二章 盲婦人
宝家は龍商会ビルから歩いて三十秒も掛からなかった。環紗でも珍しい木造の古い平屋。老人と二人暮らしにしては若干広い敷地だ。
「玄関は靴で一杯なので庭から上がりましょう」
そう言われ、那美を先頭に塀と家の間を通り抜ける。中庭の植木は真冬で殆ど葉を落としていたが、残った枝は綺麗に整えられていた。爺さんがマメに手入れしているんだな、と褒めたら違った。
「いえ、それは私が。お爺ちゃんはこの寒さで体調を少し崩していて、今日も炬燵で眠っています」
三和土で靴を脱ぎ、縁側から障子を開く。座敷で談笑していた十人程が一人を除いて一斉に異邦者へ視線を寄越した。
「那美ちゃん遅いわよ!一体どこまで買いに行ってるの」
「そうよそうよ!ワタシ達を餓死させるつもり!?」
……那美の肩越しに前方を見た。そう言や彼女、どんな生徒かは一っ言も説明してなかったな。
首から下を見れば鮮やかな着物の女性が揃っているなあ、で済む。だが視線を上に向ければまず明らかに今朝剃ったであろう髭の痕跡が化粧に隠れ切れていないし、更に上には到底娘には見えないゴツ顔に安っぽい金髪や茶髪のカツラが乗っている。
「で、今日のお茶受けは何?」カマ連中は彼女が差し出した箱を見て、「やあ!また龍商会饅頭!?」「これで三週連続よ、偶には高価なお羊羹とかカステラが食べたいわあ」
「文句はちゃんと月謝を払ってからにしてくれます?」毎度の事なのだろう呆れ声。「こっちは商売なんです、滞納も三ヶ月となると考えがありますよ」
これでも寛容な方だろう。普通なら一月払わなければ追い出しにかかる。支払いが滞っているのは例のトラブルのせいか?
「まあまあ皆さん。新しいお客様もいらっしゃいます事ですし、お話はお茶とお菓子を頂きながらなさいませんか?」
奥に座る胡桃色の波打った髪をした四十代の女性(これは間違い無い)が、瞼を閉じたまま微笑んでそう言った。先程唯一こちらを向かなかった人物、つまり彼女がクランの気にしていた、
「そうねぇ、可愛い女の子を立たせたまま内輪話ってのも」「色男も二人いるし」「栗花落ちゃんがそう言うならねぇ」
先生の那美には至って強気のオカマ共も、この婦人には甘いらしい。
「はい。ではどうしましょう那美さん?初めてのお客様は上座に座って頂いた方が宜しいでしょうか?」
「そうですね。じゃあ炉の次の座布団から二人ずつ座ってもらいましょう。今日のお手前は人数が多いので二人で」
「了解しました」
炉と呼ばれる黒い壷の斜め前の座布団に二人が向かい合わせて座り、クランはちゃっかり栗花落さんの隣、俺は又隣に着席した。目の前では那美に並んでセミアとアスが既に正座している。と、コリーがいないのに気付く。気を利かせて庭で待っているのだろう。
二人は其々陶器の茶碗に匙で緑色の粉を入れ、柄杓で壷から白湯を掬い入れる。それから竹製と思われる中程からバラバラに分かれた奇妙な道具で、シャカシャカと中の液体を撹拌した。目が見えないとは思えない優雅な手捌きによって完成した抹茶がクランの前に置かれた。
くるくる、すすっ。
「結構なお手前で」型通り言って彼女は茶碗を俺の前に置く。え?一人一杯じゃないのか?目の前を見ると既に二人は飲み終わり、三番目の一番大柄なオカマが茶碗をくるくるしていた。慌ててそれに倣い、抹茶を一口啜る。
(苦っ……!!)
「結構なお手前で」吐き出さないよう我慢しながら茶碗を渡す。二分後、最後尾から返って来た二つの空茶碗を那美が受け取った。
「これでお手前は終わりです。皆さん足を崩して構いませんよ。今新しいお茶とお饅頭をお配りしますね」
お手前の間に準備していたさっきより若干薄い抹茶と、饅頭が三つ乗った黒の小皿を那美が一つずつ全員の前に運ぶ。
「では頂きましょう」
促されるまま一つ目の饅頭を口に放り込んだ時、
「初めまして栗花落さん、会えて光栄です」
クランの突然の挨拶に彼女は動じる気配すら無い。楚々と軽く頭を下げ、「こちらこそお会いできて嬉しいです。ええと……あなたの方がクランベリー様ですね?」
「どうしてそう思うの?」
「お越しになられた時、中庭まで犬の気配がしたのものですから。旦那様が仰っていました、いつもラフ・コリーを連れて歩く変わり者の子供が女王の国が最近できたと」
「向こうにも女の子はいるよ。クランは私じゃないかもしれない」
「いえ、向こうの方は声域が落ち着いてて、それに声が上の方から聞こえてきました。子供とお呼びするには大き過ぎます」音だけでそこまで分かるのか。
「そもそもどうして来たのが私だと分かったの?」
栗花落さんは静かに微笑み、「ただの勘です」キッパリ言い切った。「と言うのは少し嘘です。幾つかのヒントを元に導き出した答えの中に偶々クランベリー様のお名前が」
「どんな判断材料?」
「まず那美さんが予定外に連れて来られたお客様。初めてのお客様は器の準備などの関係で予め出席の人数だけはお伺いしていますのに、今回はそれがありませんでした。では那美さんはどこでお客様とお会いしたのか?これはまず間違い無く龍商会ビルです。那美さんはお菓子と一緒にお客様を連れて来られたのですから。では何故予約の無いお客様を急遽お茶会にお呼びしたのか?これは恐らくあの問題が関係しているのでしょう。――とすると大体予想は立てられます」
ぱく、もぐもぐもぐ……。我らが女王は自分で訊いておきながら、呑気に饅頭を口に放り込んでいる。
「お客様は那美さんと以前からお知り合い、且つお互いの御予定を知らない者同士。そしてあの問題を解決できる能力のある方々。足音は四人、その中の一つは那美さん達よりも軽く小柄、声は女性、そして犬を連れ歩いていて……私が知る人でその条件を満たしているのが偶々クランベリー様しかいませんでした」
すすす。
「旦那様は油断ならない方だと仰っていましたが私にはそうは思えません」
「私もベルイグ氏に賛成」
「え?」
口の端で笑い、「初対面の人間を簡単に信用するものじゃないよ、栗花落さん」
くすっ。
「吃驚しました。今旦那様が仰ったかと思うぐらい似ていて」
「あんなおじさんと間違われるなんて心外」棒読みでそう返す。
「ふふ……クランベリー様は面白い方ですね。分かりました、準さん」
「何、栗花落ちゃん?」アスと楽しそうに話していた一番大柄なオカマが呼び掛けに応じる。
「お店のお話をこの方達にして頂けますか?」
「ああ、あいつらの事?よくある嫌がらせなんだけどねえ。二人共心配し過ぎだって」
笑って手を振るオカマに対し、盲目の彼女は穏やかな笑みのまま「かもしれませんが念のため。有益なアドバイスが頂けるかもしれませんよ?」さり気なく促した。衛兵も「僕も是非お聞きしたいです準さん」駄目出しの一言。
「分かったわよ。ええと……あれはそう」
バタンッ!
襖が凄い勢いで全開し、見覚えのある奴が明らかに不機嫌な様子で茶室に入ってきた。
「栗花落、家に帰るぞ!!」
どすどす歩み寄り強引に彼女の手を取ろうとして、ベルイグのおっさんは俺達に気付いた。
「ほう。今日は随分変わった面子が来ているようだな。那美君、君の招待か?」
「はい。先生も一杯如何ですか?そんなにカリカリしたまま栗花落さんを連れて行かないで下さい。あと、襖は静かに開け閉めする物です」
フン、と鼻息を噴き出し、「今日はつくづくイライラする日だ」
「旦那様……まさか、無かったのですか?」
「そのまさかだ。あの店員、吾輩が一ヶ月も前から予約してあったのに、手違いで先程売れてしまいましただと――!!返金はさせたがくそ、既に学者仲間には手に入ったと触れ回ってしまったぞ!入手できなかったと知ったら連中、腹を抱えて笑うに決まっている!」
「まあ……旦那様、どうかお気を落とさないで下さい。諦めなければいつかまた機会は訪れますよ」
おっさんのわなわな震える拳に自分の両手を添える。
「栗花落」
「今回は偶々ご縁が無かっただけです。誰か様の非を責めた所で旦那様がお辛くなるだけだと……僭越ながら私はそう思います」
彼女は深々と頭を垂れた。
「……ああ、そうだな」憑き物が落ちたように放心状態で呟く。「消えた物をいつまでも拘っていても仕方ない。済まぬ、声を荒げてしまって」
「いえ、旦那様のお気持ちが晴れれば充分です」
二人はどちらからともなく微笑み合う。
「……あそこまで笑顔が似合わない人初めて見た」
ボソッとクランが呟く。幸い当人はそれどころではなく、愛妻の顔を一心に見つめている。意外とお熱いおっさんなんだな。
「お茶をお淹れしましょうか?」
「いや、構わん。家でいつもお前が点てているだろう」
「きちんとした場所で飲むと味が違いますよ。那美さんに買って来て頂いた龍商会の御饅頭もありますし、一服如何です?」
何て事だ、無罪の人間を問答無用で逮捕する傲慢な考古学者が、少年のように頬をうっすらと朱に染めて返答に悩んでいる。
「こちらにお座り下さいね。今美味しいお茶を点てますから」答えを待たずさっと座布団を空け、炉の横に移って抹茶の準備をし始める。
「ああこら、まだ飲むとは言っていないだろうに……全く気の早い女だ」そう言いつつ胡坐を掻いて座る。口では文句を垂れつつも表情は穏やかそのものだ。
「どうぞ」クランが饅頭の乗った器をぽん、とおっさんの目の前に置く。
「夢以外でお前達に会うのも彼此二週間振りか。小国の再建は進んでいるのか?」
「ぼちぼち。今日この街に来たのも半分は営業回り」
クランは首を竦める。
「おじさんの夢にも私行ったの?ああ、おぞましい」
「全くだ」
「今度夢に出てきたら、這い上がれないぐらい深い穴に突き落としてやる」
「相変わらず生意気な餓鬼だ。お前など大蛇に喰われてしまえ」
傍から見れば悪口の応酬も、本人達にとってはジャブにも満たなかったらしい。すぐに先程の話を再開した。
「フン。利用価値の乏しい物とは言え、龍商会で取り扱うようになれば知名度は否応無く上がるだろうな。で、もう半分はそっちの妹の服か?」
どうして判ったんだ??子供の時とは似ても似つかないのに。
「何で判るのおじさん?」俺と同じ疑問をぶつけるセミア。
「目を見れば判る……と言いたい所だが、吾輩にそんな眼力は無い」匂いだ、と言う。
「匂い?」
「お前の身体に染み付いた古い書物のインクの匂いは変わらん」
「へー、そうなんだ。アス、匂う?」
妹は腕や生乳を擦り寄せてみるが、嗅いだ彼は小さく首を横に振った。
「僕には石鹸の匂いしか分かりません。凄い特技をお持ちですねベルイグさん」
「鼻は昔から敏感なのだ、色々あってな。ああありがとう」抹茶を一口啜る。「別に変わらんぞ」
「天然の湧き水ですからいつもよりまろやかで飲み易いはずですよ。家では普通の水道水を煮沸しただけなので、若干雑味が残ってしまいます」
「吾輩にはどちらも苦い茶だ。ああ苦い」
文句を言いつつも茶碗から手を離さず、饅頭と茶を交互に口に運ぶ。
「那美、爺さんは息災か?」
「今そこで寝ています。昨日からまた微熱が出て、あ!」
襖の向こうから、クランの皿の饅頭と手の中の蜜柑を交換しようとする鱗混じりの腕が伸びていた。当の女王陛下は目線を向けつつも、興味が無いのか為すがままだ。
「お爺ちゃん!」バシッ!孫が素早く手首を叩く。「また生徒さんのお菓子に手を出して!」
「別にいいよ那美」欠伸混じりにクランが呟く。「お爺さんこのお饅頭好きなんだね。代わりに蜜柑くれるみたいだし、はいどうぞ」橙の果実を取って、皿を襖の隙間に押し込む。
「ありがとうお嬢ちゃん」
数十センチ開いた隣室の中央には、煉瓦色の布団の炬燵がドンと居坐っていた。防寒家具と半分同化した白髪の老人は、成程どことなく那美に似ている。
「ありがとうじゃありませんお爺ちゃん!主治医の先生も、体調が良くなるまで甘い物は控えるように言っていたでしょう!」
「じゃが、朝粥だけでは腹が鳴りっ放しで。のうお嬢ちゃん?」
「うん。襖越しでも五月蠅い。それにちょっとぐらい楽しみが無いと、治る物も治らないよね」
「いけません!クランまで何お爺ちゃんの味方しているんですか!?」
皿を取り返そうと襖を開く。が、病身の祖父の方が一瞬早かった。龍族の長い爪で饅頭を摘み上げて口に放り込む。もーぐもーぐ……嫌らしいぐらいゆっくり咀嚼する。
「もう……しょうがないですね。今日だけですよ」
首肯。飲み込んだのを見計らい、栗花落さんが淹れた抹茶を那美に手渡す。
「ありがとうございます。ほら、お爺ちゃん」
「済まないな栗花落さん。いつも教室の手伝いまでしてもらって」
「フン。そう思うならさっさと身体を治す事だ、この饅頭爺め。吾輩が何時までもこれをタダで貸していると思ったら大間違いだぞ」
ふふっ。何故かそこで細君が笑った。
「旦那様こそ、いつもお仕事で那美さんに協力して貰っているでしょう?持ちつ持たれつですよ」
「足手纏いの間違いではないか?この小娘が使い物になった試しなど」
「人様の血圧を上げるのが半ば生き甲斐になってしまっている旦那様が、そのような事を仰るなんて。素晴らしい進歩です。私も大変嬉しく思います」
疑いの無い満面の笑顔に、おっさんは激しく困惑の色を表した。ゲホンゴホン、と咳払い。
「……しかしあれだ、そう。見えづらいとは言え、女の同席は証言者の口を軽くするからな。こ奴の人生勉強も兼ねて引き続き組んでやるとしよう」
「それでこそ旦那様です、ふふ」
馬鹿にされるのは慣れているらしく、当人はやれやれと肩を竦め溜息を吐いた。
「お爺ちゃん。それ飲んだら大人しく横になってて下さいね。閉めますよ」
カラカラカラ、パタン。
「どうも祖父がお騒がせしました」
「ねえ饅頭のお爺さん」
言ってる傍からクランが再び襖を開けた。茶を啜っている老人の隣まで歩き、そのまま炬燵に足を突っ込もうとして孫娘に腕を引っ張られる。
「何やってるんですかクラン!?」
「だってお腹一杯で眠くなってきたんだもん。ふぁ~あ……」確かに目がトロンとしている。
「駄目です!お爺ちゃんの風邪が移っても知りませんよ!」
引き摺られるように戻ってきた女王を、那美はあろう事が俺に押し付けた。「見張ってて下さいレイさん」
「お、おう。分かった。――ほらクラン、眠いなら俺の肩に凭れかかっていいぞ」
勇気を出した一言の返事は「止めとく」……そうだよな。年食っているとは言えクランも少女だ。人前で若い男とひっつくなんて恥ずかしいに決まっている。
「ところで女王、その中は何だ?」四角くパンパンになった鞄を指差す。
「気になるの?」
「いや。ふと吾輩が買おうとしていた物と同じサイズだなと思ってな。ところでそれは幾らぐらいした?」
「二十三万」何!?俺のプレゼントとは一桁も違うじゃないか!クランは何を買ったんだ?
回答を得たおっさんは眉を上げた。
「ほう。吾輩が買おうとしていた物と全く同じ値段だ、偶然にも。もう一つ尋ねるが何階で買ったのだ?」
「五階の工芸品ブースよ」しまった、意外と古臭い物に興味があるのか……急に小袋の物に自信が無くなってきた。対戦相手のセミアは一体何を買ったんだ?
「ほほう」一度顎鬚を撫で擦った後茶碗を畳に置く。「それは良い買い物をしたな」
「でしょ?とってもお買い得だったの」
ふふふ。ははは。だが何故か二人の目は全く笑っていない。どころか妖気のような物さえ感じ取れる。
「なあ女王陛下。吾輩は今日頓馬な店員のせいで、入手できるはずの物を失ったのだ」
「それはお気の毒に。でもベルイグおじさん、その話を蒸し返しても栗花落さんを悲しませるだけだよ。人間諦めが肝心じゃない?」
「しかし女王、売れてさえしまわなければ、いや売れた後でも吾輩が予約してあったのは事実だろう。間違って買った者には大変申し訳無いし気の毒だ。だが購入権利は本来吾輩にある」
「代金を取り戻してなかった場合はね。予約を破棄した本人が今更何を言っても無駄」
「だが普通の良識ある市民が買ったのならばだ、ショックは受けるだろうが元の持ち主の所へまず間違い無く戻すだろう」
「元の持ち主?おじさんにその権利は無いでしょ?――しつこい男は嫌われるよ。可愛い栗花落さんに逃げられないように精々気を付けた方がいい」
「はっははは―――!!」おっさんは一頻り笑った後、突然栗花落さんを横抱きに立ち上がった!
「だ、旦那様??」
突然宙に投げ出された細く白い脚が揺れる。
「那美君、吾輩達は一足先に帰らせてもらう。後は勝手にやってくれたまえ」クランを一瞥して「ではな女王陛下」そう言って立てた親指を下に向け、咽喉の前で横に走らせた。
『驚きました。あなたがあんな事を言い出すなんて』
彼女は水鏡の奥で無垢な両翼を広げた。
「本気です、私は……」
『大父神様でなくても無理と判断するでしょうイスラ。信仰を広めるのは危険と常に隣り合わせ。異教徒に掛かればあなたなんて数分で殺されてしまう』
それは真実。四天使なのに、私は人間一人殺す力も無い。
「ならばどうして、私は存在しているのですか……?」
彼女が現れてから何度となく去来する疑問。百年間言葉にならぬまま心に沈殿していた想いが、虚無の風で浮かび上がってくる。
「何故私なのです――何故あなたがいてくれない!?」
『だから私の代わりに信仰を?』優しい笑顔。『気持ちは嬉しいです。ですがイスラ、適材適所と言う言葉を知っているでしょう?あなたは癒す者。異教徒と戦う事はできない』
伸ばされた手を掴もうとして水鏡に触れる。一点の波紋が彼女の姿を揺らした。
『何をそんなに焦っているの?』
「焦ってなどいません」
『虚言は精神を曇らせるだけよ』
彼女は翼を広げて背を向けた。
『さあお帰りなさいイスラ、あなたの在るべき神の御許へ』
「ジプリール……!」
飛び立って行った残像もすぐに消える。後には無色透明な水を湛えた鏡一つ。
「………」
背後に気配を感じて振り返る。暗い茶髪、心を失った金の瞳の女性が立っていた。しばらく前からミーカールが気紛れで使っている人形だ。義体に入っているのはどこぞで拾った魂と聞いたが、今の所特に不具合は起こっていない。
「ああ、あなたでしたか。どうしました?また怪我を?」手の甲から袖の中に向かう切り傷が見えた。「治療しましょう。服を脱いで下さい」
彼女は頷くでもなく無言でシャツのボタンを外し下着を脱いだ。逞しい筋肉の付いた、傷だらけの上半身。
「一体ミーカールはどんな修業をしているのですか?こんなにボロボロになるまであなたもよく耐えられますね」
全身を聖水で清め、癒しを施しながら私はいつもの癖で話し掛ける。
「……羨ましいですね。あなたはミーカールに戦う力を認められている。私には……何も無い」自分で言って驚いた。「力があったなら、私もあなた達と一緒に異教徒と戦えるのに。どうして私は人より弱く創られてしまったのでしょう……」
「――求めるのは本当に力か?」
「!?」
まさか彼女が話せるとは思っていなかったので酷く動揺してしまう。
「……ええ、そうです」
答えると彼女は何故かとても悲しそうな目を向け、小さく首を横に振った。
「あなたは争いに向いていない」
「どうして彼女と同じ事を言うのですか!?私は確かに弱い。ですが信仰活動を行えるまでに強くなれるかもしれないではないですか!」
ヒュッ!彼女の拳が私の眉間に触れる。動作が全く見えなかった。
「気付いていないのか……?」拳を当てたまま彼女は呟く。
「何がです?」
「自身の心にだ」
「心?神に仕える天使にそんな物は」
「ならば欺瞞にだ。あなたは自分自身に嘘を吐いている」
この娘はただの人形のはず。なのに何故こんな意味不明な事を話す?
「……馬鹿馬鹿しい」拳に手を添えて下ろさせた。「治療は終わりです。服を着て早くミーカールの所へ戻りなさい」
「へぇ、中々雰囲気の良い店」
ネオンの消えた看板の横を通り、準備中の札が掛かった『スナック杏里』のドアを先頭の準が開けた。照明が灯ると、スナックにしてはレストラン並に明るい。清潔な木のカウンターと酒棚、並んだ種類豊富な酒瓶がクリーム色の明かりに照らされてキラキラ輝く。
「オカマバーにしては健全そうだな」
「普通のバーみたいだね」胸の大きく開いた水色のドレスのセミアが言う。ここに来る前に龍商会で着替えたばかりだが、早くも綺麗に着こなしている(周りの人間は配色との相乗効果で鳥肌物だ)。「私も飲むならこんな所がいいな」
「でしょう?ちょーっと待っててね。ママン、ママン!お客さん!!」
腰をくねらせながらカウンターの奥へ引っ込んだ。開店前なので私達は適当にばらけて席に着く。
「あ、ウイスキーもちゃんとありますね」なるべく中身を見ないようにしながらアスが呟く。「こう言った所は初めてです。レイさんはどうです?」
「俺もだ。三人だってそうだろ?」
「ん、私は一回行った事あるけど」
「「「「ええっ!!」」」」
四人が一斉に驚きの声を上げる。
「何十、違う、百年ぐらい前かな。泊まった宿屋が偶々居酒屋と兼用だった。その時は……」テーブルにあったメニュー表を開く。「焼酎のボトルと塩焼き蕎麦。ボビーには冷奴を頼んだ気がする」
「ボトルってくーちゃん、一人で飲んだの?」
「うん。私酔わない体質みたい」そう答えると何故かレイが一瞬悔しそうな顔をした。
「羨ましいですね。私はかなり弱い方なので」那美がテーブルに肘をつく。「祖父は龍族のお陰か高い度数でも割と平気なんですが。都合の良い事は中々遺伝しないものです」
「那美さんも変身を?」
「いいえ全然。遺伝は四分の一なので御覧の通りです。でもそうですね、龍族らしい所と言うと」徐に立ち上がり、カウンターに置いてある中身が半分ぐらいのウォッカの栓を開ける。「少し離れていて下さいね」一口含み、ゴオオッ!火炎の息を吐き出す。
「わぁっ!凄いや那美!」
目の前のショーに妹は拍手喝采した。感情表現がある分、以前より却って子供っぽい。
「ありがとうセミアちゃん……げほげほ。あー、久し振りにやったから咽喉が痛みます。学生の頃はよくコンパで隠し芸にやっていたんですけどね」
そう言ってカウンターの水道で潤す。完全二次会三次会用。
「素朴な疑問だがウケたのかその芸?いや、女の子がそれやると普通男は吃驚すると思うんだが」
「僕も驚きました。大道芸人ならともかく、那美さんみたいな女性の方がすると新鮮です」
男二人が其々感想を述べる。
「ウケは取れますよ。御察しの通り次には繋がりませんけど」
「だろうな」
溜息。
「正直余り好きじゃないんです、飲み会。アルコールに弱いですし……それにどうもあの体育会系の馬鹿騒ぎが嫌で。ボクシング同好会は、試合前の減量もあって一切禁止だったので助かりました」
「個人的に飲みに行ったりしなかったの?」
「女友達とはランチばかりで……そう言えば卒業祝いに一度だけ、掛け持ちしていた同好会の先輩と大学近くのバーに行きました。あ、別に気があるとかでは全然無かったんです。先輩が職場の方でバーの割引券を貰ってきて、向こうも行く相手がいなかったので付き合ったんです」
「彼氏か?」
レイの問いにブンブン、横に振られた首。
「まさか。聖書と恋人みたいな人ですよ。先輩の御両親や曽祖父も、私のバイトの上司ですけど、ほとほと困っているようです。一人息子ですから先輩――と、関係無い話をし過ぎましたね」
那美はもう一度、今度は真上に炎を上げてみせる。私はすかさず舞剣を召喚し、剣先に先程一つ残しておいた龍商会饅頭を突き刺して後ろから炙った。
「あ」
「うん、いい感じ」もぐもぐ。「美味し」皮が程良く焼けて香ばしい。
「っはは、もうクランてば」那美は口を大きく開けて笑う。「まだ持ってないんですか?私にも下さい」
「残念。これで最後」
「流石は女王様、発想が違うね」妹の手が私の頭を撫でた。
再び水を飲み、ウォッカを元の位置に戻して那美はセミアの隣に座った。
「でも何で引き受けたんだ?厄介事っぽいのに。それともあれか、目的は栗花落さんか?気にしてたもんな」
「あれ、レイはフェミニストじゃないの?あんなたおやかな女性が困っていたら助けるのは当然でしょ?」もぐもぐ。
「それはそうだが……何か打算が働いているんじゃないのか?」
「まさか」ボビーの毛並みを触る。静電気のせいかやや乱れていた。「友達の友達は友達でしょ」
そう言うとレイは「う、嘘臭え……」と言わんばかりの表情を浮かべた。衛兵が奥の暗がりに目をやる。
「準さん遅いですね」
「いつもならママンはまだ寝ている時間ですから……と、来たみたいです」
奥から準と現れた老女(老男?)は垂れた瞼をカッと見開いた。
「ロウイ!?」そう呼ばれ、皺だらけの手で繋がれたのはレイだ。
「おい爺さ、いや婆さん人違いだ!俺はグレイオスト・クオル、ロウイなんて名前じゃ……ロウイ?」
思い当たる事でもあるのか、彼は腰のサバイバルナイフとボウガンを老女の前に差し出した。
「その紋章、間違い無い!だけどあんたロウイじゃないんだろう?どうして」
「……やっぱりか。婆さん、俺はロウイ・キャンベル中尉の息子だ」
母から父は大層な奥手者だったと聞いていたのでまさかスナックの、それもこんな場末のオカマバーに知人がいるとは思わなかった。
「ロウイは身体がああなせいか随分内気な子だったよ」ママンは酒棚の引き出しから古いアルバムを取り出してテーブルに広げた。皆が集まって覗き込む。
「レイにそっくり。ママン、隣はシスカ?」クランの指摘に指差された写真をよく見る。カウンター席でオカマ達に囲まれて、同じグラスを持った両親が微笑んでいた。
「そうさ。二人はここで知り合った。向こうの席でよく閉店まで飲んでたものさ」店の一番奥の二人テーブルを示す。「あんたの母親はシスカなのかい?」
「ああ」
「だろうね、ロウイに他の女を捕まえるなんて甲斐性無いだろうし。それにしても瓜二つだ、さっきはてっきり生き返ったのかと思ったよ。シスカは元気なのかい?」
「それが先々月に……病気で」
「……そうかい。私の好きな連中は皆私を置いて行っちまうねえ。そんな年になっちまったって事か」ママンは寂しそうな目をした。「あんたは若気の無鉄砲なんかで死なないでおくれよ。もう一回名前を言ってもらえるかい?覚えておくからさ」
「グレイオスト・クオル、レイって呼んでもらえると有り難いよママン。それからこいつらは俺の親しい人達。彼女はクランベリー、母さんの後を継いだクオルの現在の女王」
紹介に合わせて少し大袈裟に一礼。
「よろしくママン。こっちは私の相棒のボビー、店に入れてもよかった?」
「構いやしないよ。触ってもいいかい?」
「どうぞ」
ママンは「おおよしよし」子供みたいにはしゃぎながら、蚤取りでもしているかの如くボビーの背腹を撫でまくる。喜んでいるのか迷惑なのかコリーはクゥンクゥン言いっ放し。一通りやって満足し「良い子だ」と言ってママンは立ち上がった。
「そっちの彼女がセミア、こう見えてクランの妹。こいつはアス、今の所家のただ一人の衛兵だよ」
「よろしくお願いしますママン」きっちり礼をするアスに対し、「ねえ、ママンはご本読む人?」セミアはいきなり質問した。
「本?」
「だってママンの服から古本の匂いがするよ、クンクン」何時からベルイグのおっさん並の嗅覚を身につけた?と思ったら俺にも分かる程匂いは強かった。初めに気付かなかったのは香水のせいだ。
「ママンは物知りよう。お客さん達を楽しませるためにいつも勉強してるの」準がカウンターの小型オーブンで作ったらしい焼き芋チップスを皿に乗せ、閉じたアルバムの横に置いた。「流行本とか真っ先に読むの」
「本当?わぁい、今度本棚見せてねママン」
「いいよ。読書に興味があるなんて感心な子だね。うちの子達なんて読んでも漫画雑誌ぐらいで見習ってほしいものだよ。――それはそれとして、あの連中の話だったね準?全く、店での揉め事を堅気に話すなっていつも言っているだろう?」
「ママン、その件はもう警察に協力を要請するべきです。怪我人も出ているそうですし、被害総額もかなりの物に上るのではありませんか?」
「那美ちゃんは黙っといてくれないかい」
「いいえ。大体何で龍士会の連中に相談しないんですか?ヤクザはみかじめ料貰って働くのが道理のはず。そいつらを使って追い払えば済む話では」
こほん、女王はワザとらしい咳払いを一つした。
「事情は分かった。けど疑問が一つ」チップスを一口。「ママン、その迷惑な連中の目的は何?見当が付いているんじゃないの?」
ママンはすっ、と目を細め、何故か俺の方を一度見た。
「……いや、それが分からないんだよ全然。暴れるだけ暴れて帰っていくからね」
「ふぅん……」クランは興味を失ったのか手の中の芋に齧り付いた。
「要求も無いのに店の物を壊したり、人を傷付けていくのですか?酷い」アスは手で口元を押さえて言う。「ママン、僕も那美さんと同意見です。すぐに警察に通報しましょう」
「そうだぜ、死人が出てからじゃ遅い」
「……那美ちゃん、さっきどうして龍士会に頼らないのかって言ってたよね」
「え、ええ」
「ママン!」
「いいんだ準。ああ、そうさ。頼れる訳がないだろう、だって暴漢は龍士会の従業員。私の孫なんだから」
孫……?
「青を警察に突き出すなんて非情な事できるはずがないよ。ましてあの子は自分の意思でそうしてるんじゃないんだ。命令されて仕方なくやっている、だから婆さん赦してくれって泣きながら……」
「理解できません。龍士会は“白の星”でも義理人情に厚い組で有名です。部下に祖母の店を襲わせるなんて……そ、それにママンのお孫さんって芳養先輩ですよね?考えられない」
「知り合いなの那美?」
「高校まで同じ学校に通っていたんです。多少荒っぽい所はありましたが、就職が龍士会で少しほっとしていました。数年前からあそこは健全で真面目な建設会社になったって話を聞いていましたから」
ややこしい事になってきたぞ……芋を口に運ぶついでにクランの方を見ると腹が一杯になったせいか再びうつらうつらしていた。しかも傾きそうな身体を衛兵が極自然に片手で背中に手を回して支えていた。何て事だ!さっき俺が出来なかった事を!この裏切り者!思わず手でどけろ!と追い払うサインを出す。
「何やってるのレイ?」セミアが不審そうに言い、俺の見ている方に首を回した。「ああっ!!」大声にクランの肩がビクッ!となる。
「ん……どうしたのセミア?」背中の手に気付き、「あれ、支えててくれたの……ありがと」
「いえ、偶々席が隣でしたから。感謝される程の事ではありません」
「そう。で、セミアは何?」
彼女は「後で覚えとけよ」と一瞥を向けた後にっこり姉に微笑んで、「くーちゃんの髪があんまり乱れていたから驚いちゃった。大分伸びてきたし、お城に帰ったら私切ってあげる」さり気なく点数を上げようと提案した。
「別にいい。これぐらい自分でできる」視点を上げて、「切りたいならアスのを切ってあげて。邪魔そう」眠そうな目で女王は店内を観望し、「ママン、お孫さんは開店日に必ず来るの?」
「ああ、いつも決まって零時を回った頃に」
「今日は休業日だから来ないね。明日また来るよ、色々調べる事出てきたし」そう言うとさっさと椅子から立ち上がり、「話聞かせてくれてありがとうママン。おやすみなさい良い夢を」手を上げてトコトコ入口へ歩いて行くではないか。
呆気に取られる中、ママンはニヤリと笑って俺の肩を叩いた。
「中々変わった女王様だねあの子。任せたと言っておいておくれ」
「は……?」今のおざなりの話のどこに老女は感心したんだ?俺にはもっと訊くべき事が沢山あるように思えたが。
「ほら、皆行った行った!明日は頼んだよ!」
追い出されるようにドアを潜った俺達を一応は待っていたのか、クランは芋の欠片をボビーにやっていた。そしてコリーから目を離さないまま、俺達に指令を出した。
『あら、あなたも来ていたの?』
ディーの屋敷前。茶髪の巫女は、手にピンクのリボンを掛けた箱を持って、今正に中に入ろうとしていた。足元にはいつもの黒髪眼鏡の少女。
『クゥン?』
『っ!』
ボビーが近付くとさっ、と彼女の脚に隠れ警戒状態に入る。そんな少女を巫女はクスッ、と笑った。
『どうしたの?』お姉ちゃんが尋ねる。
『い、いえ!ちょっと思い出して。クラン、その服可愛いねとっても!わ、ボビーも今日は御洒落してるんだ!メノウさんにやってもらったの?』
『うん。私はいいって言ったんだけど……』
甥がボビーの横へペンギンみたいによちよち歩き、ふかふかの頭を撫でる。
『君も今日は特別きめてるね。この子にも何か着させてくれば良かったかな?』
『この子って?』
姉には見えない少女は尚も緊張を解こうとせず、コリーと睨み合っている。
『あ、えっとそう、プレゼントの箱の飾り付けが質素過ぎたかなと思って』相変わらず壊滅的な誤魔化しスキルだ。
『そうかしら?大事なのは中身だと思うけど』
『そ、そうですよね。あはは』
どうやら少女は条件を満たさない相手には姿が見えないようにしているらしい。でなければ、メノウお姉ちゃんと目が合った瞬間に捕まえられて着せ替えの餌食にされている。だって少女は甥と姉弟でとてもよく似ているから。
けれど分からない。何故彼女は神候補の中で私にしか姿を見せないのだろう?
『料理はあなたの担当だったかしら?もう出来ているの?』
『勿論。今はプレゼント取って来た帰り。メノウさんとクランはどんな物用意してきたの?』
『内緒』
『内緒よ、ねえまーくん?』
当の甥は少女、姉に何とかボビーに近付いてもらおうと身振り手振りで説得中だ。少女も本当に怖いなら逃げればいいものを、巫女の脚にコアラのように引っ付いてぐるぐる。
『うーん、クランは何か実用向きっぽい。メノウさんは装飾品?』
『さあどうでしょう?ふふ』
『あなたは形に残らない物っぽいね。クッキーとか……それと超実用重視でバッテリー用の電池』
『わ、わ!何で分かったの?さては家を覗いてたでしょう!』
『まさか』
箱からは家を訪問した時によく嗅ぐ香ばしい匂いがしているし、人見知りの少女が付いて来ているならプレゼントもあるはず。彼女が用意したのなら本当に最低限使う物に限られてくる。
『まあ、素晴らしいプレゼント!でも私達のも負けてはいないわよ』
『……お前ら中に入らないのか?』
開けっ放しのドアから声がした。
『とうさま!』甥が満面の笑顔でよちよち階段を昇って両手を広げた。
『んな喜ぶなよ。昨日会ったばかりだろ』言葉とは裏腹にしっかりと抱擁。『全く、お前は本当に甘えん坊だな』頭を撫で撫でされて甥の口がにゅぅ、と緩む。
『見に来たわよあなたの傑作。ちゃんと私は美人に出来ているのかしら?』
『……別にお前をモデルにした訳じゃない。本命はあくまで菓子の家だ、人形の造形は正直余り上手くいかなかった』頭をポリポリ掻きながら『ガッカリしても知らないぞ、今忠告したからな』
『ええ』お姉ちゃんは赤い唇を両側に引き上げた。
『私達が一番?主役は?』
『あいつらなら散歩に出掛けた。パーティーまでには戻って来るはずだ』
甥を抱え上げて、『とにかく上がれ。もうすぐパン屋が来るはずだよな?』
『うん』
『いむおじさんのぱん?わぁい、うれしいな』
『何でもミルクに浸けないと食べられないガキが何言ってんだか』
三人が屋敷に入っていく中、茶髪の彼女は足元を見た。
『大丈夫?ボビー、少し離れてくれる?』
『クゥン』
ふさふさが私の横まで移動してくる。
『そんなに怖かったの?ご、ごめんね』巫女はおろおろして『でもボビーは大人しい犬だから噛んだりしないよ』
『恐怖なんて無いわ。前のように急に舐められたくないだけ』
『それ、つまり怖いって事だよ?』私は突っ込んだ。
『私に感情なんて』
『ボビー、GO TO HER!』
『クゥン!』
『きゃぁっ!!?』ボビーが駆けると同時に再び巫女の脚にしがみつく。
『あはは、ボビー。もっと全力でやっていいよ』保護者が面白がって囃し立てる。
『巫女!?責務に反してるわこんな事!早く犬を止めなさい!』
ぐるぐるぐるぐる。
『この馬鹿巫女!』