるグレーが転がって来た。

「いたた……」

「芳養先輩?何でここに」

 私が声を発すると先輩の顔が跳ね上がる。

「宝君!?だ、大丈夫か!怪我は?」

「鬱血で手首が痛いぐらいです」先輩は両手に加えて両足も縛られている。

「さっき上から命令があった。まどろっこしい真似は終わりだ、今夜あの店を潰す。目的の物は瓦礫の中から回収させてもらおう」

「っな!?約束が違うぞ!」

「手前が手を抜いていたのはとっくに承知だ。しかも俺達の上の事こそこそ嗅ぎ回りやがって。約束通り手前の惚れた女」私の方を見て「そっちの御婦人とセットで高く売ってやる。ボーイッシュなのに大金積んでくれるマニアもいるんでな」

 黒スーツはニヤリと嗤い、栗花落さんの顎に手を掛けて軽く上を向かせる。

「良い女だなあんた。目は全盲なのか?」

「はい。あの、私はどこへ売られるのでしょうか?近い所でないと旦那様の食事を作りに戻れません」

「何だ、亭主がいるのか。そいつは可哀相に。あんたはもう一生会えないんだよ。上に口きいて新しい旦那様は良い奴を推薦してもらおう」

「まぁ!困りました、旦那様は料理も洗濯も掃除も出来ない人なのです。私がいなくなったらアパートは数日でゴミだらけ、大家さんが困ってしまいます」

 栗花落さんが失踪したら先生荒れに荒れるな……今でさえあれなのに、輪を掛けて宇宙的規模で嫌な中年になるに違いない。そして性格の歪み切ったままあらゆる手を使って彼女を探し当て、新しい旦那様を簀巻きで河に放り込むだろう。

 何だか胃がむかむかしてきた。この黒スーツ、何時まで栗花落さんに触っている気だ?

「丁度いいんじゃないか?これからは男も家事をする時代だ」

「あなたもですか?」

「ああ、こんな仕事だとろくに出会いも無くてな、未だ一人身だ。あんたみたいなできた女房が早く欲しいぜ」

 黒スーツは芳養先輩の方を見て、「手前も今生の別れだぞ?言っとかなくていいのか?」

 カーッ、頬を赤らめた先輩は呂律が回らないまま「い、いや俺はその……」

「ふーん。臆病者が」

「――おまじないでも掛けましょうか?」

 おまじない?栗花落さん何言ってるの?

 顎の手をすいっ、と避け、縛られたまま芳養先輩の隣に膝を落とす。

「言いたい事を言える勇気が出せますよ。どうしましょう?」

 美人の顔を背け、先輩は恥ずかしそうにブンブンと首を横にした。

「い、いや……」

「やってやんな。そうでもしねえとこいつ踏ん切りがつかねえ」

「はい、分かりました。失礼しますね」

 そう言うと先輩の手の甲に、何と形のいい唇を落とした!


「つい――!!」

「那美!!」


 ガバッ!腹筋で起き上がった先輩は、熱っぽい視線のままこちらに突進してぶつかった。


「好きだ!高校の時からお前が好きだった!俺はまだ不能だがそんな事は関係ねえ!結婚してくれ!」


 勢いのまま頬にぶちゅっ、とされた。刹那、毛穴中から抑えられた怒りが噴き出すのを感じた。


 ブチブチブチッ!!「巫山戯るな!!!」


 切れた縄の絡まった拳にあらん限りの力を込めて先輩の腹、続いて頬にパンチを打ち込む。バァン!壁まで吹っ飛んだ彼の胸倉を引っ掴んで無理矢理起こす。吐いた血に折れた歯が混じっていた。

「あんたに惚れられたせいで私達酷い目に遭ってるって自覚あんの!?ええ私はまだいいわよギリギリ当事者だ、教室の生徒の店の問題だもの。一パーセントぐらいは責任あるかもしれない。

 でも栗花落さんは完全にとばっちりでしょ!偶然一緒にいたから誘拐されたってだけ!寝てんじゃない!」バシッ!

 手近にいた黒スーツのネクタイを掴む。首が締まろうが千切れようが最早関係無い。

「あんたも何で連れて来たのよ!?私が一人になった時狙えばよかったでしょ!それとも何、タイプの女だからついでに誘拐しちゃえって下心?冗談止めてあんた、その顔で釣り合うと思ってんの!?豚みたいにハァハァしちゃって、売る前に一発やろうとしてたんじゃないの!汚らしい!」

 股間を爪先で蹴る度、本当に豚みたいな声を上げる。二度と使えないように潰してやろうか、と思ったら早くも白目を剥いて気絶していた。

「な、那美……?」

「インポテンツ野郎は黙ってて!」ドゴッ!こちらも今の一撃で完全に沈黙した。

「あら……どうやら効き過ぎてしまったようですね。困りました」全然困ってない顔の栗花落さんが視界の端に映る。

「誰があんたなんかに渡してやるもんですか!!」ドスッ!

 両手を離すと、男共はずるずる崩れ落ちてぴくりとも動かない。叩き起こして説教を続けたいのは山々だが、今は彼女が先だ。

 これは鬼?でも昔程の圧迫感は無い。むしろ憤怒より圧倒的な、ある種の心地良ささえ存在しているような。

「な、那美さん?どうか落ち着いて下さい、と言っても無理だとは思いますが」

「暴漢は成敗しました」手首の縄を解く。「栗花落さんは私の母親みたいな物ですから、これぐらいは当然です」

「え??あ、あの!?」

 ぎゅっ。安心から抱き締めた身体は予想より細かった。

「家なら家事なんてしなくていいんですよ?全部私がやります。栗花落さんに苦労は掛けさせません」

「わ、私は旦那様にお仕えして」

「あんな黴臭い変人ジジイと一緒にいても悪い影響しかありません」

「変人なのは認めますが、出ているのは加齢臭です。黴は生えていません。それに私は好きで旦那様の所にいるのです。那美さんも年の離れた御友人としては大好きですが、旦那様を置いては行けません」

 決然とした言葉。いつも柳のように受け流す彼女にしては珍しい。

「それより早くここを出ましょう。仲間の方が来る前に。離して下さい」

 久し振りに本気で暴れたせいか、まだ身体中が興奮していた。しかし逆に頭は冷え、早くも先程の発言を後悔し始める。

「ああ……す、済みません栗花落さん!!あなたを満足に養える資産も無いのに私……何て事を」

「那美さん?」

「本当に済みませんでした!あ、あの……私の事、嫌いになりましたか?」

 問いに彼女は白い細首を傾げる。「どうしてでしょう?」それから上品に含み笑う。

「那美さんはとてもお優しい方ですよ。あの方と同じ事を仰いますもの。私が嫌うはずがありません」

 ひしっ!

「じゃあその、不躾なお願いなんですが」

「はい、何でしょう?」

「今度茶道教室が終わった後、二人で龍商会ビルにショッピングに行きませんか?」

「私と、ですか?」

「ええ、一回連れて行こうとずっと思っていたんです。先生は偏屈者だし、自分の趣味以外の所なんて見向きもしてないでしょうから」

「まあ、当たりです」

「だから一度、私が服なんかを見繕ってあげたいな、と」

 見慣れた物も素敵だが、龍商会で売っている別のタイプの服もきっとよく似合うだろう。

「?至って正常ですね。那美さんはその辺りの理性が飛ばない人なのでしょうか……?」彼女は考え込んだ後、「それなら何時でも構いませんよ。那美さんのお気が済むのなら」

「やった!ありがとうございます!」

 パッ!と腕を離し、手を引いて出口へ歩き出す。

「でも残念ですね……目が覚めれば全て忘れてしまうと言うのは」

 ポカッ!小気味いい音が後方から聞こえた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ