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紅の狂鬼  作者: 夕霧沙織
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四章 潜入



 祖父に朝の薬を飲ませてから、もう一度遺影を拝んできた。これで大丈夫、なはず。一月の冷たい風が肌を刺し、ファーコートの前を一番上まで留めた。

 栗花落さんと先生の部屋はアパートメントの二階だ。一階が大家さんの住居になっている。盲目の彼女のため、不動産屋で大家が近くに住んでいる物件とわざわざ条件を付けたらしい。

 歩きながら時々後ろを振り返る。どうしてクランは、私の些細な悩みを言い当てたのだろう?

 ここ数日誰かに見られている、尾けられているような気がしていた。きっと尾行のバイトのし過ぎで無意識に気になるのだろう、そう解釈して誰にも相談しなかった。この寒さで風邪を引き、体調の思わしくない祖父に心配を掛けたくなかった。

 生まれつき正義感の強かった私は、当然のように警察官目指して大学まで行った。苦手な勉強も沢山した。が、採用試験は全部空振り。筆記はともかく実技と面接の感触は上々で、他の受験者達と比べてもそう劣るとは思えない。

 原因は矢張り例の鬼憑き、だろう。あれ以来出ていないとは言え、流石に司法機関が前科持ちを登用する訳にもいかない。

絶望した私の目に、大学の掲示板に張ってあった一枚のチラシが飛び込んできた。連合政府政府員のバイト募集。特に仰天したのは最後の行、正規登用有りの文字。宇宙中に点在する政府員には実に様々な職種がある中、星間警察のような部署もあると聞いていた。すぐにチラシの番号に電話し、面接が通って現在に至る。

『中々変わった経歴だ。それに宝家の跡取りか』

 面接官は現在の上司一人きり、彼の執務室で行われた。

『鬼、か。確かに、君の祖母も生前何度が傷害事件を起こしている。――遺伝?報告書には特に記載が無いよ。母親は?――隔世遺伝かな?』

 しばらく他愛も無い世間話をした後、彼は履歴書を机に置いた。抽斗から承諾の書類を出して私に渡す。

『採用だ、潜在能力に興味が湧いた。君には借りがあるしね――大学で四天使研究の同好会に入っていただろ?会長のラントは僕の曾孫なんだ。頭は良いんだが、あの通り趣味に入れ込み過ぎるきらいがあってね。両親と違って社交も苦手なようだ。気紛れでも同好会に入ってくれた後輩君を随分評価していたよ』

 先輩との出会いは偶然だ。入学初日から所属していたボクシング同好会の自主練で早朝ランニングをしていた時、日曜礼拝に行く先輩と毎週道ですれ違っただけ。何度も見かければ挨拶する仲にもなり、その内休憩代わりに教会で座るようになる。一人だけの同好会部屋で難しい課題にアドバイスを貰い、その返礼として名簿に名前を書いた。それだけの話。卒業前に飲みに行った時もそのスタンスは崩れず、私達は好き勝手に互いの話をして食事を摂った。

 アパートのドアを見上げると、既に小豆色のコートを羽織った栗花落さんが立っていた。

「栗花落さん!」階段を駆け上がり彼女の手を握る。何時触ってもしっとりした指は外気に当たって冷たかった。

「早かったんですね那美さん。少し待って頂けますか?」反対の手にあるクリーム色の風呂敷包みを軽く持ち上げて「大家さんに渡してきます」

「はい。足元気を付けて下さいね」

 片手を取ったまま、足運びに注意しつつ降りる。音に気付いたのか、一階のドアが開いて派手な黄色の半纏を着たオバサンが現れた。

「あら栗花落、こんな朝から出掛けるのかい?」

「はい」風呂敷を差し出し、「大家さんの大好きな牛モツ煮込みです。差し上げますからまた宜しくお願いします」

「いいさ、また大先生には今日一日家にいたって言っとけばいいんだろう?簡単な話さ」受け取ってオバサンの顔が緩む。

「お話が早くて助かります。では行って参ります」

「気を付けてね」それから私に頭を下げ、「宝のお孫さん、栗花落を宜しく頼むよ」

「ええ、任せておいて下さい」

 レイ君との待ち合わせ場所、龍商会ビル前まで徒歩で戻る。右手で栗花落さんの左手を握って誘導しつつ、私は話し掛けた。

「何回か内緒で出掛けているんですか?」大家の様子といい手慣れている。

「はい。旦那様の御家族が、私に会いに時々近くまで来てくれるのです」

「昨日の電話の女性ですか?」

「ええ。私の顔を見ると安心されるそうで」

 今なら言えるか、先生の前では絶対に訊けない事。

「栗花落さんと先生、御家族と別居しているんですか?」

 隠すかと思いきや、彼女はあっさり首を縦に振る。

「はい。半年程前、旦那様と従兄弟の方が喧嘩をしてしまって……それで」

「そんな!先生意固地も大概にして下さいって感じですね!」家出するなら一人で勝手にすればいい。何で盲目の彼女を巻き込むのだ。「栗花落さん、実家に電話なり何なりして迎えに来てもらった方がいいですよ!そうでもしないと先生、絶対反省しませんって!」

 ふふ、彼女は何故か笑い声を零した。

「那美さんも同じ事を仰られるのですね。ですが、私も物好きで旦那様の側にいるのです。生活能力云々もありますが、矢張りあの方と一緒が一番落ち着きますから」

 朝の龍商会ビルは平日にも関わらず早くも買い物客が入り始めていた。何か特売あったっけ?

「レイ君は……あ、いたいた!お待たせ!」催し物の掲示板を眺めていた金髪の青年が振り返る。

「おはよう。もう支度はいいのか?」

「ええ」

「栗花落さん、は?いけそうか?」

「大丈夫ですよ」

「本当に?」気遣わしげな目。「何かあったら遠慮無く言ってくれよ」

 くすっ。

「レイ様はお優しい方ですね。ええ、そうさせて頂きます」

 手を繋ぐ私達の横に彼が並ぶ。

「確かこの角を左に曲がって、真っ直ぐ行った所だったはず」道を知っているのは私だけだ。間違えて栗花落さんに無駄な体力を使わせないよう慎重に進む。

「ところでクラン達は?」

 彼は両手を頭の上で広げ、「さあ?船着場までは一緒だったんだが。セミアに思い切りあっち行けされた」

「じゃあ二人、ではないですね。アス君と三人でどこかへ?」

「ああ。……ったく、行き先ぐらい教えてくれてないと何かあった時困るのに」

 ――まただ、後ろに人の気配。もしかして私、精神病に罹ったのではなかろうか?存在しない尾行者の足音なんて、幻聴以外の何物でもない。

「那美さん?」我に帰ると、栗花落さんが心配そうな表情をしていた。

「は、はい」

「どうかなさいましたか?先程から息を詰めていらっしゃるようですが、御気分が悪いのですか?」

「いいえ!これから先輩の家に侵入するんだと思うと緊張してしまって。顔見知り程度とは言え、知っている人の家を家探しするのは気が引けて」

 レイ君に頼んで見て来てもらおうか。一度きちんと確認すれば不安が収ま、らないだろうな多分。余計気になるに決まっている。二人の前で醜態を晒すのも恥ずかしい。何より時間がもったいない。

「あの家です」

 芳養先輩の家は鉄筋の二階建てで白い壁。近年よくある建売住宅の、多分フローリングと畳の両方があるタイプ。玄関を除いて一階は垣根で見えない。番犬も飼っていないらしい。こう言っては何だが、かなり泥棒が入りやすい家。

 人目が無いのを確認し、栗花落さんの手を引いて素早く玄関脇まで移動する。試しに家を一周したが全面芝生、庭木や花は植えていない。この緑の絨毯は足音を悉く消してしまう。空き巣の格好のターゲットだ。

「あれ?」ガラガラガラ……。「ここ開いてるぞ。不用心だなあ」リビングの硝子戸を半開きにしてレイ君が呟く。

「このまま靴脱いで入っていいのか?」

「靴は持って行って下さい」ポケットから新品のビニール袋を二つ取り出す。「栗花落さんの分は私が持ちますね。さ、脱いで下さい」

 腕の支えを殆ど使わず、彼女は難無く室内に足を掛けて侵入した。残った靴を袋に入れ、静かに窓を閉める。

 両親と一人息子が暮らすリビングは綺麗に片付き、茶色のカーペットが敷かれていた。大型テレビに、二人掛けの緑のパステルカラーのソファ。ローテーブルの上には母親の物だろう、料理や家事の雑誌が数冊置かれていた。

 アパートに行く前に一度家人の不在は確認したが、一応玄関まで行って施錠と靴の有無を見てくる。よし、これで邪魔は入らないはずだ。

 一階を一通り見て回るが、芳養先輩のらしき個室は無かった。二階へのやや急な螺旋階段を上がり、手前のドアを開ける。

「ここっぽいな」

 窓には日光を遮らない程度の薄いカーテンが掛かっていた。これなら私達の姿が外から見える事も無いだろう。

 龍士会は社員全員スーツ着用なので、椅子に脱ぎ捨てられているのはワイシャツやネクタイばかりだ。筋トレをしているのか、ベッドの横に五キロのダンベルが二個置いてある。

「………」何だろうこの感じ。不快感、とでも呼べばいいのか。若い男性特有の体臭がシーツや壁に染み付いている。長くいたくない。

「探偵小説のセオリーなら、手掛かりは机か本棚だな」無骨なスチール机の上は、隅の方にオーディオコロンの小瓶が三つ置いてあるだけだ。一番上の抽斗をレイ君が開ける。

「領収書が突っ込んである」

「見せて」

「ああ、ほら」取り出して机の上に広げる。

「丁度一年分ですね。芳養先輩、こういうのちゃんと取っておく人なんだ。へえ」

 病院、携帯電話、クレジットカード、クリーニング、龍商会にレストラン。特段気になる物は無い、と栗花落さんに説明する。

「那美さん、病院の領収書は何枚ありますか?」

「ちょっと待って下さいね。一枚二枚……十二枚ですね」領収書の並び順を見た感じコンスタントに一ヶ月一回ペースで通院していた様子。最新の日付は十日前だ。

「総合病院、なのではありませんか?」

「え!?」慌てて封筒を取り出す。環紗で評判の良いクリニックの名前が印刷されていた。

「どうして分かったんです?」尋ねても彼女は何となくです、と微笑むばかり。

「芳養先輩どこか悪いのか?」

「いえ、私の知っている限り普通です。ママンも特に病気や怪我の事は言ってませんでしたし」治療費は毎月同じぐらいで病名記載は無し。診療と薬と、注射?「トラブルとは直接関係無さそうな気もしますけど、どうでしょう栗花落さん?」

 彼女に頼るのはどうかと思うが、総合病院と当てたのには何か根拠があるはず。

「調べてみたら如何ですか?何事もやってみなければ分かりません」緩い肯定。線としては正しいのだろうが……。

「分かりました。処方された薬が残っているはずです。レイ君、探してみましょう」

「ああ」

 残りの抽斗や棚、ベッドサイドを二人掛かりで捜索。途中で彼がリビングに薬箱があったのを思い出して部屋を出る。

 布団を上げ下げ。ふと栗花落さんの方を見ると、赤外線ヒーターを指の腹でぺたぺた触っていた。

「ヒーターです。触るのはいいですけどボタンは押さないで下さい。火傷しますよ」

「はい」

 この部屋、良く見るとエアコンが無い。彼女がお触りしている物が唯一の暖房器具だ。

 五分程して戻ってきた彼は、首を横に振る。

「そうですか。こちらもそれらしい物はありませんでした」

「やっぱり」

「やっぱりって栗花落さん……薬が無いの分かっていたんですね?」

「いいえ。でも多分この家には置いていないだろう、とは考えました」

「じゃあ栗花落さんの予想ではどこに薬はあるんだ?」

「そうですね……人目のある所には置きづらい、しかも毎日きちんと飲まなければ効力が無い。恐らく仕事用の鞄か、類する物の中に入れてあるのでは。いつも持ち歩いていれば忘れる事もありません」

 先輩は勤務中だ。当然鞄は無い。

「置きづらいのに続けて飲まなきゃいけない薬って何だよ?病院なんて縁が無くて分からないが、続けて通院となると家の婆さんみたいな身体の不自由な老人がだろ?」

「様々な科がある総合病院なら色々考えられますね。整形外科、内科、歯科、眼科、耳鼻咽喉科……どれも病気によっては長期間掛からないといけません。ただ、歯科や眼科で毎回注射はしないでしょう」

 封筒を見る限り一度整形も行ったようだが、そっちの分野にしても一年間服用し続ける薬は見当がつかない。大体芳養先輩は学生時代からルックスがかなり良いのだ。友達の何人かが非公認のファンクラブを作って盛り上がっていたぐらいには。

 そろそろクランとの約束の三十分だ。よく分からない指示だが、手掛かりが無い以上従うしかないか。



「済みません」那美がポケットの携帯を取り出して開ける。「祖父からです」頭を左右に振り、「どうかしたのでしょうか、熱がまたぶり返したとか?ど、どうしよう……」

操作して耳に数十秒当てていたがパタン、と閉めて「駄目です、出ません。何かあったのでしょうか……」落ち着き無く部屋をうろうろする。高齢の身内だ、心配にもなるだろう。

「一っ走り行って来いよ那美。爺さん、熱でぶっ倒れてるのかもしれない」ここから彼女の家まで、走れば十分ぐらいで着く。「ガサ入れは俺と栗花落さんでやっとくからさ、な?」

 盲目の婦人は俺の方を向いて頷く。「はい。早く行って下さい那美さん」

「――わ、分かりました。レイ君、栗花落さんをお願いします。あと、階下の音には常に注意しておいて下さい。まだ午前中なので誰も帰って来ないとは思いますが」

「了解」

 栗花落さんのパンプスが入った袋を受け取る。

「では行ってきます」足音はさせずしかしバタバタと階段を降りていった。

 さて、薬が無かった以上、次は何を探せばいいんだ?今までの話のイメージだと、芳養先輩は一時でも机に向かって何かするタイプではない。従って彼の心情がつらつら書かれた日記なんて都合の良い物があるとも思えない。となると探すべきは脅迫者の痕跡か?くそ、今頃姉妹で和気藹々よろしくやってるんだろうな。何で俺一人野郎の部屋を荒らしているんだ?こう言う地味な作業は衛兵の方が得意だろ。女王陛下は人選を誤った、帰ったら強く進言して。

「何を考えていらっしゃるのです?」婦人、今度はベッドからはみ出したシーツを弄んでいる。「手が止まっています」

「あ、ああ悪い。クラン達の方は上手くいっているかと思って」

 そう言うと彼女は満足気に微笑む。

「レイさんはクランベリー様がお好きなのですね」

「ま、まあな」ずばっと突かれては言い返す事もできない。「一目惚れって奴?中身はともかく可愛いんだぜあの子」

「はい。お声だけでも充分伝わってきますよ」

「それは良かった」率直に言葉が出て来る。「栗花落さんに褒められたって知ったら、あいつきっと喜ぶよ」

 おや、と整えられた細い眉が動く。

「クランベリー様がそのような方でない事は、レイさんも御存じのはずですが」

「う……そうだった」まだ二時間ぐらいしか会っていない相手に指摘されるとは。

「ふふ。でも素敵な方には違いありませんね」

「素敵って、栗花落さんも相当変わり者だな」

 いいなベルイグのおっさん、こんな良い女が四六時中家にいて。どんなに不機嫌で帰った夜も、玄関を開けた瞬間に御機嫌になれそうだ。

 彼女は不意に立ち上がり、閉じた瞼で部屋を見回す。

「どうした?」

「その書棚ですね」ヒーターをするりと避けて歩み寄る。最上段から数秒ずつ眺めて、「この辺り」中段に納まっていたアルバム類をごっそり取る。広げてまた一冊ずつ観察し、動きが止まった。

「レイさん、これです。開けて下さい」他を戻し、薄いアルバムを手渡す。

 ぺら。開けると仄かにコロンが香った。

「……??」顔を近付けて納まった被写体を凝視する。最初の二ページに入っている六枚は全部一人の女性を写した物だ。髪を後ろで括ったその顔は、先程までここで話していた彼女と瓜二つ。背景に写る四階建ての大きな建物は、高校?次も、次もだ。ただ七ページ目の最初から髪が短くなり、八ページ目の最後では大勢の青少年達と一緒に花束を持って立っている。最終の十五ページには昨日の教室で茶を点てる様子が写っていた。黒に朱の華の着物が正面で綺麗な柄だ。

「写っているのは那美さんですか?」

「あ、ああ……一番古いのはどうやら高校時代だ。最新のは黒い着物を着て教室を開いている」

「ああ、それは年初めの教室です。毎年その時は着物と決まっていて」

「って事は撮られて一ヶ月も経ってないのか」

 那美は芳養先輩との面識は殆ど無いと言っていた。じゃあこのアルバムは一体。二、三枚を除いた写真の共通点は被写体の視線がレンズを捉えていない事。つまり、

「隠し撮りだ」

 先輩が那美に良いか悪いかはともかく好意を抱いているのは間違いない。だが、不男ならともかく先輩のルックスはイケているらしい。しかも那美には現在まで彼氏はいない。告白には何の障害も無いのに、接触した形跡が皆無なのはどういう訳だ。いや、俺は別に自分の事を棚に上げているんじゃないぞ、決してそれはない。

「レイさん。元通りにしておいて下さい」

「分かった」

 不確かな記憶を頼りにアルバムを入れ適当に整える。

「けど栗花落さん。本人にはどう言えばいいんだ?」

「那美さんには少しの間黙っておきましょう」

 確かに。イケメン先輩が自分の追っかけだと知ったら、嫌でも捜査に悪影響が出るだろう。


 ガチャン!


「!?今えらい剣呑な音がしなかったか?」

「下からです。泥棒かもしれません、降りて確かめましょう」

勇敢な台詞に思わず苦笑する。「俺達も似たような物だがな」

 続いて街路から男の喚き声。何が起きているのかは知らないが、騒ぎで人が集まってくればここを出るに出られなくなる。

「一通りは調べた。出よう栗花落さん」手を取り導きながら階段を降りてリビングへ。「待った」

 割れていたのはさっき侵入してきたリビングの窓だった。絨毯には家屋破壊の犯人と思しき物一つと硝子が散乱している。

「拳銃?」靴を履いてから拾い上げる。弾は六発とも装填されていた。安全装置を掛けてサバイバルナイフの横に掛ける。

「栗花落さん、ほら靴。このまま歩くと怪我しちまう」

「ここで履くのですか?お宅を汚してしまいます」

「絨毯を血だらけにする方がよっぽど迷惑だよ」

「でも私は」

「いいから足上げてくれ」時間が無い。強制的に足首を引っ掴んでパンプスに押し込む。「きゃぁっ!」色っぽい声に感心している場合じゃない。手を引きながら半分になった窓を開けて外、そのまま玄関から道路へ、


 ドンッ!


 目の前を横切った黒い物は玄関のインターホンに派手に激突した。ピンポーン。

「なな……!!」

 黒いスーツの男は顔面に四角い痕が赤くくっきり残ったまま失神している。手にはバールのような物(いやどう見てもバールでしかないのだが)。工事の人?

「レイさん?今の音は」

「俺から離れないでくれよ」左手を後方に曲げる。「どうも本格的に栗花落さんの事宜しくお願いしなきゃいけないみたいだ」

「まあ、それは大変ですね」呑気なもんだ。

 植え込みから道路の様子を見た。静かだ、誰もいない。だがそれと反比例するように顔がちくちくしてくる。垣根の外に危険が張り巡らされている証拠だ。


 パアン!


 一発の銃声を合図に危険達が上下左右から一斉に飛び出す。「あ」その中に見知った顔を複数見つけた。

 右から飛び出た長い槍が、左のスーツの鳩尾に綺麗に入る。正面の塀の陰から出てきたスーツの頭上に、突然場違いな巨大な雪だるまが降って来てそのまま押し潰される。

「レイ何やってんの!?」

 左から玄関前に来たセミアが叫ぶ。大きくなってから使い始めた分厚い古本、広げたページには目の前のとそっくりの雪だるまの挿絵が描かれている。

「そっちこそ何やってんだよ!?クランは!」

「知らないよこっちも」呆れ気味に返された。「折角可愛い可愛いしようと思ったのにくーちゃん、別の所に行くからって私を置いてったの」

「一人で?」と一匹。

「そう」頬を膨らませ「早く二人っきりになってプレゼント渡したいのに」

「何だお前もまだなのか」今朝も何だかんだ言ってタイミングが掴めず、まだポケットの中。


「待てっ!!」ダダダッ。


「ところでレイは何買ったの?大体予想は付くけど」


「二人共その人を捕まえて下さい!」


「お前こそ。どうせベストセラーと一緒に使う栞か何かだろ?」

「な、何で分かったの!?勝手に見たわね、サイテー」ベーッ!「レイこそどうせイヤリングとか指輪とか、そーゆー如何にもなアクセサリーでしょ」

「おい!」ピンポイントで当てられ、否応無く動悸が高鳴る。「いいだろクランは女の子だから御洒落ぐらい。ピアスは穴開けるから痛いが、イヤリングならちょっと耳朶挟めばいいだけだし」


 キキィッ!ガチャッ、バタバタバタン!


「あのマシュマロみたいな耳朶を金具で挟む?」心の底から鼻で嗤いやがる。「あーあこれだから男は。どうしてあんなに可愛いのにそっとしておけないの?それにイヤリングだって一日中着けてたら重力で結構痛いよ。普通に考えれば分かるでしょ?」


「車は卑怯です!」キィッ!


「セミアこそ、栞なんて贈っても真面目に読書に励んでくれるとは限らないだろ」

「あんたこそ贈ったって着けてもらえないでしょうねきっと」

「何だと?」

「何よ?」

 お互いこれでもかと睨み付ける。


「大変ですね」

「いえ、これも女王様の御命令ですから。ですが誰も捕縛できなかったのには参りました。女王様には一人で構わないので捕らえるように指示されていたのですが……」


「「フン」」





 建設会社龍士会は三階建ての真新しいビルだった。

「邪魔するで」前を歩いていた文牙お兄ちゃんがドアを開ける。少し煙草臭いが清潔そうなオフィスだ。

「いらっしゃいませ」カウンターの向こうに座る長髪の若いお姉さんが笑顔で挨拶してくれた。

「お姉ちゃん、わい等ボンちゃんの客や。ちょい取り次いでもらえるで?あ、ほれと犬おるんやけどいれて入れて構へん?」数秒後こちらを手招きし「ええってクラン。ボビー、入ってき」

 受付嬢の背後の仕切り一枚隔てて社員達が元気に動き回っている。元ヤクザと言っても普通の会社員と変わりない。

「……あ、社長。いつも龍商会の前を掃除している方がお見えです」極めて適切な説明だ。「はい、分かりました」受話器を置き「三階の社長室へどうぞ、ご案内致します」

「ええって、そこのエレベーター上がってすぐやろ?いっつも就業時間過ぎて来よるからよう知っとう、ありがとな」

 お兄ちゃんは袂から龍商会饅頭(特大)四十八個入りを渡した。

「お勤め御苦労はん。皆で分けて食べてな」

「ありがとうございます」

 エレベーターの中も綺麗に掃除されていた。ピカピカの鏡に映った私の前髪は妹の言う通り長くなっていた。十年も眠っていたんだし、偶にはちゃんと美容院で切ってもらおうか。

「どないしたんやクラン?」

「あ、うん。伸びてるなと思って。それより、今日は巫女の人いないんだね」

「紫卯か?あの子は留守番や。わいがプライベートで出掛ける時はあの子が会長代理っちゅう事になっとる」

「確かにお兄ちゃんよりしっかりしてそうだもんね」「クゥン」

「何でボビーまで同意するんや?」

 いつも軽いノリの兄にしては珍しく憤慨したらしい。そう長く続きはしなかったが。


 チン。ガラガラガラッ。


「こっちや」

 ほら、もう治った。お兄ちゃんを先頭に、社長室のプレートが掛かったドアの前まで来る。


 コンコン。

「ボンちゃん入ってもいけるか?」

「ああ」

 ガチャッ。


 これまた極普通の社長室だ。ただヤクザの名残か、社長席の上の壁に毛筆で『誠』と書かれた額が飾ってある。

 部屋の主らしき人物は机の横に立ち、ブラインドを指で下げて外を眺めていた。振り返って黒髪オールバックの髪型で爽やかに微笑む。見た目年齢は三十代後半と言った所か。昔は恐らく組長かナンバーツー、にしてもよくこんな若い人間をトップにしたものだ。

 元ヤクザは極めてフレンドリーに兄と握手を交わす。

「やあブンちゃん、三週間振りかな。君が朝っぱらから来るなんて珍しい。そちらの可愛いお嬢さんは?」

「わいの義理の妹のクランベリーや。こっちはペットのボビー」

「妹さん?へえ」ボンちゃんは私の背丈に合わせて腰を屈め、手を差し出した。「よろしく、お嬢さん」握手。「よろしく、お兄さん」

「良い子じゃないかブンちゃん。とても性悪とは思えないよ?」

「ちゃうちゃう!何言うてんやボンちゃん、あれはルウ!名前ちゃんと言うたやろ、ボケかまさんでええ!」

 身内の愚痴を漏らす程の仲良しか。付いて来てもらって正解だった。

「言ったっけ?何分酒の席だからなぁ、どうにも記憶が曖昧だ」

 若しくは兄の呂律が既に回っていなかったか。どちらでもそう変わらない。

「で、本当に何の用かな?もううちに摘発される悪事は無いはずだけど?」

「いやぁ、まだ叩けば埃が一杯出るんとちゃう?談合とか」

「おいおいブンちゃん。こないだのあれはシンちゃんが酔って勝手に口を滑らせたんだろ。私は一滴も注いでないし、処罰されるのは完全に向こうだよ。大体役人が建設業者の前で一升も飲むかい普通?」

「でも最低落札価格に入れたんやろ?」

「当然さ。やれる公共事業はみすみす逃せない」

「せやけどあの金額は常識的に言うて無いで。相当建材やら人件費削らな無理や。受けたはええがどないすんねん?変に欠陥工事してもたら評判落としてまうし」

「何、うちは色々コネがある。計算上はどうにかトントンに納まるはずだ。仮に多少の損を被っても、次の仕事への布石と考えればいい」

「丸損にならん事を祈るでホンマ」

 はっはっはっ。小悪党二人分の笑いが響く。

「うーん。本当に何の用だいブンちゃん?昼間から飲むにしては未成年連れてるし。警察の情報でもリークしたのかい?それとも会長関連?」

「用があるのは私」手を挙げた。「お兄ちゃんは色々顔が利くみたいだから、社長さんと友達って聞いて付いて来てもらったの」

「何だ、それなら最初から言ってくれれば」

「お話の邪魔をしたら悪いかなと思って」

「おや、一本取られた」額を掌で打つ。「立ち話もなんだ、座ってくれ」

 革張りのソファは中がペッタンコで硬い。長く座っているとお尻が痛くなりそうだ。

 秘書らしき女性社員が持って来てくれた生姜湯を啜る。黒糖の甘さの後、咽喉がぽかぽかした。

「外は寒かっただろう。今月から試しに出させているんだが、お客さんに割と好評なんだよ。どうだい?」

「うん、美味しい」

「それは良かった。……で、お嬢さん。一体君は私と何の話をしたいのかな?」

「話と言うか確認したいだけ。あなたが最近悩まされているトラブルを解決する、そのための確認」

 爽やかな笑顔の顔が険しくなる。

「何の事かな?小さくても一国の主なんてしていると、トラブルは毎日のように起こるからなぁ」

「それはよく知ってる」あんな人の少ない田舎国でも毎日何かしら発生するのだから、都会の他人同士が共存する会社で無いはずがない。

「だろう?いちいち気に留めていたら身体にも悪い」

「顧客情報の盗難」


 ガタンッ!


「き、君!?一体どこでそれを!!」

「私の頭の中から」早いな、一つ目で当たりか。「誰かから聞いてきた訳じゃないよ、安心して。ついでに犯人でもない」

 椅子から立ち上がったまま唇をわなわなさせて私を、次にお兄ちゃんを睨み付ける。

「どういう事だいブンちゃん?この子は何者だ!?」

「だからわいの妹やって。今はちょい事情があって山ん方の国の女王様やっとる」

「本当に奴等の仲間じゃないんだろうね!?」

「知るか。でもなボンちゃん、クランやったらそんなケチな犯罪せえへんわ」生姜湯を一口。「この子が本気やったらお前、とっくにこの会社乗っ取られとるで。ちまちま情報盗んでどーこーなんてせーへんせーへん」

 パタパタ振った手で座面を叩き、「まあ落ち着いて座りぃや。わいも酒飲み仲間のよしみで相談乗ったる」

「ああぁ、よりによってブンちゃんに弱み握られるなんて……」

 座った途端頭を抱え込んで呻き始める。

「何や、わいやと御不満かい」

「ブンちゃんに知られるぐらいなら顧客全員に土下座行脚した方が百倍ましだよ」大した嫌われようだな兄よ。少しだけ同情しちゃう。

「最初っから説明してみい。まず顧客情報て全部かいな?」

「多分」抽斗から長封筒と黒いフロッピーディスクを取り出す。「送られてきたこいつには四分の一しか入っていなかった。恐らく就業時間後にこっそり侵入して、パソコンのデータをコピーしていったんだろう」

「パソコンて、セキュリティロックが掛かっとるはずやろ?あ、でもあれか……確かパスワード知らんでも解除できるソフトがあるって聞いた事あるわ。でや、こいつネタに脅迫されたんか。要求はなんぼや?一億か、五億か?」

 お兄ちゃんが尋ねると、社長さんは額に横皺を寄せて首を捻った。

「どないしたんやボンちゃん?まさかそいつそれ以上にふっかけてきおったんか!?」

「違うんだ。私にも犯人の意図が分からない」


 バシッ!「そう!そうなんだよ!あの店の従業員を追い出す事に何の意味があるんだ?」机を思い切り叩いて言い放つ。


「あの店て?」

 私はスナック杏里の件をお兄ちゃんに説明した。

「ここで働いとる社員の婆ちゃんの店なあ……調べたんか、そのスナックの事?」

「四方八方手を尽くしたさ。堅気になったうちを脅してまで手に入れたい物、そいつが分かれば犯人だって芋蔓式のはずだろう……ところがだ、何一つ見つからない」

 お手上げ状態の友人に兄が質問を始める。

「ホンマか?例えばそうやな、犯人は地上げ屋で店の土地がどうしても必要とか」

「無いね。私も真っ先にその線を思い付いて片っ端から訊き回ったんだ。元とはいえヤクザと地上げ屋なんて似た者同士、杯交わしてなくたって嘘吐きやしない。連中に言わせるにあそこは場末の更に三等四等地、欲しいなんて奴はまずいないだとさ」

「オーナーの婆さんに嫌がらせって線はどうや?高齢を心配しとる親戚が善意で引退して欲しいとか」

「ブンちゃん巫山戯てるのか?たかが嫌がらせで、どうしてうちの機密情報が盗られる?そりゃあ大事な孫に店を壊させるなんて本当鬼畜の所業だがね。親戚筋も無し。芳養本人に何度も訊いたが、婆さんの兄弟姉妹は全員既に鬼籍で、歳を心配するような人間もいないそうだ」

「……会社が脅されたのは芳養先輩の勤務先だったから」

 ボンちゃんは深く頷き、「だろうね。彼は彼で奴等に別な脅迫をされているそうだし」

「店を壊さないとお前の大事な人を酷い目に遭わせるぞ、って所?」

「ブンちゃん」脱力した表情。「この子本当に犯人じゃないんだよね?」失礼な。

「何度も言わすな。当たっとるのはあくまでこの頭で考えた結果や」ぐりぐり。「やったらボンちゃん、その芳養っちゅう奴も呼ばな。一番の被害者やないか、一緒に対策考えてやらんと」

「彼はここ数日休暇を取っている。奴等の尻尾を捕まえるために私が頼んだ。人数を割くと普段の業務に差し支えるんでな、一人でやらせている」

「ふぅん」

 冷めた生姜湯をボビーの鼻先に持って行く。クンクン、ペロッ。「クゥン?」ショウガオールの癖のある匂いがお気に召さなかったようだ。

「ところで芳養先輩、あれでしょ?」




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